第5部 後半その2に入ります
曹操は荊州から北上して樊城へ攻撃しようとする関羽の軍を食い止めるため、于禁将軍を大将に、龐德を副将に10万の軍を派遣。
龐德は棺桶を用意し、兵士たちに見せる。
「この戦で私か関羽のどちらかが死ぬ。どちらであろうとこの棺桶に入れて魏王に送るのだ!」額に打ち付けた跡が・・
龐徳は、元は劉備軍の五虎上将の馬超の部下だったことや兄が蜀の役人であることで、周りから疑いの目を向けられていたのを意識したのだと思いました。
だからこそ曹操への忠誠心を棺桶を用意することで形にして表したのでしょうね。
江東の地、揚州の柴桑では
曹操軍から援軍の要請が来て、孫権と側近の臣下で話し合っていた。
向かって左は武官で奥から大都督の呂蒙、副都督の陸遜
向かって右は文官で奥から張昭、諸葛瑾
劉備は漢中王となり天下の半分を領地にして勢いがあり、今関羽の軍の先陣が樊城を攻めている。曹操から劉備を打てば荊州の半分をよこすといってくる。
呂蒙は、魯粛から劉備が強い時は曹操と組むように言われたことを話し、劉備軍を攻撃し荊州をとることを提案。
それに対し陸遜は、劉備軍は破竹の勢いで、今敵に回すのは不利と言い、先ずは友好を計るため、孫権の息子と関羽の娘との縁談を提案。
関羽が承知したら荊州の返還を要求する。劉備は漢中を取ったら荊州を返すと言っていた。それを承知しなければ、我らを軽く見ている証拠。
戦いは曹操軍と関羽の軍にやらせ、我らは荊州を手に入れるという。
陸遜は孫劉同盟を持続させようと手探りをしているように見えました。なるべく平和に荊州を手に入れたい。でも、これまでドラマを見てると、それはもう無理。
結果は明らかでした。使者として諸葛瑾が出向き関羽に縁談を持ちかけると関羽は
「笑止千万。兄上は孫権の妹を娶って危うく命を落としかけた。今度は虎の娘を犬の息子に?帰ってくれ」
と突き返す。
そのあまりに侮辱的な言葉に諸葛瑾も顔色を変える。
関羽の部下の馬良は心配になり苦言をする
「たとえ断るにしても即答は避けて言葉を選ぶべきですぞ。」
関羽は精鋭部隊を連れて樊城攻撃に出発を命令する。荊州の軍備が手薄になると孫権軍に攻撃される、と馬良が意見を言うと、周瑜や魯粛のいない呉に荊州を取れるはずはないと関羽は答える。それでも陸口に呂蒙が駐屯していて油断ができない、何かあれば万事窮すになるとやはり馬良が訴えると。関羽は策を練り、川沿い20里ごとにに狼煙台の設置を命令。いざというときに狼煙で知らせれば半日で引き返せるようにする。
関羽の馬は駿馬で名高い赤兎馬ですもんね。
柴桑では
諸葛瑾が孫権に関羽の言葉を伝え、こんな侮辱を受けたことはないと驚いた孫権は劉備は曹操より危険だと悟る。関羽が樊城攻撃に進軍したと知り、陸口の呂蒙に荊州攻撃を伝達させる。
これで孫劉同盟は崩壊してしまった
関羽の軍に樊城の援軍に来た于禁と龐德の軍が現れ向かい合う。棺桶を見せつけ挑発する龐德に、関羽は青龍偃月刀で貴様の首を取るのはもったいないと言って周倉の長刀をもって龐德と一騎打ちをする。
関羽の強さはやはり圧倒的。
龐徳は落馬してしまうが、
身に着けた矢で関羽の左手を射る
それを機に一気に開戦するが、関平は防戦して父関羽を退却させる。
陣地で自分で矢を抜く関羽。傷が癒えるまで休まれるようにと心配する馬良に敵の陣地を見に行くだけだと武将たちを照れて于禁将軍の陣地を偵察しに行くと、谷間に陣があった。少し先に川がある。
関羽は川の水をせき止め一気に放流し水攻めにして陣を破壊、于禁と龐德の軍は壊滅する。
于禁将軍はとらえられ荊州の牢に入れられる。
が、龐徳は関羽のところに連れられるのを拒否。板に縛り付けられ無理やり運び込まれる。
関羽は投降を促すと、龐徳はつばを吐き言う。
「我が主も兄も凡人なだけだ。男たる者たとえ殺されても笑い飛ばすものだ。」それを聞いた関羽が
「死にたいのか」と聞くと、龐徳はニヤリとして答える
「俺を殺さねば、また貴様を殺しに来てやる」
関羽は龐徳の潔さに感じ入ったようです。側近の部下周倉に自分の青龍偃月刀で処刑するよう命じる。龐德は大笑して刑場に連れていかれる
私もまっすぐな気性の龐德に胸が痛くなりました。自分の身の可愛さに主君を何度も変えたら、それこそ後々まで言われてしまう。この時代の人は自分の名誉を命と同じくらい大切にしているのがわかりました。死後に残る自分の評判も気にしている。記される文字があるからこその意地。それでもなんと言われようと生き延びたってかまわないと思うのだけど・・・龐徳は自分の名誉のためにも潔く自分が決めた主君に忠誠を誓って死を選んだ。
于禁将軍の10万の軍を破って、馬良は一旦兵を休めることを進言、だが関羽は勢いに乗って進むべきとはねつける。馬良は樊城攻撃している先陣隊が苦戦を強いられている現状を言い、曹操が更に援軍を送ってくる可能性を言っても、わしが行けば一気に勝てると意に介さない。馬良も食い下がって荊州が手薄なすきに孫権軍が攻めてくるかもしれないと言うと、孫権は肝っ玉が小さいからわしには歯向かえないと突っぱねる。それでも攻撃してきたらと馬良が食い下がると怒りのあまり矢の傷口から血が出る。矢には毒がついていた。
馬良には知り合いに名医華佗がいて、それを聞いた関平は急ぎ華佗を連れてくる。
華佗は骨まで達した矢毒を取り除くため切開し矢毒のついた骨を削る手術を行うといい、外科手術の痛みで動かないため縛り付けることを説明すると、関羽はそれには及ばずと馬良と静かに囲碁をしながら左手の手術を受ける。
手術の様子を脂汗をかいて見つめる関平
関羽の囲碁の相手をしながらも手術の様子につい呆然としてしまう馬良。この写真だと右眉に白髪があるのがわかります
ぶっとい針で傷を縫う華佗。・・・以前私も麻酔が効かない中縫われたことがあります。看護師さん二人に羽交い絞めにされて縫われました。このシーンだけは、痛みがわかる
手術は無事終わり、腕が動かせるようになる。華佗は声一つ上げなかった関羽の我慢強さに感嘆する。
手術の腕に感心する関羽を見て、馬良は華佗の方から傷を理由に荊州に戻ることを忠告してほしいと頼む。馬良の気持ちを汲んで関羽に言いに行くと、関羽の方から軍医になってほしいと頼んでくる。華佗は言う。
「正直申し上げて戦の傷の治療は好まないのです。なぜなら戦の傷を治せばまた戦が増える。私は自分の腕を多くの民を救うことに使いたい。」
そして関羽からの礼金ももらわないで、医者として忠告する。
傷は治ったが安静が必要。怒りは禁物。100日安静にしなければ治らない。そして戦場を離れ荊州で静養することを勧めた。周瑜の時と同じですね。同じ曹操軍の毒矢だから毒の種類も同じなのかも。
関羽は憮然として断る。
「100日あれば片手で樊城は攻め落とせる。」
馬良は華佗を見送るとき、華佗は言う
「関将軍の傷は完治しておる。だが将軍の驕り高ぶる病は傷より重く、私に治す術はありません。」
馬良は孔明が認めるほどの知性の持ち主で「白眉」と言われる。その彼が荊州が危ないことをひしひしと感じていていたから荊州に戻ることを忠告したのに。関羽は全く聞こうとしない。武力では誰も太刀打ちできないしある程度作戦を計る知性もある。周りは崇拝する人ばかりだし自分は万能で絶対正しいと思い込んでしまったのでしょう。でも知性は天才的な孔明や曹操、司馬懿仲達がさらに上を行く。劉備と関羽の決定的な違いは、自分とは違う意見や才能を認める柔軟さなんだと感じました。
荊州に戻るように必死で忠告した馬良は万策尽きてしまった。
揚州と荊州の州境の基地、陸口
川向うに狼煙台が並ぶ様子に孫権軍はざわめく
狼煙台には常に監視兵がいて、狼煙が上がれば荊州の水軍が出動し、関羽も駆けつける。
関羽がいない隙に攻めようにも、いまだ荊州が強固に守られている。
それを見た呂蒙は急に胸の痛みに襲われ
倒れてしまう
柴桑では
孫権は陸遜を呼び、呂蒙が病気になったので大都督を代行するようにと命じる。
陸遜は関羽に油断させるための呂蒙の作戦だとすぐに気づく。さらに言う。
「周瑜殿の最大の敵は孔明でしたが、呂蒙殿の敵は関羽。関羽を殺さぬよう呂蒙殿にお伝えください。」
関羽は劉備にとって孔明より大事な存在。荊州を失っても劉備は怒らない。だが、関羽を失ったら孫権は劉備の不倶戴天の敵となってしまう。数か月後、100万の兵はこちらに攻撃してくるだろう。
孫権は蒼ざめる。
「急いで陸口に行き、呂蒙に伝えるのだ、荊州を取ったら堅守して関羽を追撃してはならぬと」
樊城では
守る曹仁の軍と攻める関羽の軍とで激しく戦闘していた。密書で呂蒙が病で倒れて若い書生が代理の大都督となったと知り、油断した関羽は
「わしの言った通り呉など鼠輩だ」と笑い、荊州に残した精鋭部隊1万を樊城に連れてくるよう命令。
夜
川沿いの狼煙台の一つに向かって水の中から呉の精鋭部隊が姿を現す。
その部隊は剣を突き立てて静かに狼煙台をのぼり見張りの兵を殺し占拠する。
狼煙台からの合図を見て商船に潜んでいた呂蒙の軍は荊州に上陸する
曹操軍では、樊城援軍の為待機している徐晃将軍の軍隊の元に傷を負った兵士が駆け込み、樊城の曹仁将軍からの援軍の要請を伝える。
城を包囲されて2か月半、食糧が尽き、鼠を捕まえて食べている。援軍が来なければ人の肉まで食べてしまう事態に。このままだと全滅してしまう。
徐晃は今すぐにでも援軍に馳せ参じたい。だが、魏王曹操の出陣命令が来ない。出陣を7度願っても突き返されてもう20日間も待機している。何度もお助けをと懇願する使者を無理やり追い返す。徐晃将軍は悔しさのあまり叫ぶ。
「武将になりて30年。これほどの恥辱は初めてだ!」
その時魏王曹操が現れる。
「やっと戦機が来た。」孫権から同盟を求める書簡が来た。孫権軍の目的は荊州。すでに呂蒙は荊州に到着している頃だ。
拱手して命令を受ける徐晃
曹操は徐晃に曹操直属の精鋭部隊12万と息子曹彰を託す。
「関羽は天下一の猛将。率いる荊州軍は劉備の最強部隊だぞ。そちに命じる。」
「関羽を討て!全滅させろ!一人残らず斬り殺せ!」
荊州の城では呂蒙の軍が猛攻撃をかけていた。
呂蒙は戦いの場で鬼の形相に。
一方徐晃の軍は関羽の軍の砦を襲う。三度攻撃しても関羽の軍は防戦して持ちこたえる。
徐晃はさらに精鋭部隊をで突撃させ、自ら剣をもち、突撃隊と共に攻撃に走る。
どちらの戦いも激しく恐ろしい殺し合いです。兵士たちの死屍累々とした惨状が広がる。
軍隊に守られながら、戦いを俯瞰してみるものがいた。曹操と司馬懿仲達です。
血はあちこちから川に流れたが喚声は鳴りやまない。曹操は言う。
「恐れを知らぬ軍隊が復活した。この日を待ち続けてきたが髪も白くなった。」
曹操はやはり「乱世の奸雄」なんだと思いました。
徐晃の率いる曹操軍との戦の中、関羽は砦の本陣で馬良を相手に碁を打っていた。
傷を負った武将が東砦が破られたと報告。曹操軍は精鋭部隊で守り切れなかったというと、関羽は怒り、東砦が守れないことを言い逃れしていると処罰しようとするが、曹操軍の数は明らかに多いという。
馬良は徐晃の連れてきた曹操軍は確かに精鋭部隊のようだと言うと、関羽は憤然として言う
「わしが長年鍛えてきた荊州兵こそ精鋭部隊だ!」そして養子の関平に東砦に行き、半刻で徐晃軍を倒せと命令。
そこへ別の武将が駆け込んで、今度は北砦で曹操軍が叫んでいると報告する。それは
「呂蒙が荊州を落とした。早く降伏しろ」と。顔色を変えて立ち上がる関羽と馬良。だが関羽はしばし考えてから笑う。
「虚偽を流して軍心を乱しているだけだ。無視しろ」
荊州は、孫権軍が制圧していた。
荊州の城門の前で呂蒙は祭壇を設ける
「大都督、念願の荊州を奪いました。これで安らかに眠れましょうぞ。」
周瑜が亡くなってから9年。呂蒙はずっと周瑜の想いを心の中に持ち続けていた。
そこへ孫権から伝令が来る(この時、伝令した武将は孫権を「呉王」と呼んでいました。同盟を結んだことで曹操が呉王に上奏したのだろうか)
伝令の内容は「陸遜と荊州を奪い、関羽は追うな。」
陸遜?と呂蒙が見渡すと、陸遜の率いる軍隊がもう見えるところまで来ていた。
呂蒙は東門を閉じて半刻足止めさせておくように命令し、部下の武将賈華に軽騎兵1万と共に関羽を追うことを命令。賈華は「え!」と戸惑う表情を見せるが命令に従う。
「関羽め、傲慢の代償を払わせてやる。」
彼を制止できる周瑜と魯粛は、もういない
関羽の砦の本陣
曹操軍の「荊州は我らの物だ、投降しろ」という怒声が聞こえる中、関羽は馬良と囲碁を打っていた。気が気でない馬良。
「将軍、私は荊州が心配でなりません」と訴えるも、関羽は曹操のいつもの作戦でむしろ曹操軍の樊城が危ないのだと気にしない。
そこへ関平と周倉が駆け込んで来る。関羽は余裕の表情を浮かべ東砦で徐晃を倒したかと聞くと、関平は苦渋の表情で荊州が陥落したと報告。立ち上がり嘘を言うなと怒る関羽に、関平は敗残兵の報告を知らせる。
馬良は悔しがる・・・そうだよね、さんざん荊州が危ないと進言したのに。
関羽は怒りに震わせて
「よくも呉下の阿蒙め」といい、ハッと気づいて言う。
「110の狼煙台があるのになぜ知らせなかった?」関平は呂蒙の軍が商船に潜み江を渡り、守備兵を殺したと報告。なおも関羽は言う。
「南郡の傅士仁や糜芳はなぜ荊州を助けなかった?」関平は答えます
「あの2人は呉に投降しました。」ショックを受け呆然とする関羽。その左腕の傷から再び血がにじみ出て痛みが現れ呂蒙を罵り、兄上に合わせる顔がないと嘆き気絶する。
曹操軍は関羽のいる本陣まで迫る、息を吹き返した関羽は青龍偃月刀を右手に持ち関平と馬良を従えて、迫ってきた徐晃に叫ぶ
「匹夫め!関羽ここにあり!例え片腕でも斬ってくれるぞ!」
徐晃は昔関羽が曹操軍に帰順していた時からの知り合い。徐晃も関羽に叫ぶ
「関羽、不本意だがこれがお前の最期だ。わしを恨むな!」
徐晃の槍が関羽に降りかかり、関羽の武将たちが体の自由が利かない関羽を守る。
馬良は武装してない姿で関羽を守りながら仲間に撤退を命令。
徐晃の軍の本陣では
曹操の息子曹彰は自分が関羽を捕らえると主張。徐晃は
「虎の父に犬の子はなし」と言い、快諾。手柄を立てれば、父魏王の曹彰への評価も上がる。
そこに曹操から関羽を傷つけず殺すなという伝令が来る。
徐晃は命令に従い関羽を追い詰めることを取りやめる。曹彰はどうしても納得がいかず、独断で自軍を連れて出陣しようとすると魏王の軍令は絶対ですと徐晃が止める。曹彰は怒り
「将、外にありては君命を受けざる時あり」といい、止める徐晃に剣を抜いて斬ろうとすると、曹操が現れる。
曹操は徐晃の手を取り曹彰をしかりつける。
「これは誰だ?徐晃だ。徐晃とはわしにとって韓信、白起、周亜夫だ。我らが挙兵した時お前は小僧だった。徐晃一人でそちの10人に匹敵するぞ。」
曹彰は徐晃に謝罪する。曹操は曹彰に言う
「関羽を殺すのはたやすい。だが今殺せば功労ではなく災いとなる。劉備とは硬い絆の義兄弟、殺せば仇討の大軍を招く。なぜこの災いを呉軍に向かせない?大々的に追うのは許すが、100歩以内に近づくな」
・・・赤壁の戦いの後、敗走する曹操を殺すのを押し付け合った周瑜と孔明を思い出しました。
敗走する関羽の軍の兵は1000にも満たない。関羽の髪も髭も白く変わり、一気に老けてしまった。
馬良は混乱した戦いの中で行方不明となり生死もわからない。さすがの関羽も
「わしの慢心のせいで荊州を失った。『一敗地に塗れる』」とうなだれる。が、まだ荊州奪回の気持ちは残っていて、部下の周倉が上庸に逃げることを進言すると
「荊州を捨てるのか!。」と怒る。
その時先に上庸に救援を頼みに行った廖化(りょうか)将軍の部隊が関羽の元にやってくる。上庸を守る劉封に救援を頼んだが拒否され、その不義を叱責した廖化は兵に囲まれ行方不明に・・・。
それを聞いた関羽の左腕からまた血が滲み、血を吐き落馬して気絶してしまう。
敵の攻撃より、味方の裏切りの方がよほどショックが大きい。それはわかる気がします。もう一人、孟達も援軍を出さなかったようです。
関羽達部隊は急ぎ麦城に逃げ込む。
夜に麦城へにげこんだ関羽一行。
城壁の中は廃墟で野外で焚火をして休んでいる。関羽はもうまともに歩けない。周倉は関羽に水を差しだすと、関羽は赤兎馬に飲ませるように言う。
関平は父を励ますように長坂坡の戦いのときはもっと悲惨だったが、そのあと赤壁で大勝利をしましたと言う。関羽は「その意気だぞ」と言うと関平は微笑む。
関羽は傲慢だけど、きっと周倉や関平には素晴らしい主人であり父親なのだろうね。
いえ、呂蒙とだって、もし同じ軍の中にいればお互いを認め合う同志になれたのだと思います。
違う軍の武将に自分の優位をわからせようと思ったのだろうけど、武将は命とプライドをかけて百戦錬磨を生き抜いてきている。だいいち誰よりも自分のプライドを大切にする関羽が相手のプライドには平気で踏み付けていいわけがない。言葉の暴力は深い恨みを生み出してしまった。
関羽は馬良は?と関平に聞くが、関平は曇った表情になる。生死もわからない。関羽はいまさら反省する。
「荊州を離れるなとの馬良の忠告を聞くべきだった。」
おそいよ。馬良はもう、多分生きていない。
城壁で見張りをした兵が四方に敵に囲まれたと報告。暗闇でどこの軍かわからないという。
関羽は言う。
「曹軍ではない。曹軍は北方の馬。いななきが高く蹄の音が軽い。これは南方の馬だ。蹄の音が重い。関平、呂蒙が来たぞ。」
周りの武将は自分たちでせき止めるから関羽に赤兎馬で逃げてほしいと懇願するが、関羽は皆と共に突破することを選ぶ。
関羽達敗残兵は一斉に声を上げ城門を開いて呂蒙の先陣隊に突入し突破する。無事突破したのは12騎だった。
関羽の去った麦城に呂蒙達一行が入る。まだ焚火が燃えていた。彼らはもう3日3晩馬を駆けている。いかな赤兎馬と言えども疲れているから追いつける。
呂蒙の持つ刀がギラリと彼の殺意を表している
その時城外から陸遜の呂蒙を追う声が聞こえる。呂蒙は部下に自分の将旗を持たせ別の方向に走らせ陸遜をまいて、自分は関羽を追撃してゆく。
麦城から二百里走り、関羽達が疲れた馬を休めたとき、松明を持って追いかける喊声が聞こえる。呂蒙達が追いついた。呂蒙は言う。
「関将軍、この時を待っていたぞ。」
関平達武将は、青龍偃月刀を土に刺し目をつぶり座する関羽を守り、絶望的な戦いを挑む。その様子を馬上から冷酷な笑みを浮かべて見る呂蒙。そしてみな死んでしまった。
兵士達は関羽の周りを囲む。
じっと目をつぶり座っていた関羽はゆっくりと立ち上がり、
最後に自慢の髭を撫でてからゆっくりと剣を抜き自刃する。
呂蒙は近づき、一礼して、剣を抜いて首を斬る。
返り血を浴びる呂蒙。
関羽の首を持ちあげじっと見つめ
そして天を仰いで言う
「大都督、私が関羽に勝つといわれましたね。ついにやりました。関羽の首をそなたの御霊に捧げます。」
この大都督は魯粛を指している。だが違う、魯粛はそんな意味で言ってはいない。呂蒙は関羽への怒りと憎しみで正しい判断を見失ってしまった。
陸遜が呂蒙に追いつく。が、
「 你来晚了(遅かったな)。」
219年の冬、関羽は58歳で亡くなります。
荊州に戻った呂蒙と陸遜のもとに孫権から伝令が来る。
「呂蒙は建業へ。陸遜は荊州に駐留せよ。」
功績を祝う陸遜に呂蒙は言う
「やっと夢が叶った。これで赤兎にまたがり関羽の首を携えて帰れる。」
そうだったんだ・・・憎しみと憧憬は表裏一体・・・。
建業の孫権の宮殿では盛大に呂蒙達を迎え入れた。
晴れやかな表情で主君孫権に拝謁する呂蒙。孫権は荊州を取り戻した功績で呂蒙を征西将軍に任じ呉亭侯にするように上奏したと告げる。
呂蒙は「献上したいものがあります」と言い、箱を差し出す。
それは関羽の首級だった。
動揺する孫権。が、作り笑顔で言う
「よくぞ切ってくれた。だが曹操が援軍を出したおかげで荊州軍を破り、我らも大敵の関羽を倒すことができた。」という。そして
「ゆえに関羽の死は曹操の功績とすべきだ、来月五日は曹操の65歳の誕生日。早馬を飛ばしこの首を届けよ。」
孫権が関羽の死を曹操の手柄というのを聞いて呂蒙は少しがっかりした様子だった。
だが孫権に従って祝いの席に向かう。
荊州の陸遜の元に呂蒙が重体となり至急建業に来るようにと孫権から伝令が来る。
急ぎ建業に向かった陸遜。
張昭は孫権の命令で陸遜をまず大都督の見舞いに行かせる。大都督の寝所に入るときに剣を提出させられ、部屋に入ると寝床には布が覆われていた。
陸遜は張昭に挨拶してから
「大都督の病は良くなりましたか?」と聞くと、張昭は自分で見るようにと促す。布をあけると
黒ずんだ呂蒙の死体が横たわっていた。
「お亡くなりに?」驚き聞く陸遜に張昭は答える。
「功績を祝う宴で呂蒙殿は突然発作を起こし全身が痙攣されたその半刻後忽然と亡くなられた。」
陸遜は聞く
「ご主君に拝謁する予定でしたが何のためにここへ?」
張昭は答える。
「そなたは大都督の死にざまを見たくなかったのか?陸遜よ大都督はご主君の軍令に背き勝手な行動を取り呉を危機の中へと導いたのだ。死んだのはまさに天罰だ。」
219年の暮れに呂蒙は42歳で亡くなりました。
張昭は陸遜に向かって更に言う。
「では参ろう。ご主君がお待ちだ。」
長くなってしまった第5部はこれで終わりです。
第4部もつらい内容でしたが、第5部はもっと辛くて物語の中で親しんだ人物が次々に亡くなっていきました。
この第5部はテレビ放送では58話から73話までを第5部として「奸雄終命」というタイトルになってますが、私が見たDVDシリーズでは58話から72話までが第5部になっていてタイトルも「英雄帰天」となってます。
関羽だけでなくいろんな英雄が命を落としたこの第5部を見るとこのタイトルはふさわしいと思いました。
何より、物語の中で大好きになった呉の周瑜と魯粛に続いて呂蒙もいなくなってしまいとても悲しいです。
第3部から現れた呂蒙が少しずつ存在感を増していった訳が分かりました。この第5部で関羽を追い詰めて破滅させる役目を持っていたからだったのですね。
勇ましい姿で情に厚くて涙もろくて、屈折した感情もあり、惹かれる武将でした
呂蒙はドラマでは毒殺されましたが、三国志演義では関羽の霊に呪われて全身から血を噴き出して死ぬという悲惨な死に方をするそうです。これは、物語としては凄惨な美しさもあり、ドラマでも顔を血だらけにしてにやりとする場面に演義とのつながりを感じました。
人形劇三国志ではとんでもない残酷な悪人として描かれてました。
でもこのドラマでは、呂蒙は本来心優しい武人で関羽にも落ち度があったと描かれてます。
呂蒙の、そして周瑜と魯粛の本当の姿が知りたくて三国志正史の呉書を取り寄せて周瑜、魯粛、呂蒙のページを読んでみました。
そこに書かれた三人は
魯粛はほぼドラマのイメージと重なりました。見た目はいかつい人だったそうですが、先を見通す知性を持ち、本当に贅沢を好まず貧しい人たちに自分の財産を分け与えたそうです。
周瑜は以前にも書きましたが、寛大で謙虚で大らかで周りの武将から慕われた好青年で、孔明を殺そうとはしてませんでした。スケールの大きな構想を持つ人物で、周瑜がいたから呉が建国できた最大の功労者でした。
呂蒙は若いころは血気盛んだったけれど、成長してからは冷静で思いやりのある武将でした。面倒見がよく、百戦錬磨の武将でありながら戦争よりも説得で城の陥落を促し何度も成功させています。そして領民をいたわり、慕われました。何よりドラマと違うのは主君孫権にその人柄を心から愛されました。
後に神様になる関羽を追い詰めたことで、それだって孫権軍の総意で任されたのに、呂蒙は物語で誤解される人間像にされたのがとても残念です
彼らは演義では劉備軍の引き立て役になってしまい、ドラマでも周瑜は俺様な人間だったり、呂蒙も最期に冷静さを失っていましたが、本当に素敵な人物だったのです。
このことはいずれ書いてみたいと思っています。敬愛する彼らの本当の姿を記したいので
劉備軍の復讐戦が始まる
第6部へと続きます。
第1部 群雄割拠
第2部 中原遂鹿
第3部 赤壁大戦
第4部 荊州争奪
つわものどもと夢の中
第5部 英雄帰天(前半)
第5部 英雄帰天(後半その1)
こんばんは。
早速、設定を変えていただいてすみませんでした。
遅い時間なのに、本当に有難うございました~。(^_^;)
himariさんも書かれている様に、「三国志演義」って蜀びいきに描かれているので、蜀をもりあげるために、魏も呉も、史実通りじゃなく脚色されちゃってるんですよね。
呉だと、周瑜も呂蒙も、ちょっと描かれ方が気の毒すぎますよね。
史実を知ってもらいたい!っていうhimariさんの気持ちよ~くわかります。
次の天下三分ではまたきつい展開になっていきますので、覚悟して下さいね。(笑)
それと馬良は生きてますので安心して下さ~い。
丑四つ時に寝ぼけ眼でアップしたのでうっかり関係ないところにクイックしてしまって私もよくわかってない機能になってしまいコメントが入れなくなっていてすみませんでした
おかげで気づいて戻すことができてた助かりました
第4部は周瑜に気持ちが入り、その周瑜に尽くす呂蒙に萌えまして、思わず「武将ラブ(略してBL)」なんて言葉が頭の中で踊っていました。はい、本当はとってもミーハーなんです
第5部は華やかな周瑜がいなくなったのがやはり寂しかったです。でも呂蒙と魯粛が仲が良くなって嬉しくなり、そして魯粛も去ってしまう・・・。
魯粛が自分の死を覚悟して今後の対策を伝授する時、じっと眼を見開き見つめる呂蒙はみるみる涙があふれてきて涙をぽろぽろこぼしていく。演じた常铖さんは、本当に呂蒙そのものでした。
そしてドラマを追っていくと、気持ちがこじれた関羽に殺意を持ち執拗に追いかけていき、討ち取った時の鬼気迫る笑顔に普段は優しい武将の非情さを感じ、最後近くに言った言葉に屈折した呂蒙の気持ちに驚きました。
正史の呂蒙は立派な武将ですが、ドラマの屈折を見せる呂蒙もまたとても魅力的でした。
第5部は呂蒙の生きざまを記したくて、そうすると関羽やいろんな事柄もくわしくなり、ずいぶん長い感想ブログになってしまいました。
読んでくださる方にはほんとに申し訳ないです。
更新して1800年前の中国から戻ってきました。
呂蒙がドラマから去ってしまったので今後はもう少し冷静にドラマの行方を記せるかなと思っていたら、第6部もきつい展開なんですか・・・
これはもう
即ち刮目して相待すべし !
あの戦場でもう生きてはいないと思ったのですが、良かったです。またドラマで会える
・・・馬良も弟の馬謖も口ひげを付けたお顔は何となくフレディ・マーキュリー似なんですよね。
画面に出るとつい脳内で「ボヘミアン・ラプソディ」が流れます♪