道東の狼!驀進 新鮮組

動乱の幕末を想わせる薄野。新鮮組は動乱の薄野を驀進します!

[お前は地球か?」からオカルトを追求する!

2025-01-19 02:25:42 | 日記
「お前は地球か?」
というのは、かの有名な武田邦彦先生の名言でございます。
いったいどんな言葉なのかというと、
近年になり、日常でよく耳にしたりするこんな発言

「いやぁ~今日も暑いね。やっぱり地球が温暖化してるんだね」
これに対し生まれた言葉が
「お前は地球か?」

ようは、地球という大きな枠組みの中の日本という小さな国で、
その中のさらに小さな一部の地域に住むあなたの個人的な感覚を
地球と一緒にするなという皮肉です。

大きなスパンで時代をとらえたときに寒冷化の中にあるという現代で、
小さな一地域でしかない場所で得たあなたの個人的感覚を
地球規模の結論としている事に疑問を持ちなさいという事です。

人はどうしても「わかったつもり」になりたい生き物です。
地球規模の話を個人的感覚だけで結論が出るはずもないのですが、
「地球は温暖化している」という話題に対して、
それを理解している自分でありたいんです。

何を言いたいのかというと、
地球規模の温暖化という話題に対し、本当に専門的知識がある人が明確に
見解を示すことができない中で、なぜか知識のない一般の人たちが
その答えを明確にしている。
世の中にはこんなことが多々あるわけです。
なぜかというと、分かったつもりになりたいからです。

週刊誌なんかでちょっと問題が出ると
何も知らない人たちが正義をかざしてあーだこーだいうわけです。
いやいやその前に・・・
「お前が何を知ってるんだ?」

さて、オカルトの話になりますが、
オカルトの魅力って何なのか?
オカルトにはロマンがあふれているという事が魅力なのではないか。
ではロマンってなに?
それは「探求させる力」ではないでしょうか。
整理すると、オカルトの魅力とは、人に探求させる力があるということ。

いったいオカルトの何がそうさせるのか?
それは「終着点が見えない」こと。
見えないモノや終わりのないモノにこそ探求させる力=ロマンがある。

要は、オカルトの魅力とは「見えないモノを見たい」と思わせるちから。
オカルトとは最上のミステリーであり最大の科学だという事です。

よくオカルトの否定において「科学的に・・・」と用いられます。
しかし、これっておかしい話なんです。
例えば黄泉の国なんて言う人類をはるかに超越したような話を、
なぜ現代の科学で解き明かせないことが否定の立証となるのでしょうか?
そこにあるのは「立証できない」という事実だけであって
オカルトの否定にはならないんです。

現代というまだまだ進歩の途中である科学の力が、
時代や人類や地球をはるかに超えるであろう規模であるオカルトを
なぜ立証をすることができるのだろうか?
出来なことをもって否定するというのが、そもそも科学から反している。

現状でオカルトについて科学が出せる答えは
唯一「わからない」だけ。
だから僕はオカルトを否定する人に言いたい。

「お前は死人か?」

科学的に「わからない」ものを、なぜ答えが出せるのか?
だから実体験でもあるんですか?ということです。
世の中のわずかな側面だけでこの世のすべてを知った気になってはいけない。
私たちが知りえていることなんかは、
この世の話からすればまだまだわずかな事なんだから。

オカルトに興味を持つ人っていうのは、
いわば「見えないモノを見たい人」「知らないことを知りたい人」
だったりします。
これは「知らないことを自覚している」人であるといえます。
なぜなら終着点の見えないオカルトについて、自分の知りえることなど
ほんのわずかな事であるということを自覚しているからです。
しかし、実際は知らない人から比べれば知識を持った人です。

では興味のない人とは?
言ってみれば「見たいと思わない人」「知りたいと思わない人」です。
普通に考えれば、このような人は詳しく知らないはずなんです。
しかし面白い事にオカルトに興味がない人は、
なぜか興味がないのに「自分はそれを理解している」と考える人が多い。
先ほどの「科学的に・・・」が良い例です。

知りたい人が知らない(そう自覚している)人であって、
知りたくない人が理解している(そう思っている)人。
面白くないですか?
実際の知識からすれば本当は逆なんですが。

なんでそうなるのか?
言ってみれば視点の違いです。
地球の中に自分が立っているのか、自分が立っているところが地球なのか。
一方は自分にとって未開なものが多くあることを自覚していて、
もう一方は自分が立ったわずかなスペースですべてを解釈する。
要は「お前は地球か?」に戻るわけです。

オカルトに限らず、世の中には見えないモノは多くあります。
現実社会に関して言えば、私たちが知りえる事なんてわずかなことです。
それは「見えていないモノ」といってもいいと思います。
特に、情報なんてその代表的なものです。

理解している自分でありたい
解らないと思われたくない

その先に主張されるのは結局は問題を度外視したただの個人的見解。
なんでも一緒。

地球温暖化もオカルトも週刊誌報道も一緒、
事実を知りえない人ほど断定的な言葉を投げる。
まるでこの世のすべてを知ったかのようにね。












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