古代の日本のことを記述した文献で、日本紀よりも古いものといえば、すぐに「魏志倭人伝」が思い当たりますが、これについては、前回ご紹介した『上代日支交通史の研究』に詳しく論じられているので、今回からはその内容をご紹介していきたいと思います。
この本の著者の藤田元春氏は、『日本地理学史』(刀江書院:1942年刊)という本を書いている地理学者で、古代の測量の尺度に詳しく、地理学的観点から古代の日本の姿を明らかにしています。
ところで、「魏志倭人伝」という名前についてですが、これは正確には『三国志』(陳寿:撰述)という歴史書の「魏書三十 烏丸鮮卑東夷伝」の一部に書かれた日本に関する記録のことです。
撰述者の陳寿は、元康七年(西暦297年)に没したそうなので、彼が三世紀後半に『三国志』を書いたことは間違いなく、景初二年(西暦238年)に魏に使いを送った「卑弥呼」に関する記述は、その数十年前の出来事ですから、とても正確に記録されていると思われるのです。
さて、藤田氏は、その当時の「里」は現在の約四十分の一であると主張しているので、この縮尺で「魏志倭人伝」の最初の部分を訳すと次のようになります。
原文
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訳
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從郡至倭 | (帯方)郡より倭に至るには |
循海岸水行 | 海岸にしたがい水行し |
歷韓國 | 韓国を経て |
乍南乍東 | 南へ行ったり東へ行ったりして |
到其北岸狗邪韓國 | そ(倭)の北岸、狗邪韓国に到着すること |
七千餘里 | 700kmあまり |
始度一海千餘里 | はじめて一海を渡ること100kmあまりで |
至對馬國 | 対馬国に至る |
なお、「狗邪韓国」は、『大日本読史地図』(吉田東伍:著、蘆田伊人:修補、富山房:1935年刊)という本によると、現在の釜山の西側の地域だったようです。
【狗邪韓国と対馬の位置関係】(吉田東伍:著『大日本読史地図』より)
帯方郡は、現在のソウルのあたりにあったと考えられますから、ソウルから釜山まで海路で700kmあまりというのは、1700年以上前の測量であるにもかかわらず、とても正確だと言えそうです。(「キョリ測」というサイトで測定すると、ほぼ同じ値になります。)
また、釜山の西側の地域から対馬の中央部までを測定すると100km強となりますから、100kmあまりという記述も正確なものだと思われるのです。
次回も「魏志倭人伝」の続きです。
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