国立新美術館にて鑑賞しました。
ルーヴル美術館展はこれまでほぼ2~3年ごとに日本で開催され、そのたびにテーマを持ってコレクションが展示されてきました。今回は「肖像芸術 人は人をどう表現してきたか」がテーマだそうです。
小さな子供も人を描こうとし、人形で遊ぶ。目の前に実際にいなくても、絵に描かれたり映像や写真に写った人物にときめき、漫画やアニメなどに登場する架空の人に心躍り、時に恋してしまうこともある。また描かれ方によっては逆に不快な思いを持って嫌ったりすることもあります。神様も人の姿をしていることが多いです。こんなに人の心に直接訴えかける力があるのは肖像芸術がやはり一番強いと思っています。
今回はルーヴル美術館ならではで、圧倒的に西洋の、特にフランスの著名な人物の肖像画や彫像が多く展示されてました。複製画も多かったですが、画家自身が営む工房での弟子の作品なのでかなりオリジナルに近い作品でした。
歴史上の人物の肖像画を目の前で堪能する醍醐味を感じました。
展覧会ではプロローグと3つの章、そしてエピローグを合わせ5つのテーマをもとに作品が展示されてました。
肖像画の初めは戦場に向かう兵士の恋人か妻が、前の晩に明かりに照らされ壁にシルエットができた兵士の横顔をなぞったことが始まりと言われているそうです。なんともロマンチックで切ない話です。
肖像は、だからその時のその人の様子を記憶に留めておくために生まれたのでしょう
プロローグでは2つの時代のエジプトのミイラの棺に被せられた肖像が展示されてました。
左: 新王国時代、第18王朝、アメンへテプ3世の治世(前1391-前1353年)エジプト出土
右:2世紀後半 エジプト テーベ出土
紀元前1300年前の肖像は理想化定型化された顔だち、表情はないですがとても整ってます。同じエジプトでも1500年後のになると人物の生前の様子が表現されてます。ギリシャ美術そのもの。ポンペイの壁画を思い出しました。
理想化された顔と人物そのものの個性を表現する顔、肖像芸術はこの2つの要素を行き来して表現しているそうです
続いて第1章は記憶のための肖像、第2章は権力の顔、第3章はコードとモード、となりますがどの肖像作品もいろいろな要素が混在しています。
それで私なりに感じた順番で作品を載せたいと思います。
先ずはこの方から
《アレクサンドロス大王の肖像》 通称《アザラのヘルメス柱》2世紀後半 リュシッポス原作(前330~340年)の摸刻
ギリシャの王。英語でアレクサンダー大王、ペルシャ語とアラビア語ではイスカンダル双角王と呼ぶそうです。このアレクサンドロス3世が東方に遠征してギリシャ文化をアジアに波及したためヘレニズム美術が生まれ、ガンダーラ美術が生まれ、さらに文化は東に進み海を越えて日本の仏教美術まで到達した、わずか32歳で早世しましたが歴史の大きなうねりを引き起こした壮大な人物の肖像。自分の権威を知らしめるために肖像彫刻を沢山作らせたそうです。そして前髪が少し立ち上がっているのが大王のこだわりなのだそうです。確かに直接前髪が額を垂らすと子供っぽくなりますが、前髪を上げると大人っぽくより顔立ちがひき立って英雄の雰囲気を醸し出してます。もしかしたら、前髪が2房たっているからアラビアで双角王と呼ばれたのかも。ある程度理想化され、英雄のイメージを民衆に記憶させる肖像。
プトレマイオス朝の作品ではクレオパトラ2世(もしくは3世)の彫像も展示されてました。
《クレオパトラ2世または3世の肖像》前2世紀前半
有名なエジプト最後の女王クレオパトラ7世の祖先にあたる女性ですが、王家の血筋を守るため近親婚を代々続け、兄弟間で殺し合う骨肉の争いで生き残る意志と強さを持って生きてるためか、かなり険しい表情でした。そしてやはりギリシャ彫刻そのものでした
お墓に彫られた肖像彫刻も多く展示されてました。姿を記憶にとどめる気持ちは今も同じですね
再び歴史的な人物を載せます
《トガをまとったティベリウス帝の肖像』頭部40年頃、50~60年頃
全身像の画像が見つからず半身の画像を載せます。本当は、はおったトガの衣の襞が見事なので全身像を載せたかったのですが。この画像でも衣装の表現が見事なのが少しわかるでしょうか。アウグストゥスに継ぐ第2代ローマ皇帝だそうです。鼻が高いローマンノーズです。そして手を差し伸べているのは民衆に演説しているところなのか。
ティベリウス像はカメオに彫られた作品も展示されてました。
《ティベリウス帝とユリウス・クラディウス朝の皇子(カリグラ?)のカメオ》イタリアローマ制作 1世紀
カメオは長く保存できる美術工芸品なのですね。以前も「黄金のアフガニスタン展」でもカメオをネックレスにしたアクセサリーを鑑賞しました。小さくて高度な技術で彫り込まれ保管しやすいのでその美しさが殆ど損なわれずに残ると思うと貴重な歴史資料でもあるのが素晴らしい。私も小さいカメオ(ベニスの風景に猫がたたずんでいる)を持っているのですが、大切にしようと思いました。
《ザクセン選帝侯ヨハン不変公》《ヨハン不変公の最初の妻、ゾフィー・フォン・メクレンブルグ》ドイツ16世紀前半
画像は展覧会を紹介した動画から撮りました。ヨハン不変公といえば、昨年展覧会を鑑賞したルカス・クラーナハが仕えた三代のザクセン選帝侯の一人ではないですか。展覧会では先代のフリードリヒ賢明公と不変公の跡を継いだ息子のヨハン・フリードリヒ寛容公の肖像画を見ましたがヨハン不変公は見てなかったので、お姿を見ることができて嬉しかったです。
木のレリーフ作品。堅実な人柄が感じられる肖像作品です。
今度はイタリアのおしゃれの最先端の肖像
《赤い縁なし帽をかぶった若い男性の肖像》サンドロ・ボッティチェリと工房 1480~1490年 油彩
当時のモードを着こなしているおしゃれな若い男性。片方の襟を開けて赤い服を見せているのかな?その色の配分もしゃれてます。若者らしい生気を感じられ、モデルを見て描いたのがわかります。背景はシンプルな青空(少しだけ雲もある)ですが、そのグラデーションが美しい
《女性の肖像》通称《美しきナーニ》ヴェロネーゼ(本名パオロ・カリアーリ)1560年頃
ヴェネツィア派の画家の中でもヴェロネーゼの画力は抜きんでています。一昨年、昨年とベネツィア派の展覧会を見に行きましたが、他の画家の描く女性の肖像画はおしなべて不機嫌そうに描かれてました。たぶん、権威を示すためにも貞節の意味でも、高貴な女性が安易に笑顔を見せるのははしたない事だったのでしょうね。思いっきり口をへの字にして不機嫌そうな顔している肖像は正直言ってきれいには見えませんでした。画家ももうちょっと上手く加減して描けばいいのにと思ったものです。こちらの女性も笑顔を見せてません。でもさすがヴェロネーゼが描くと不機嫌そうな感じにはならなくて、高貴さとそこはかとなく憂いを湛えて上品な肖像に仕上がってます。目が、どこから見ても合わないのも画家のあえての企みだったのでは。
モデルは今は不明だそうですが、服装といい身に付けている金や宝石と言いかなり裕福なおうちの人だったのでしょう。ビロードのドレスも豪華さを醸してます。当時のヴェネツィア美人はふくよかなんですね。そして金髪であることも。この作品は今回の展覧会を代表する重要な作品でした。
そして、今回の展覧会はなんといってもフランス史で有名な人物の肖像が多く展示されて見ごたえがありました。次からは怒涛(と言うと大げさかな)のフランス人肖像を載せたいと思います。
まずはこの人から
《鎧をまとったフランス国王フランソワ1世像》ルイ・クロード・ヴァッセ(16世紀第2四半期に制作された胸像に基づく)
正面の画像が見つからず、紹介動画から撮った画像です。16世紀フランスの王。この方がフランスにレオナルド・ダ・ヴィンチを連れてきて、それからフランス美術のルネッサンス「フォンテーヌブロー派」が開花したのです。フランソワ1世はジャン・クルーエの描く肖像画を写真で見たことがありましたが、彫刻は初めて見ました。肖像画と同じでやはり鼻が高い。帽子をかぶってない額は沿っています
《聖別式の正装のルイ14世像》イアサント・リゴーの工房
ブルボン王朝黄金期の王。この肖像画を気を入ったルイ14世は いくつも複製画を作らせたそうです。今回の展覧会も複製画が展示されてました。王の威信を示す肖像画。権威と富をこれでもかと示すような服装、凄いです。百合の紋章付きマントもレースも毛皮も、年齢に合わないかなり盛り上げたふっさふさのカツラも、足のラインがもろにわかるタイツといかにもな足のポーズ。宮廷の豪華さが発展し強調しすぎてガラパゴス化してるように見えて、装飾過剰で引いてしまいますが、これが当時の正式モードだったのでしょう。この服やレースを作るのにどんなに手間と莫大な費用が掛かったか。
《リシュリュー公爵ルイ・フランソワ・アルマン・デュ・プレシ》フランチェスコ・マリア・スキアッフィーノ
臣下の肖像もこうなってしまいます。レース、リボン、プリーツのついた膨らんだ半ズボン、ふさふさのカツラ、それがこの時代の服装コード。こうしないと宮廷では眉をひそめられ無礼だみっともないと顰蹙を買ってしまうのでしょう。そしていかにもなポーズ。さりげなさと言う美学はこの時代にはないのだろうか
《フランス王妃マリー・アントワネットの胸像》セーヴル王立磁器製作所(ルイ=シモン・ボワゾの原作に基づく)1782年
日本でも良く知られている王妃。お顔のラインに出身のハプスブルグ家の特徴を感じます。豪勢に盛り上がった髪型の後ろ側はどうなっているのだろうと胸像の後ろ側を覗いて見たら、髪は一部三つ編みになっていてリボンでいろいろくくっていました。
フランス宮廷の贅沢はこの人の前からとっくに始まってましたが、贅沢の波にそのまま乗っかってしまい延長させてしまって、とうとう人々の反感を一身に受けてしまう羽目に。
《マラーの死》ジャック=ルイ・ダヴィッドと工房 1794年頃
ジャン=ポール・マラーはフランス革命政府ジャコバン党の指導者の一人でしたが、皮膚病の治療でお風呂に浸かっているときに暗殺されます。その姿を描いた肖像画。死してなおペンと紙を離さない姿に革命家の強い意志を感じます。また顔立ちはご本人と似せていますが体は理想化され英雄として表現されてます。この作品は評判となり、複製画が多く作られたそうですが、今回展示されたのもその複製画の一つだそうです。
ずっと前の事ですが、オーケストラが映画に合わせて生で演奏するという豪華なアレンジでサイレント映画「ナポレオン」(アベル・ガンス監督 1927年作)を鑑賞したことがあります。その映画の中でマラーがやはりお風呂につかりながら暗殺されるシーンがあり、この作品を見ると35年前に見た映画が脳裏で蘇りました。
その映画の中のナポレオンは次の作品の人物と とても似ていました
《アルコレ橋のボナパルト》アントワーヌ=ジャン・グロ 1796年
若きボナパルトは痩せていて眼には強い意思と野心を潜ませています。これはベルサイユ宮が所蔵する絵画の習作だそうですが、素早く走らせた筆致が劇的でむしろ生き生きとした表現になってます。
先ほど書いた映画を鑑賞した際に購入したパンフレットを本棚から取り出してみました。
ね!似てませんか?白黒映画ですが、表紙は着色した写真になってます
マラーの死の場面。隣のページに写っているのは暗殺者のシャルロット・コルデーです
《戴冠式の正装のナポレオン1世の肖像》アンヌ=ルイ・ジロデ・ド・ルシー=トリオゾンの工房 1827年
展覧会では戴冠式の姿を現したまるでローマ皇帝像を思い起こすような堂々とした彫刻作品も展示されてました。他にも細密画もナポレオンとジョゼフィーヌご夫婦で1対で展示されてました。ここでは30代のお顔がよくわかる油絵作品を載せます。皇帝となりナポレオン1世と名のった人生の頂点の姿。多少は理想化されてますが、肉付きの良くなった中年時代のお顔がわかります
《ナポレオン1世のデスマスク》フランチェスコ・アントンマルキ 1833年
失脚し幽閉され失意のうちに生涯を閉じた直後の顔。頬がこけて若いころの姿に戻っています。このデスマスクは沢山複製され、お金儲けに使われたり、権力の道具に使われたりしたそうです。
何故なのか、首の下の部分にコインが埋め込まれてます
《国王の嗅ぎタバコ入れの小箱》セーヴル王立磁器製作所
《「国王の嗅ぎタバコ入れ」のためのミニアチュール48点》マリー=ヴィクトワール・ジャコト 1818-1836年 硬質磁器
ナポレオン1世の失脚後、ブルボン王朝復古となりルイ18世が即位。そのルイ18世が注文した工芸品です。ヨーロッパ宮廷では嗅ぎタバコ入れに精緻な装飾をして贈り物にしたそうです。こちらは嗅ぎタバコ入れとふたにはめ込んで取り換えられる陶製のミニアチュール(王室にゆかりのある人物の肖像が描かれている細密画)48枚をセットして仕舞う小箱。ただし嗅ぎタバコ入れ自体は今は紛失してミニアチュールだけ入っているそうです。
ルイ18世はルイ16世の弟で、この小箱に入っていたミニアチュールを見てみたら丸顔で気の弱そうな人に見えましたが、なかなかの野心家だったようです。兄ルイ16世より有能だとアピールして、国王に王太子ができない時は我こそが次期王と狙ってたそうです。そしてマリー・アントワネットとは不仲で蹴落とそうと画策したそうです。
ルイ・シャルル(ルイ17世)が幼くして亡くなってルイ18世を襲名、革命政府時代ヨーロッパの王室を頼ってあちこち世話になり、王制に戻って即位してからは革命以前の宮廷に戻るべくフランスを去った貴族を、呼び戻したそうです。
この小箱セットはプレゼント用に作らせたそうですが、完成を待たずルイ18世は亡くなったそうです。代々の王室や重臣の肖像画を網羅したセットを作ることで、ブルボン家、ひいてはルイ18世の王の正当性を表したかったのでしょうか。ルイ18世の人となりがわかってしまうようなミニアチュールの肖像画を展覧会に行かれた方にはぜひ見てみてください。
《アングレーム公妃マリー=テレーズ=シャルロット・ド・フランス》アントワーヌ=ジャン・グロ 1816年
個人的にこの展覧会で一番印象が深く残った肖像画です。
ルイ16世とマリー・アントワネット王妃の長女です。お名前はアントワネット妃の母でハプスブルグ家オーストリア大公マリア・テレジアのフランス語名だそうです。お顔を見ると目元は母親とよく似ていて、口元や顎のラインは父親と似てます。ブルボン家とハプスブルグ家の2大王家の血を受け継ぐまさにプリンセス中のプリンセス。
この肖像画は王政復古の象徴として議会に飾られた肖像画だと絵の横の解説に書かれてました。そうなんだ、この方は政治利用され翻弄されたのかな・・・と思って気になってしまいました。そして帰宅して調べてみたら、違ったのです!マリー・テレーズ妃こそは祖母の聡明さと決断力を引き継ぎ、ご両親よりも強く生き抜いた女性でした。
小さいころはプライドがとても高い少女だったそうですが、一方侍女へのさりげない気配りもできたそうです。
フランス市民革命で牢獄に入れられ、親兄弟とも引き離されて一人で幽閉される。幽閉された部屋のすぐ下には弟王子ルイ・シャルル(ルイ17世)が幽閉され毎日幼い弟が泣いている声が聞こえたそうです。それが段々と心身ともに病んでいくのがわかり、何度も弟に医者を見てあげて欲しいと手紙を書いて嘆願したのに受け入れられなかったそうです。王女は叔母が残した毛糸で編み物することと信仰で気持ちを保ってたそうですが、2年間ほとんど人としゃべらなかったのでしゃべり声に支障が起きて、生涯残ってしまったそうです。王子はやがて亡くなってしまいます。その様子を書いた文章をよんだのですがあまりに惨いのです。基本的人権を唱えながら、こんな幼い罪のない子をこんな目に合わせてる矛盾。ブルボン家の男たちも自分を守ることで精一杯。
急進的な革命指導者ロベスピエールの死後、世間で同情する声があがり、母方の従兄の神聖ローマ帝国フランツ2世がマリー・テレーズの身柄を引き受ける。ハプスブルグ家の血筋が彼女を助けたのですね。やがてナポレオンが侵攻してきて、ウィーンからプラハと住処を替えて、手紙を書くにも慎重にしたそうです(レモンの汁で書いてあぶり出しで読む書き方もしたそうです)。そしてマリー・アントワネット王妃の恋人フェルゼン伯爵がマリー・テレーズのために没収された財産を取り戻すよう尽力してくれたそうです。フェルゼン伯は本当に素敵な人だったようです。
やがてハプスブルグ家とブルボン家から縁談の話が来てマリー・テレーズはブルボン家父方の従兄のアングレーム公ルイ・アントワーヌを選んで結婚。不幸な牢獄生活を経験したからこそブルボン家であることに誇りとこだわりを持っていた。亡命中のルイ18世から両親の結婚指輪を渡され新郎新婦は抱き合って泣いたそうです。
ロシア皇帝の援助もありしばらくロシアに滞在。夫が対ナポレオン戦に参加して出ていき、フェルゼン伯がマリー・テレーズを心配して会いに来たそうです。やがてルイ18世だけロシアから出ていくよう言われると、マリー・テレーズは叔父を見捨てられないと自分の家財道具を売り払い同行。ルイ18世はマリー・テレーズに頼るようになったそうです。極寒のロシアを放浪しやっとワルシャワで受け入れられ居を構えるとフランス亡命貴族の援助や貧民の為の慈善活動も行い、亡命したフランスの宮廷人が慕って集まり、そのため経済的に厳しくなってロシア皇帝から結婚祝いに贈られた金銀財宝を売ったそうです。その時は泣いてたそうです。きっと美しかっただろうし、何より心のこもったプレゼントですから、愛着があったのだと思います。さらにナポレオン軍との戦いでは負傷した兵士を看護をしたそうです。
戦争が終わった後夫ルイ・アントワーヌと彼の弟のベリー公、そしてルイ18世はストックホルム経由でイギリスに行き、マリー・テレーズも後からイギリスに行き快く応対されしばらく滞在。イギリス在中にナポレオンがオーストリア大公女と結婚したニュースが入り、またフェルゼン伯爵の暗殺の知らせを受けショックを受けたそうです。
やがてナポレオンが失脚しルイ18世や家族と共にフランスに帰国。国民からはマリー・テレーズが不愛想でいつも地味な身なりでいることが不評だったそうです。表面だけの飾りのむなしさをこの人はよくわかっていますもんね。一方、ルイ18世を支えて共に行動した勇気は讃えられたそうです。彼女は革命後の新興貴族(市民革命のはずなのに、結局自分達が貴族になっているとは)を認めず革命政府やナポレオン時代にかかわった人を許さずはっきりと態度で表し、宮廷時代に良くしてくれた人に対しては深い友情を示したそうです。またルイ・シャルルを名乗る男たちが何人も現れ面会に来たそうですがいずれも会わず、一方で自分で弟の安否を確かめようとしたそうです。
ナポレオンが復活しナポレオン軍が勢力を伸ばすと、その勢いにルイ18世は逃げて、他のブルボン家の男たちも何もできなかったのに対し、マリー・テレーズは国王軍の主導権を握り、反ナポレオンの挙兵演説を文字通り矢表に立ち堂々と行う。それを知ったナポレオンはブルボン家の男達の不甲斐なさに比べマリー・テレーズの勇気ある行動に「ブルボン家唯一の男性」と言ったそうです。ひたすらおびえるルイ18世にあきれながらも、ナポレオン復活の激震に紛れて自分が即位しようとしたブルボン家の分家であるオルレアン家のルイ・フィリップをルイ18世に言いつけてフランスから追放させたそうです(数年後許されて帰国 )。
ナポレオンが追放された後、マリー・テレーズと義父(夫の父でありルイ16世の弟)のアルトワ公はブルボン王朝の絶対的な権威の復活を計り、国民の自由の制限を計ります。少女時代に、市民革命で人権を唱えた革命家が同時に罪のない自分と弟の人権を蹂躙した恐ろしい過去がぬぐえなかったそうです。議会政治にある程度理解を示すルイ18世と夫のアングレーム公とはそのことでしばしば口論となったそうです。
やがてルイ18世が病死、義父のアルトワ公が王位につきシャルル10世になる。夫のアングレーム公が王太子となりマリー・テレーズは王太子妃となっても質素倹約し使用人も極力少なくしたそうです。義父に良く尽くし、夫との間にお子さんはできなかったけれど夫の弟のベリー公の子供たちを愛情をかけて育てたそうです(ベリー公は若くして暗殺され、妻は子育てを放棄したそうです)。子供たちに、かつて母(マリーアントワネット)が自分たちにしたように自分たちが恵まれていることと貧しい子供がいることを教えて、おもちゃを多く持たせなかったそうです。マリー・アントワネットはいい母親だったようですね。
革命以前の宮廷復古を望み市民を弾圧したシャルル10世に不満を抱いた市民が7月革命をおこし、シャルル10世は王位を追われ、オルレアン家のルイ・フィリップが王となる。マリー・テレーズも屋敷を売却し共にイギリスにわたり、イギリス王家の要請で名前を変えて亡命生活を送る。与えられた宮殿は一般公開されているので居心地が悪く、近くの小さな家に引っ越し、生活資金も援助され穏やかに過ごす。けれどフランスとイギリスの関係が改善されイギリスにいられなくなるとオーストリア皇帝フランツ1世を頼りプラハに移る。やはりまたハプスブルグ家の血筋が彼女を助けたようですね。
プラハの城でシャルル10世と共にベルサイユの伝統的儀礼を復活させ静かに生活。マリー・テレーズは刺繍をしてその作品をオークションにかけて収益金を恵まれない人のために寄付したそうです。
そして義父のシャルル10世と夫のアングレーム公を見送りご自分も72歳で生涯を閉じます。
・・・とかいつまんで書いたつもりですが、それでもかなりの量の文章になってしまいました。もはやルーブル美術館展なのかフランス近代史なのか区別がつかない状態になってしまいました(大汗)が、マリー・テレーズの生きざまに感動したのです。幼くして家族を失い、あまりに理不尽な恐ろしい牢獄生活を生き抜いた生命力と精神力。その後の人生も波乱に満ちてますが、きちんと自分で選択して両親や弟の分まで生き抜いていく賢さ。誇り高く毅然と振舞う強さ。そして戦争の負傷兵を看護したり、窮地に陥った叔父のルイ18世を見捨てず支えたり、貧しい人のために自分の作品の売り上げを寄付する優しさ。この肖像画(《アルコレ橋のボナパルト》と同じ画家が描いている)が気になったきっかけでマリー・アントワネットの娘さんを知ることができました。調べている途中から「ベルサイユのばら」の続編を読んでいるような気持ちになってきました。マリー・テレーズのお顔は同じ作者の作品「オルフェウスの窓」の主人公ユリウスの姉でアーレンスマイヤ家の長女マリア・バルバラを当てはめて思い浮かべています。
《フランス王太子、オルレアン公フェルディナン=フィリップ・ド・ブルボン=オルレアンの肖像》ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル 1842年
7月革命で王位についたルイ・フィリップ王の長子で王太子の肖像画です。数々の戦功をあげ軍人としても勇敢で、教養があり文学や美術にも造詣が深い人物だったそうです。若くすらりと背が高く知性を湛え気品のある貴公子の姿をアングルは殆ど迫真に迫って描写してますが、さらに、首を少し長くして、左手も実際より長くしてノーブルな雰囲気をより醸しています。王太子はこの肖像画が完成した直後事故死されたそうです。そのお墓に彫刻された王太子の眼を閉じたお顔の摸刻がやはり展覧会で展示されてました。ご家族の悲しみがうかがわれました。
今回は音声ガイドも付けて鑑賞しました。その音声ガイドの声は俳優の高橋一生さんで、低いちょっとこもった声は、がやがやしている会場入り口では聞き取りづらかったですが、静かなところでは落ち着いた声が聞きやすかったです。そして俳優として自身も被写体となる経験から感じたことを話していて聞いていて興味深かったです。
その高橋一生さんが一番気に入ったと話していた作品は・・・
《性格表現の頭像》フランツ・クサファー・メッサーシュミット 1771~1783年の間
ウィーンの彫刻家メッサーシュミット自身がモデルとなって様々な人間の表情を彫刻にした性格表現シリーズの中の1作。生前には発表されず、ごく個人的な彫刻だったようです。何かに耐えるように眉をしかめ目を閉じて口をへの字にしてます。よく見ると口にはテープ状の物が貼り付けられてます。様々な表情を披露し表現する俳優さんらしい選択だなと思いました。驚くことにこの作品は18世紀につくられたものなんです。フランスではロココ美術が流行っていたころに、時代を先取りしたような作品。しかも粘着気質的な表現がいかにもゲルマン系の作品。
エピローグのタイトルは「アルチンボルド 肖像の遊びと変容」、四季シリーズの寄せ絵で「春」と「秋」の作品が展示されてました。
最後に肖像画の中でも子供を描いた作品が何点か展示されてましたがそのうちの1作が気に入ったので載せたいと思います。
《画家の息子アンブロワーズ・ルイ・ガルヌレ》ジャン=フランソワ・ガルヌレ 1793年頃
こちらも18世紀フランスの作品。仲良しの猫と一緒にポーズをとっている息子さんの笑顔を逃さず絵にしています。愛情のあるまなざしで、素敵な笑顔を見せる息子の今を残していきたいという画家の気持ちが感じられます。そして絵にしたことで、ちょっと緊張気味の猫と息子さんのかわいらしさや笑顔のひと時が、何百年たった後も感じることができます。
これまで見てきたお墓や権力者の肖像だけでなく、ごく一般の人も肖像を後世に残すことを望んでいく。そして画家自身もごく身内の人への感動や愛情も肖像芸術にして残していく。
今もいろんな人が好きな人や好きなスターの顔を描いてます。自分の愛情を形にして残したいと言う思いは肖像芸術のとても大切な要素だと思いました。
展覧会ではさらに多くの肖像画や彫像が展示されてました。その表現された姿の後ろにさまざまなドラマが隠されていて興味が尽きません。肖像芸術はやはり面白いです。
9月3日まで開催されてます