三国志 Three Kingdoms の第2部に入ります。
曹操軍は呂布軍から奪い取った中原の要地、徐州に滞在。白門楼の中には貂蝉が保護され丁重に対応されるも心を閉ざし白装束のまま食事も拒否。
貂蝉を自分のものにしたい曹操が召使を通じて着替えて酒宴に出席すればどんな願いもかなえると伝えて、やっと応じる。
夫の亡骸の返還と王侯のように手厚い埋葬、そして自分が死んだときは一緒に埋葬するようにと願いを出し、引き取った呂布を川の水で清めてあげる。
そして着飾った貂蝉は幻の夫のために艶やかに舞う。が、曹操が部屋に入ってくるとやめてしまう。そしてきっぱりと曹操は呂布より劣ると言い切る。
「夫は実直でしたが将軍は悪辣です。夫は善良でしたが将軍は腹黒い。夫は情が深く将軍は無情。夫を殺した以上、将軍は夫には遠く及びません」
その時曹操軍では勝利の宴が行われていたが、軍師である荀彧は関係した男を皆不幸にする貂蝉が曹操を誘惑するのを懸念して許褚をそそのかし貂蝉を殺しに行かせるが、許褚が白門楼に着く直前に貂蝉は曹操の目の前で自刃した。
荀彧の貂蝉に対する見方は男たち全般の見方なんだろうなあ。彼女はただ養父に言われてお国のために董卓の愛人になって必死で呂布との仲を裂いただけなのに。呂布が死んだのは呂布自身の問題だし。男たちは女を道具扱いし、男の都合が悪いと悪女呼ばわりして・・・。
少なくともこのドラマでは貂蝉は筋の通った女性として描かれていて、完璧に曹操を拒絶する。
名馬と名高い赤兎馬に乗り、武勇を誇った呂布と美女と謳われた貂蝉は、さらに400年前に名馬の騅にまたがりやはり武勇を誇った項羽と虞姫を思い出します。呂布と貂蝉の間には確か娘がいたはずだけど・・・どうなったのだろう・・・
曹操軍が呂布を倒して征服した徐州は呂布が占領する前は劉備が先代の徐州牧(徐州の知事のような立場)である陶謙から懇願されて引き継いでしばらく任務していたので、曹操は形式的にそのまま徐州牧にしておこうと思うも、徐州の民はすでに劉備の善政をとても慕って曹操に再び劉備の統治を陳情するのを見て、恐れを感じる。短期間ですでに民衆を味方につけてしまった。このままでは劉備に徐州を本当に乗っ取られる。
それで曹操軍が許昌に戻る際に劉備を、皇帝に挨拶する名目で同行させる。関羽と張飛も後から許昌に呼び出される。
許昌改め許都の宮殿で献皇帝に謁見すると皇帝は同じ劉家で皇族の血をひくものだということに感激する。
同族意識ってつよいんですねえ。皇室に末裔までしっかりと家系が記されているというのも驚きました。だからこそすっかり庶民になっても漢皇室の血筋にこだわるのね。献皇帝は劉備を劉皇叔と呼び左将軍の宜白亭侯の称号を与える。
そしてこっそり劉備を宮廷に呼び、だれも盗聴しないように厠で皇帝は曹操の横暴と自分の窮状を訴える。曹操はいずれ献皇帝を排して自分が皇帝につこうとしている。涙ながらに劉備は曹操を倒し漢皇室の復興を誓う。
あてがわれた住居に関羽張飛と一緒に用心深くこもってるときに曹操から呼び出しが来る。
緊張して参じる劉備に曹操は梅の鑑賞にさそい英雄談義をする。
曹操は終始ご機嫌でいて、劉備は曹操討伐を胸に秘めながらもまったく表情に出さず穏やかに熱弁に聞き入る。曹操はこの世に英雄と呼べるのは二人だけ・・・自分と劉備だけだと言う。
話が進み曹操は劉備も気づいてない内面を突く
「劉備よ、わしにとって仁義は単なるお題目だ。されど悟ったのだ。そなたにとって仁義は単なる世間の評判だけでなく人を殺す武器なのだ。
そなたは2本の献を持っている。1本は仁の剣、もう1本は義の剣。この2本の剣があれば英雄になれる。」
一瞬顔色を変え箸を落とす劉備。図星だったのかもしれません。話を替えるため劉備は聞く
「勘違いでなければ丞相は私を何度も殺そうとしました。なぜ生かしたのです」
曹操は「いい質問だ」言い上機嫌で答える
「本音を言おう。第1に惜しいからだ。古より英雄は英雄を敬愛する。第2そなたは英雄だが活躍の場がない腕を振るえぬ英雄はわしにとっては無害だ。ゆえに賓客のごとく扱い青梅を肴に酒を煮て英雄を論じるのだ。」
曹操も劉備に惹かれていたんだね。これが二人がさしで向かいあう最後となり、しっとりした情景で穏やかな中にも不穏な雷鳴がなってました。
数日後、曹操は油断して袁術討伐に劉備が軍の一部を借りて出兵するのを許してしまい、あとで挙兵のチャンスを与えてしまったことに気づくが深追いはしない。
歯がゆく思った軍師の一人の程昱が荀彧に相談を持ち掛けたとき、荀彧が言った言葉が印象的でした。現在の彼らのお国もそんな感じがする
「君主とは、 過ちを知り改めるが非を認めぬもの。決して認めてはならんのだ」
劉備軍は袁術を討伐した後、曹操軍の部下を使って戦わずに徐州を奪う。その知らせを聞いて曹操は倒れてしまう。頭痛を発症。
倒れた曹操に、対立する袁紹が部下に書かせた檄文が届く。それは曹操をこき下ろす悪口三昧だったが、曹操はその名文に目を見張り一気に生気を取り戻す。
曹操は改めて部下の文官武官を招集して、今や最大勢力となった袁紹軍と戦うか意見を聞く。和睦を提案する文官を遮って、軍師の荀彧はきっぱりと言う。
「私が見るには袁紹の10敗、ご主君の10勝。
袁紹は儀礼を好むが 丞相は自然体を好む これ「道」の勝利
袁紹は逆賊 丞相は順臣 これ「義」の勝利 ・・・(曹操軍は天子を保護し奉っているので官軍となる)
袁紹は寛で 丞相は厳で統治 これ「治」の勝利
袁紹は人を疑い肉親を重用 丞相は明察鋭く才能を重視 これ「度」の勝利
袁紹は優柔不断で 丞相は即断実行 これ「謀」の勝利
袁紹は虚名を好み 丞相は誠実に接する これ「徳」の勝利
袁紹は遠近とも疎か 丞相は隅々に配慮 これ「仁」の勝利
袁紹は偽を 丞相は真を信ずる これ「明」の勝利
袁紹は是非を混同するも 丞相は法で裁く これ「文」の勝利
袁紹は数頼みで兵法に疎いが 丞相は神のごとく兵を操る これ「武」の勝利
これで袁紹は10敗 丞相は10勝となります。」
荀彧の言葉に曹操は眼光鋭くなる。
いまだ曹操は病身と思っていた皇帝の腹心の重臣董承は、侍医吉兵と相談し曹操の毒殺を図るも失敗。血判状を見つけ曹操討伐に劉備も名を連ねていることを知る。
冷酷な曹操は見せしめに董承の娘で身ごもっている董皇后を皇帝の目の前で絞殺。
その直後に自分の娘を皇后にさせる。
震えて涙するだけの献皇帝。これで心を割って話せる人はいなくなってしまった。
なんでこんなみじめな思いまでして皇帝でいなくちゃいけないのだろう、なんて思ったけど、あの時代、秦が始めて統一し十数年のちに前漢・後漢合わせて約400年も続いたから漢皇室以外の皇帝は考えられなくて、むしろ周りの人間が飾りだけでもいるのが収まりが良いと残しているのだろう。でも、もうすっかり末期で有力な武将は皇帝の座をとってかわろうとしている。
そして劉備軍がいる徐州を奪い返すため曹操軍は進軍。劉備は袁紹軍に連合して曹操を討伐するよう働きかける。実際、本拠地の許都が手薄になってしまっている。袁紹の軍師の許侑は劉備軍からの要請に納得し千載一遇のチャンスと袁紹に働きかける
が、小さな息子が病気になり、挙兵を拒否。袁紹軍が勝つ最大のチャンスを逃してしまう。
劉備軍は敗北し壊滅。劉備は一人はぐれてしまい絶望して身を投げようとしているところを袁紹軍の許攸が見つけて冀州に袁紹軍の食客として招待する。
関羽は徐州の地方の城の下邳で二千の兵をもって劉備の妻たちを守っていたが、負傷してやってくる劉備軍の兵士から敗戦と劉備と張飛の行方が分からないと知らされて、関羽は部下の孫乾が必死で止めるのも聞かず城から出てやはり曹操軍に敗退。
曹操軍は帰順を促し、関羽は夫人たちを守るため、劉備が見つかり次第出奔することと曹操軍ではなく漢皇室に帰順することにして投降。
曹操はすごく喜んで関羽を喜ばそうと称号を与え、様々な贈り物をして、ついには呂布から奪い取った赤兎馬を与える。他の物には喜ばなかった関羽も赤兎馬には破顔。
「兄上の行方を知りえた時1日で会いに行けます」
曹操がどんなに思いを寄せても関羽の心はつかめない。
そしてこれで赤兎馬に乗り、巨大な青龍刀をもつ関羽の姿が完成された。
関羽は白馬の戦いで曹操軍のために袁紹軍の武将顔良と文醜を倒す。劉備は関羽が曹操軍にいることを知る。袁紹は激怒して劉備を処刑しようとするが、劉備が関羽を袁紹軍に呼び寄せると約束し、手紙を書き密かに関羽に届け、劉備の安否がわかった関羽は曹操軍を去ることを決意。
曹操は関羽の心を変えることはできないと悟り見送る。劉備と関羽の深い絆を実感し、曹操は悲しそう。一人駆け出して見送ります。
単騎、千里を走る
…といっても赤兎馬に乗る関羽と劉備の夫人2人が入ってる輿馬車に御者と孫乾も同行。劉備がいる冀州まで千里を旅します。
途中何度も関所で番兵と戦い、夜は眠る夫人たちの番をして関羽は全く休まない。部下の孫乾は心配します。
その孫乾がいい感じなのです。
孫乾(そんけん)公裕
派手な存在ではないけどしっかりしていて判断力もあり、人懐こい笑顔が爽やかでした。孫乾は関羽を尊敬していて補佐し、関羽も孫乾を信頼し決して傲慢な態度などしない。そんなところに関羽の人間的な大きさを感じます。お互い尊重しあう関係なのが見ていて気持ちいいです。関羽も苦しい旅に励ましあい、助け合う部下がいてずいぶん救われたでしょうね。
そして一行には山賊の周倉が関羽を慕い部下になりたいと願い加わります。
張飛は盗賊となって冀州に向かう途中にある古城を占拠し支配し乱暴で好き放題の日々を送ってました。弱い部下をすぐ怒鳴るし、すぐ殴るし。この人に有能な部下はつかないだろうな。気分屋で横暴で人を見下すから。それに張飛の上に立つ者が悪人だったらきっとあまり考えずに悪の手下になってしまいそう。張飛の乱暴さは笑えるシーンのつもりで誇張してるかもしれないけど、困ったやつだ。こういう扱いの難しい人を制御できるのはきっと劉備と関羽だけなのだろうね。
張飛は義兄弟の安否を探らせたが関羽が自分たちが討伐しようとしてる曹操軍にいて袁紹軍の武将を倒したと報告され激怒。
関羽と再会できたのに刃を向けていく。が、誤解が解け二人は肩を抱き合う。
一方劉備が身を寄せている袁紹軍は当時最大勢力。広大な領地は肥沃で兵糧も十分にあり70万の兵を持ち、名だたる軍師許攸・田豊・郭図もそろっている。が、軍師たちは意見が分かれてけん制しあってる。
袁紹(えんしょう)本初
名家の出身。董卓討伐連合軍の時もリーダーとなった。慎重で勝ち目を確信しないと動かない。反対に確信できると行動力を発揮するという。このドラマでは優柔不断で気分屋でそれぞれの軍師たちの意見ごとに気が変わってコロコロと命令を変えてました。目の前の小事で大事を見失う袁紹の性質を曹操は初めから見抜いていた。
軍師たちのうち郭図の意見は表面的でそれほどではないので、実際に火花を散らしたのは許攸と田豊でした。
許攸(きょゆう)子遠
袁紹軍の軍師の一人
袁紹軍古参の軍師で敵軍の状況を冷静に判断して、的確な意見を述べていました。袁紹軍の軍師の中でも一番才気がありますが、偉そうにしゃべってしまう。それで味方にも敵を作ってしまうのかな・・・。許攸と田豊は意見が合わず反目しあいます。この人の采配を信じて的確に戦えば、袁紹も曹操に勝利してたのではと思いましたが・・・袁紹はいざ大きな決断をするときに迷い許攸の意見を退けチャンスを逃します。はがゆく悔しがり嘆くあまり主君をけなしてしまう許攸。そのために棒うちの刑にされてました。
でも、劉備は許攸を評価していました。許攸も劉備に歯がゆい気持ちを打ち明けてました。
許攸は国力が充実して軍隊の士気も高まっている今、けが人や病が発生して兵力が落ちている曹操軍と戦うべきと主張。やはり田豊がもっと国力を上げてから戦争すべきと真っ向から反対。困った袁紹は劉備に相談する。劉備も軍隊を駐屯したまま戦わないのも撤退するのも曹操を有利にさせると進言。やっと戦うことを決心する。
そのころ関羽が冀州の近くの古城まで来ているとの知らせが来て、関羽をわが軍に迎えられると喜んだ袁紹は劉備に急ぎ迎えに行って連れてくるよう命じる。それを聞いて許攸は行かせてしまうと帰らないと助言すると袁紹は「小人の心で君子の腹を量るな」とけなす。
城門で許攸は劉備を待ち構える。劉備はやはりもう戻らないと言う。袁紹は武将として暗愚で、このままいても命の危険さえ感じるという。その気持ちを受け取り、では荊州の劉表に袁紹軍との同盟を働きかけてほしいと頼む許攸。それは劉備も望んでいることだった。
劉備は許攸に同行を誘う。が、許攸は答える「一滴の水の恩に常に湧く泉で報いん」自分を重用してくれて長い年月お仕えして、あの主君のもとを離れるのは忍びないという。許攸は袁紹をとても慕っていたのですね。
この時劉備と一緒になっていれば・・・と思うのですが。
曹操との天下分け目の戦いの前にきびきびと決断を下す袁紹に許攸は「ご主君は一旦頭が回ればどの諸侯よりも聡明だ」と嬉しそうでした。
さて関羽と張飛は砦で趙雲と再会。趙雲は壊滅した公孫瓉軍の兵馬を集めてきていた。そして趙雲と兵が駐屯していた砦の主の関定に歓待される。関定は息子関平を関羽に預けることを申し出る。同じ関家の血筋であるし当時息子のいない関羽は趙雲の勧めで関平を養子にする。
関平(かんぺい)定国(字の「定国」はこの物語でのものらしい)
その場で劉備が(張飛が支配していた)古城にいると知らせが来て一同は急ぎ古城に戻り再会をする。
三兄弟は泣きながら抱き合い、
趙雲はそばでその様子をしみじみと見つめていました。本当は自分もその輪の中に入りたかっただろうね。そうそうその場に孫乾もいたよ
劉備は「今日我ら四兄弟は古城の桃園にて相まみえた」という。趙雲も兄弟に加えられてよかった(^_^)。
そして袁紹軍はいよいよ曹操軍と官途の地で戦うことになる。袁紹軍70万対曹操軍7万。圧倒的に袁紹軍が有利。袁紹は大掛かりな祭壇を設け神に祈り、早くも勝利を確信し歴史を作る戦争だと檄する。
一方曹操も改めて文官武官を集め戦いの是非を問うと、荀彧は短期決戦を強く主張。曹操も7万の精鋭部隊でまったく負ける気がしないと宣言する。
官途の戦い
戦いの日、曹操は両軍向かい合う中間にお茶席を設け袁紹をお茶に誘う。勝利を信じる袁紹は油断して許攸が止めるのも聞かず誘いに乗り、時間稼ぎの計にまんまと引っかかり、曹操軍に密かに囲まれる。時間が経過し曹操軍の後ろに夕日がまぶしく傾いたとき、許攸は図られたと悟り急いで袁紹を連れ戻したがもう遅かった。曹操の思うつぼで戦いが始まり、まぶしい夕日を背に襲ってくる曹操軍に太刀打ちできない。後方からも敵が攻めてくる。
巨大なとげのついた戦車がせまり、馬車と馬車がぶつかり合い宙に飛び散るすさまじい場面でした。戦局が読めずひるまず戦えと檄を飛ばす袁紹に危険を感じた許攸は撤退を進言し、無理やり馬車から降ろすと間髪を入れず馬車に矢が飛んできてすんでのところで命拾いする。
敗走する袁紹と少数の兵隊に劉備軍が助けにきて曹操軍を防いであげて、これまでの恩に報いる。
主君がもう少し賢明だったら許攸の言う通りで勝てた可能性も大きいけれど、袁紹はそうではないのでいずれ負ける運命ならば田豊の言うように戦いの時期を引き延ばす方がましだったのかも。結果論になりますが。
敗戦したがまだ余力のある袁紹軍。曹操軍を偵察し勝機があると許攸は確信したが、この期に及んで田豊の意見を取り入れようとする袁紹に焦り嘘を訴えて田豊は獄死。田豊も心から主君を思う忠臣で悲運の人だった。許攸も田豊のせいで曹操と通じていると疑われ重罰を受けることになり、失意のうちに袁紹軍を去る。
曹操は進退を悩んでいた。兵糧が殆どなくなりこのまま戦いが続けば自滅する。撤退を意識して許都にいる軍師荀彧に相談の手紙を送ると、荀彧は逆に絶対に撤退してはいけないと返信する。
そんな時、許攸は曹操軍へと向かう。曹操は裸足で駆け出して許攸を迎え「よく来てくれた」と肩を抱く。これまでの主君にそんな暖かい対応をされてなかった許攸は涙する。
これが決定的になりました。袁紹軍を熟知した許攸の案内でまず兵糧基地を襲い、食料を得た曹操軍は勢いを増し、逆に袁紹軍は深いダメージを負う。そして袁紹の三人の息子たちの跡目争い。
袁紹は「なぜ天は曹を助け袁を助けぬ」と悲痛に叫び吐血して倒れる。
袁紹軍は曹操軍との抗争というより内部崩壊で壊滅したのです。
そして許攸は勝利後、有頂天になって自惚れて曹操の若い頃のあだ名を連呼して悦に入っていると、腹を立てた曹操軍の許褚が、同じ許姓だけに許せないと殺してしまう。曹操は大げさに怒り狂い、体裁を整えるのみ。彼は利用されてお払い箱にされたのです。
・・・もし、あの時劉備と同行していたら、才能を発揮できたかもしれない。でも張飛とうまくいかなそうだし、やはり難しかったかな。
才能があり精一杯主君のお役に立ちたいと頑張ってたのに、主君に恵まれず、同じ軍の軍師同志でも足の引っ張り合いで発揮できない。癖のある人物ですが、このドラマは同情的に描いてました。世の中には才能があっても不遇をかこつ人が多い。中国ではさらに厳しいのかも。この人も心に残りました。
事実上最大勢力となった曹操は袁紹の本拠地に入る。袁紹の命令で曹操への激しい悪口の檄文を書いた陳琳を捉えつれてこさせるが、むしろ文才を認めて「そなたの才は人を追い詰めも喜ばせもする。今後は政や史書などの分野で欠かせない」といい住居と収入をあてがう。「もちろん臣下にならんでもいい。いい詩文ができたら最初にわしに読ませろ。それを読むのを楽しみにしている」
陳琳は感激し涙ながらに帰順する。
曹操軍の官吏が敗退を想定して袁紹に取り入る書簡が多数見つかったが、曹操は「わしはもっとへつらった文を袁紹に送った」と一切を不問にして読まずに焼き捨てる。
冷酷さと寛大さと二面性を持つ曹操。自分に不都合なことをされてもその才能を認める器の大きさに感心しました。陳琳も官吏たちも、曹操に一生尽くすだろうね。
劉備軍は荊州に行くが、もう連合する袁紹は壊滅したと知る。荊州の牧の劉表は同じ漢皇室の末裔で同族であるよしみで身を寄せたい。その意向を知らせ様子を見る役目を孫乾は自ら希望して荊州に向かう。
劉表景升。年を取り病気がち。軍隊は後妻の蔡夫人の弟蔡瑁(さいぼう)が実権を握ってる
孫乾は劉表に曹操が次に狙うのはこの荊州。戦禍は遠くない、そのために猛将を抱える劉備軍がお助けしたいと力説。
孫乾を一度退出させ身内で検討すると将軍の蔡瑁は孫乾の首をはねて曹操に渡しておもねることを進言。それに対し長男の劉琦はそんなことをしたら荊州を滅ぼしてしまう。同族同志助け合うことを進言。うん、曹操はみみっちい裏切りをする人が大嫌い、火に油を注ぐことになるよね。
蔡瑁(さいぼう)徳珪
蔡瑁は第1部でも袁紹におもねるため劉表に孫堅軍をだまして裏切ることを進言して孫堅を殺した人でした。
孫乾を呼び戻し、劉表は「そなたの首をはねて曹操に渡すという意見が出てるがどう思うか」と聞くと孫乾は一笑します。
「この首で荊州の太平が得られるのならば喜んで差し上げます。しかし曹操の心はこんなものでは動きますまい。『まだ兵を出していないのに恐れをなして首を送ってきた。もし軍隊を進めれば劉景升は投降する』と。来年出陣する気だったとしても私の首が届けば前倒しして攻めるでしょう。」
そして自分の首を斬れば敵が二人になることを指摘。劉表が二人目を聞くと
「ご推察の通り我が君主劉備です。友誼の死者を殺せば相手に恥をかかせることになり劉表殿はただでは済まないのでは」
劉表は感嘆して「劉備殿にそなたのような義士がいるとは」というと孫乾は誇らしげに答える。
「多くの義士がいます」武将の名前をたくさん言い「50人ほどの義士の後に私のようなものが続きます」
孫乾グッジョブ!さすが関羽も認めてる人材。交渉は成立して劉備軍は荊州に。
でも劉表はただ荊州の平和と安定を望んで漢王朝のために曹操と戦う気はない。劉備たちは荊州の要地新野で駐屯し曹操の攻撃に備える。
劉備は50歳に近くなってもまだ戦いに勝ったことがなく何も成しえてない自分のふがいなさを涙する。
蔡瑁と姉で劉表の後妻の蔡夫人は劉備が邪魔で命を狙い始める。
ある日劉備が自分の馬を引いて街を歩いていると名馬だと話しかける男がいた。この馬は的盧という凶馬で近いうちに乗る人に厄を及ぼすとその男は言う。自分に厄が降りかからないようにするためには対立する人に一時的にあずけその人か厄を被った後取り戻せばいいと言う。劉備は「人を害して己を利するなど論外です」と答えるとさすがは劉備殿とにこやかに去っていった。
そして厄が降りかかってくる。蔡瑁が兵士を連れて劉備を殺そうと追いかけ劉備は必死で逃げていくも、渓谷の川にはまってしまう。
絶体絶命の時、的盧は川を飛び崖を上っていき劉備を救う。逃げ延びた先にはひなびた草庵があり琴の音が流れてくる、劉備は馬をとめて庵を訪ねてみる。
そこには儒者の水鏡先生が住んでいて、劉玄徳を名乗ると劉皇叔と気づく。いつも思うのですが広大な中国でどうやって皇帝や武将の情報が飛び回ってるのかなと不思議です。
劉備は近くの渓谷から馬が駆け上がり追っ手から逃れ命拾いしたことを話すと、そこは”檀渓”というかつて楚の項羽が秦の投降兵30万人を殺した場所で多くの英雄の霊魂の宿るところであるという。
劉備は天意を感じる。「遂に天命の帰するところあり渓中の竜天に向かって飛ぶ」
水鏡先生は劉備軍には天下を俯瞰して戦略を抱く軍師が必要と教える。迎えるべき軍師は・・・「臥龍か鳳雛ならどちらか一人で事は足ります」だが所在が分からない。
その夜、草庵を尋ねるものがいた。洞察力のある話に感心してもしや水鏡先生の言っていた人物では?と姿を見に行くと、違う人物で
的盧の話をした、徐庶(じょしょ)元直だった。
後ろにいる水鏡先生は徐庶の人柄のよさと才能を認めていた。
徐庶は的盧の会話で劉備が仁義の人だと確信したのだった。そして劉備が駐在する新野では早くも劉備の善政で民が喜んでいることも確認していた。
劉備は徐庶を軍師に招聘し、そのことを水鏡先生も喜んだ。「2人が知り合い天地が光り輝いたようだ」
徐庶は将軍たちを集めて御廟会議をする。
曹操軍はいよいよ荊州を標的に動き出す。最初に攻めるのは劉備軍のいる新野。曹操の先方隊の役目を分析して説明、新野に軍隊が到着する予想日数を計算。
だが、劉備が連れてきた武将でもない徐庶に関羽と張飛は不信感をもつ。特に張飛は見知らぬ人をあからさまに見下すのだよね
果たして曹操軍は曹仁を大将、李典を副大将に任命し5万の兵を挙兵。徐庶の予測より少し早く到着し新野の近くの樊城を拠点にする。
曹操軍の曹仁は軍功を早く上げたくて曹操の支持を待たず目の前に陣を作り劉備軍のいる新野の門に向かって挑発する。
その様子を少し見て徐庶はこれから対策を立てるといい、劉備とお茶を飲みに誘い建物に入り樊城に生えている霊芝の話を呑気に喋っている。じれた関羽、張飛、趙雲が早く対策をと迫ってくる。
徐庶は机の上の碁石を並べて穏やかに説明。曹仁の作らせた陣は「八門金鎖の陣」といい、曹仁の欠点や陣の弱点を知らせ、そこを攻めれば勝てると指摘。
関羽と張飛が先陣を申し出るのを退け後方隊に任命し、徐庶は趙雲に陣の突破をする先方隊を任命。
これは徐庶の外連味と鋭く冷静な人となりが生きて面白かったです。おそらく、すでに戦法は決めていて、関羽、張飛、趙雲たちがやって来ることを見越してたのだろうね。そして劉備軍の軍師として初めて采配を振る戦いの重要な先方隊には、不信感を表に出してた関羽や張飛ではなく趙雲にしたのもよくわかります。
新野の門が開きいざ八門金鎖の陣へ
先頭を駆けるのは白馬に乗った趙雲!
うおお!かっこいい!!
厳しい戦いを見事に果たし陣を壊滅させ関羽張飛も後方から攻撃し勝利する
劉備軍初めての勝利!劉備軍は喜び張飛も関羽も徐庶の凄さを実感
めったに見られない張飛尊敬のまなざし☆
さらに徐庶は夜の攻撃を予想。穏やかな口調ながらてきぱきと武将たちに指示する。
次の朝、将兵が入れ替わり勝利を報告し、最後の将兵は関羽が劉備と徐庶に捧げるために自ら採った霊芝を運んできた。
初めての完全勝利。その立派な霊芝を見た劉備は感極まり涙ながらに、恐縮する徐庶に感謝する。
「先生は曹軍を倒し漢を起こす自信ももたらしてくださった」
曹仁と李典は敗走
さてその曹仁(そうじん)子孝
曹操の従弟だそうでドラマの最初から曹操のそばにいました。なぜかお顔に既視感があるのです。
その曹仁の役者さんを調べたら洋光(ヤン・グワン)という俳優さんだそうです。んん?洋光といえば2年前に鑑賞したドラマ「大漢風 項羽と劉邦」に出てきた劉邦の古くからの友人で唯一品のある蕭何を演じた人は陽光(ヤン・グワン)と資料に書いてありましたが、なんとなくお顔が似てるのですが・・・。姓が同じ読みですが、たまたま日本で紹介するときにどちらかの字を間違えたのか、それとも別人なのか・・・
そのうえとてもパンピンアイアンなんです
びっくりマッチョ(@_@;)
許都では曹操は敗走した李典から劉備軍が軍師徐庶を得たと報告される。荀彧にどれほどの実力かと尋ねると荀彧は「私の何倍もの実力です」と答える。曹操が「嘘を言うな」というと「では私の何十倍と言い直しましょう」と答える。
本当に優秀らしい。劉備軍が軍師を得たら危険だ、そして有能な人物ならわが軍に欲しい。そこで策を立てる・・
新野では徐庶のもとに母からの手紙が届き、曹操軍に捉えられ牢に入れられて助けを求めていた。劉備は曹操は母親を牢に入れることはしない人物だと指摘するが、母思いの徐庶は泣き、今すぐ旅立つことを決心。
劉備は悲しみ、徐庶と手をつなぎ途中まで見送り二人は断腸の思いで別れる。徐庶の後ろ姿を見つめながら劉備は涙ながらに部下に「前方の木を明日すべて切り倒せ、徐庶の姿を遮った」と命じる。
・・・がしばらくして徐庶は戻ってきて「言い忘れたことがあります」といい、陸中の山野に諸葛孔明が住んでいて、その人物は森羅万象に通じた天下一の軍師であり、臥竜岡に住むので臥竜と称していると知らせる。そして劉備に彼を軍師に迎えることを勧め、今度こそ去っていった。
さて江東では孫策が領袖となり親友周瑜の協力で軍を強くしていき、袁紹軍と戦う曹操軍を打ち倒すことを狙っていた。
ある日孫策と周瑜と部下たちが竹林に馬に乗りながら入ると琴の音が聞こえ心惹かれる。
音感のいい周瑜は一音間違えていることに気づく。
孫策と周瑜の二人は後日竹林の奥の喬国老邸を尋ね琴を弾いた人を尋ねると、琴をたしなむ娘が二人いてどちらが弾いたのかわからないという。孫策の提案で二人の娘に琴を弾いてもらってあの日に弾いた人を当ててみることにした。二人の娘は姿が見えないところで琴を弾いた。最初は姉の大喬。あの時とそっくりな音色だった。次に妹の小喬。流麗で巧みな音色だった。
喬国老が二人の娘を紹介すると孫策と周瑜は美しさに心奪われる。・・・やがて孫策は大喬を周瑜は小喬を娶った。
だけど、袁紹との戦いが終わったころ曹操が拡げてみた勢力図には孫策の名はなく代わりに孫権の名前が書かれていました。
話は戻って許都についた徐庶を曹操はよろこんで迎える。母は牢に繋がれてはいなかった。そのうえ助けを求める手紙など書いていなかった。
母は仁徳のある劉備にお仕えしてうれしかったのに、なぜ悪名高い曹操の策に騙され離れてしまったのかと責め、絶望のあまり自殺してしまう。
・・・確かに偽の手紙を見破れず曹操の罠にまんまとはまったのは徐庶の失敗だったけど、それは母思いの優しい性格故の事だもんね。
そんな息子の気持ちをこんな形で仇にしなくても・・・と私は思うのですが。乱世で生きるにはもっと用心深く冷徹に判断しなくては生きていけれないと知らせたかったのだろうか。
徐庶は許都にいて、一切曹操軍に進言しなかったそうです。新野には戻れなかったのかな。劉備たちは歓迎してくれるはずだけど関所があるもんね。曹操が呼び出して向かうのとは関所の対応も違うだろうし。
人柄もよく、主君に恵まれ周りの武将達にも好かれていたのに、計略に引っ掛かって才能を発揮できないとは。それも優しい性格を利用されたとは。世の中は本当に厳しい。
でも、徐庶は劉備軍の運命の分岐点で出逢い彼らの運気を上げる役目を果たしたとおもいます。短い間だけど見事な采配でこうやって史実に残った印象に残る人物でした。
英雄豪傑よりも物語の流れの中で浮き沈みする脇役の人々に焦点を当てたくて、結果長くなってしまいました。そして、劉備の人間的魅力を徐々に感じる事ができました。
第3部に続きます☆
第1部 群雄割拠
第3部 赤壁大戦
第4部 荊州争奪
つわものどもと夢の中
第5部 英雄帰天(前半)
第5部 英雄帰天(後半その1)
第5部 英雄帰天(後半その2)
初めまして。コメントいただきありがとうございます(*^^*)
そう、三国志自体がとても面白い物語ですが、このドラマは一人ひとり丁寧に描写されていて、完全な善人も悪人もいなくて、戦いもリアルで、まるで目の前で英雄たちが策をめぐらし、戦い、そして悩む姿を見ている気持ちになります。
全部で95話ありますが、見ると引き込まれて長さを感じませんでした。よろしければぜひドラマを鑑賞してみてくださいね。
きっと師子乃さんの心に共鳴する人物に出会えるのでは
洋光さんと陽光さんは、別人なんですか。そうなんだ蕭何はたしかにおとなしそうで体格もごく普通でしたもんね。一時、同じ人かしらと思ったときはあの着物の下にあんな筋肉が入ってるとはΣ(・ω・ノ)ノ!とびっくりしましたが、お名前も違うし別人でしたか。う~んそれにしても混同しやすい名前だ
おかげさまで消化不良の疑問が解けました。ありがとうございます
主役レベルの英雄達だけでなく、あらわれては消えて行く、様々な人物達の姿にも心魅かれるんですよね
本当にそうですね
少数の英雄が歴史を残すのにどんなにたくさんの人が支えたり淘汰されたのだろう。その人たちも自分の物語を持っているのが書きたくなったのです。この第2章では貂蝉、孫乾、許攸、徐庶がそうでした。・・・がそうするとやはり文章が長くなってしまいました。
私は、昔は諸葛孔明がいいなと思ってましたが、そのあと趙雲のファンになったので「レッドクリフ」ではもう趙雲様のかっこよさに感涙してました。
悪の親玉みたいな曹操はそんなに好きではなかったのですが、このドラマでは皆が勇気を出せないことに一人実行したり、冷酷でもあるけど、人懐こさや時に温かさも感じ清濁併せ持つ魅力を感じました。曹操軍も悪の組織みたいに冷たい雰囲気ではなくて、人間関係もよく活気があり何より曹操を慕っていて雰囲気がいいのも新鮮でした。演じる陳建斌さんがもう曹操そのものに思えてます。
曹操はやはりすごいですね!そして第2部の終わりに白馬の騎士の趙雲のかっこよさにまたときめきました。ヨーロッパの中世の騎士にも遜色ない、いやもっとかっこいいかも。
なので、今お二人がお気に入りになりました
第3章で現れる孔明はどんな印象になるのか、これから見るので楽しみにしてます♪
第2部の記事、楽しく読ませていただきました。
すごく丁寧な記事なので、読みながら私も2部のストーリーや、あのシーン、このシーンと思いを馳せさせられました。
「三国志」はhimariさんもおっしゃってる様に、主役レベルの英雄達だけでなく、あらわれては消えて行く、様々な人物達の姿にも心魅かれるんですよね。
あ、それと曹仁を演じてる洋光さんは、「大漢風」の蕭何の人とは別の方みたいですよ。私もあの後ろ、百度とかで調べてみたけどやっぱり顔が違うし、フィルモグラフィーも違ってたので恐らく別人みたい。
「三国志」は語ろうと思えばいくらでも語れますが、とにかくこの物語は曹操ありきで、曹操がいないとはじまらないんですよね。
私自身は蜀贔屓で、諸葛亮が一番好きなんですが、一番凄いのは曹操だと思います。
素晴らしい記事を有難うございます!