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タイ ~仏の国の輝き~ 展

2017-07-12 01:01:45 | 一期一絵


夜には台風がやってくるかもと言われた湿っぽい7月4日初日に鑑賞してきました。後からその日はタイ舞踊も館内で披露されたと知り、見ればよかったとちょっと残念(涙)行く前にトーハクのホームページを見て確認すべきでした。
でも、会場内はありがたいことに座るところがあちこちにあり、比較的人もすいていて、何度も足を休ませながら時間を忘れてゆっくりじっくり鑑賞できたので良かったです。
幸い雨にも降られずに、湿った空気がまるで熱帯雨林の国タイのようで、天候もまた趣があるように感じられました

タイといえば仏教の国というイメージが強いです。それも日本とは違う上座仏教(上座部仏教ともいう)。僧侶の姿、お寺の雰囲気が日本と随分違う印象を受けます。
そして仏像も。その違いを感じながら鑑賞したいと思いました。
日本とタイの修好130周年を記念し、タイ国のとても重要な作品が展示された大規模な展覧会。とても楽しみにしていました♪

東京国立博物館の平成館に入ると

そのままエスカレーターに乗って2階の会場にいきたくなるところをちょっと我慢して、入ってすぐ右側にあるコーナーで展覧会の説明の映像が鑑賞できます。その映像に流れるタイの音楽が心地いい。
そして会場へ


第1章 タイ前夜 古代の仏教世界
13世紀にタイ族が建国する前はタイ国土とその周辺の地域でモン族やクメール族など複数の民族が国を作っていたそうです。
仏教は5世紀に入ってきたそうです。
その現れては消えていった文明が残した遺物、ヒンドゥー教の神様や想像上の生き物、上座仏教や大乗仏教の仏様の像、それぞれの文明ごとに趣があり、見ていて楽しかったです。


《法輪》
ドヴァーラヴァティー時代 7世紀
ウートーン国立博物館蔵
ドヴァーラヴァティー国はモン族の国で主に上座仏教が信仰されたそうです。この国では仏の教えが広まるように法輪をかたどった石像が多く飾られたそうです。
この法輪を見ると仏陀が
「車輪はそのもの自体では意味をなさない部品を組み合わせて初めて車輪という機能を持った物になる
人間も事物も全てあらゆる要素が集まって、一つの存在と認識される。」という内容の話をしたと昔読んだことを思い出します。
仏教の初めのころは仏像を作るのを憚られて、法輪や足跡(仏足跡)で仏陀を表した名残もあるようです



《菩薩立像》
ドヴァーラヴァティー時代 7世紀前半
バンコク国立博物館
インド美術の影響を感じるくねらせた姿勢で素敵な笑顔の像は右手に水瓶を持っているので観音菩薩ではないかと言われてるそうです
観音菩薩ということは、大乗仏教。上座仏教だけでなく大乗仏教も入ってきたようです。

東南アジアも古代では大乗仏教も信仰されてた地域もあったことに驚きました


《アルダナーリーシュヴァラ坐像》
プレ・アンコール時代 8 ~ 9世紀初
ウボンラーチャターニー国立博物館蔵
インドのヒンドゥー教の神様の像。
クメール族は9世紀にアンコール帝国を建国した民族で、それ以前をプレ・アンコール時代というそうです。ヒンドゥー教と大乗仏教が信仰されたそうです。
この像はヒンドゥー教の神様で男神シヴァとその妃パールヴァティーが左右合体した像だそうです。手前の方がシヴァ神、奥の方がパールヴァティー女神、半分だけ胸が膨らんでいます。
古代日本にとってインドははるか遠い国ですが、東南アジアは地続きですもんね、直接影響を受けるのも当然なのだなと思いました。
他に、大乗仏教の仏像でがっしりした8臂の観音菩薩像も展示され、般若波羅蜜多の立像もありました


《ナーガ上の仏陀坐像》
シュリーヴィジャヤ様式 12世紀末~13世紀
バンコク国立博物館蔵
会場に入って最初に出会うのがこちらの仏様。ポスターにもお顔がアップになって写ってます。
シュリーヴィジャヤ国はやはりモン族の国で、上座仏教、大乗仏教、ヒンドゥー教が信仰されたそうです。
とぐろを巻いた7つの頭を持つ蛇の姿の水の神ナーガが仏陀を守るように乗せて、雨風を防ぐように鎌首を広げている。
石像ではなく銅と金で鋳造され、とても精緻で端正に作られてます。更に宝石類が嵌め込まれていた痕跡があります。今はその宝石類は取り外されているけれど、それだけこの像はシュリーヴィジャヤ国にとって重要で大切な仏様だったのでしょう。
優しい顔立ちの仏様で眉毛がつながり、高貴な雰囲気だけどほんのり微笑んで親しみやすさを感じます。右手は降魔印を結んでいるように見えます
台座にはクメール語で像を造営した年月と作らせた人物などいわれが刻まれているそうです


《人物頭部》
ハリプンチャイ様式 12~13世紀
ハリプンチャイ国立博物館
こちらは仏さまの像ではなく。高貴な身分の人の像ではないかと言われているそうです。その笑顔がとってもよいのです。
何となく歌手で俳優の星野源さんとも似ている。


第2章 スコータイ 幸福の生まれ出づる国
タイ族は元は中国南部に住んでいた民族だそうです。次第に南下して現在のタイ国内でいくつかの自治国家ムアンを作り
1238年にスコータイ王国を建国
「スコータイ」は、「幸福の生まれ出づる国」という意味だそうです。素敵な名前ですね。スリランカの影響を受けて国家をあげて上座仏教を信仰したそうです。
続いて
タイ北部チェンマイを中心にラーンナータイ王国が1296年に建国
仏教文化が花開き13世紀は「タイ族沸騰の時代」と言われるそうです


《仏陀坐像》
スコータイ時代 15世紀
サワンウォーラナーヨック国立博物館蔵
面長のお顔に丸くカーブした眉が繋がり、優しく微笑んだお顔は《ナーガ上の仏陀坐像》とのつながりを感じます。頭の肉髻上に「ラッサミー」というとんがった火焔型飾りがついていて、光を表すそうです。
左手は手のひらを上向きにして組んだ足の上に乗せ右手は降魔印。金色の体。体につけている布にひだはなくぴったりと貼り付けているように見え、端の布は束ねて左肩から垂らしてます。
脚の組み方は勇猛坐
以後、現代まで仏陀の座像はこの形式のようです


《仏陀座像》
ラーンナータイ様式 13世紀
チェンマイ国立博物館
ラーンナータイの仏さまはお顔が卵型でラッサミーが蓮のつぼみのような形をしてます。
よく見ると足の組み方も違うようです。
こちらの仏さまは結跏趺坐をしてます


《仏陀遊行像》
スコータイ時代 14 ~15世紀
サワンウォーラナーヨック国立博物館蔵
母である摩耶夫人のいる三十三天を訪れてから地上に降りてくる姿を現している像。左手は施無畏印を結んでます。
身に着けている布の下に垂れた部分は風に揺られているのか少しひらひらしてます。微笑みながら軽やかな足取りで私たちの世界に戻ってくる姿がとても優美で、本当にこちらにやってくるような動きを感じます。


《ワット・ソラサック碑文》
スコータイ時代 1417年
ラームカムヘーン国立博物館蔵
寺院のそばには蓮の花びらの形をした石碑がよく置かれるそうでそれはここからは神聖な場所になることを表すシーマ(結界石)なのだそうです。
このシーマには弥勒菩薩への信仰を書いた碑文が刻まれて、その裏面に仏陀遊行像が刻まれているそうです


《ハリハラ立像》
スコータイ時代15世紀
バンコク国立博物館
最初見たときは衣の下に垂れさがるひだが飛鳥仏の形と似ていて、一見して菩薩像なのかなと思ったけど、なんだか違う。特にお顔の表情、そして手の印の結び方が仏教ではない。
ヒンドゥー教の司祭も国家運営に重要な役目を果たしたそうで、そのためヒンドゥー教の神も祀られたそうです。
ハリハラ神はシヴァ神とヴィシュヌ神が合体した姿なのだそうです。
他の仏陀の微笑みとはまた違う微笑みをしていて印象に残りました


第3章 アユタヤー 輝ける交易の都
1351年に建国され、中国、日本、琉球、中東や西洋と交易をして富を築いたそうです。
上座仏教を信仰し、バラモンの制度を取り入れたそうです。
400年以上続いたそうですが、1767年にビルマに滅ぼされ寺院は破壊されたそうです。

その中で第8代王が創建した寺院の仏塔の地下に埋蔵されていた金製品が1958年に発見され、何点か展示されてました。

《金冠》
アユタヤー時代 15世紀初
チャオサームプラヤー国立博物館蔵
王の神器の一つ。髷の上にかぶせたそうで、これを見るとさらに簪を通して固定したのかなと思いました。
金の細工に貴石やガラスもはめていてとても美しい


《金舎利塔》
アユタヤー時代 15世紀初
チャオサームプラヤー国立博物館蔵
仏塔の形をした入れ物に舎利を治めているそうです。破壊されて現存しないアユタヤー時代の仏塔の姿を知る手がかりとなるそうです


《金象》
アユタヤー時代 15世紀初
チャオサームプラヤー国立博物館蔵
金製でやはり美しい貴石やガラスがはめ込まれた像の置物。とてもかわいくてとても作りが凝ってます。大きい作品ではないけど、細工が素晴らしいので大きい写真を載せました。
タイと言えば象の国ですもんね!
足を折り曲げてこれから王様、もしくは仏さまを乗せるのかな?鼻をパオーンと上げて大きな葉を持っていますがその葉にもまた細かい細工が施されてます。

他に「三界教」の絵巻が展示されてました。極楽の世界はおだやかな絵だけど、地獄の絵が何段階も描かれてどんどん残忍な事になって恐ろしかったです


第4章 シャム 日本人の見た南方の夢
交易してた日本や琉球は、アユタヤ―を「シャム」と読んでいたそうです。
アユタヤーにも日本人町が造られ、交易が続き、江戸時代の鎖国の時代も「唐船」として船の往来があったそうです。
その書状や航海図、船の絵、漆や織物などの工芸品、そして17世紀に日本人町の棟梁となった山田長政の肖像画(ただし19世紀に描かれている)などが展示されてました
また、日本にも上座仏教を信仰するお寺が存在するのを知りました。


第5章 ラタナコーシン インドラ神の宝蔵
アユタヤ―が滅亡したのち、短い期間の王国を経て新しく建国された国。ラタナコーシンとは「インドラ神の宝蔵」という意味だそうです。
バンコク王朝とも言い、王様はラーマを名乗り、現在まで王朝が続いています
アユタヤ―の文化を継承し、上座仏教を信仰

ラタナコーシンの展示でひときわ目を引くのは、原寸大の象が水から頭をもたげたように作られた迫力のある模型。
その背中に鞍を載せて展示していました。象の後ろには水辺の映像が映ってました

こちらが鞍の部分

《象鞍》
ラタナコーシン時代 18~19世紀
バンコク国立博物館蔵
台座を支える支柱のカーブした作りが見事です。手すりの柱は象牙でできていて、全体に金箔が張られているそうです。

象鞍に乗った三尊像が展示されてました。こんな風に三人が横並びに座れるのね

《騎象仏陀三尊銀像》
ラーンナータイ様式 20世紀
ハリプンチァイ国立博物館
いかにもこの国らしい三尊像。アユタヤ―の金象といい、象の工芸品はどれも素敵です♪
この写真では取り付けられている傘は外されて展示されてました


《従三十三天降下図》
ラタナコーシン時代 19世紀
バンコク国立博物館蔵
スコータイ時代の遊行像にも表された三十三天から降り家来る仏陀を表した絵画。下にはは地上に降りた仏陀が説法をしてさらに下には地獄の様子も描かれてます



《ラーマ2世王作の大扉》
ラタナコーシン時代 19世紀
バンコク国立博物館蔵
仏教寺院ワット・スタットの大扉は国王ラーマ2世がみずから彫刻したそうです(ほかの彫刻士も彫ったのかな?)。とても精緻に作られ絡まる植物の間に動物や鳥類が刻まれてます。

よく見ると動物があちこちにいます
一度火災にあってしまったそうで、片方の扉はだいぶいたんでしまっているそうですが、日本の企業も協力して修復しているそうです。
展示されていたのも一部被害にあったものの大事に至らなかった方の扉。この扉は写真撮影OK(フラッシュ不可)でしたので手持ちのスマホカメラで写しました。後ろの仏像は壁に貼られた大きな写真ですが、画面を暗めに設定して写してみたら本当に寺院にいるような雰囲気になりました。
そして裏側は

鬼神の絵が描かれてました

他には日本刀がアユタヤ―やラタナコーシンでとても大切にされ、王族や高貴な身分の持ち物になったそうです。日本の匠が作った刀ですもんね、拵えや切れ味が素晴らしかったのでしょう。やがて日本式刀を作り始め、刀のつばの模様や拵えを日本ぽい文様として取り入れた作品も展示されてました。

そして仏陀の涅槃像も展示されてました。やはり頭の頂上にはラッサミーがあり、面長で優しい微笑みを讃えて横たわってました。入滅されるのだけど、まるで午睡をするようなリラックスした雰囲気でした。

最後に昨年崩御されたラーマ9世プーミポン・アドゥンヤデート国王の遺影が掲げられていました。ほかの鑑賞者と同じく私も手を合わせて拝みました。

タイの事を学んでちょっとした時間旅行をした気持ちになった展覧会でした。
そして穏やかな微笑みを持つ仏さまが素敵だなと思いました。生活に仏教が溶け込んでいる国だからなのか親しみやすい雰囲気を持っている。
仏さまは身近な存在なのかも
信仰することに幸せを感じる人々の思いが微笑んでいる仏陀像となって表れているように感じられました。


トーハクでは本館で「びょうぶとあそぶ 高精細複製によるあたらしい日本美術体験」という企画が催されていて、アロマの香りがする展示室内で屏風と動く映像が重なってい展示されて鑑賞するのを楽しみました。
東洋館にはトーハクが所蔵する《ナーガ上の仏陀坐像》が展示されてますが、時間が無くなり断念

本館を去る前にふと仏像が展示されている部屋に目を向けたら正面に象にまたがった普賢菩薩さまがいました。タイ展を意識した配置なのだろうな♪

博物館から上野駅に向かったら

おお、まるでラッサミーを付けた仏様みたいな木がありました


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