古代の日本語

古代から日本語には五十音図が存在しましたが、あ行には「あ」と「お」しかありませんでした。

古事記より古い文献

2021-08-29 10:15:32 | 古代の日本語

古事記は、西暦712年に完成した日本最古の歴史書で、稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗記していた古代の文献を、太安麻呂(おおのやすまろ)が編集したものなので、そこに記録されている日本語の音韻は、当然ながら奈良時代初頭の発音だと思われます。

このことは、『大日本国語辞典』に、や行の「い」を表わす漢字は「以、移、夷、易、已、異」等であり、わ行の「う」を表わす漢字は「于」であると書かれているのですが、古事記には、これらの漢字が和歌などの日本語の音韻を表記している部分に使われていないことからも明らかなようです。

一方、日本紀は、完成が西暦720年なので、古事記より新しい歴史書ですが、「一書曰」(あるふみにいわく)という書き出しで、多くの参考資料がいたるところに挿入されていて、古い記録を可能な限り収集していることが明らかなので、古事記よりも古い時代の音韻が収録されている可能性は高いと思われるのです。

例えば、景行紀に収録されている次の歌には、「異」と「于」が使われています。

原文
読み
意味
波辭枳豫辭 はしきよし おお
和藝幣能伽多由 わぎへのかたゆ 私の家の方から
區毛位多知區暮 くもゐたちくも 雲が立って来るよ
夜摩苔波 やまとは ヤマトの郷(くに)は
區珥能摩保邏摩 くにのまほらま この地方の最も秀でた場所
多多儺豆久 たたなづく 隣接して
阿烏伽枳夜摩 あをかきやま 青山が四方を囲い
許莽例屢 こもれる (その中央に)籠っている
夜摩苔之 やまとし そのヤマトこそ
屢破試 うるはし 好もしい(郷である)
能知能 いのちの 生命の
摩曾祁務比苔破 まそけむひとは 全からん人は
多多瀰許莽 たたみこも (枕詞、本来は被服具の名称)
幣愚利能夜摩能 へぐりのやまの 平群の山の
志邏伽之餓延塢 しらかしのえを 白橿の枝を
受珥左勢 うずにさせ 挿頭(かざし=頭部の飾り)にせよ
許能固 このこ この家の子(=配下の部衆)

なお、漢字の表記については『日本紀標註』(敷田年治:著、小林林之助:1891年刊)という本を、読みと意味については『紀記論究外篇 古代歌謡 上巻』を参照しました。

これを見ると、「いのちの」の「い」がや行、「うるはし」と「うずにさせ」の「う」がわ行となっており、景行天皇の時代には、や行の「い」とわ行の「う」が使われていたと思われるのです。

次回は、日本紀に古い記録が収録されている証拠を明らかにしたいと思います。

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