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オルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵 ルノワール展

2016-08-08 01:34:00 | 一期一絵

ルノワールの展覧会を鑑賞しようと思ったきっかけは、いつも読んでいるblogの展覧会鑑賞レポートに影響されたからなんです。
ルノワールの作品を通して感じられたことが素敵で、私も見てみたい!と思いました。

私はどんな感想があるのだろうか。ともかく作品にお会いしに行こう。

会場はやはり鑑賞する人が多かったです。人気のある画家の展覧会ですもんね。夏休みなので小学生も見にきてました。ルノワールなら親しみやすい作品ばかりだし、初めて接する美術作品にとてもふさわしい。
そして会場にはさりげなく音楽が流れて聞こえました。これは前回鑑賞したヴェネツィアルネッサンス展でも聞こえました。私の思い込みかもしれないのだけど、ルノワール展で流れた曲は当時歌われてた流行歌だったのではと勝手に思いました。


最初は写実的な絵を描いていたルノワールが色彩分割に目覚め、当時の批評家からは酷評された、つまりは時代の先を進んだ作品

《陽光のなかの裸婦》1876年頃
朦朧とした色彩の画面の中に女性の裸体の肌が木漏れ日にあたって微妙に変化している美しさを魅せている。肌に当たる影の色は茶色やグレーなんかじゃない。まるで真珠のように虹色に照り輝く若い娘さん。・・・明らかに戸外で裸になってますが、それがちょっとドキドキします。大丈夫かな?誰かのお庭にいるのかな?変な人は見てないよね。

そして風景画も描いてます。モネやピサロの絵を思い起こしました。

《草原の坂道》1875年頃
田舎に遊びに行って母親と子供たちが坂道をかけ降りてくる、奥行があって人物の大きさが変化する面白さもある。懐かしい気持ちになる作品。おお、そうだドラマ「草原の少女ローラ」のオープニングによく似たシーンがありました。

そして青春の時、様々な人との交流があったようです。ルノワールは人が好きで。ご自身も好かれた人のようです。


《ぶらんこ》1876年
女性の大きなリボンがいくつもついたドレスを着てブランコに揺られ、男性はそんな素敵さに惹かれ言い寄ってるように見えます。
傍にいる小さな女の子はブランコに乗りたそう。そして素敵なドレスを着る年頃への憧れをもって見てるのかな?
絵のモデルは友人だそうです。
人物や地面にそそぐ木漏れ日が揺れているように見える。影や黒い洋服に黒を置かず、青で描いている。


《アルフォンシーヌ・フルネーズ》1879年
セーヌ河の中州にあるレストランのオーナーのお嬢さん。セーヌ川をバックにテラス席に座って親し気な笑顔を見せています。
この作品は近所の小学校の廊下に複製画が飾ってあったのでなつかしい♪

展覧会場は大広間となり向かい合わせに次の3点が展示されてました。真ん中にはパリの公園にありそうなベンチが置かれてました。たくさんの人が座っていたので座って作品を眺めることはできませんでしたが。

《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》1876年
風車小屋のあるダンス場。とても人気があったそうです。ルノワールの友人が絵のモデルになってます。
とても大きな作品で傍によって見てると自分もその場にいるような気持になり、ざわざわとした人々の声が聞こえ、音楽が聞こえてくるように思えました。
この作品も木漏れ日が洋服の色合いを変えています。揺れ動きどんどん変化する木漏れ日は、楽しい時はあっという間に過ぎ去ってしまう事の象徴にも思えました。その一瞬の幸せを絵の中にとどめておいたようにも思えました。
私はうっかりナイトクラブのムーラン・ルージュ(ロートレックがポスターにしている)と混同してしまってましたが、ムーラン・ド・ラ・ギャレットは小高い丘の野外でダンスする場所だそうです。

そして大広間のお向かいにはこの2点の作品。「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」から7年後の作品。
作風がかわり、人物をはっきりと描くようになってます。


《都会のダンス》1883年
女性モデルは美貌で名をはせたシュザンヌ・バラドン。絵のモデルをしていたけど、後に画家になります。息子も有名な画家モーリス・ユトリロ。母親としてはちょっと問題があったようですが。


《田舎のダンス》1883年
かわいい笑顔を見せる女性は後にルノワールと暮らし、お子さんを産み、その後何年かして正式な妻となった20歳年下のアリーヌ・シャリゴ
彼女はお針子で、貧しい家庭出身のルノワールにはお互いに分かり合えることが多かったのでしょうね。ルノワールが制作に没頭しているときに、何もいわずそっとしてくれたそうです。
そして、健康的で素朴なかわいい姿はルノワールの後半生に描く女性像そのもの


「母性」(1885年
チューリップハットをかぶってお乳を与えている幼さも感じる若い妻。お乳の出も良いらしく赤ちゃんもふっくらして元気そうです。
いかにも健康的な姿を愛情込めて描いてます。アリーヌも幸せそう。
お子さんも芸術的な天分を持ち、長男は俳優に、次男は俳優かつ映画監督になったそうで、映画作品の一部シーンが会場に映し出されてました。

でもアリーヌは夫より先に50歳代半ばで亡くなります。その後制作されたアリーヌの姿を彫刻した像が展示してありました。ふっくらした体格にちょっと落ちくぼんだ目をして素朴で可愛らしい若い母親になった頃の姿でした。想いがこもったその作品がとても良かったです。残念ながら画像が見つかりませんでしたが。

肖像画も多数展示してました。親しい人を描いたプライベートなものや、注文を受けて描いたものもありました。
身内はともかく、注文で描いた肖像画の女の人はより優雅で綺麗に子供は可愛く、多分、少しは脚色して描いているように思えます。でも数日前にヴェネツイアルネッサンス展で怒った表情で口をへの字にした婦人像を見た後なので、やはりこうでなきゃと思いました。あんな不機嫌な表情で何百年も人に見られ続けるのは何だかね~(^^;)。せっかくだから自分の一番綺麗に見えるときの顔を残していたいよね。
目に違和感を感じるときがあるんです。目をきちんと詳しく描いているのですが
ときどき顏が斜め向きなのに眼は両方とも正面向きになってるように見えるときがあります。


《ジュリー・マネ》あるいは《猫を抱く子ども》 1887年
この女の子の目はお顔の丸い形とあっていて不自然さは感じられませんでした。愛情深く育ったのが感じられる女の子と甘えるねこの表情が素敵です。画家のマネの弟さんと女流画家のベルトモリゾ夫妻のお嬢さん。生涯この肖像画を手放さなかったそうです。
ご両親はジュリーさんが10代半ばで相次いで亡くなったそうです。この作品は家族で幸せに過ごしていた頃の大切な思い出の象徴だったのでしょう。

後半生はリューマチにかかり車いすのお世話になり、指も変形して筆が持てなくなったので筆を紐で括り付けて描いたそうです。
そしてライフワークの裸婦を描き続けてます。


《浴女(左向きに座り腕を拭く裸婦)》1900~02年ごろ
このデッサンがまた素敵です。豊満な体、柔らかい肌、そして素朴な顔立ち。そのお顔はアリーヌと似ている。


《横たわる裸婦(ガブリエル)》1906年頃
アリーヌの姪っ子のガブリエルはルノワール家のお手伝いのために来たのだけど、その後ルノワールのモデルになったそうです。お肌がすべすべして柔らかそう。
横たわる裸婦像は、ヴェネツィアルネッサンス展にもあり、古典的な題材。

こうやってヌードを何点も見て、ふと感じたのですが、同じヌードでもドガの描いた娼婦は描いてない。田舎のお嬢さんのような風情の無垢な若い女性ばかりを描いている。
ドガは都会の荒波や喧騒の中で精一杯生きて、時に疲れを見せる娼婦の中に、踊りで表現することで生きてゆく糧としている当時の踊り子の中に美を見つけてました。
ルノワールにとって美は素朴で年若い女性に存在してたようです。

若い頃に普仏戦争にも徴兵され、途中で感染症にかかって除隊できたけど戦争の実態を目の当たりにし、1871年のパリコミューンでセーヌ河が血で染まるほどの死者がでた事件も目の当たりにして、世の中の暗い面も見てきた。最晩年に奥様を亡くし、そして自身も手足の自由を失ってゆく怖れと不安を強く感じていたと思います。でも作品の幸福感を最後まで追及し続けた.
筆致は優しいけど、可愛い作品にファンが多いけど、美の基準は厳しい。誰でもいいという訳ではない。老いた人は描かれていない、悲しみに打ちひしがれている人も描いてない。闇を描かない・・・
もう、それは美しさ愛しさへの強い信仰のようにも思えて、世の中は哀しい事があまりに多いからせめて絵の中の世界は幸福で満ちていたいという強い意思を感じました。
頑なに、誰もが愛しい可愛いと感じるモデルだけを描き続けている。
そしてルノワールの作品を鑑賞する人も一時、喧騒を忘れて癒される。もちろん、不自然さを感じてしまう人もいる。
私は小学生のとき、はじめてルノワールの作品を見て、親しみやすい画風に素直に良いなあと思いましたが、成長するにつれ、かわいい優しいものしか描かれてない世界に違和感を感じてしまい遠ざかっていたのですが・・・。
改めて今回展覧会を見てみると、自分の描きたいものを描く!という頑固なまでのこだわりを感じて、それを最後まで突き詰めた画家人生とあのやわらかい筆致もあわせてこういう絵の世界に安心して、見ることを楽しむ原点回帰のように感じました。

「絵とは、好ましく、楽しく、きれいなもの━そう、きれいなものでなくてはならない」(展覧会の壁に書かれていたルノワールの言葉)


《浴女たち》1918~19年
最晩年の作。ルーベンスの描く女性像とも重なる。
お腹のお肉が気になるけど、豊満な女性こそがルノワールの理想の女性像の様です。

そんな人生を肯定的に生き、生きてるうちに作品を評価されたルノワールの人生は良好なものだったと思います。
そして作品からにじみ出る幸福感を楽しみました

「絵は見るものじゃない。一緒に生きるものさ。」

8月22日まで開催されてます

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