第五面の胴羽目 「法華経説話:多宝塔出現」 石川銀次朗作 (縦 127㎝、ケヤキの一枚板)
帝釈堂後面4枚の胴羽目は、中央の2枚が、少し幅が短めになる。
題材は、『法華経』巻第四 見宝塔品第十一「宝塔出現」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/e9/9b3540064be8e2a39056dccdcc670c7e.jpg)
上部中央 多宝如来が宝塔とともに地中から出現して空中に浮かんでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/4f/ac30ec8dd9b7adeda9bebae67ad0396c.jpg)
周囲は会衆
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/e6/bcf8d30de3c0f06da8ee96d63e75de2f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/e9/5bd1bb723823b4c709fc4e59ae1b2442.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/54/ebbad19c1127a9d404c927d2ee7c3e87.jpg)
多宝如来
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/35/b52c0ebb2eb57de4c3c1e01ba81a7d06.jpg)
下部 宝塔如来を拝む人々
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/6f/9a8fedccb6b077b3b8dd2148760badb3.jpg)
刻銘 「二世信光改八十翁 石川銀次朗作」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/8a/722b6dc302d68535af5146664bc99a31.jpg)
・模型彫刻(大客殿廊下)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/66/b600cbb143849f2c923b02287d38d6ed.jpg)
同刻銘 「昭和六年(1931)八月 石川銀次郎作 七十九翁」 完成品の前年(10枚の胴羽目はおおむね1年以内の製作期間であった)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/bc/6bf9a5fb392ad60d1ff12f328cc611ae.jpg)
・手水屋 銀次朗の刻銘の彫物はなし
・石川銀次朗(二代石川信光)
嘉永五年(1853)頃の出生。父は弥勒寺音八。石川流本家四代 朝光の弟の石川三之助信光(初代信光)に男子がなく、音八の子 銀次朗が娘婿として石川信光家に入る。
第三面の作者 三世信光(三五郎)は銀次朗の孫(娘の子)になる。
・参考資料
『帝釈天題経寺建造物調査報告書』(葛飾区教育委員会発行、令和四年)
『帝釈堂 法華経説話彫刻』 (帝釈天題経寺発行)
『甦る「聖天山本殿」と上州彫物師たちの足跡』(阿部修治、2011年)
帝釈堂後面4枚の胴羽目は、中央の2枚が、少し幅が短めになる。
題材は、『法華経』巻第四 見宝塔品第十一「宝塔出現」
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上部中央 多宝如来が宝塔とともに地中から出現して空中に浮かんでいる。
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周囲は会衆
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多宝如来
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下部 宝塔如来を拝む人々
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刻銘 「二世信光改八十翁 石川銀次朗作」
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・模型彫刻(大客殿廊下)
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同刻銘 「昭和六年(1931)八月 石川銀次郎作 七十九翁」 完成品の前年(10枚の胴羽目はおおむね1年以内の製作期間であった)
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・手水屋 銀次朗の刻銘の彫物はなし
・石川銀次朗(二代石川信光)
嘉永五年(1853)頃の出生。父は弥勒寺音八。石川流本家四代 朝光の弟の石川三之助信光(初代信光)に男子がなく、音八の子 銀次朗が娘婿として石川信光家に入る。
第三面の作者 三世信光(三五郎)は銀次朗の孫(娘の子)になる。
・参考資料
『帝釈天題経寺建造物調査報告書』(葛飾区教育委員会発行、令和四年)
『帝釈堂 法華経説話彫刻』 (帝釈天題経寺発行)
『甦る「聖天山本殿」と上州彫物師たちの足跡』(阿部修治、2011年)
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