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神戸大学メディア研ウェブログ

ニュースネット委員会のニュースサイトはhttps://kobe-u-newsnet.comに移転しました。

「マスコミ就活セミナー」開催 1月26日(金)に鶴1キャンパスで

2024-01-13 20:11:34 | ニュース(告知)
 神戸大学メディア研は、1月26日(金)17時15分から「内定者によるメディア志望者向けの就活セミナー」をニュースネット委員会と共催します。参加費は無料で、場所は神戸大鶴甲第1キャンパス(神戸市灘区鶴甲1丁目)のB101教室で行います。放送局と新聞社に内定者した神戸大生2名が講師として登壇し、就活の対策法やESの書き方を解説します。

 神戸大学ニュースネット委員会は、1月26日(金)17時15分~19時に「内定者によるメディア志望者向け就活セミナー」を開催します。参加費は無料で、場所は神戸大鶴甲第1キャンパスのB101教室で行います。
 ニュースネット部員である、放送局内定者(法学部4年生)とスポーツ新聞社内定者(工学部4年生)が講師として登壇します。第1部(17時20分~18時20分)では、内定者が就活の対策法やESの書き方を解説、第2部(18時20分~19時)では、参加者からの質問や相談に答えます。
 司会は、元NHKアナウンサーの住田功一さん(1983年・経営卒)が務めます。

 参加対象者は、1~4年生で学部不問。院生や他大生も参加可能。出入りも自由です。希望者は以下のグーグルフォームからお申込みください。
申込フォームはこちら

 神戸大学ニュースネット委員会は、1月26日(金)17時15分~19時に「内定者によるメディア志望者向け就活セミナー」を開催します。参加費は無料で、場所は神戸大鶴甲第1キャンパスのB101教室で行います。
 ニュースネット部員である、放送局内定者(法学部4年生)とスポーツ新聞社内定者(工学部4年生)が講師として登壇します。第1部(17時20分~18時20分)では、内定者が就活の対策法やESの書き方を解説、第2部(18時20分~19時)では、参加者からの質問や相談に答えます。
 司会は、元NHKアナウンサーの住田功一さん(1983年・経営卒)が務めます。

 参加対象者は、1~4年生で学部不問。院生や他大生も参加可能。出入りも自由です。希望者は以下のグーグルフォームからお申込みください。
申込フォームはこちら↓のURLをクリックしてください。 https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLScwqtVFricfFES6L34JxMVbXTk4krLQc7EQBB9bFK4NHEWYdg/viewform



《内定者によるメディア志望者向け就活セミナー》
●日時=2024年1月26日(金)17時15分~19時
●場所=神戸大学鶴甲第1キャンパス B101教室
(阪急「六甲」駅から徒歩約15分。もしくは阪急「六甲」駅から神戸市バス16系統または106系統六甲ケーブル下行き乗車、「神大国際文化学研究科前」下車) 
●入場料=無料
●主催=神戸大学ニュースネット委員会
神戸大学メディア研
●後援=凌霜会(社会科学系同窓会)
●対象=1〜4年生、学部不問。院生、他大学生も可。出入り自由。
●神戸大学ニュースネット委員会HP=https://kobe-u-newsnet.com/
●申込フォーム
●お問い合せ
メール:newsnet_kobe_u@goo.jp
X(旧Twitter):@newsnet_kobe_u



震災29年「慰霊献花式」六甲台会場からライブ配信 視聴の手順を公開

2024-01-11 20:11:32 | ニュース(告知)

 2024年1月17日(火)に六甲台第1キャンパスで行われる震災慰霊献花式を、神戸大学ニュースネット委員会が「Zoom」2つのチャンネルで公開生配信します。視聴の手順を公開しました。<奥田百合子>

震災から29年となる1月17日の午後0時30分、六甲台本館前の「兵庫県南部地震神戸大学犠牲者慰霊碑」と、深江キャンパスの「神戸商船大学震災犠牲者慰霊碑」で、慰霊の献花式が行われます。

 ニュースネット委員会では、六甲台キャンパスの式典の模様を、当日参列できないご遺族やその関係者、教職員、学生、一般市民を対象に、「Zoom」で公開生配信します。

 視聴のための事前申し込みは不要です。

 生配信が終了しましたので、YouTubeでアーカイブ映像を公開しています。(2024年1月17日 13:21)

【2024年 神戸大学震災慰霊献花式 アーカイブ映像】

【配信URL/ID・パスワード】
 2つのチャンネルがあります。
 「チャンネルA」は、視聴者どうしで名前が分かるミーティング形式です。Zoomアカウントがなくても視聴できます。
 「チャンネルB」は、視聴者どうしで互いの名前が分からないウェビナー形式です。Zoomアカウントがなくても視聴できますが、メールアドレスの入力が必要です。Zoomアカウントもメールアドレスもお持ちでない方は、Aをご覧ください。

▽チャンネルA=https://us02web.zoom.us/j/83783754244?pwd=azMxQ3VNWjR1RndFd1V2UWh3amVhdz09
ID=837 8375 4244
パスワード=972145

▽チャンネルB=https://us06web.zoom.us/j/83551151293
ID=835 5115 1293

【Zoom配信の視聴方法】
▽上記「配信URL」をクリックして、ブラウザ、Zoomアプリを起動する。
または
▽チャンネルAの場合は、上記の「ID」「パスワード」をZoomアプリまたは、ブラウザ( https://app.zoom.us/wc )に入力して参加してください。チャンネルBの場合は「ID」のみの入力で視聴できます。

スマートフォンの場合はアプリを事前にインストールしておく必要があります。

【パソコンからの視聴方法】
▽Zoomアプリをインストールしていない場合
「配信URL」をクリック→「ミーティングを起動」をクリック→画面下部「ブラウザから参加してください」をクリック→名前を入力→「音声に接続」をクリック

▽Zoomアプリをインストールしている場合
「配信URL」をクリック→(「ミーティングを起動」をクリック)→「ZoomMeetingを開く」をクリック→(名前を入力)→「コンピュータオーディオに参加する」をクリック

【スマートフォンからの視聴方法】
▽Zoomアプリを事前インストール→「配信URL」をタップ→名前を入力→「Wi-Fiまたは携帯のデータでオーディオに接続」をタップ

▼Zoomアプリの事前インストールは下記から
<Androidの場合>
https://play.google.com/store/apps/details?id=us.zoom.videomeetings
<iPhone の場合>
https://apps.apple.com/jp/app/zoom-one-platform-to-connect/id546505307

 なおこのライブ配信は、大学公認の課外活動団体「神戸大学ニュースネット委員会」が実施するものです。お問い合わせは、大学ではなく下記にお寄せください。

【お問い合わせ】
▽神戸大学ニュースネット委員会 メール:newsnet_kobe_u[at]goo.jp 送信する際は[at]を@に直してください。

(写真下:神戸大六甲台本館前の兵庫県南部地震神戸大学犠牲者慰霊碑 2024年1月8日午後撮影)



神戸大学 学部別 メディア企業への就職先一覧<2023年版>

2024-01-05 11:26:21 | コラム「メディアふむふむ」
 神戸大学メディア研は、2012年度から2022年度までの卒業生の、学部別のメディア企業(新聞・放送・出版・広告・インターネットメディア関連)への就職先をこのほどまとめました。
 新しく加わった2022年度卒業生(2023年3月卒業)の情報は、下の一覧表では赤い字で表示しています。データは神戸大キャリアセンター(http://www.career.kobe-u.ac.jp)の資料に基づいています。



 新聞は前年より4人減って信濃毎日新聞社、読売新聞大阪本社の2人。
 放送は4人増えて、読売テレビ、日本テレビ、NHK、瀬戸内海放送、静岡朝日テレビなどに13人。
 広告は前年から6人減って、読売広告社、サイバーエージェント、電通九州などに8人。
 出版・インターネットメディア関連は、ヤフー、数研出版などに、1人減って6人が就職しました。

 学部別では、国際人間科学部が11人で最も多く、ついで経営、文、工、農学部の4人。法、経済学部と国際文化学、システム情報学、国際協力、科学技術イノベーション研究科が各1人。理学部、医学部保健学科、人間発達環境学研究科は0人でした。

■文学部

2022年度
 信濃毎日新聞社
 電通九州
 毎日放送
 MBSラジオ

2021年度
 セプテーニ
2020年度
 熊本放送
 ハウフルス
2019年度
 読売新聞大阪本社
 福島民報社
2018年度
 博報堂プロダクツ
2017年度   
 東京書籍
 関西テレビ放送
 共同通信社
 信濃毎日新聞
2016年度
 十勝毎日新聞社<修士>
 新潮社
2015年度
 なし
2014年度
 奈良新聞社
 福音館書店
 山と渓谷社<修士>
2013年度
 数研出版
 信濃毎日新聞
 毎日新聞社
2012年度
 朝日新聞東京本社
 新潮社
 日本経済新聞東京本社

■国際人間科学部
2022年度
 ADKホールディングス
 セプテーニホールディングス
 デジタル・アドバタイジング・コンソーシアム
 マイナビ
 関西テレビ放送
 瀬戸内海放送
 中京テレビ放送
 朝日放送テレビ
 読売広告社
 読売新聞大阪本社
 日本テレビ放送網

2021年度
 読売新聞東京本社
 ⽇本経済新聞社
 信濃毎⽇新聞
 講談社
 マイナビ出版
 浜島書店
 NHK
 エフエム⼤阪
 チューリップテレビ
 テレビ朝⽇メディアプレックス
 JCOM
 東急エージェンシー
 セプテーニ
2020年度
 高知新聞社
 神戸新聞社
 毎日放送
 JR西日本コミュニケーションズ
 マイナビ

■国際文化学部
2022年度
 NHK日本放送協会<博士>

2021年度
 朝⽇新聞社<博士>
2020年度
 神戸新聞社
 リクルート<修士>
 読売新聞大阪本社<博士>
2019年度
 NHK<修士>
 テレビ宮崎
 時事通信社<修士>
 朝日広告社
 電通デジタル
 電通パブリックリレーションズ
 大空出版
 数研出版
2018年度
 テレビ朝日
 NHK
 福井新聞社
 毎日新聞社<修士>
2017年度
 産業経済新聞社
 読売新聞社
 日本農業新聞
2016年度
 共同通信社
 電通
2015年度
 NHK 2人<学部・修士>
 関西テレビ放送
 自動車新聞社
2014年度
 新興出版社啓林館
 八重洲出版
 NHK
 共同通信社
 中日新聞社
 テレビ高知
2013年度
 交通新聞社
 産業経済新聞社
 大広
2012年度
 NHK 2人
 高知新聞社<修士>

■発達科学部
2022年度
 なし

2021年度
 朝⽇新聞社<修士>
 ベネッセコーポレーション<修士>
2020年度
 読売テレビ放送<修士>
 数研出版<修士>
2019年度
 毎日新聞社
 電通デジタル 2人
 電通西日本
 ADKホールディングス
 TBSテレビ
 四国放送
 日本テレビ放送網
 神戸新聞社<修士>
 中日新聞社
2018年度
 朝日新聞社<修士>
 読売新聞社大阪本社
 日本テレビ放送網
 日本海テレビジョン
 文化放送<修士>
 兵庫エフエム放送(Kiss FM KOBE)
 ヤフー
 大広 2人
2017年度
 NHK<修士>
 TBSテレビ
 朝日新聞社
 朝日放送
2016年度
 産業経済新聞社 2人
 四国新聞社
 四国放送
 ラジオ大阪<修士>
 電通
 福岡放送
 読売テレビ放送
2015年度
 中国新聞社
 毎日放送
2014年度
 ひかりのくに
 朝日新聞社
 徳島新聞社<修士>
 東映
 テレビ朝日
 博報堂
2013年度
 NHK
 テレビ大阪<修士>
 毎日新聞社
 読売テレビ放送
2012年度
 朝日新聞社
 NHK
 東映
 読売テレビ放送<修士>

■法学部
2022年度
 静岡朝日テレビ

2021年度
 ⾼知新聞社<修士>
 マイナビ
 ソニーミュージックグループ
2020年度
 産業経済新聞社
 電通デジタル
 光文社
2019年度
 NHK
2018年度
 広島ホームテレビ
 読売新聞大阪本社 2人
2017年度
 NHK 2人
 宮崎放送
 朝日放送<博士>
 日本経済新聞社
2016年度
 読売新聞社
2015年度
 朝日放送
 産業経済新聞社
 日本経済新聞社
2014年度
 中日新聞社 2人<学部・修士>
 読売新聞社
2013年度
 朝日新聞社
 NHK
 日本経済新聞社
 読売新聞社
2012年度
 朝日新聞社<修士>
 朝日放送

■経済学部
2022年度
 アクセンチュア

2021年度
 NHK
 アクセンチュア<学部1・修士1>
 セプテーニ
2020年度
 関西テレビ放送
 電通
 ジュピターテレコム<修士>
2019年度
 テレビ東京
2018年度
 テレビせとうち
 山陰中央新報社
 読売新聞社
 デジタル・アドバタイジング・コンソーシアム
 ヤフー
2017年度
 愛媛新聞社
 産業経済新聞社
 瀬戸内海放送<修士>
 読売広告社
2016年度
 サンテレビジョン
 関西テレビ放送
 電通
 北海道テレビ
 博報堂アイ・スタジオ
2015年度
 関西テレビ放送
 日本テレビ放送網
 博報堂
 読売新聞
2014年度
 関西テレビ放送
 テレビ朝日
2013年度
 関西テレビ放送
 大広九州
2012年度
 時事通信社<修士>
 中国放送
 日本経済新聞社
 日本テレビ放送網

■経営学部
2022年度
 ヤフー
 朝日放送テレビ
 博報堂プロダクツ
 アクセンチュア<修士>

2021年度
 電通
 サイバーエージェント
 電通デジタル
 リクルート
 学情
2020年度
 読売広告社
 電通クリエーティブX
 関西テレビ放送
 山陽新聞社
2019年度
 NHK
 読売テレビ放送
2018年度
 中国新聞社<修士>
 福井放送
 デイリースポーツ
2017年度
 秋田放送
 KADOKAWA
 博報堂
 博報堂メディアパートナーズ
 進研アド
2016年度
 テレビ大阪
 テレビ朝日
 関西テレビ放送
 読売新聞社
 毎日放送
2015年度
 中京テレビ
 電通
 長崎新聞社
 新潟放送
2014年度
 講談社
 朝日放送<博士>
 瀬戸内海放送
2013年度
 北日本放送
2012年度
 関西テレビ放送
 朝日広告社
 TBSビジョン

■理学部
2022年度
 なし

2021年度
 関⻄テレビ放送
2020年度
 日本経済新聞社<修士>
 ベネッセコーポレーション<修士>
 スカパーJSAT<修士>
2019年度
 NHK<修士>
2018年度
 数研出版<修士>2人
 シーエムシー出版 <修士>
 博報堂<修士>
2017年度
 テレビ新広島<修士>
 九州朝日放送<修士>
2016年度
 中日新聞社<修士>
2015年度
 毎日放送
2014年度
 数研出版
 電通<修士>
2013年度
 なし
2012年度
 NHKメディアテクノロジー<修士>

■医学部保健学科
2022年度
 なし

2021年度
 共同通信社
2020年度
 なし
2019年度
 メディカ出版
2018年度
 なし
2017年度
 なし
2016年度
 なし
2015年度
 なし
2014年度
 なし
2013年度
 なし
2012年度
 なし

■工学部
2022年度
 サイバーエージェント
 日宣
 アクセンチュア
 リクルート

2021年度
 朝⽇新聞社
 セプテーニ
2020年度
 博報堂
 NHK<修士>
 ベネッセコーポレーション<修士>
 リクルート<修士>
2019年度
 テレビ大阪
 ヤフー<修士>
 読売広告社<修士>
2018年度
 毎日放送<修士>
 電通<修士>
 ヤフー
2017年度
 NHK
 電通
 読売テレビ放送<修士>
 ヤフー<学部・修士>2人
2016年度
 NHK 2人<学部・修士>
 電通
 読売テレビ<修士>
2015年度
 中京テレビ
 毎日放送<修士>
2014年度
 NHKアート<修士>
 読売テレビ放送<修士>
 富山テレビ
 毎日放送<修士>
2013年度
 大広
 博報堂<修士>
2012年度
 朝日放送
 博報堂<修士>
 毎日放送 2人<学部・修士>

■システム情報学研究科
2022年度
 ヤフー<修士>

2021年度
 なし
2020年度
 なし
2019年度
 朝日放送テレビ<修士>
 読売テレビ放送<修士>
2018年度
 ヤフー<修士>
2017年度
 読売テレビ放送<修士>

■農学部
2022年度
 讀賣テレビ放送
 数研出版<修士>

2021年度
 ⿅児島讀賣テレビ<修士>
 セプテーニ<修士>
2020年度
 電通デジタル<修士>
2019年度
 なし
2018年度
 なし
2017年度
 博報堂DYメディアパートナーズ <修士>
2016年度
 なし
2015年度
 なし
2014年度
 なし
2013年度
 なし
2012年度
 なし

■海事科学部
2022年度
 なし

2021年度
 NHK
 アクセンチュア
2020年度
 毎日放送
2019年度
 ニッポン放送
2018年度
 日刊スポーツ新聞西日本
2017年度
 東急エージェンシー
 NHK<修士>
2016年度
 共同通信社<修士>
 時事通信社
 瀬戸内海放送
2015年度
 朝日放送
 テレビ大阪
 富山テレビ
2014年度
 テレビ金沢
2013年度
 なし
2012年度
 朝日新聞社<修士>

■国際協力研究科
2022年度
 讀賣テレビ放送<修士>

2021年度
 アクセンチュア<修士>
2020年度
 共同通信社<修士>
2019年度
 山陽新聞社<修士>
 神戸新聞社<修士>
2018年度
 なし
2017年度
 なし
2016年度
 NHK日本放送協会<修士>
2015年度
 神戸新聞社<修士>
 中日新聞社<修士>
2014年度
 朝日新聞社<修士>
 茨城新聞社<修士>

■科学技術イノベーション研究科
2022年度
 讀賣テレビ放送<修士>

2021年度
 なし
2020年度
 なし
2019年度
 NHK日本放送協会<修士>
2018年度
 なし


連載 【慰霊碑の向こうに】 震災の日、学生たちの命は…<震災29年>

2024-01-02 13:05:00 | 阪神・淡路大震災
 あの日、土埃が舞い、煙が上がる下宿街で何が起きていたのか。どのようにして学生たちの命が失われたのか。39人の学生が亡くなった神戸大学。学生たちのご家族へのインタビューで記録する連載です。<震災取材班 2024年1月掲載>

 1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災。あの日から25年を迎えた2020年1月に9家族、コロナ禍のなかの2021年と2022年、2023年にそれぞれ2家族のインタビューを公開。
 2024年は、学生の遺族1家族と、附属病院医師の遺族のインタビューを加えて掲載しました。


(写真:神戸市灘区六甲台にある「兵庫県南部地震 神戸大学犠牲者慰霊碑」。ここから神戸三宮の高層ビル街が遠望できる。2023年10月6日撮影)

《連載記事》


【慰霊碑の向こうに】18 故・長尾信二さん=父・邦昭さん、母・フジ子さんの証言=
(当時工学部2年)
遺体は小学校の理科室に寝かされていた。そばには、合気道部の友人が交代で付き添っていたという。
 <前編>https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/3c8de716e689258258bd51ab1aab033c
 <後編>https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/b587e5119660b9554ad8bbe9f5a83061


【慰霊碑の向こうに】17  故・中條聖子さん=姉・鉄子さん、母・惠子さんの証言=
(当時 医学部付属病院 医師)
前の勤務先だった兵庫県加西市の病院に運ばれた聖子さん。遺体は、病院宿舎に安置され、多くの元同僚たちが悲しい対面をした。
 <前編>https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/c2d5117248a9b9113f440404c75a199c
 <後編>https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/48d0d74888c9781a6fa42cd8fd39cdad


【慰霊碑の向こうに】16 故・二宮健太郎さん=父・博昭さん、母・典子さんの証言=
(当時法学部2年/千葉県市川高校卒)
父は、リヤカーに息子の遺体を乗せて王子スポーツセンターの安置所に運んだ。
 <前編>https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/d2620c207cd412b67e2124cf287dcb70
 <後編>https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/90422d79434ff8f1b9fa37b8ae355b61


【慰霊碑の向こうに】15 故・櫻井英二さん=姉・都築和子さんの証言=
(当時法学部4年/愛媛県立八幡浜高校卒)
1月17日の震災の日は、ほぼ欠かさず神戸大学の慰霊碑に坂道を歩いて向かうという和子さんが、弟を語る。
 <前編>https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/9bf0c4a091b634fa88beb244e92ff7cb
 <後編>https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/4a7df18ea52c327df001a6bad941545f


【慰霊碑の向こうに】14  故・上野志乃さん=父・政志さんの証言=
(当時発達科学部2年、人間行動表現学科/兵庫県立龍野高校卒)
徹夜で友人と課題をしていた娘。がれきの中で見つけたのは、こたつで亡くなっている2人だった。
 <前編>https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/d36e620a22d68ccc12b625fbb6825445
 <後編>https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/20f92b58edd77c2d11f81ef0f19ad892


【慰霊碑の向こうに】13 故・加藤貴光さん =母・りつこさんの証言=
(当時法学部2年/広島県立安古市高校卒)
広島からやっとたどり着いた西宮の現場。そこに息子の住むマンションは建っていなかった。
 <前編>https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/f6a2712d855b59a66cdeaf0bcd6bc6ad
 <後編>https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/20f92b58edd77c2d11f81ef0f19ad892


【慰霊碑の向こうに】12 故・藤原信宏さん =父・宏美さんと母・美佐子さんの証言=
(当時経営学部4年、森ゼミ/三重県立津高校卒)
下宿選び、ほんの一足違いで選んだ1階の部屋だった…。
 https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/0ada1a7082aaa179fede2ba05487d5c7


【慰霊碑の向こうに】11 故・森 渉さん =姉・祐理さんの証言=
(当時法学部4年、五百旗頭<いおきべ>ゼミ/軽音楽部Rock/大阪府立泉陽高校卒)
叔母からの「気をしっかり持ちや。渉君、あかんかった」との電話で、急きょ東京から大阪の実家に向かった。
 https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/4d68c1cde36004cd4b40103b4ba2e077


【慰霊碑の向こうに】⑩ 故・工藤純さん =母・延子さんの証言=
(当時法学部修士課程1年、犬童ゼミ/応援団総部吹奏楽部/愛媛県立三島高卒)
告別式には吹奏楽部の部員が神戸から駆けつけ、純さんが好きだった『威風堂々第1番』を演奏して送った。
 https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/3f0215cb9c0ff23b43149a3076ccb645


【慰霊碑の向こうに】⑨ 故・白木健介さん =父・利周さんの証言=
(当時経済学部Ⅱ課程3年/硬式テニス部/兵庫県立神戸高卒)
隣家のコンクリートブロックでできた倉庫が健介さんのプレハブにのしかかってきた。
 https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/5cf5033cc4e75acb06952295dad255aa


【慰霊碑の向こうに】⑧ 故・竸基弘さん =母・恵美子さんと妹・朗子さんの証言=
(当時自然科学研究科博士前期課程1年、池田研究室/ユースサイクリング同好会/名古屋市立向陽高卒)
2階が1階を押しつぶしていて…。がれきの隙間から、靴下を履いたままの足が見えていた。
 https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/bbbdb927d2917cdde7834b73e8dfd2b4


【慰霊碑の向こうに】⑦ 故・森 渉さん =母・尚江さんの証言=
(当時法学部4年、五百旗頭<いおきべ>ゼミ/軽音楽部Rock/大阪府立泉陽高卒)
商船大学の遺体安置場所にはずらーっと遺体が並んでいた。
 https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/51f49f1abe823bdfa978ca6c6addd922


【慰霊碑の向こうに】⑥ 故・中村公治さん =母・房江さんと妹・和美さんの証言=
(当時経営学部3年、本多ゼミ/映画研究部/名古屋市立向陽高卒)
西尾荘のあたりは焼け野原に。焼け跡の遺骨を本人と証明してもらうのが大変だった。
 https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/a65c964c3ba5baa556ab126cf22dc1f1


【慰霊碑の向こうに】⑤ 故・坂本竜一さん =父・秀夫さんの証言=
(当時工学部3年、応用化学科/兵庫県立八鹿高卒)
激震で倒壊した木造の西尾荘。東側の市場から燃え広がった炎がそこを襲った。
 https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/5c9a8898fafde156a8091d6fac45d615


【慰霊碑の向こうに】④ 故・高見秀樹さん =父・俊雄さんと母・初子さんの証言=
(当時経済学部3年、植松ゼミ/応援団/鳥取県立米子東高卒、)
その日の夜、「高見だけ連絡が取れない」という電話が両親のもとにかかってきた。
 https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/eb2e066042bfb01d561385907b64f44a


【慰霊碑の向こうに】③ 故・高橋幹弥さん =父・昭憲さんの証言=
(当時理学部2年、化学科/イベント同好会ラ・プレーリー/大阪府立高津高卒)
隣の銭湯の煙突が崩れ落ち、幹弥さんの部屋が押しつぶされていた。
 https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/7165089761eef41f45c9d3eae84c1870


【慰霊碑の向こうに】② 故・戸梶道夫さん =父・幸夫さんと母・栄子さんの証言=
バドミントン部の仲間が来て、倒壊した下宿の中の遺体を確認した。
(当時経営学部2年、桜井ゼミ/バドミントン部/大阪府立三国ヶ丘高卒)
 https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/023b839a782ed062de6f26d1d5f0919b


【慰霊碑の向こうに】① 一枚の写真から〜震災から2か月後に行われた合同慰霊祭
六甲台講堂のステージには、亡くなった神戸大の学生39人と教職員2人の遺影が並んだ。
 https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/b81d5f93f24d4db312586b32da0838da

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 震災当時学生だった神戸大の卒業生に聞くインタビュー。大学周辺の街はどうなったのか、学生生活は激震でどんな影響を受けたのか、OB・OGの声に耳を傾けてみる。


【震災の日の神戸大は…】② 落語家・桂吉弥さんの証言
落語研究会の後輩たちの安否確認をして…。なかには下宿が倒壊して住めなくなった部員も。
(当時・教育学部5年)
https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/bdf146234649c86ff266851be59def0f


【震災の日の神戸大は…】① 新聞記者・里田明美さんの証言
研究室から神戸の街を見ると何本も煙が立ち上っていた 。
(当時・自然科学研究科 修士課程)
https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/44442a706b1616030ea9ec443d64bcfc

(写真下:神戸市灘区六甲台本館前の慰霊碑。モニュメント右下の青銅製のプレートには、亡くなった学生、教職員の氏名が記されている。2023年10月6日撮影)






【慰霊碑の向こうに】18 故・長尾信二さん(当時工学部2年)=父・邦昭さん、母・フジ子さんの証言=<前編>

2024-01-02 12:55:00 | 阪神・淡路大震災
 長尾信二さん(当時20歳、愛媛県立松山南高校卒、工学部応用化学科2年・/合気道部所属)は、神戸市灘区下河原通1-3の文化住宅1階に暮らしていた。
 1995年1月17日。地震当日の夕刻になって、仕事に出ていた父・邦昭さんと母・フジ子さんそれぞれの元に、「信二君が亡くなった」と連絡が入る。
 急ぎ親戚が集まり、フジ子さんの兄の大きな車に食料などを積み込み、邦昭さんの兄、弟も乗り込んで5人で深夜、高松を出発。大渋滞の中をくぐりぬけ、十数時間かけて18日の夕方、神戸市灘区に着いた。
 信二さんは小学校の理科室に寝かされていた。そばには、神戸大の友人が交代で付き添っていたという。
 
 取材班は、高松市の実家を訪ねて、父・邦昭さん(81)、母・フジ子さん(77)にお話をうかがった。



(写真1:なくなる2日前、愛媛県重信町<現・東温市>の成人式で 画像の一部を加工しています)

当日夕方知らされた 「信二君が亡くなったんです」

ききて)震災発生当時、こちら高松も揺れたんですよね。
父・邦昭さん)震度4ぐらいやったです。結構揺れた記憶あるわね。
ききて)その時は、信二さんが大変だっていうことはまだ?
母・フジ子さん)全然。
父・邦昭さん)全然思わなんだね。神戸がそういう状態になっておるという認識はなかったですわね。寝よったんだけどもね。ああ揺れた、という程度で。

父・邦昭さん)だから神戸に大きな被害があったいうのはニュースで知りました。
ききて)テレビで?
母・フジ子さん)そうそうそう。亡くなったというのは、神戸大学の合気道部のお友達から知らされました。午後7時、6時半ぐらいかな、私が仕事行きおったから。夕方ですよ。それで「信二君が亡くなったんです」いうけん、「えー」いうて、もう腰が抜けて歩けなかった。そんなこと思うとりおりませんから。

母・フジ子さん)大学に入る時にね、「お母さん、何かあった時にどこで集合する?」っていうたんですよ。んで、え〜、主人(邦昭さん)の里が田舎の一軒家で、密集しとらんかったから、そこはどうっちゃならんと思うから。主人の里へ集合しようっていって、そんな約束したんですよ。
ききて)ご主人のお里というのはどちらですか。
父・邦昭さん)香川県綾川町いうてね。こっから、車で30分あまりかな。ちょっと南の方へ。
母・フジ子さん)そんなことまで約束して。
きき手)じゃあ大きな災害があったりしたら、そこに集まろうねと。
母・フジ子さん)「遠く(親元離れて)神戸まで行くから、海渡るから、そんな思いをするんかなあ」とか思いながら、決めとったんですよ。3時間あったら歩いてでもいけるから。


(写真2:インタビューにこたえる長尾邦昭さんとフジ子さん 高松市の自宅で 2023年11月3日午後撮影)

中学時代の町で成人式に出席するため高松に帰省

母・フジ子さん)1月に、お正月に帰ってきた時かな。高松市西植田の私のほうの里の家を壊した時に、あの子が、帰ってきとったんですよ。親戚の人みんんなに会って挨拶した。あの子は、皆さんにお別れしたんかなあ…。

母・フジ子さん)主人の転勤で、あの子も愛媛の高校に通ったんですけど、そこのみんなにも成人式でお会いして、ご挨拶して帰っとる。だからみーんなに挨拶しとる。

ききて)1月17日の地震の前には、信二さんはお正月に戻ってきて、そのあと成人式にも帰ってこられていたんですね
母・フジ子さん)1月14日には熱を出しとった。自分でバイクで行くといいよったんですよ。私は15日(の成人の)の朝に熱が下がってたら、(成人式に車で)連れていってあげるっていいました。


(写真3:実家にはいまも成人式前に処方してもらった薬の袋が残されている 画像の一部を加工しています)

母・フジ子さん)朝6時ごろかな、「どうなん?」いうたら、「行ける。お母さん行けるから」っていうの。ほな「連れてってあげる」いうて送った。
ききて)式はどこであったんですか?
母・フジ子さん)愛媛県重信町。今は東温市です。そこの中学校を卒業しとるから、重信町の成人式に行ったんですよ。んで帰る時、「神戸大学の大学院、お母さん行くからね」といって。私もええ?と思うたけど、ああ行ったらいいよいうて。自分が思うだけの事をしたらいいよ。…その時にはそんな話して、んで晩に神戸へ帰って行きました。
ききて)晩というのは…
母・フジ子さん)1月15日、成人式の晩に。赤飯やら親戚に配って、ほんで「帰る」いうんですよ。帰らんでええいうのにね。何か大学のレポートか何かがあるから、それを出さないかん。提出物があるけん帰るいうんです。しょうがないから、夜の11時半ぐらいに出たんですよ、バイクで。船の乗り場まで。
ききて)フェリーで神戸へ?
母・フジ子さん)そいで帰ったんです。


(写真4:亡くなる2日前、愛媛県重信町<現・東温市>の成人式で 1995年1月15日撮影 画像の一部を加工しています)

1月15日、成人式の晩に神戸に帰っていった

父・邦昭さん)16日の夜にこちらを出とけば助かっとった可能性が高いわねえ。
ききて)1月15日の夜に神戸に向かったから、16日の朝にはもう神戸に帰っていた?
母・フジ子さんと父・邦昭さん)帰っとったんよ。
父・邦昭さん)だから16日に出発しておけば17日の朝は港にいたはず。
母・フジ子さん)船の中におったんよ。
父・邦昭さん)船つく前くらいだったんや。
母・フジ子さん)主人の里の甥がね、ちょうど16日(17日)の朝のその神戸の地震の時に船に乗っとったんですよ。ほんで助かった。…だから、まあなんか…全てが、たぶんもうそれは寿命というんでしょうね。うん。

17日の夕方 合気道部の友人から母・フジ子さんに電話で一報が

ききて)それで、(地震が起きた)17日の夕方に合気道部のお友達から連絡があった?
母・フジ子さん)電話があったんです。ナガヤマ君いうてね。あの…1つ年上なんだけど、おんなじ合気道しとって。学部は工学部やったと思います。
その子から電話があったけど、「うそー」いう感じやねえ。そんな死ぬわけないと思ったけど、もうそれから、もう全然…。

きき手)その後はどう行動されたのですか?
父・邦昭さん)連絡を受けてから、そのままは行けなんだなあ。
母・フジ子さん)いや、夜中に行った。
父・邦昭さん)行ったんか。
母・フジ子さん)うんもう、みんな親戚の人が集まって、お弁当や何か作ってくれて。向こう(神戸)行っても何もないからと思って、してくれて。
ききて)それで、親戚のみなさんは留守番をしてくれた。
母・フジ子さん)そうそう、赤飯も置いたまま。もう情けないでしょう。


(写真5:母・フジ子さん)

ききて)どういうルートで神戸に向かわれたんですか
父・邦昭さん)山陽道だったかな。
母・フジ子さん)坂出からね、橋を渡っていったんです。
ききて)自家用車ですか?
母・フジ子さ)私の兄のね、大きな車で行ったんですよ。えー…5人で迎えに行ったんです。主人の兄と、弟と、私の里の兄と、それと私と、主人とで行ったんだけど。明石まで行って。神戸から離れとるところで、もう火がね、もうこんなんなりよるんですよ。だから「私は歩いていく」いうて、もう歩いていくからみんな帰ってくださいいうたら、「いやそういうわけにはいかん」。で結局、次の日やんな、着いたの。
ききて)ということは、1月17日の深夜に高松を出発して、18日に神戸に着いたんですね。

両親らは地震の日の夜に、急きょ神戸へ向かう

母・フジ子さん)全然通らせてもくれんへしね。
ききて)どの辺りで進めなくなりましたか?
母・フジ子さん)トンネルの手前やね。
父・邦昭さん)あれはね…。明石を通って、神戸に入る…
母・フジ子さん)寸前くらいから
父・邦昭さん)ちょっと前ぐらいかな。
ききて)でそこで動かなくなったんですね。

母・フジ子さん)大渋滞。大渋滞やけども、「どちらへ行くんですか」と聞かれて、いや息子がこんなになって迎えに行きよるんです、いうたら、「そしたらこっちのルート通ってください」と、通してくれた。
父・邦昭さん)うちは被災者ということで、通してくれたんですけど。
母・フジ子さん)それでも、そこからでもものすごい時間かかったね。
ききて)灘区の現場近くに着いたのは?
母・フジ子さん)もう、もう暗くなる寸前だったね。
父・邦昭さん)18日の夕方4時くらいやった気がするなあ。

母・フジ子さん)助け出してくれた合気道部の人らは、「信ちゃんのところ、ひょっとしたら」いうんで、みんなが連絡したんだと思うんね。ほいで、集まって一つ一つ手作業で、倒れた梁とかぜんぶ除けた。

母・フジ子さん)「おばちゃんね、(出したとき、体は)ぬくかったよお」いうてね、いってくれてね。その子たちは(地震の日の)朝の6時台にはもう現場に来とったらしいです。助けにね。
父・邦昭さん)せやから1時間くらいちゃうかな、地震があってからね。

倒壊したアパート 友人たちが引っ張り出してくれていた

ききて)アパートはどんな状況だったですか?
母・フジ子さん)もうぺっちゃんこ。
父・邦昭さん)2階建てだったんちゃうんか。
母・フジ子さん)うん。でうちの子は「梁」いうんですかね。それが、胸に。ベッドの上で寝とったから、きれいなんですよ。なあんにも外傷なし。何ていうんですか、内臓出血かなんかそんな感じで。それで息が止まって。
父・邦昭さん)圧迫死。
母・フジ子さん)そやな、圧迫死いうんやな。
ききて)じゃあ現場を見たときは、アパートは1階が潰れていて、2階はまだ見えた?
母・フジ子さん)2階の人は助かっとった。そう、神戸大学の子がもうひとりおったと思うけど、その子はたぶん2階やから助かったと思います。
ききて)じゃあもう信二さんはみんなに引っ張り出された?
母・フジ子さん)17日の昼に出してくれたと思うんです。
ききて)17日の朝が地震でしたから、みんなが駆けつけて出すまで1日はかかった?
母・フジ子さん)そりゃもう半日はかかっとるでしょう。
父・邦昭さん)半日はかかっとる。
ききて)17日の昼に、信二さんは出してもらったんですね。


(写真6:入学式の朝、下宿前で母・フジ子さんと 1993年4月)

信二さんは、小学校の理科室に寝かされていた

母・フジ子さん)遺体を収容するところが決まっとったんですよ。小学校だった。小学校の理科室に寝かされとった。神戸大の子が2人、交代でずっとそばにおってくれた。
父・邦昭さん)(遺体は)50体くらい並んでたなあ。
ききて)何小学校ですか?
母・フジ子さん)山のほう、山手の方の小学校だった
父・邦昭さん)名前はちょっと記憶にないんですよ。
母・フジ子さん)学校訪ねて、で2か所目におった。
父・邦昭さん)いっぱい(遺体が)並んどってねえ…。もうびっくりしてものもいえんような状態になったからねえ。
(沈黙)

ききて)その、灘区下河原通りのアパートから、安置所まではどなたが運ばれたんですか?
母・フジ子さん)学生たちが連れて行ってくれたと思う。

母・フジ子さん)アパートの現場には行けなんだ。ぐちゃぐちゃだ。通れん通れん。
父・邦昭さん)現場はまた後から行った。
ききて)じゃあとりあえず小学校に
母・フジ子さん)理科室だったです。理科室に寝てた。だから、あの子たちが連れていってくれたんやね。
(沈黙)

僧侶のおじはお経をあげようとしたが 「ごめん。もうようあげん」

母・フジ子さん)いやもう、きれいな姿で普通に寝とるんですよ。
父・邦昭さん)顔や何かに傷がなかったもんだから、ここ(胸部を叩く)はもういかなんだ
母・フジ子さん)朝ね、合気道部の練習が6時半からだったと思うんですよ。もうちょっとで起きる時間だったんだろうと思うんだけど、布団の中では起きとったかもしれん。とにかく布団をかぶったと思うんですよ。それだけ、外(傷)がないということは。布団被ったまんま圧死ということで、亡くなったんやろ…。もう全然普通に穏やかな顔しとったです。

母・フジ子さん)でももう信じられんから、「はよ起きて。起きて」といってね、起こそうとしたりした。で、うちは主人の兄がお寺さんなんです。(本来なら)お勤めあげるけど、「ごめん。もうようあげん」いうてね、そないいいましたわ。(フジ子さん涙ぐむ)
…よう(お経を)あげられんいうてね。ちょっとだけ読んで…したけど。

母・フジ子さん)私は若いから、どっかへ逃げとると思うとったんですよ。そんな死ぬはずないと思うとった。でもそんな甘くはなかったね。(地震が)ものすごかったから。
(沈黙)


(写真7:父・邦昭さん)

もうどんな言葉でやっても戻ってこん

父・邦昭さん)知らせを受けたんは、高松刑務所で勤務しおった時だった。夕方の5時ごろだったかねえ。聞いて、ええええ、いうばっかりでね。
母・フジ子さん)私は午後7時に知ったんやで。
父・邦昭さん)いやその前に5時ごろに…。で、ほかの者(同僚)に、はよ迎えに行かないといかんといわれて。すぐ家に帰ってきて、それから神戸に行ったんです。信じられんですわね。えええ、いうばっかりでね。神戸で地震があったいうニュースは出とるんやけども、うちの子がそういう状態になっとるいうことは全然意識なんかないもんやからねえ。ただ、死んだという知らせを受けたもんじゃから、まあ行こうということで、さっきのような話になったんですけどもね。

ききて)理科室で対面された時は。
父・邦昭さん)まあ顔見ても、落ち着いた顔しとったという印象とね、すぐ起きてくるんじゃなかろうかという感じを受けたんじゃけどね。それも、もうわしは口には出さずにじいっと見よっただけやったんじゃけども。もうどんな言葉でやっても戻ってこんというのは理解できるでしょう。身内のしかも、息子が先死ぬというというのは、もう本当に、口には出せんですよ。うーん。
こればっかりはねぇ。

「歳とったら面倒見てあげる」 優しい子でした

母・フジ子さん)特に、優しい子だったんですよ。ものすごく優しい。「お母さん見てあげるからねって、そないにいってくれてね。最期をね、見るからねいうて。
ききて)じゃあ、歳をとってもお母さんのめんどうみるからと?
母・フジ子さん)「歳とったら見てあげるから」って、そんなんまでいうてくれてね。大学行く前だったですよ。まだ高等学校ぐらいで、そんなんいうかなと思うたんやけどね。優しい。とにかく優しかったですよ。


(写真8:父・邦昭さんと母・フジ子さん 高松市の自宅で 2023年11月3日午後撮影)

続く

<2023年11月3日取材/2023年1月10日 アップロード>

【慰霊碑の向こうに】18 故・長尾信二さん(当時工学部2年)<前編>=https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/3c8de716e689258258bd51ab1aab033c
【慰霊碑の向こうに】18 故・長尾信二さん(当時工学部2年)<後編>=https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/b587e5119660b9554ad8bbe9f5a83061

【連載】慰霊碑の向こうに 震災の日、学生たちの命は…<震災29年版>=https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/78ae5006ff0f40fc07c08e88050f1141
これまでの遺族インタビューの連載を掲載しています