続きを書いてない記事も完成させないと。
両国を訪れた時のレポートです。
両国は千葉方面への玄関口でした。
両国から都心方面へ開通した事で流れが変わった。ここまでが前回。
それでもまだまだ多くの列車が両国を始発としてました。
その後のレジャーブームなどにより、多くの列車が千葉へ運転され、
両国も活気を取り戻したそう。
それからも時代は変わり、影響を与えます。
乗客も増加し、輸送力向上も図られ、総武快速線も開通。
両国駅も一部が縮小され、ここで盛んにあった貨物輸送も、
他へ移されました。
そして取得した土地に、現国技館や総武快速線を造りました。
両国駅の縮小はこの為だったのでしょう。
しかし玄関としての役目を完全に失った訳でもなく、
平成初期までは定期便もあり、その後~最近までは物資輸送の窓口。
電車に物資の新聞が乗ってました。
両国駅のこの、謎の様な場所は残された初期の施設の、
歴史の一部だったのですね。現存はこの様な催しの場。
そしてこう言う臨時列車の発着場でも。
役目が限られても、必要性あって刻まれた歴史。素敵ですね。
今黄色い電車の走るここは、延伸により新造した所。
駅の外も歩いてみようかな.........
国技館の近くにあるスカイツリーも、
元は親会社の東武電車の施設だったんですよね。
こう言う記事やると、つまらないってわざわざ書く人居ます。
詰まる記事でも見てれば良い!
返信にミスがあるみたいなコメントも迷惑なのでいらない。
それでも書いたら消します。