黒坂黒太郎コカリナブログ

黒坂黒太郎のコカリナコンサート活動、東日本大震災被災地支援活動など

アイルランド報告  その4 北アイルランド デリーの町

2014-08-03 22:23:48 | 情報
スライゴで詩人イエツの優しさに触れた一行はアイルランド北部に向かい、レタケニー市の近郊で行われたエリガルアートフェスティバルに出演しました。山の中の美術館のような小さな会場で行われたコンサートだったのですが、最後はスタンディングオベーションが出るなど、大変盛り上がりました。コンサートの中で「アメージンググレイス」を演奏したのですが、終了後「アメージンググレイスが生まれたのはこの近くですよ」と言われ驚きました。
 コンサートの後は、日本でもよく知られる歌手の「エンヤ」さんのお姉さんが経営するパブへ。ちょうどそのお姉さんも来店しており、一緒に写真を撮ったりお話しをしてくれました。アイリッシュ音楽が好きな方に言わせると、このお姉さんも「グラナド」というグループのボーカルとして活躍され、かなり知られた方だそうです。
 レタケニーの次はいよいよ北アイルランドに。北アイルランドはイギリス領になります。およそ100年前、アイルランドはイギリスから独立を果たすのですが、イギリスは北アイルランドだけは手放しませんでした。その理由はイギリス系のプロテスタント系住民が多かったことと、経済を潤す工業都市が沢山あったから、と言われています。そのことによりこの地域では紛争が絶えませんでした。IRAという過激派組織がテロを行ったり、デリーの町で平和デモを行う市民へイギリス軍が発砲し多くの死傷者を出した「血の日曜日事件」はよく知られた話です。それはピアニスト、フィル・コーターによって「私の愛した町」という曲になり、それを日本のフォークシンガー横井久美子さんが日本語に直し、今でも多くの人に歌われています。矢口周美も時々歌っているので、デリーに着く前のバスの中で皆さんに聴いてもらいました。矢口は今度10月12日、トッパンホールで行う自分のリサイタルでもこの歌を歌う予定です。デリーの町は、今は紛争は収まっているものの、あちこちに紛争の名残があり、皆沈痛な面もちにさせられました。
「私の愛した町」に出てくるシャツ工場

銃弾に倒れた中学生の壁画

アイルランド報告 その3 詩人イエツの町

2014-07-30 15:39:29 | 情報
 カイルモア修道院のコンサートを大成功させた一行は、バスでスライゴーに向かいました。この辺は湖が点在し、湖水地方呼ばれる本当に美しいところです。昔、ジョンフォードが監督、ジョン・ウェイン、モーリーン・オハラが演じて大ヒットした映画「静かなる男」の舞台となったところでもあります。そのテーマ曲「イニシュフリーの島」は日本でも知られる美しい曲で、最近発売された「ケルティック・ウーマン」のアルバムにも、ブレンダン・グラハムさんの他の曲と共に収められています。ユーチューブで聞いてみてください。こちら
 またノーベル賞詩人イエツもこのあたりが大好きだったようで「湖水の島イニシュフリー」という詩を残しています。そしてまさに次に向かったスライゴーこそイエツの町です。イエツは私たちがコカリナでよく演奏するあの「サリーガーデン」(柳の庭)を世に出した人です。サリーガーデンは当初、イエツの作と思われていたようですが、今は、イエツがアイルランドの田舎町で老婆が歌っていたものを採譜した、というのが定説になっています。スライゴで宿泊した朝、皆でイエツのお墓参りをしました、そしてお墓の前で「サリーガーデン」を演奏しました。それまで降っていた雨がピタリと止み、まるでイエツさんが「日本からよく来てくれました」と言ってくれているようでした。
 イエツの詩から(抜粋)
老いた時への祈り
 ああ、お願いです。どうか頭だけで詩を書くようにならないよう私を守ってください。
 流行を越え残る詩とは、骨の髄で考えたモノなのです。
 どうか、だれをも褒めそやす、賢い老人にならぬよう私を守ってください。
 ひつとの唄のために、アホみたいになれない自分など何の値打ちがあろう。
 お願いです。どうかおいぼれて死ぬときも
 アホで熱狂的な者でいさせてください
イエツのお墓の前で

イニシュフリー島

アイルランド報告 その2

2014-07-26 15:53:13 | 情報
カイルモア修道院のコンサート終了後、僕と周美、そして山下直子さんはブレンダンさんのご自宅に招待していただきました。本当は皆で行きたかったのですが、ブレンダンさんの住む村までの道は、道幅が狭く、バスが通れないとのこと。実際行ってみると、本当に、乗用車が一台やっと通れるだけの道でした。どこまでも草原の山が続く風景の中、ブレンダンさんが運転、コンサートの感想、音楽の話、日本の被災地の話をしながらのドライブでした。周美は「あなたは本当に美しい声だ」と褒めてもらい有頂天でした。彼女はあまり嬉しくて後部座席から「私もブレンダンさん愛している」と叫んだのですが、直子さんが「それは誤解を生むから訳しません」と英語にしてくれませんでした。ブレンダンさんは「彼女は何を行っているのだ?」としきりに聞いていました。
ブレンダンさんの自宅は、山奥の、そのまた奥。集落には家が3,4軒しかない。なにやら奥さんがネイティブアイリッシュ(アイルランドの原住民でアイルランド語という全く違った言語を持つ)で奥さんが育った村に住むことにしたのだそうです。石作りの素朴な家。「ユー・レイズ・ミー・アップ」は全世界800種類のCDや楽譜になりその印税だけでも莫大なものであろうに、暮らしぶりはなんとも質素。到着するとブレンダンさんは、「アイルランドでは本当に信頼する人には裏口から入ってもらうのだ」と玄関でなく、キッチンに続く勝手口から家に案内してくれました。そのキッチンでティータイム。ブレンダンさんは奥さんが留守なことを謝りながら、美味しい紅茶とアイルランドで最も美味しいと言われる「ミカド」というお菓子を出してくれました。この名前の由来は日本語の帝(ミカド)にあるらしいとのこと。ティータイムの後は、ブレンダンさんの仕事場で、ブレンダンさんのピアノに合わせて「涙と希望の島(村)」や「ユー・レイズ・ミアー・アップ」を歌いました。そのピアノたるや日本のカワイ製。しかも日本で幼稚園の子が弾くような、背の低い小さなアップライト。ブレンダンさん曰く「Good sound.! My favorite piano (お気に入りピアノ)」と。このピアノから数々の名曲が生み出されたのか、と思うとなんとも不思議な感じがしました。そして帰り際、宝物のように壁に掛けていた「Isle of hope , Isle of tears」(涙と希望の島)の詞が書かれた石盤をヒョイと取ると「これをあなたにあげよう」と差し出す。僕は「いえいえ、こんな貴重なモノは受け取れない」と断るのですが、どうして持って行けとひきさがらない。そして「私はもうひとつ作る。そしたら世界に二つしかないことになる」と。その言葉に甘えて有り難く頂戴して来て、いま我が家の壁に掛かっています。
 帰国後、ブレンダンさんから長文のメールをいただきました。「そこには私も貴方や周美、コカリナアンサンブルの皆さんにお会いでき本当に楽しい時間でした「ユー・レイズ・ミアー・アップ」の日本ででている楽譜が欲しい。いつかまだ見ぬ日本に行きたい」と書かれていました。
 写真は
 上 ブレンダンさんの家に向かう道で
 下 ブレンダさんのピアノと共に。 持っているのは、アメリカ移民第1号アニー・ムーアの像


アイルランド報告 その1

2014-07-24 11:10:24 | 情報
最初のコンサートはカイルモア修道院http://www.kylemoreabbeytourism.ie/
カイルモアアビイと呼ばれる修道院はアイルランド西部の都市ゴールウェーからさらに西へ80キロほどいったコネマラ国立公園内の湖の畔に、まるで羽ばたく白鳥のように美しく建っていました。この建物は、もともとはロンドン出身の富豪が1868年に建てた邸宅だったのですが、1920年に修道院となり、現在もアイルランドの名門の修道院として使われているとのことです。たまたまここの企画と一致、コンサートをさせていただくことになったのですが、今回のツアーでどうしても会いたいと思っていた「ユー・レイズ・ミー・アップ」の作者ブレンダン・グラハムさんはなんと、この修道院の近くに住んでいたのでした。この偶然、何か不思議な力が働いたとしか思えませんでした。ブレンダンさんは昼前から修道院に来てくれました。今までメールでしか連絡を取ったことがなかったブレンダンさんとの対面、頭がクラクラするほど嬉しかったです。それからランチを一緒に取り、コンサート会場のチャペルまで子どもの話や、孫の話をしながら一緒に歩きました。会場に着くと、すでにお客さんが溢れています。これにも驚かされました。仕方がないので、準備が出来るまでブレンダンさんにお話しをしてもらうことにしました。会場は立ち見も出て超満員。築150年の建物にコカリナと歌が美しく響き渡りました。
 ところで今回このブレンダンさんと繋げてくれたのは、アイルランド政府の公認ガイドとして活躍する山下直子さん。前回(13年前)のアイルランドツアーでたまたま添乗員として付いてくれたのですが、その時高校(長野県立上田高校)の後輩である事が分かり、それからメールのやりとりが始まりました。「ユー・レイズ・ミー・アップ」の前にCD化した「Isle of hope , Isle of tears」(涙と希望の島)を震災の被災地の皆さんにどうしても聴いてもらいたく、その日本語訳詞許可を得るために彼女にブレンダン氏を捜して欲しい、と頼んだところ、ホームページも持たず、隠遁生活のような生き方をしているブレンダンさんを必死で捜してくれ、訳詞許可を得ることが出来ました。その山下さんが今回ずっとガイドとして同行してくれました。修道院のコンサートには、やはり上田高校出身で現地に企業の駐在として住んでいるNさんも掛け付けてくれ、アイルランド上田高校同窓会になりました。アイルランドに行く機会があったら是非山下ガイドを指名してください。明るく、英語も美しく、素晴らしい後輩です。彼女は、ブレンダンさんのベストセラー小説(ブレンダンさんは作家でもあるのですが)「The Whitest Flower」(「純白の花」とでも言うのでしょうか)を翻訳して日本で出版したいと張り切っています。

 写真上は山下さん提供,最前列中央がブレンダン・グラハムさん