「フィリップス・コレクション」はアメリカの資産家ダンカン・フィリップス氏(1886〜1966年)が亡き父と兄の思い出に、ワシントンの私邸に母エリザさんと美術鑑賞のための部屋を設け「フィリップス・メモリアル・アート・ギャラリー」と名づけ1921年に一般公開。近代美術の作品を集めた美術館としては米国最初なのだそうです。戦後「フィリップス・ギャラリー」と名称を変えたそうです。
その後画家でもある奥様マージョリー・アッカ―さんと共に蒐集し続けたそうです。作品は室内に収まるサイズで19世紀建築様式の部屋とも相性が良く収まっている。ゆったりとしたソファーを配置したギャラリーの様子を展示されていた写真を見てみたら落ち着いた雰囲気で居心地がよさそうです。日本で20世紀初頭のヨーロッパ建築様式を再現した三菱一号館美術館で開催するのもフィリップス・ギャラリーの雰囲気を感じられてふさわしいなと思いました。
展覧会最初の挨拶の文にダンカン・フィリップ氏の言葉が紹介されていました。
「芸術の恵みは二つの感情を促してくれることだ。それは肯定する気持ちと逃避する気持ち。どちらの感情も私たちを自己の限界から解き放してくれる・・・。私が極めて苦しい状況に陥った時ふと、私は再び巡り来る人生の喜びを忘れずにいる事と、私には芸術家の夢の世界へ逃避したい気持ちがあることを表現できるような何かを生み出そうと思いついた。私は絵画のコレクションを作ろうと思った。芸術家がモニュメントや装飾を作るときと同じように、全体像をイメージしながら一つ一つのブロックを正しい位置に積んでいくようにして。」
美術館のために蒐集した作品とその展示の組み合わせが、まるでオーケストラを操る指揮者みたいに、その全体でフィリップ氏の作品となっているようです。そのため、作品は良く吟味して納得してから購入し、良い作品を手に入れるために手持ちの作品を手放さざるを得ないこともあったそうで、さぞや無念だったでしょう。また晩年、アメリカの現代美術を蒐集していた人の遺品の引き取りを依頼されたときもその中で審美眼にあった作品だけ引き取ったそうです。
私自身にとっても、実は美術展を鑑賞するのは、時空を超えた旅でもあり現実をいったん忘れて浸る場だと感じていて、このフィリップ氏の言葉には共感しました。
今回の展覧会はフィリップスギャラリーの展示順と違い、基本的にフィリップス氏の蒐集した順番で展示されていました。時々フィリップ氏がこだわりを持って2作品を対にして展示しているのに倣って蒐集年代が違っても並べて展示されている作品もありました。年代を追って鑑賞すると、だんだん作品の傾向が変化するのが見れて興味深かったです。
ギャラリーの旅へ・・・
1 1910年代から1920年代
ジャン・シメオン・シャルダン「プラムを盛った鉢と桃、水差し」1728年頃 1920年蒐集
18世紀ロココ時代の画家です。暗い画面から浮き上がる静物たち。表面に白い粉をふき甘酸っぱそうな桃とプラムは赤く映えて、そしてひんやりとした感触を感じる中国清朝の磁器のポットの乳白色。その表面に描かれた中国の模様に青や緑が効果的に入り、色彩のバランスが絶妙です。味わい深くてずっと見ていたくなる作品。
「色彩の震えや屈折を得意とする近代の画家たち、空間における物体同志の真の関係性をとりわけ追及する画家たち、両者にとって祖先にあたる巨匠。物質世界に対する鋭い意識・・・調和のとれた形、色彩、表面と奥行きのある空間でもって、シャルダンは20世紀絵画を先取りしている」
クロード・モネ「ヴェトゥイユへの道」1879年 1920年蒐集
展覧会の会場で最初に現れる作品。先程の言葉「色彩の震えや屈折を得意とする画家」の第一人者とも言えるモネ。舗装されてない道は秋の夕日があたり、行く先に町と教会が見えます。見晴らしの良い気持ちのいい道が展覧会の旅を誘うようです。
次にフィリップス氏がこだわって並べて展示した作品。どちらも小品です。
ウジェーヌ・ドラクロワ「パガニーニ」1831年 1922年蒐集
イタリア出身のバイオリニスト、パガニーニのパリでのデビュー演奏を見て、その印象を即興的に描いた作品。ロマン派の画家ドラクロワの躍動感のある筆致でバイオリンの名手の情熱的で超絶技巧を駆使して演奏する様子が生き生きと描かれてます。音楽が聞こえてきそうな臨場感も感じます。
ドミニク・アングル「水浴の女(小)」1826年 1948年蒐集
古典派の巨匠アングルの作品。「水浴の女」は何点か描かれたようですが、この作品は背景が描かれているのが珍しいそうです。小さな画面とは思えない緻密さと技巧で女性や背景を描き、筆あとが全く見えない。背中を見せる女性はまるでカメラで写したように迫真的です。少し胴体を長く伸ばしているそうですが、違和感が全く感じられない。時間が永遠に止まったような静けさを感じます。
19世紀前半の古典派とロマン派の巨匠の作品を見比べる醍醐味を味わえました。
オノレ・ドーミエ「蜂起」1857年 1925年蒐集
1848年の二月革命でルイ=フィリップ王政に対する民衆の怒りの抗議を描いた作品だと言われてます。ダンカン・フィリップス氏の生きた時代がまさに革命と民族運動と戦争が世界中で起きた時代だと思うとこの作品に対する特別な思いも納得します。「コレクションの中で最も優れた作品」と言われていたそうです。
アルフレッド・シスレー「ルーヴシエンヌの雪」1874年 1923年蒐集
堅実で誠実な人柄が感じられる作品。冬の寒々とした様子が感じられ、見ていて私も絵の中に入って雪を踏みしめている気分になりました。
ピエール・ボナール「犬を抱く女」1922年 1925年蒐集
ナビ派を代表する画家。この作品を見てすぐに気に入り買い上げ、以後ボナールの作品を買い上げてアメリカで随一のボナール作品を有するようになったそうです。食卓で犬(ダックスフントかな?)を抱き上げてうつむいているパートナーで絵のモデルのマルト。水色の背景に赤いセーターが映えて瑞々しくて親しみを感じる作品。
2 1928年の蒐集
ここでもフィリップス氏のこだわりで並べた作品があります。
エドアール・マネ「スペイン舞踊」1862年 1928年蒐集
スペインを愛したマネがスペイン舞踊の一団を作品にしてます。太い筆致でくっきり浮かび上がるような描写はベラスケスの影響が感じられ存在感が際立っていてます。見てもわかるように一人もしくはカップルにポーズをとらせて描いた下絵をもとに一つの画面に組みあわせて描いていて、そのせいか踊り子がポーズをとったまま静止しているように見えます。
エドガー・ドガ「稽古する踊り子」1880年代初めー1900年頃 1944年蒐集
こちらはマネと同じように画面はグレー調の色合いで一人ひとりの顔立ちは霞んであまりわかりませんが、踊り子たちが目の前で今まさに動いているのが感じられます。勿論それまでデッサンした踊り子の姿を組み合わせたのだと思いますが、ドガは一瞬の動きを捉える技術に長けているようです。
ボナールに続くナビ派の画家作品
エドゥアール・ヴュイアール「新聞」1896-98年 1929年蒐集
いつも黄土色系の諧調の中に鮮烈な色をアクセントに入れて、落ち着いた色合いながらも色彩の美しい画家だなと思って個人的に好きな画家です。部屋の壁紙の模様も人物も同じようなタッチで描いていて人物もまるで模様の一部に見えるのも特徴。ボナールとは若いころ共同生活をしていたためか、ボナールの初期の作品は黄土色系の色合いでヴュイアールと区別がつかないときがあります。ボナールはやがて色彩が鮮やかになっていきますが、ヴュイアールは黄土色系の色調をずっと続けてました。
3 1930年代
フィンセント・ファン・ゴッホ「アルルの公園の入り口」1888年 1930年蒐集
ゴッホがアルルで家を借りてゴーギャンがやってくるのを待っていた時期の作品で、アルル公園は家の目の前にあったそうです。黄色い麦わら帽子をかぶっている男性はゴッホではないかと言われているそうで、だとすれば持っているのはスケッチブックかキャンバスなのだろうか?これから二人が暮らす黄色い家をスケッチしようとしているのかもしれません。日の当たる道の上に立つ姿は希望に満ちているのですが、絵を見ると道はやがて二つに分かれているようです。
ピエール・ボナール「開かれた窓」1921年 1930年蒐集
展覧会に展示されていたボナールの作品は3点、いずれも色が美しくモデルでパートナーでもあるマルトさんがいて、何気ない日常を親密な目線で描いてます。。この画面では端っこからひょいと頭の部分だけ見せて黒猫の相手をしています。西洋画では人物が端っこに切れて描かれる事はあり得なくて、日本の浮世絵の大胆な構図の影響がうかがえます。黒猫のシルエットがかわいらしい♪
ジョルジュ・ブラック「レモンとナプキン」1928年 1931年蒐集
フィリップス氏はブラックの作品を気に入り、積極的に蒐集していたそうで、今回も数点の作品が展示されてました。大きな作品もありましたが、私は渋い色合いの画面にレモンの黄色が映えるこの作品がいいなと思いました。私はブラックはピカソとキュビズム絵画を発表していたころの絵しか知らなかったので、その後のブラックの作品を数点鑑賞できたのはいい経験でした。いずれも落ち着いた色調で、フィリップス氏が好むのもうなずけました。
フィリップス氏は奇抜な作品や攻撃的な色彩の作品よりも、落ち着いた色合いの鑑賞して心地いい作品を好んでいるようです。
パウル・クレー「養樹園」1929年 1930年蒐集
この作品も色調が美しい。「スクリプト絵画」と画家が呼んでいて、ひっかいた線が下地の色を見せています。一見するとまるで古代文字のように見えますが、よく見ると木が並んでます。フィリップス氏が収集した最初のクレー作品だそうです。
アンリ・ルソー「ノートルダム」1909年 1930年蒐集
ノートルダム寺院は対岸に見える黒いシルエットの建物のようです。セーヌ川の中州に建てられてますもんね。橋と対岸の区別が曖昧だったり、白い建物の窓が多すぎる事とか細かいところに愛の突っ込みをしたくなりますが、落ち着いた色合いが美しい好きな作品です。ルソーが古典作品を学んで描いたというのが良くわかります。何より色の境目がとても丁寧に描かれているのが気持ちいいです。そしてルソーの独特の表現が本人の意図と離れてモダンな作品になってます。
4 1940年代前後
ジョルジュ・スーラ「石割り人夫」1882年 1940年蒐集
スーラの点描を始める前の貴重な作品。緑の深い色、紫がかった影、土の色、人物の色合いが呼応しあってお互いを引き立ててます。小さい作品ながら美しくて存在感を放っていました。
オスカー・ココシュカ「ロッテ・フランツォスの肖像」1909年 1941年蒐集
ウィーンで活躍した表現主義の画家。この人の描く肖像画は薄い絵の具の塗りと絵具をひっかいた線で表されることが多く、どこか不穏で、人物の心のうちも描いてしまう。モデルは法律家の奥様だそうですが、恋多きココシュカはこの女性に恋をしていたそうです。うつむいた清楚な顔立ちとは似つかわしくない硬直しこわばった手。その手から絵具をひっかいた線が放出してます。体からは不穏な色のオーラが出てます。
ジェイム・スーティン「嵐の後の下校」1939年 1940年蒐集
道端の草は強い風にあおられ、背後の林も狂うように風に翻弄され何か怪物に変身して追っかけてきているように見えます。まもなく世界中が戦争に巻き込まれるのを予感したように見える作品。この時期にこの作品を蒐集したフィリップス氏の心中を感じます。
ワシリーカンディンスキー「連続」1935年 1944年蒐集
ロシア出身の画家ドイツで前衛芸術家集団「青騎士」結成する。共に創設したもう一人の画家フランツ・マルクの作品も展示されてました。全面に鮮やかな色彩が飛び交う作品も展示されてましたが、一風変わったこの作品を載せたいと思います。この作品は胚や無脊椎動物を描いた科学雑誌からヒントを得たそうです。生き物が楽譜のような線の間に順番に並んで、うようよ体を動かしているように見えます。
ラウル・デュフィ「画家のアトリエ」1935年 1944年蒐集
まだドイツ軍が侵攻する前のパリのアトリエ。おしゃれで文化の薫り高く世界中の芸術家が憧れるのも頷けます。絵の中に自分の作品やデザインした壁紙も描かれています。
5 第二次世界大戦後
ウジェーヌ・ドラクロワ「海から上がる馬」1860年 1948年蒐集
海から陸に上がる2頭の馬と、その荒ぶる馬を鞍も付けずに乗っていなす男の人がダイナミックに描かれています。その描写が見事で実際は小さな作品ですが、写真で見ると大きな作品と勘違いしてしまいます。戦争が終わってようやく落ち着いて生活できる安堵感を、フィリップス氏はこの作品に感じて蒐集されたのでは、と思いました。
ハインリヒ・カンドンベルク「村の大通り」1919年 1953年蒐集
カンディンスキーとマルクが創設した「青騎士」のメンバー。鮮やかで共鳴し合うような色合いが美しい。絵本のイラストのような幻想的な田舎の風景の前につがいの白い牛がいて、そのおっとりとした風情がまたかわいらしい。
ニコラ・ド・スタール「ソー公園」1952年 1952年蒐集
パッと見ると抽象画に見えるけれどよく見ると、公園の木立や塀や道の途中に陽だまりがあるのがわかります。グレーの諧調が美しい。ソー公園はパリの南にあるそうです。
クロード・モネ「ヴァル=サン=ニコラ。ディエップ近傍(朝)」1897年 1959年蒐集
ここにこの作品があるとモネの風景画も抽象画に近い作品に見えるなと感心しました。朝もやにけぶる崖の空気感や湿度も感じます。
ジョルジュ・ブラック「驟雨」1952年 1953年蒐集
ブラックの戦後の作品は絵の表面(マチエール)に変化を持たせたそうですが、これはもう普通に風景画で木に自転車が立てかけています。そこへ突然雨が降ってくるその0コンマ数秒前の一瞬を描いているのがスリリングで面白いと思いました。
ジョルジュ・ブラック「鳥」1956年 1956年蒐集
フィリップス氏は亡くなる直前に「現代芸術における鳥」の展覧会を開催し、このブラックの作品に感銘を受けて買い上げる。この作品がフィリップス氏が収集した最後のブラック作品になったそうです。
ダンカン・フィリップス氏が亡くなった後も、フィリップス・ギャラリーは作品を蒐集しているそうです。
パブロ・ピカソ「緑の帽子をかぶった女」1939年 1994年蒐集
ピカソが「泣く女」や「ゲルニカ」を描いた時期の作品でモデルは泣く女のモデルになった女性ドラ・マールですが、この作品は落ち着いて描かれてモデルの美しさも感受性の強そうな内面も感じさせます。この作品はたしかにフィリップス氏が気に入りそうだと思いました。
会場のあちこちにダンカン・フィリップス氏が作品や画家に感じた言葉が壁に掲げてありましたが、最後に長い文章がありました。
「絵画は、私たちが日常生活に戻ったり他の芸術に触れたりしたときに、周囲のあらゆるものに美を見出すことができるような力を与えてくれる。このようにして知覚を敏感に鍛える事は決して無駄ではない。私はこの生涯を通じて人々がものを美しく見ることが出来るようになるために、画家たちの言葉を人々に通訳し、私なりにできる奉仕を少しずつしてきたのである。」
珠玉を慈しむようなフィリップス氏の目線を感じました。本当に美術を愛して、収集した美術を一般公開し、その美しさをみんなと共有してゆく。
他にも彫刻作品もあり、絵画作品もダンカン・フィリップス氏の審美眼にかなった心地良い作品ばかりでした。私自身もこの会場から離れたくない気持ちになり、昨年11月に鑑賞して、今年になって恋しくなってもう一度鑑賞しに行きました。もっと行きたかったです。
会場を出てショップに入ると店の真ん中にフィリップス・ギャラリー創設の頃の様子を再現したドールハウスが展示されてました。天窓やソファーの椅子の布地も再現されていて絵画のミニチュアも飾られてとても素敵で、写真に撮りたくなったのですが、多分禁止されているだろうと諦めて帰って公式Twitterを見てみたら・・・撮っても大丈夫だったみたいです(@_@;)うう、無念・・・。ちゃんと係員に聞いてみればよかった・・・・((+_+))
もし写真に撮ることができたらガラスケースの中を覗き込んで部屋の中をズームで撮ってここに載せるのですが・・・
なので公式Twitterに載ってあったドールハウスの写真をこちらに載せたいと思います。
今年に入ってから来館した時は中庭に薔薇が咲いてました。春はもうすぐですね。
2月11日まで開催されてます