釣り百態
子供の時に釣りをしたことは何度かあるのだが、習慣になったのは大学生になってからだ。当時住んでいた家の近くに桟橋があって、そこは横浜駅にも近くて貨物船が停泊していた。保税倉庫が並んでいて普段は貨物の出し入れに忙しいが、休日は働く人がいなくてめっきり車も通らない。秋口に散歩に行くと、その桟橋に釣り人が大勢いて忙しくしている。名前はこれは後で知ったのだが、サッパの大群が桟橋に押し寄せていたのだ。ピンクのビニール片がついた針が十本くらい並んでいる仕掛けに、12-15cmほどの小魚が二匹、三匹と次々に食いついている。その仕掛けをサビキと呼ぶことは、これも後で知った。
桟橋で釣り人が捨てたゴミの中から針が3-4本付いたサビキの残骸を拾い、先に小石を結びつけた。それからこれもゴミの中の釣り糸を拾って結び、ドキドキしながら腕を伸ばして海に投入した。すると瞬く間にカカカッと小気味良くサッパがかかったではないか。ウワっ心臓がバクバク鳴って、その瞬間に釣りの虜になった。
翌日には釣り具屋に行き、リール・竿込みで1,500円位のセットを買いこみ桟橋に座り込んだ。その時買った安い振り出しのカーボン竿はその後ずい分愛用したものだ。一番多く小魚を釣った竿で、それが折れた時は悲しかった。
何度も釣りに行っていると、いつでも釣れる訳ではなく、場所、季節、時間帯によって釣果は変わる事が分かってきた。釣りを始めた当初、良く行ったのが渡し船による横浜港の海保での釣り、それから主に三浦半島のあちらこちらでの堤防だった。釣れたり釣れなかったり、釣れない方がずっと多かった。やはり沖に出ないと駄目なんだ。
最初に乗り合いに乗ったのはいつのことだったか、よくは覚えていないのだが、船頭があっちこっち船を走らせ、竿を上げろ入れろとやたらうるさい。隣の親父と糸がからまり(お祭りという。)、結構面倒で料金が高い。当時の乗り合いは一日五千円位だった。
親父達は一様に長いひさしのついたキャップをかぶり、カラフルな長靴、派手なウェアを身につけ、自前のサオ掛け、高そうな竿とリールを使っていた。貧弱な装備、手拭いを頭に巻き、スニーカーをびしょびしょしする自分は、それでも何回か通う内に腕では中の上になった。船の中で、ベテランにはとてもかなわず半分くらいしか釣れないが、隣のモタモタしたおっさんよりは多く釣るレベル。アジ、キス、イサキ、イシモチ、メバル、カサゴ、カレイ、それからスルメイカ、太刀魚と季節の魚を狙って海にかよった。
タイは何度か挑戦したが難しくて惨敗。小さいのしか釣っていない。アイナメに凝った時期もあった。走水に3,500円で午後から出る乗り合いがあり、よく通った。エサはデカイがほとんど動かない岩イソメで、アイナメは当たりはあるのだがなかなか針にかからない。ただエサが残っていると何度でも食いつく。それでも針にかからない。それが夕方になると突然バタバタと釣れ出す。暗くなると針が見えにくくなるんだろうね。但しその頃には岩イソメが無くなりかけていていつも悔しい思いをする。アイナメは釣り上げる途中でクイ、クイっと首を振るので面白い。煮魚にすると白身の上品な油がとてもうまい。大きいアイナメは刺身にしてもコリコリした食感がよい。
この釣り宿のおかみさんは愛想がよく、実においしい味噌汁を用意してくれていた。普通の釣り宿はお茶にせんべいくらいだ。船頭は腕がよく、猿島近くのアイナメの付く根をたくさん知っていて、それらは独自のものらしく、他の船と一緒にはならない。だけどこの船頭さんは病気で亡くなってしまい、店を閉じてしまった。今でも残念だ。
乗り合いで釣った魚の話しをすればキリがない。大漁だった日、一匹も釣れない(オデコと言う)日、とんでもない外道がかかったのを見た日、雪と霧で直ぐに切り上げた日、船が燃料切れで立ち往生した日もあった。ある日、船上で魚の処理をしていてナイフで指をザックリ切ってしまい、血が止まらなくなった。今でも傷が残っている。
乗り合い以上に良く通ったのがボート釣り。ボートの料金は一日3千円~3千5百円で、他にエサ代がかかる。友人と2人で行く事が多かったので、ボート代を折半すれば乗り合いよりはずっと安い。船頭にとやかく指図される事もなく、自分で行き先を決められる。但し手漕ぎで重りの上げ下ろしも自分でやるので、余り沖にまでは行けない。乗り合いの釣り船だって小さいが、ボートは3人乗ったら身動きが出来なくなるほどの大きさだ。ちょっと風が吹いて波にウサギが飛ぶようになれば、木の葉のように揺れる。船酔いには強い方だがボート屋は直ぐに休業するし、そんな日に沖に出ても当たりが分からず、さすがに釣り糸をほぐしていると気持ちが悪くなる。ボートの釣りはちょっと風が吹くと出来ないんだ。早起きして海まで行って何度戻ってきたことか。
ボートでの出船は三浦半島の京浜大津と金田湾が多かった。両方併せたら軽く五十回は行っているね。金田湾は三浦海岸の先にあり、ここのボート屋は人気があるので、土日は予約しないと乗れない。広い湾内は釣りボートで一杯になるが、平日は意外にすいていて湾内貸し切りの気分になれたりする。金田湾は水深が4-5mくらいと浅く、海底はほとんど砂地で所々に藻が生えている。つまり仕掛けを投げて引いてきてもあまり根掛かりがしない。メゴチ、キス、小だこ、ベラなど釣れる魚がだいたい決まっている。カレイが沸く年もあるようだが、自分は金田湾ではほとんど釣っていない。たいてい「惜しいね。先週までは釣れたんだけど。」ということになる。3-40cmの鮫の子がやたら釣れた日もあった。鮫は重いだけであまり引かない。食えないから逃がしたよ。でもあれだな、皮が本当に鮫肌だ。
京浜大津は面白い。何が釣れるか分からない。水深は深く、10m以上はあって海底は砂地があり、岩礁地帯もあり、そこに当たると根魚(カサゴやメバル)がバタバタっと釣れる。イシモチが入れ食いになった日があった。急に釣れ出し竿を上げている内に、反対側に出した置き竿にも掛かってガクガクいっている。こっちを上げて魚を外し、餌をつけて放り込む。重りが海底についたら少し巻き上げて、あーもう掛かった。竿をキュッと上げて針の掛かりを確実にし、その竿を船縁に置く。反対側の置き竿を巻き上げると重い重い、ギュンギュン引いている。白い魚体が見えてくると二匹掛かっている。置き竿はその間ガクガク。時間にして30分か1時間か。嵐のような入れ食いが収まると、小さなクーラーBoxはイシモチで一杯。ところが、10mと離れていない所で釣っているボートの親父の竿は全く動かない。不思議な魚だ。
ボートの釣りは海面が直ぐそこにあるから、当たりが強烈だ。30cmのカレイが掛かれば、わずか10m下の海底からボートに引き上げる迄の短い時間に数々のドラマがある。
強い引き、横走り、竿がしなったかと思うとフッとゆるむ。「あっバレた!」急いで竿先を上げ、リールを巻く。魚が上向きに泳いだのだ。ふたたびボートが引っ張られるような強烈な引き。キス用の細い糸(ハリス)、小さい針なのでいつバレるかとドキドキする。やっと水面に魚を引き上げ、その姿が見えた瞬間、「やった。カレイだ。」ここからが危ない。最後の抵抗でハリスが切れることがままある。
これが乗り合いだと隣とお祭りしないようにしゃにむにリールを巻くので、感動の度合いが違う。カレイも最近は少なくなった。カレイは煮ても焼いても、カラあげにしてもうまいが、何故か飛びきりうまい時と、大したことがない日がある。餌と時期の違いなんだろうか。一度いつもと違う種類のカレイだと思っていたら、ボート屋の兄ちゃんから「これはヒラメだ。」と言われた。味は、ウーン、大して変わらなかったな。
乗り合いで釣った魚は数知れず。房総半島、三浦半島、伊豆半島、東京湾に駿河湾、海の上から富士山を見、自衛隊の潜水艦を見、八景島のジェットコースターの悲鳴を聞いた。また貨物船のコンテナ積み込みを海上から眺め、小さなカツオノエボシの大群に取り囲まれた時もあった。炎天下で一日やって雑魚一匹釣れなかった日もあるし、時化で浮き上がるお尻を、座席の板をつかんで押さえながら釣った日もある。置いてあった釣りエサを貪欲なウミネコが飲み込んでしまい、暴れる鳥を四苦八苦して抑えている光景は二回見た。ヘヘお疲れ様。自分でなくて良かった。
毎週のように駅で『週刊釣りニュース』を買い、どの魚がどこの釣り宿で釣れているかチェックし、ターゲットを絞るのは楽しい作業だった。例えその時釣りに行かなくとも、想像するだけでもワクワクする。釣った魚たち、飛び上がって手に噛みついたタチウオ。やたらに釣れてあまりの重さに悲鳴を上げたエチオピア、ことシマガツオ。大漁なのは良いけれど、これほどまずい魚はなかった。ブリの子供、イナダを狙ってよく釣れたソーダガツオも、アジの外道として釣れた夏のサバもうまくなかった。アジやメバル、アイナメ、ウマズラハギはいつでも美味しい。冬に釣れるサバもうまい。外道で釣れたマトウダイの肝をいつものように船の上でナイフで割いて切り取り、遠くにブン投げて海猫の餌にしたら、船頭が「マトウダイは肝がうめえんだ。身なんか食ってもしょうがねー」と言う。もっと早く言ってよ。
思い出は次々に出てきてキリがない。最後に生涯に何度とはない入れ食いの日のひとつ、茨木、鹿島沖でのイカ釣りの話しをして締め切りたい。その日はたしか土曜日、会社の人たちと待ち合わせて、夕方から出港する予定だったのだが、横浜から首都高速が大渋滞だった。午後4時半ぎりぎりで港にすべり込み、車を港に乗り捨て船に飛び乗った。午前10時頃に家を出たのに。当時は携帯電話が無かったのです。
船は鹿島港を後にし、アメリカに向かって太平洋へと繰り出した。速力の遅い船で、一番早く出港したのに後から出た釣り船に次々に抜かれ、一時間半ほどして漁場に着いた。アメリカはまだ遠い。他に何艘か釣り船がいて、早い船ではもう釣り始めている。まだ明るさの残る中、強力な集魚灯を点け仕掛け(集魚ランプ+ごつい烏賊ヅノ)を投げ入れる。海は穏やかに凪いでいる。
タナは上から何mとかいう指示だったので、デプスメーターが無いといけない。最初の一時間は余り釣れなかった。ポツポツと釣れてくるのはスジイカといって、体に2本の縦線が入った小柄なイカで、これは狙っていたムラサキイカではない。おっ掛かった。暗くなるにつれだんだん自分も周囲も釣れ出し、一度に2杯、3杯と掛かるようになり、船上に活気が出てきて騒がしくなる。気がつくと海上は真っ暗になっていて、集魚灯が船の周りの海面だけを照らしている。強烈な明るさだ。まるで空中に浮かんだ飛行船のようだ。
仕掛けを下ろせば釣れる状態になると、竿が大きくしなり、一回りか二回り大きなムラサキイカが混じってきた。重い。集魚灯に呼び寄せられて飛び魚が海面を飛び回り、その内数匹が船に飛び込んできた。とにかく仕掛けをおろせばイカが掛かる。船の上はイカが散乱し、そのイカが吐く水やスミで大混乱。反対側で叫んでいる奴がいたので、行ってみると、集魚灯の輪の中、海面近くをゆうゆうと泳ぐ1mほどの鮫がいた。
怒濤の入れ食い状態が、1時間たっても2時間たっても衰えない。水深はどんどん上がってきて今や4-5m落とせばイカが掛かる。中型クーラーはとっくに一杯になり、樽に入れているがそれも一杯になってきた。このヌルヌルのイカ軍団をどうやって持ち帰ろう。もうこれ以上釣ってもしょうがない状態になり、ちょっと休んで釣れたイカを食ってみた。先っぽの三角の部分からカブリつく、が何か変。身がゴムのようでうまくない。スルメイカ、ヤリイカとはえらい違いだ。このスジイカ、結局サシミでは食えなかった。煮たり焼いたり、イカ飯にしたりして食ったが味は良くなかった。一方数杯混じったムラサキイカは肉厚で美味しかった。
発泡スチロールの入れ物を買い入れ、クーラーBoxと併せて車のトランクを一杯にして持ち帰ったイカは、家で数えると全部で98杯、船上で食った奴を入れれば100杯、一束に達しその処理に苦労した。上手な人は150杯、200杯或はそれ以上釣っただろう。
午前0時に漁ガ終わり帰港したが、集魚灯を消すと周囲の海上は怖いくらいの真暗闇だ。帰りの船上で寝っころびながら見上げた夜空に天の川が見えた。天の川を見たのは生涯で数えるほどしかない。印度のデカン高原で見た満天の星はギラギラして威圧的だったが、その夜太平洋に浮かぶ天の川は、澄んでいてはるかな距離を示し、とりわけ美しかった。
子供の時に釣りをしたことは何度かあるのだが、習慣になったのは大学生になってからだ。当時住んでいた家の近くに桟橋があって、そこは横浜駅にも近くて貨物船が停泊していた。保税倉庫が並んでいて普段は貨物の出し入れに忙しいが、休日は働く人がいなくてめっきり車も通らない。秋口に散歩に行くと、その桟橋に釣り人が大勢いて忙しくしている。名前はこれは後で知ったのだが、サッパの大群が桟橋に押し寄せていたのだ。ピンクのビニール片がついた針が十本くらい並んでいる仕掛けに、12-15cmほどの小魚が二匹、三匹と次々に食いついている。その仕掛けをサビキと呼ぶことは、これも後で知った。
桟橋で釣り人が捨てたゴミの中から針が3-4本付いたサビキの残骸を拾い、先に小石を結びつけた。それからこれもゴミの中の釣り糸を拾って結び、ドキドキしながら腕を伸ばして海に投入した。すると瞬く間にカカカッと小気味良くサッパがかかったではないか。ウワっ心臓がバクバク鳴って、その瞬間に釣りの虜になった。
翌日には釣り具屋に行き、リール・竿込みで1,500円位のセットを買いこみ桟橋に座り込んだ。その時買った安い振り出しのカーボン竿はその後ずい分愛用したものだ。一番多く小魚を釣った竿で、それが折れた時は悲しかった。
何度も釣りに行っていると、いつでも釣れる訳ではなく、場所、季節、時間帯によって釣果は変わる事が分かってきた。釣りを始めた当初、良く行ったのが渡し船による横浜港の海保での釣り、それから主に三浦半島のあちらこちらでの堤防だった。釣れたり釣れなかったり、釣れない方がずっと多かった。やはり沖に出ないと駄目なんだ。
最初に乗り合いに乗ったのはいつのことだったか、よくは覚えていないのだが、船頭があっちこっち船を走らせ、竿を上げろ入れろとやたらうるさい。隣の親父と糸がからまり(お祭りという。)、結構面倒で料金が高い。当時の乗り合いは一日五千円位だった。
親父達は一様に長いひさしのついたキャップをかぶり、カラフルな長靴、派手なウェアを身につけ、自前のサオ掛け、高そうな竿とリールを使っていた。貧弱な装備、手拭いを頭に巻き、スニーカーをびしょびしょしする自分は、それでも何回か通う内に腕では中の上になった。船の中で、ベテランにはとてもかなわず半分くらいしか釣れないが、隣のモタモタしたおっさんよりは多く釣るレベル。アジ、キス、イサキ、イシモチ、メバル、カサゴ、カレイ、それからスルメイカ、太刀魚と季節の魚を狙って海にかよった。
タイは何度か挑戦したが難しくて惨敗。小さいのしか釣っていない。アイナメに凝った時期もあった。走水に3,500円で午後から出る乗り合いがあり、よく通った。エサはデカイがほとんど動かない岩イソメで、アイナメは当たりはあるのだがなかなか針にかからない。ただエサが残っていると何度でも食いつく。それでも針にかからない。それが夕方になると突然バタバタと釣れ出す。暗くなると針が見えにくくなるんだろうね。但しその頃には岩イソメが無くなりかけていていつも悔しい思いをする。アイナメは釣り上げる途中でクイ、クイっと首を振るので面白い。煮魚にすると白身の上品な油がとてもうまい。大きいアイナメは刺身にしてもコリコリした食感がよい。
この釣り宿のおかみさんは愛想がよく、実においしい味噌汁を用意してくれていた。普通の釣り宿はお茶にせんべいくらいだ。船頭は腕がよく、猿島近くのアイナメの付く根をたくさん知っていて、それらは独自のものらしく、他の船と一緒にはならない。だけどこの船頭さんは病気で亡くなってしまい、店を閉じてしまった。今でも残念だ。
乗り合いで釣った魚の話しをすればキリがない。大漁だった日、一匹も釣れない(オデコと言う)日、とんでもない外道がかかったのを見た日、雪と霧で直ぐに切り上げた日、船が燃料切れで立ち往生した日もあった。ある日、船上で魚の処理をしていてナイフで指をザックリ切ってしまい、血が止まらなくなった。今でも傷が残っている。
乗り合い以上に良く通ったのがボート釣り。ボートの料金は一日3千円~3千5百円で、他にエサ代がかかる。友人と2人で行く事が多かったので、ボート代を折半すれば乗り合いよりはずっと安い。船頭にとやかく指図される事もなく、自分で行き先を決められる。但し手漕ぎで重りの上げ下ろしも自分でやるので、余り沖にまでは行けない。乗り合いの釣り船だって小さいが、ボートは3人乗ったら身動きが出来なくなるほどの大きさだ。ちょっと風が吹いて波にウサギが飛ぶようになれば、木の葉のように揺れる。船酔いには強い方だがボート屋は直ぐに休業するし、そんな日に沖に出ても当たりが分からず、さすがに釣り糸をほぐしていると気持ちが悪くなる。ボートの釣りはちょっと風が吹くと出来ないんだ。早起きして海まで行って何度戻ってきたことか。
ボートでの出船は三浦半島の京浜大津と金田湾が多かった。両方併せたら軽く五十回は行っているね。金田湾は三浦海岸の先にあり、ここのボート屋は人気があるので、土日は予約しないと乗れない。広い湾内は釣りボートで一杯になるが、平日は意外にすいていて湾内貸し切りの気分になれたりする。金田湾は水深が4-5mくらいと浅く、海底はほとんど砂地で所々に藻が生えている。つまり仕掛けを投げて引いてきてもあまり根掛かりがしない。メゴチ、キス、小だこ、ベラなど釣れる魚がだいたい決まっている。カレイが沸く年もあるようだが、自分は金田湾ではほとんど釣っていない。たいてい「惜しいね。先週までは釣れたんだけど。」ということになる。3-40cmの鮫の子がやたら釣れた日もあった。鮫は重いだけであまり引かない。食えないから逃がしたよ。でもあれだな、皮が本当に鮫肌だ。
京浜大津は面白い。何が釣れるか分からない。水深は深く、10m以上はあって海底は砂地があり、岩礁地帯もあり、そこに当たると根魚(カサゴやメバル)がバタバタっと釣れる。イシモチが入れ食いになった日があった。急に釣れ出し竿を上げている内に、反対側に出した置き竿にも掛かってガクガクいっている。こっちを上げて魚を外し、餌をつけて放り込む。重りが海底についたら少し巻き上げて、あーもう掛かった。竿をキュッと上げて針の掛かりを確実にし、その竿を船縁に置く。反対側の置き竿を巻き上げると重い重い、ギュンギュン引いている。白い魚体が見えてくると二匹掛かっている。置き竿はその間ガクガク。時間にして30分か1時間か。嵐のような入れ食いが収まると、小さなクーラーBoxはイシモチで一杯。ところが、10mと離れていない所で釣っているボートの親父の竿は全く動かない。不思議な魚だ。
ボートの釣りは海面が直ぐそこにあるから、当たりが強烈だ。30cmのカレイが掛かれば、わずか10m下の海底からボートに引き上げる迄の短い時間に数々のドラマがある。
強い引き、横走り、竿がしなったかと思うとフッとゆるむ。「あっバレた!」急いで竿先を上げ、リールを巻く。魚が上向きに泳いだのだ。ふたたびボートが引っ張られるような強烈な引き。キス用の細い糸(ハリス)、小さい針なのでいつバレるかとドキドキする。やっと水面に魚を引き上げ、その姿が見えた瞬間、「やった。カレイだ。」ここからが危ない。最後の抵抗でハリスが切れることがままある。
これが乗り合いだと隣とお祭りしないようにしゃにむにリールを巻くので、感動の度合いが違う。カレイも最近は少なくなった。カレイは煮ても焼いても、カラあげにしてもうまいが、何故か飛びきりうまい時と、大したことがない日がある。餌と時期の違いなんだろうか。一度いつもと違う種類のカレイだと思っていたら、ボート屋の兄ちゃんから「これはヒラメだ。」と言われた。味は、ウーン、大して変わらなかったな。
乗り合いで釣った魚は数知れず。房総半島、三浦半島、伊豆半島、東京湾に駿河湾、海の上から富士山を見、自衛隊の潜水艦を見、八景島のジェットコースターの悲鳴を聞いた。また貨物船のコンテナ積み込みを海上から眺め、小さなカツオノエボシの大群に取り囲まれた時もあった。炎天下で一日やって雑魚一匹釣れなかった日もあるし、時化で浮き上がるお尻を、座席の板をつかんで押さえながら釣った日もある。置いてあった釣りエサを貪欲なウミネコが飲み込んでしまい、暴れる鳥を四苦八苦して抑えている光景は二回見た。ヘヘお疲れ様。自分でなくて良かった。
毎週のように駅で『週刊釣りニュース』を買い、どの魚がどこの釣り宿で釣れているかチェックし、ターゲットを絞るのは楽しい作業だった。例えその時釣りに行かなくとも、想像するだけでもワクワクする。釣った魚たち、飛び上がって手に噛みついたタチウオ。やたらに釣れてあまりの重さに悲鳴を上げたエチオピア、ことシマガツオ。大漁なのは良いけれど、これほどまずい魚はなかった。ブリの子供、イナダを狙ってよく釣れたソーダガツオも、アジの外道として釣れた夏のサバもうまくなかった。アジやメバル、アイナメ、ウマズラハギはいつでも美味しい。冬に釣れるサバもうまい。外道で釣れたマトウダイの肝をいつものように船の上でナイフで割いて切り取り、遠くにブン投げて海猫の餌にしたら、船頭が「マトウダイは肝がうめえんだ。身なんか食ってもしょうがねー」と言う。もっと早く言ってよ。
思い出は次々に出てきてキリがない。最後に生涯に何度とはない入れ食いの日のひとつ、茨木、鹿島沖でのイカ釣りの話しをして締め切りたい。その日はたしか土曜日、会社の人たちと待ち合わせて、夕方から出港する予定だったのだが、横浜から首都高速が大渋滞だった。午後4時半ぎりぎりで港にすべり込み、車を港に乗り捨て船に飛び乗った。午前10時頃に家を出たのに。当時は携帯電話が無かったのです。
船は鹿島港を後にし、アメリカに向かって太平洋へと繰り出した。速力の遅い船で、一番早く出港したのに後から出た釣り船に次々に抜かれ、一時間半ほどして漁場に着いた。アメリカはまだ遠い。他に何艘か釣り船がいて、早い船ではもう釣り始めている。まだ明るさの残る中、強力な集魚灯を点け仕掛け(集魚ランプ+ごつい烏賊ヅノ)を投げ入れる。海は穏やかに凪いでいる。
タナは上から何mとかいう指示だったので、デプスメーターが無いといけない。最初の一時間は余り釣れなかった。ポツポツと釣れてくるのはスジイカといって、体に2本の縦線が入った小柄なイカで、これは狙っていたムラサキイカではない。おっ掛かった。暗くなるにつれだんだん自分も周囲も釣れ出し、一度に2杯、3杯と掛かるようになり、船上に活気が出てきて騒がしくなる。気がつくと海上は真っ暗になっていて、集魚灯が船の周りの海面だけを照らしている。強烈な明るさだ。まるで空中に浮かんだ飛行船のようだ。
仕掛けを下ろせば釣れる状態になると、竿が大きくしなり、一回りか二回り大きなムラサキイカが混じってきた。重い。集魚灯に呼び寄せられて飛び魚が海面を飛び回り、その内数匹が船に飛び込んできた。とにかく仕掛けをおろせばイカが掛かる。船の上はイカが散乱し、そのイカが吐く水やスミで大混乱。反対側で叫んでいる奴がいたので、行ってみると、集魚灯の輪の中、海面近くをゆうゆうと泳ぐ1mほどの鮫がいた。
怒濤の入れ食い状態が、1時間たっても2時間たっても衰えない。水深はどんどん上がってきて今や4-5m落とせばイカが掛かる。中型クーラーはとっくに一杯になり、樽に入れているがそれも一杯になってきた。このヌルヌルのイカ軍団をどうやって持ち帰ろう。もうこれ以上釣ってもしょうがない状態になり、ちょっと休んで釣れたイカを食ってみた。先っぽの三角の部分からカブリつく、が何か変。身がゴムのようでうまくない。スルメイカ、ヤリイカとはえらい違いだ。このスジイカ、結局サシミでは食えなかった。煮たり焼いたり、イカ飯にしたりして食ったが味は良くなかった。一方数杯混じったムラサキイカは肉厚で美味しかった。
発泡スチロールの入れ物を買い入れ、クーラーBoxと併せて車のトランクを一杯にして持ち帰ったイカは、家で数えると全部で98杯、船上で食った奴を入れれば100杯、一束に達しその処理に苦労した。上手な人は150杯、200杯或はそれ以上釣っただろう。
午前0時に漁ガ終わり帰港したが、集魚灯を消すと周囲の海上は怖いくらいの真暗闇だ。帰りの船上で寝っころびながら見上げた夜空に天の川が見えた。天の川を見たのは生涯で数えるほどしかない。印度のデカン高原で見た満天の星はギラギラして威圧的だったが、その夜太平洋に浮かぶ天の川は、澄んでいてはるかな距離を示し、とりわけ美しかった。