*その後、本格調査で変わった点があり、加筆修正したものを2023年1月9日に改めて投稿しました。
2018年10月19日付けで、文化審議会が大前神社を国の重要文化財に加えることを文部科学大臣へ答申した。
大前神社が、選ばれた理由として、「壮麗な彫刻が施されている」点が挙げられた。
江戸時代の宮彫に対して、熊谷の妻沼聖天山(国宝)に続いて評価されたことは、今後の宮彫(寺社彫刻)への興味が高まる機運かもしれません。
大前神社の宮司様には、訪問した際に「大前神社社殿 歴史的建造物 調査報告書」をいただいたことに感謝しております。今回の重文指定をお祝い申し上げます。
●大前神社の拝殿
拝殿は幣殿と一体化し、本殿とは別れている。
神社の記録では、元禄年間に建立され、宝暦4年(1754)に改修されたとある。また、「庫内日記」では、天和2年(1684)に大前権現拝殿建立と記載がある(文献1)。
大工、彫工は不明。
・拝殿の前景
・拝殿の向拝部
●大前神社の本殿
本殿の調査、名主文書(文献1)により、現在の本殿が元禄12年(1699)から始まり、宝永6年(1709)に完成した。
本殿波形彫刻裏の墨書(宝永4年)には 藤田孫平治藤原常信(茨木郡笠間箱田村)の名があり、蟇股の墨書には「宝永四年七月七日常陸国笠間領羽黒村大工桜井瀬佐衛門安信」「宝永四年笠間箱田村棟梁藤田孫平治」があり、両者が中心となって本殿を造営した(文献1)。
さらには、名主文書に「大工当料常陸国笠間領羽黒村桜井瀬兵衛と申者也、普請ニ取立十三年目ニ成就ス、ほり物師江戸ニて園右衛門と申テ、(途中略)、此ゑん右衛門江戸上野中堂のほり物も被仰付無類上手之由」とある(文献1)。彫工の中心は、嶋村円哲が担当した。桜井瀬左衛門は2代安信を指し、薬王院三重塔(桜川市、宝永7年)、新勝寺三重塔(成田市、正徳元年)を作っている。
・本堂の側面
・本堂の前部分
正面、虎の木鼻の間の波型彫物の裏に墨書があった。
●本殿、拝殿の修理(宝暦年間)
・波形彫刻の裏面に、宝暦十二年の修理の追記が見られる(文献1)。
結城の竹田藤重郎門弟である磯部儀左衛門信秀とあり、初代磯辺儀左衛門が修復(彩色)を担当した。他の部分の墨書に信秀の後に「同名 松次郎、同名 松三郎」とあり、二人の子も参加した。
写真(文献2より)
-嶋村円哲の彫物を、磯辺家が修復した点。磯辺の初代が竹田藤重郎の弟子であった点は興味深いところです。
当ブログ、磯辺家の系譜
https://blog.goo.ne.jp/kitanomiya/e/8d9e46ab9d33aad91641a357b8d8d7ab
参考文献
1、『大前神社社殿 歴史的建造物 調査報告書』宗教法人大前神社発行、東京芸術大学編集、平成29年
2、田野井武男「彫工磯辺儀左衛門信秀一族」 鹿沼史林37号、76-100頁、平成9年
2018年10月19日付けで、文化審議会が大前神社を国の重要文化財に加えることを文部科学大臣へ答申した。
大前神社が、選ばれた理由として、「壮麗な彫刻が施されている」点が挙げられた。
江戸時代の宮彫に対して、熊谷の妻沼聖天山(国宝)に続いて評価されたことは、今後の宮彫(寺社彫刻)への興味が高まる機運かもしれません。
大前神社の宮司様には、訪問した際に「大前神社社殿 歴史的建造物 調査報告書」をいただいたことに感謝しております。今回の重文指定をお祝い申し上げます。
●大前神社の拝殿
拝殿は幣殿と一体化し、本殿とは別れている。
神社の記録では、元禄年間に建立され、宝暦4年(1754)に改修されたとある。また、「庫内日記」では、天和2年(1684)に大前権現拝殿建立と記載がある(文献1)。
大工、彫工は不明。
・拝殿の前景
・拝殿の向拝部
●大前神社の本殿
本殿の調査、名主文書(文献1)により、現在の本殿が元禄12年(1699)から始まり、宝永6年(1709)に完成した。
本殿波形彫刻裏の墨書(宝永4年)には 藤田孫平治藤原常信(茨木郡笠間箱田村)の名があり、蟇股の墨書には「宝永四年七月七日常陸国笠間領羽黒村大工桜井瀬佐衛門安信」「宝永四年笠間箱田村棟梁藤田孫平治」があり、両者が中心となって本殿を造営した(文献1)。
さらには、名主文書に「大工当料常陸国笠間領羽黒村桜井瀬兵衛と申者也、普請ニ取立十三年目ニ成就ス、ほり物師江戸ニて園右衛門と申テ、(途中略)、此ゑん右衛門江戸上野中堂のほり物も被仰付無類上手之由」とある(文献1)。彫工の中心は、嶋村円哲が担当した。桜井瀬左衛門は2代安信を指し、薬王院三重塔(桜川市、宝永7年)、新勝寺三重塔(成田市、正徳元年)を作っている。
・本堂の側面
・本堂の前部分
正面、虎の木鼻の間の波型彫物の裏に墨書があった。
●本殿、拝殿の修理(宝暦年間)
・波形彫刻の裏面に、宝暦十二年の修理の追記が見られる(文献1)。
結城の竹田藤重郎門弟である磯部儀左衛門信秀とあり、初代磯辺儀左衛門が修復(彩色)を担当した。他の部分の墨書に信秀の後に「同名 松次郎、同名 松三郎」とあり、二人の子も参加した。
写真(文献2より)
-嶋村円哲の彫物を、磯辺家が修復した点。磯辺の初代が竹田藤重郎の弟子であった点は興味深いところです。
当ブログ、磯辺家の系譜
https://blog.goo.ne.jp/kitanomiya/e/8d9e46ab9d33aad91641a357b8d8d7ab
参考文献
1、『大前神社社殿 歴史的建造物 調査報告書』宗教法人大前神社発行、東京芸術大学編集、平成29年
2、田野井武男「彫工磯辺儀左衛門信秀一族」 鹿沼史林37号、76-100頁、平成9年
現物を見たら感動するでしょうね。
いずれ訪問したいと思います。