第5部に続き、第6部も前半と後半に分けて感想を書こうと思います。
第6部前半に入ります。
張昭に促され孫権に拝謁した陸遜。孫権は言う
「呂蒙が積年の疲れから床に伏し他界した。またもわが軍は忠臣を失ったのだ。」その言葉にこわばった表情でうなづく陸遜。さらに孫権は問う
「陸遜よ呂蒙亡き後、誰なら大都督を任せられる?」
陸遜は戦いが終わった今、大都督は不要と答え、そして自らも副都督の役職を解任させてほしいと願い出る。孫権が了承すると足早に去っていった。
三国が重要視する荊州を奪い返した功績があるので呂蒙に軍事裁判をかければ他の将軍から反発を受ける。でも関羽を殺したために劉備軍の深い恨みを買い江東の地揚州は危機に面してしまった罪を祝いの席で償わせた。そして見せしめに副都督の陸遜にこっそり見せた。
陸遜は孫権の冷酷な面を知った。
陸遜が去った後、孫権は側近の張昭に本音を言う
「私が呉の主となって十余年、ずっと大都督らに足かせをはめられてきた。ようやく真の主となれた。」
益州の成都。
夜一人で書き物をしている劉備の元に関羽が現れる、穏やかな笑みを浮かべながら。劉備も、離れて暮らす弟分の訪問ににこやかに「どうした、荊州の守りは大丈夫か?」と聞くと、関羽は
「兄上にお別れを言いに参りました。もう行かねば。」という。劉備がどこへ?と尋ねると、やはり穏やかな表情で
「黄泉の国です。必ず弟の仇を討ってください。」そして拱手して去っていった。
そのあと涙を浮かべた孔明が関羽の軍の敗残兵を伴い荊州陥落と関羽の死を知らせる。あの無敵の関羽がそんなはずはないと劉備は憤り、そして気絶する。
関羽はこの世に怨を残してしまったのだろうか。忠告を無視して孫権軍と関係を悪化させ、命令が来てないのに手柄を焦り曹操軍が守る樊城を攻めて、油断して荊州の守備も甘くしてしまい結局両軍から攻められて敗北したのだから、関羽の落ち度がそういう結果にしてしまった、少なくともこのドラマではそう見て取れたのだけど・・・。それでも、劉備に自分の仇を討てと言い残してしまう。
許昌では
年が明けて、曹操の誕生日祝いの名目で孫権は関羽の首級を送る。添えられた孫権の書簡には曹操軍の指揮の元、関羽を討ち取ったと丁重に書かれてあった。荊州獲得の実利を持ちながら恨みを曹操にすげ替えようという意向が丸見えだった。曹操は関羽を荊王に上奏し、百官の立会いの下に丁重に葬る。曹操はわしの元にいれば殺されなかったのにと墓に話しかける。関羽を部下にできなかった悔しさがにじみ出ていた。
立派な墓に集う曹操軍の歴戦の将軍たち。髪や髭には白髪が混じっていた。関羽は短い期間だけど曹操軍に身を置いていて、曹操を魅了させたくらいの武将だからほかの将軍たちも深い想いがあったのでしょう。華麗で圧倒的な武力。何より主君劉備を想い、どんなに厚遇されても曹操の配下にはならなかった忠心。単騎千里を走る頃の関羽はとてもかっこよかった!そして赤壁で大敗して逃げ延びていく曹操軍を待ち構えながら逃がしてくれた恩も感じていたでしょう。
関羽の首級が孫権軍に残されたままでなく、関羽への想いを持つ曹操軍に渡されたのはせめてもの救いだったような気がします。
曹操は持病の頭痛が悪化し墓前で倒れてしまう。
頭痛に苦しむ曹操のために名医華佗を呼ぶも頭蓋骨を切開する手術が必要と言われ、怒り投獄する。部下たちは焦り、漢王朝にとってかわり皇帝になるようにと促しあつらえた皇冠を渡す。その冠に付いた珠飾りを触り曹操はしみじみと言う。
「見事だ。実に美しい。かくも良きものとは・・・」だが皇帝になる気はないと突っぱねる。理性の人曹操は今じゃないと冷静に判断していた。こんな病で苦しい時でさえ的確に状況を見て判断する曹操の凄みを感じました。
死が近いことを悟った曹操は曹丕を呼ぶ。曹丕は、多分後継者として正式に父から言われることを期待していたのに、剣を突き付けられ、もう一度曹沖殺しの是非を問われる。
驚き震え涙ながらにきっぱり否定する。曹操は「よく言った」とほめ、正式に跡継ぎに指名する。真相がどうであれ、身内を殺害したと認めた人には継がせられないものね。
曹操は司馬懿仲達を重用せよ、でも決して気を許すな。そして兄弟姉妹の面倒を見てやれと諭し、曹丕は永遠に守ると誓う。
部下たちを呼んで曹丕を次の魏王と宣言。話の中に、有能な息子達の早世で、残された息子達の中から消去法で曹丕に決めたという意向も感じられました。
最期に曹丕に爵を取りに行かせ、爵の中の水に指を入れて濡らし、水をはじく。
呂布を水攻めにした時も赤壁の時も他のシーンでも指で水をはじく曹操がとても印象的でした。これまで何度か画像にできないかと思ってうまくいかなかったのですが、この画像もはじかれる水が見えませんが、それは赤壁の戦の前夜に自ら歌った「短歌行」にある一説「人生幾ばくぞ 例えば朝露の如し」を表しているように思えました。このドラマの曹操らしい最期のシーンでした。
建安25年(西暦220年) 曹操は66歳で他界。人が生きにくい乱世をむしろチャンスとして縦横無尽に活躍し、次々とライバルを倒し、いち早く皇帝を保護して意のままに動かし、これまでの慣習にとらわれない政治を行い、戦争で荒れた農地を再開発して農民を救った功績もある。覇者であり政治家。
このドラマの曹操は現実的で、世の中の動きを俯瞰して冷静に判断し、時代の先をいく発想をする才能を持ち、文学を愛し、例え自分に不利な事を言う人物でも才能を認める度量を持ち、時に温かい人情をみせ、そして時にお茶目で、魅力の尽きない人物でした。一方で頭痛に苦しんで何度も倒れる。やはり戦争をするのは奥の陣営で守られていても、大変なストレスを伴う事のようです。
才能のある者を愛し、重用していく実力主義者なので才能を持つ人物なら共に時代を改革できる醍醐味を味わえるでしょう。でも平凡な人に対しては尊重せず、罪もない善人や意に添わなかった人を平気で殺す残忍さもあるので曹操に仕えるのはとても神経を消耗しそうです。
計り知れない才能と強い魅力と恐ろしさを持った三国志の中心人物でした。
葬儀に献皇帝が弔問に来たので魏王となった曹丕が迎えに行こうとすると司馬懿が同等の立場だから迎えなくてもよいと制止。
更に曹丕の部下の華歆(かきん)が献皇帝に曹操の霊に対し頭を下げて礼拝すべきと主張し、献皇帝は屈辱のうちに頭を下げて礼拝。
この事以後、曹軍の者はあからさまに献皇帝に失礼な態度を取ります。
曹丕は弟曹彰、曹植の動向が気になる。曹彰は、弔問という名目で10万の兵を連れて許都の門前までせまってきていた。兄に代わって政権を取ろうとしている。司馬懿はすぐに曹彰に会いに行き、魏国の争乱の元となり呉や蜀がその機に乗じて攻めてきますぞ、先王の大業を水の泡にするつもりかと叱責。曹彰は10万の兵と兵権を返上して謝罪、失脚。
曹丕は司馬懿の手腕に感謝して望みの高い官位を授けたいと言うが、司馬懿は辞退し中間の管位を申し出る。
「賢者は実質を、愚者は虚名を求めます」
それでは気の済まない曹丕は一人の女性を褒賞にあてがう。
その美しさにいつも冷静な司馬懿が驚く。名は静珠という。
静珠は霊帝時代の大将軍何進の孫。その後没落して放浪の身になったのを保護したという。本当は父王に渡すつもりだったという。父王亡きあと、自分にとって父のように思っている司馬懿に是非もらってほしいと曹丕が言い、司馬懿は涙を流し感謝する。一方、これほどの美女を自分のものとせず司馬懿に渡す曹丕の真意を模索する。
曹丕のもう一人の弟、曹植は葬儀に参加せず、跡を継いで魏王となった曹丕にも謁見しない。不義をとがめるために許褚に命じて屋敷に向かわせると、曹植は相変わらず東屋で酔っぱらいながら仲間と詩作していた。が、許褚をみて察した。曹植の客人たちが行かないように懇願したが、長年詩作に励んだこの東屋で棺を作ってくれと言い残し、連行される。
この事態は瞬く間に 曹丕、曹彰、曹植三人の母である卞(べん)氏の元に知らされ、曹丕を尋ね非難する。
「あなた方は兄弟でしょう?沖を死なせ、彰の兵権を奪い、植は詩文を作るだけの文人なのに罪に問うのですか?」
卞氏の言葉に驚きました。曹丕が曹沖を殺した事を知っている。すでに周知のことなのかも。卞氏は曹丕に王として兄として度量の大きさが必要と諭し、曹植を殺したら自らも曹操の後を追うと言う。母に恩を感じる曹丕は殺さないと約束する。
部下の華歆は曹植を殺害することを提案する。曹植の詩文は宮廷の内外関係なく人々に愛されているという。詩人は現代でいうならシンガーソングライターのような存在だったようですね。そんな才能を持った人はいつの世も皆から愛される。だからこそ曹植を担いで王の立場を脅かす輩が出ないうちに始末しなくては・・・
連行された服装のまま朝議に現れた曹植は魏王の席に座る曹丕に拝謁しひれ伏する。かつては父に詩才を愛され兄を越える勢いがあったのに。もともと政治に興味はなさそうだったし、時に高慢なふるまいもあった曹植が、兄曹丕が跡継ぎとして取り仕切る祭事に行きたがらない気持ちもわかるんです。でも、これまで特権的に恵まれた身分だったからこそ政変の時は慎重に対処しないと、弾劾される口実ができてしまう。
曹丕は父王の葬儀に出なかった不義を責め、以前詩は7歩歩むうちにできると自慢していたことをあげ、目の前で歩いて詩作してみろと命令。できなければ詩作できると君主を欺いた罪も加え厳重に処罰するというかなりの言いがかり。詩の題は・・・
「兄弟の詩文を。だが決して文中に兄弟の2文字を入れてはならぬ。」
曹植はゆっくりと歩き始め、歩くごとに華歆が「1歩、2歩・・・」と数えてゆく。曹丕ははらはらとしながら見つめる。・・・曹植は5歩目で曹丕に顔を向けもう一歩進んで詩を詠む。
「豆を煮るに豆がらを燃やせば
豆は釜の中に在りて泣く
本は是れ同根より生ぜしに
相煮ること 何ぞはなはだ急なる」
「七歩の詩」の見事さに殿中の百官は感嘆し、曹植の処刑を提案していた華歆も納得する。曹丕は涙する。
何度も詩をなぞらえ、良い詩だとほめ、檀を降りて曹植の元に行く「そなたは詩で罪を贖った。・・・だが罪を不問にはできない」。
曹丕は曹植を降格させ、収入を減らして地方に赴任することを命じます。
曹彰も曹植も実権を奪い地方に追いやり政権を狙えないようにして、むしろ命と生活を保証した。結果的に曹丕は国の安泰を計りながら父と母の約束を守ったのだなと思いました。
兄弟の情に私もジーンとしました。血を分け一緒に育った兄弟なのに、立場が変わってしまったら、どうして急に敵とみなし殺そうとするのかという曹植の嘆き。骨肉の争いはいつの世もありますもんね。
そして、一つ疑問に思ったことがあります。豆は曹植の事なのか曹丕のことなのか。豆がらもどちらなのか。もしかしたら、この哀切な詩の中に痛烈な皮肉がこもっているのだろうか・・・
後継者問題が一段落した後、司馬懿は曹丕に形骸化した漢王朝を廃して、魏王朝を起こして帝位につくことを勧める。父ですら帝位につかなかったのに、自分が魏王になった早々に帝位について良いかととまどう曹丕に、父王はすでに天子よりも権勢があり皇帝になる必要はなかった。だが、曹丕は帝位につき新体制の下、自分が選んだ臣下を従えて威厳を示すべきと説いて曹丕は決心する。
でもすぐに帝位を受けることはしない。曹丕は心得ていた。父曹操が王位に就くときでさえ、形式上とはいえ一度は辞退している。皇帝になるには三辞三譲をすべき。
目立つ行動をするのを警戒する司馬懿は自分は表立った活動を見せず、皇帝に退位を求める役を華歆に仕向ける。
朝議で華歆は献帝に「暗愚」と罵り漢王朝を廃し、曹丕に禅譲(帝位を譲る事)を促し、百官たちも天意と口をそろえる。献帝はすでにお飾りでしかなかったけど、廃止の要請にショックを受け。先祖を祀る宗廟に向かい涙する。許せないのは曹家一門・・・
后の曹皇后が宗廟に入り寄り添うと献帝は「ご先祖様は曹家の者など見たくない」と突き飛ばすが、ハッと気づいて「皇后大丈夫か」と声をかけ謝る。
曹皇后は口から血を流しながらも「今、私の事を『皇后』と」といって微笑む。ずっと献帝に疎まれていたのだろうか・・・
でも曹皇后は夫をとても労り愛情を持っているようでした。
第2部に描かれたお輿入れの様子も幸せなものではなかったよね。前妻の董皇后が身重な身で曹操の命令で献帝の目の前で殺され、その直後に后にあてがわれたのが曹皇后。悲しみと恐怖で震えて涙ぐみながら皇后を認めなくてはいけなかった献帝。華やかで幸せな婚儀ではなかったものね。政略結婚もお家のためとはいえ自分の娘にそんな結婚をさせた曹操はひどい。だけど曹皇后は運命を受け入れ言います
「陛下、私の姓は曹ですが、今は劉家の人間です。陛下が私を皇后にしてくれたのです。」
曹洪と曹休が献帝を朝儀に呼び戻すため宗廟に入り、曹皇后が傷ついているのを見て責めると、曹皇后はきっぱりと言う
「覚えておきなさい。私は陛下の皇后であり、また臣民でもある。陛下が私を殴ってもたとえ殺しても構わぬ。そなたたちは曹氏の子孫であるが陛下の臣民である。もし悪事を働けば殺しても構わないのですよ。」そして献帝をないがしろに扱う二人に言う。
「無礼であるぞ。父上は功績と名声はあっても皇位を奪おうとはしなかった。帝位の簒奪(さんだつ・・・帝位を奪って代わりに即位する事)に加担する気か?そんなことをすれば天罰が下るぞ」
涙ぐんでいる献帝の横で曹皇后は毅然として言う。曹操の子供たちの中で実はこの曹皇后が一番しっかりしていて父親の資質を受け継いでいるように見えました。ドラマの配役で実際は本当の親子ではないと思いますが、目元が父曹操と似てきりっとしています。
そして勇気のある女性でした。
献皇帝はさらに責められ、他の者も同調し、曹丕は結果を待つと退場。観念して玉璽を曹家にわたそうとすると玉璽を守る役人祖弼(そひつ)は賊には渡せないときっぱり拒否して殺され、その様子を涙ながらに見て玉璽を渡す。
もう献帝の様子は見ているのもつらい様子でした。
そんな夫のかわりに曹皇后は兄の曹丕を待ち構え涙ながらに抗議します。だけど曹丕は意に介さず、それならば共に死にます、と曹皇后は曹丕を刺す。曹丕は父の鎧を着物の下に着こんでいたので大丈夫だった。そして生活を保障すると言い残して去っていく。
献帝は禅譲の詔の草庵をお付きの者に口述筆記させたが、その内容が気に食わないと曹丕は突っぱね、次に献帝自らが書くように要求し、献帝が書き、朝議で百官たちの前で詔を読むも、曹丕は予めの計画通り他の賢人に譲ってくださいと辞退。百官たちは、そんな見え見えな口上に「なんて謙虚な方なんだ」と口にして同調する。・・・権力者になびく人のいやらしさを感じました。
漢王室の廃止を迫るくせに二度も禅譲の詔を拒否され、屈辱のあまり私室で剣を手にする献帝を曹皇后は止め、そして涙ながらに言う。
「陛下、帝位をお譲りください。私は一生おそばにおります。永遠に離れません。」
孔明が前に「人は主に仕えるもの」と言って、周瑜が孫権に尽くしたのを褒め、自分も劉備につくしていくのだけど、通じるものを感じました。
三度目の詔の草案は夜ひっそりとやってきた司馬懿が名乗り出て書く。
そして三度目の禅譲の詔は百官や武官が並ぶ中華々しく行われた。詔の文章は天意に従い帝位を渡すという内容で、漢王室や献帝を卑下する表現はなく、やはり一番いい文章だったように思えました。曹丕が銅雀台を上り献帝は玉璽を曹丕に渡し、そして臣下となってひざまずいて拝礼。皇帝になる前の劉協の名に戻る。
年号が改められ、都を洛陽に変え、父曹操には太祖武皇帝とおくりなを贈る。
劉協は山陽公の位につく。曹妃(曹皇后)と共に船出しようとすると、司馬懿と息子の司馬昭が見送りにやってきた。
劉協はさばさばした様子。
大魏皇帝(曹丕)の命令で山陽公と妹君を見送りに来たという。そして「都に戻らぬなら生涯富貴を保証する」という伝言を伝える。
劉協はその話を信じようとしない。そしてにやりとして言う
「先陣が撒いた種を後人が収穫する。だが喜びは一瞬だ。必ずその後釜を狙う者が現れる。」
旅立つ船を司馬懿と息子はずっと見送った。
船の中で劉協は董卓に無理やり9歳で皇帝にさせられてから賊臣に操られた人生を回顧する。曹妃は奸臣である兄が憎いと言う。何より夫である劉協の気持ちに寄り添おうとする曹妃がいいなと思いました。兄をかばったら劉協の気持ちは行くところを失うもんね。劉協は曹丕は賊臣4人のうち最も情け深い男だと言う。
「緑茂る山河へ旅立たせてくれた。今まで詩賦でしか知らなかった世界。まだ見ぬ世界だ」
そうだよ、宮中とは名ばかりの軟禁状態からやっと解放されたのだから、これからのんびりとした暮らしを曹妃と過ごせばいい。
その時船が少しずつ沈んでいく異変にお付きの者たちはざわめく。実は劉協がこっそり部下に船の底に穴を開けさせていた。
「ご先祖の土地を守れなかった私に大漢の地に葬られる資格はない。」そして曹妃には逃げるように言うが、曹妃は涙ながらに言う
「陛下は生涯で、今初めて英雄となられました。私は逃げません、お供いたします。ずっと陛下のおそばに」
そして二人はしっかりと寄り添う
「妃よ、生まれ変わっても決して皇室には嫁ぐでないぞ」
「陛下、もし来世があるなら皇室に生まれてはなりません」
そして船は沈んでいった。
なんでだよう(ノД`)・゜・。、ずっと理不尽な思いをして暮らして耐えて生きてたのだから、これから緑茂る山河を眺め、のんびりとした幸せな人生をすごせばいいのに・・・。もうすぐ出逢える新しい邸宅から見える山河を見ることなく人生を終わらせるなんて・・・・
曹妃もなんで止めなかったんだよう(/_;)。それが君主の妻としての運命と受け入れたということなのだろうか。曹妃は献帝の愛妻を殺した男の娘で、それが曹妃の心の中に負い目をつくってたのだろうか。だけど一生懸命夫を愛し、守り寄り添った優しい女性でした。献帝にとって曹妃の存在は救いだったと思いました。
蜀の国成都では
劉備はいまだ関羽を失った悲しみから立ち直れないでいた。
劉備は傍に仕える孔明に、自分の判断の甘さから取り返しのつかない事態に陥ってしまった後悔を語る。
それは関羽の欠点を重く考えていなかった事。関羽の気位の高さと相手を見下す傲慢さで作らなくてもいい敵を作り、相手を甘く見て荊州を失い、命も失ってしまった。でも関羽は劉備を心から慕う頼もしい弟分だったもんね。劉備に対してと他の人に対してとは明らかに態度が違ってたのもあって、劉備は孔明ほどには実感できなかった。そして劉備は何より関羽を裏切った劉封と孟達が許せないと憤る。
孔明は天下統一への足掛かりが一気に後退してしまった無念さをにじませていた。
「以前、ご主君は荊州9群を擁しており、さらに蜀の41県と漢中の軍も手中に収められた。あの頃ご主君は天下を手にする直前だったのです。」
劉備と初めて会ったときに話した計画の最終段階に入り、2方向から進軍して許都を落とし次々に北部の州を征服し、数年のうちに大業を成しえたのに・・・
荊州は国の中央に位置し、肥沃な土地で兵を養うことができ、あらゆる場所に速やかに出兵して戦って行けた。蜀の地からは険しい山河を乗り越えなくてはならない。重要地点を孫権軍に奪われてしまった。
本当にくやしそうでした。
そこへ孫乾が曹丕が漢帝国を廃し帝位を簒奪した事、そして献帝の死を涙ながらに伝える。劉備は泣き崩れる。
漢中王劉備と蜀の百官は喪服をまとい献帝を祀る祭壇に祈りを捧げた。
そして力が及ばず漢王室を守れなかったことを涙ながらに謝罪。必ず逆賊を倒し、漢王室を再建すると誓う。
その言葉を受けて孔明と示し合わせた趙雲は、劉備に皇室の血筋を持つ主君こそが漢王朝を再建し皇帝に即位されるようにと進言。他の武将や文官も賛同するが、劉備は「第2の曹丕にさせるな」と激怒。宮廷に引きこもる。
そして息子阿斗の教育を熱心に行う。
阿斗ちゃん・・・大きくなって。それになんだか老けちゃって、これで14歳というのは無理があるような(^^;)
劉備の期待むなしく阿斗はお勉強が苦手であまり賢くない様子。
劉邦について書かれた「高祖本紀」を何日たっても覚えられない。劉備はいら立ってしまう。
やっぱり長坂坡の戦いのとき、せっかく趙雲が命がけで助けてくれたのに劉備が岩に阿斗ちゃんを投げつけるもんだから・・・・このドラマを見たいろんな方も言ってますが、あの時頭をぶつけたに違いないです(-_-;)。
そこへ孔明が倒れたと知らせが入り、劉備は孔明の元へ見舞いに行く。
孔明は胸が締め付けられるように痛いといい、その原因は曹丕が凡人の華歆の勧めに従い帝位についたのに、劉備は自分の勧めるにも関わらず帝位につくことを承知しないからだという。
孔明は曹丕が簒奪したことは賢明だったという。劉備と戦うには帝位は不可欠。貪欲さから簒奪したのではなく時世に迫られ政権をとってかわったのだという。・・・漢王朝を倒したにっくき賊臣め!、とは言わず簒奪は必須で賢明だったと言ったことに驚きました。孔明は理性が勝る人なんだね。曹操と通じるものを感じました。
そして劉備にも漢王室の再建の為には帝位につくことが必須と訴える。今天下に天子と名乗るのは曹丕一人だけだと、有能な士は曹丕の元に集まってしまう。好機を逃がしたら、かえって災いが生じる。
劉備は自分が即位したら、世間はどう言うだろうか気にしていた。本当は自分も即位を考えていたようです。孔明は劉備の心の内を理解し、劉備は孔明の仮病を見破った。
劉備が懸念していたのは、もとから蜀に住んでいた名士の気持ちだった。よそから来て政権を奪った劉備の即位を受け入れてくれるだろうか。
劉備は蜀の重臣李厳の家を訪ねていく・・・
第6部前半では曹操の死、曹植の「七歩の詩」そして愛情深い曹皇后が印象深かったです。
曹操はこれまでこの三国志のドラマに当たり前に存在する人物だったのに、どんどんなじんだ人物がいなくなってしまう・・・
そして曹皇后が気になって史実を調べてみたら劉協は、船で沈まずに、無事山陽公として曹妃と共に静かに暮らしたそうです。そしてある程度の特権も認められていたそうで、曹丕は本当に劉協と妹の生活を守ったようです。
だけど、蜀には献帝は殺害されたという誤報が入ったそうです。
後半に続く
今回もとても丁寧な記事で、私もストーリーを思い出しながら夢中で読ませていただきました。
曹操の最後のエピソードだけ(5部なのに)遅れてお届けしちゃってすみませんでした。(^_^;)
6部も見どころがたくさん、盛りだくさんですね。
himariさんにとっては、呂蒙の最期が口惜しかった事と思いますが、感傷や憤りを感じているヒマもなくストーリーがダイナミックに展開していくので、ホント「三国志」は凄いですね。
献帝の最期は漢帝国の終わりでもありとても辛いシーンでした。史実では寿命をまっとうできたのが救いですね。
ちなみに、諸葛亮と献帝は同じ年に生まれて、同じ年に亡くなってるんですよ。何だか因縁っぽいものを感じちゃう。
それと曹植の七歩詩のエピソードは私も大好きなシーンです。このシーンは何度も繰り返して見ました。華歆、むかつくよね。
彼はこの後も何度か登場します。
第2部も楽しみにしています!
三国志も、前半の勢いのある話の展開から後半は哀愁を感じるようになりました。やはり主要人物がいなくなると本当に無常を感じますね
テレビシリーズでは曹操の死を持って第5部が終わるそうですが、お借りしているDVDシリーズは曹操の死から第6部が始まり、出師の表でもって第6部を閉じていて、それにはDVDシリーズの監修者の意図も感じられ私も納得できました。
だから私もDVDシリーズの形式に合わせて感想を書いてゆきたいと思ってます
呂蒙の最期が口惜しかった事と思いますが
はい、今も呂蒙ロスです
史実とは違い、狂気に走る呂蒙が表されて、それ故に滅びるこのドラマの呂蒙がとても好きです。演じた常铖さんにとっても人生に誇る演技だったのではないかと思ってます。
そしてごみつさんの言われている通りに、そのあともダイナミックに話が進みぐいぐいと気持ちを引っ張っていくストーリーの力に癒されてます。
「七歩詩」の話は兄弟の情が感じられていいですね。曹丕は弟を死なせたくなかったのだと思いました。でも華歆の意見もあり魏王として厳しい態度をとっていかなくてはならない。その後の弟たちへの処遇もむしろ精一杯の思いやりに思えました。曹丕は人間的に惹かれるものを感じました。
曹操や献帝など物語の中心にいる人物の最期もやはり感慨深く、今回も長く書いてしまいました。
献帝は孔明と同い年で同じ年に亡くなったのですか!・・・ということは献帝が即位した時、孔明も9歳だったのか・・。本当に若くしてどうしてあれほどの知識と知性を身に着けたのだろう。
後半も、感じたことを書いてゆきたいと思います☆