大学紛争で卒業式が中止になった1969年3月、卒業生たちはどのように証書を受け取ったのか?メディア研は、10月27日の「50年目の卒業式」に集まった69年の神戸大卒業生64人に実際のどこでどのように手渡されたかを聞くと、校舎の屋上、教授宅で、遺跡の発掘現場で…など、さまざまな場所で手渡されていたことがわかった。証書授与の場所に白いヘルメットの男が乱入してきて会場は混乱に陥ったという証言もあった。<玉井晃平、小野花菜子、森岡聖陽、長谷川雅也、渡邊志保>
50年前の1969年3月、神戸大では大学紛争激化し、各学部の校舎がバリケード封鎖されるなどして学内が混乱したため卒業式が中止に追い込まれた。
では、その年の卒業生はどのように卒業証書を受け取ったのか。その時の様子は学部やゼミ、個人単位で大きく異なり、様々なパターンがあったことが知られている。
神戸大に残る記録(1969年4月『神戸大学学報』152号)では、次の表(画像)のように渡されたことになっている。
この「各人に授与」という部分について、「どこでどのように渡されたか」という詳細な記録が残っていなかった。
今回の聞き取り取材では5人の記者が64人に聞き取り取材を行い、「覚えていない」という3人と、「卒業年度の違いで当時のことは分からない」など事情が異なる6人を除いて、53人が具体的に答えてくれた。
年度末で下宿を引き払ったり、就職のため上京したりするなどの時期と重なったせいか「実家に郵送してもらった」という回答が複数あったが、「校舎の屋上で受け取った」(教育学部国語科)、「教授宅に10人余りで卒業証書を受け取りにいった」(経済学部)、「(遺跡の)発掘調査の現場でゼミの先生にもらった」(工学部)、「小さな講堂で証書授与をしていたら白いヘルメットの男が乱入してきて会場は混乱に陥った」(教育学部)という答えもあった。
なかには、卒業証書が郵送される前に上京したため、34歳の時に実家から卒業証書が送られてきて初めて手にした人(経済学部)もいた。
「封鎖された校舎を開放しようと竹刀を持って大学に向かったが、怖くなり帰った。悔しかった」(法学部)、「当時は学生運動に怒っていた」(医学部)、「試験が全て中止されレポートに代わってうれしかった」(経済学部)のように、当時の率直な心情を語ってくれた卒業生もいた。
混乱の中でも、教育学部では「学部みんなで振袖を着て集まった」、「研究室で先生から受け取り、そのあと梅田か三宮に連れ出してくれてパーティーを楽しんだ」という証言もあった。
個人の記憶違いが紛れ込んでいる可能性もあるが、聞き取りの結果をほぼそのまま掲載する(氏名はイニシャルに変換。《 》内は大学の記録による手交方法)。
《文学部》3月31日授与=事務側から各人に手交。
M.S.さん:4月に入ってから大学から連絡があった。自分は既に上京していたため母親が取りに行った。
《教育学部》3月25日授与=学部長が代表者に授与(学部長室)。そのあと指導教官が各人に授与。
F.H.さん:屋上で受け取り。国語科はだいたい参加していた。
K.I.さん、I.K.さん、N.M.さん:学部みんなで振袖を着て集まった。学部長の話を聞いた。
S.A.さん:確信がないが、ゼミの先生から校舎で受け取った。
I.R.さん:ゼミ研究室で先生から。そのあと梅田か三宮に連れ出してくれてパーティーを楽しんだ。
I.Y.さん:卒業証書の受け取りに集合したら全学連が入ってきた。ゼミの先生の控室でもらった。
B.Y.さん、S.K.さん、T.A.さん:鶴甲の教室で、学科の人がみんな集まって卒業証書が渡された。教育学部の小さな講堂で証書授与をしていたら、白いヘルメットの男が乱入してきて会場は混乱に陥った。そのためみんな会場を出た。
M.M.さん:教育学部の教室で受け取った。学部長が来場し、彼の話を聞いた。
N.M.さん:写真を撮ったのを覚えている。
匿名希望:ゼミの先生に渡された。上のキャンパスの広場で(現・鶴甲第2キャンパス)でゼミごとに受け取った。着物を着ていった。
《法学部》3月31日授与=学部長が各人に授与(学部長室)。その他の者については来学の都度手交。
《法学部第二課程》3月25日授与=学部長が各人に授与。
I.S.さん:事務で受け取った。
D.Y.さん:実家に郵送。3月の時点で既に就職のため上京していた。
N.N.さん:郵送された。封鎖された校舎を開放しようと竹刀を持って大学に向かったが、怖くなり帰った。悔しかった。
A.S.さん:法学部事務室で受け取った。
F.M.さん:法学部事務室。3月31日に事務室から電話があり、「まだ卒業証書を渡せていない。これから渡せるので取りに来て」という旨を伝えられた。就職先は東京だったが、まだ大学の寮に滞在していたため取りに行けた。
匿名(2人):郵送で実家に。
《経済学部、同第二課程》3月29日授与=指導教官や事務側から各人に授与。その他の者については、来学の都度手交。来られないものには郵送。
M.K.さん:名古屋に就職したため、父が代わりに取りに行った。封鎖で試験が全て中止されレポートに代わった。紛争に関わっていない自分としてはとてもうれしかった。
Tさん:郵送で受け取った。
M.M.さん:郵送で。
T.B.さん:3月31日に引っ越し中の職員食堂に受け取りに行った。筒をもらったことぐらいしか覚えていないが、あっさりとしていた。
K.K.さん:北野熊幸男教授のゼミで、教授のお宅に10人余りで卒業証書を受け取りにいった。
Mさん:卒業証書が郵送される前に上京した。34歳の時に実家から卒業証書が送られてきた。
匿名希望:郵送だった。
《経営学部、同第二課程》3月29日授与=学部長が各人に授与。
K.H.さん:経営の教官食堂で事務の人から。今の三木記念館あたり。
H.T.さん:おそらく就職後に送られてきた。ゼミの先生が病気に(丹波先生)なった。
Eさん:事務室に取りに行った。
Wさん:教務室で受け取り。
T.G.さん:郵送だった。
Hさん:事務室から連絡がきて、ゼミの友人と取りに行った。
Aさん:教務室で受け取り。
S.K.さん:3月31日に学校の学務課、教務課に取りに行った、入社式が4月1日だったため、とりあえず友人の家に預けた。
T.R.さん:経営学部の事務室で受け取った。同窓会の入会証と筒を受け取っただけだった。
I.K.さん:生協で受け取り。
H.M.さん:生協で受け取り。
Nさん:食堂で1人ずつ受け取った。
O.M.さん:掲示板を見て、事務室にもらいに行った。
S.K.さん:郵送だった。
Oさん:郵送で受け取った。
《理学部》3月25日授与=各学科主任が各人に授与。
I・Yさん:(所属していた)化学科は教室でみんなでもらった。
《工学部》3月26日授与=教室主任が各人に授与。
Y. I.さん:日本の建築を勉強していたので、播磨国分寺に発掘に行っていた。ゼミの先生からそこでもらった。(証書を)もらえるとは思わなかった
F.S.さん:当時卒業式はないと思っていた。後で何か集まりがあったらしいと聞いた。8月に封鎖解除されたことを知らず驚いた。
Y.T.さん:なぜか研究室に入れて、事務室で卒業証書を渡された。
Tさん:郵送でした。
S.T.さん:郵送だった。
Y.S.さん:事務室で。
M.S.さん:留年し、一年後の1970年春に証書を受け取る。その年も卒業式は開催されなかった。証書は研究室の机の上に置いてあった。
《医学部》3月25日授与=学部長が代表者に授与。
N.M.さん:医学部は6年制のため卒業年度が異なり、卒業式は開催された。当時は学生運動に怒っていた。
O.Y.さん:卒業式は開催されたが、国家試験の追試と重なり出席できなかった。大学紛争のため国家試験の受験日程が後ろにずれ込んだからだ。
(写真:聞き取りをするメディア研の記者たち 2019年10月27日午前、六甲台講堂前で)
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