10月7日に前期展示を10月17日に後期展示を鑑賞しました。
なので猫さんどちらもお会いできました♪名前に黒き猫が乗っかってるのがかわいい♪
菱田春草は1874年(明治7年)9月21日信州の元士族の三男として生まれる。教育熱心で優秀な家庭だったらしく、長兄は東京物理学校の教授、次兄は東京大学の教授になってます。
春草も理知的で冷静な人物だったそうです。そして、女性に間違われるくらい優しい顔立ちだったそうです。写真でみると、なるほどなかなかのハンサム。
(24歳で結婚しますが写真でみると奥様も美人さんでした)
わずか16歳で入学した東京美術学校でも皆が認める実力の持ち主だったそうです。
最初に目に入るのは
「海老にさざえ」1891年(明治24年)
10代ですでにこの画力。このころは伝統的な描きかた
「水鏡」1897年(明治30年)
色合いや構図が狩野芳崖の「悲母観音」(1887年作)を思い起こす作品。狩野芳崖は東京美術学校の教員になる予定だったけども、その前に亡くなりました。でも「悲母観音」は美術学校に残されたそうだから春草も鑑賞する機会があったのでは。
「美人衰相(びじんすいしょう)」をテーマにして、色が変わる紫陽花を添えて水面が揺れては映す姿を変化させる水鏡を描いたそうです。
「月下狐」1899年(明治32年)
去年鑑賞した「竹内栖鳳展」でも狐が月を見上げている絵がありましたっけ。
春草のほうが30年ほど前に描かれてます。竹内栖鳳(1864年12月20日(元治元年) ~1942年(昭和17年))は江戸時代から昭和まで生き抜いた方だったんですね~
・・・と話がそれたので元に戻ります
輪郭線のない描きかたへ・・・没線画法(朦朧体)
師である岡倉天心の指導の下、新しい日本画を作り出すために菱田春草や横山大観は西洋画の空気遠近法を日本画に取り入れたそうです。
春草は完璧な遠近法にこだわったわけでなく、日本画の平面な描きかたに対し画面に空気感をあらわすために取り入れたらしい。
日本画は本来、墨の線がとても重要で、水墨画などはさまざまな表情をもつ墨の線そのものを鑑賞するぐらいなので、伝統を重んじる美術関係者からはバッシングを受けたそうです。
「菊慈童」
後ろの森は絵具に金泥を混ぜ込んでいるというから、本当は画面はもっと輝いているはずだったのかな?
でもこの色調も美しい。小さく描かれている菊慈童の着物はほぼ同じ色合いを濃くした色で線を引いてます。なんとしても墨の線を描かないこだわりを感じました。
「白き猫」1901年8明治34年)
頭のてっぺんとしっぽの先が黒い白猫は明の徽宗帝の描いた猫に因んだそうです。
目が切れ長できりっとしていて、そこはかとなく威厳を感じるのはそのためかな?
この後インドへ半年、その次にアメリカに1年半、岡倉天心に従い春草と大観が同行したそうです。
「弁財天」1903年(明治36年)
インドに渡ったときにインドの神様サラワティーの絵を見て描いた絵。そのままインド風でもあり、緻密で抒情的な雰囲気がやはり春草の絵。
アメリカでは高く評価され、絵が高値で売れたそうです。ホイッスラーの絵の雰囲気と似てると言われたそうですが、考えてみればホイッスラーは日本的な要素を取り入れ、春草たちは西洋画の要素を取り入れてきて両者とも歩み寄ってきた時代なんですねえ
「松に月」1906年(明治39年)
顔料といっしょに西洋の絵の具のビリジャン、コバルトブルー、プルシャンブル―を使用しているそうで、今回の展覧会前に絵を調査して判明したそうです。
松が斜めに横断し、月が少しだけ見える構図が面白く、日本画の醍醐味を感じながらも、今までになかった色使いのため、水彩画にも見えます。引き寄せる波が繊細で美しい。
少しずつ墨の線が復活してきます。
やはり西洋の色を一部使用した「普賢菩薩」が有名な作品ですが、私の好きな作品の方を載せます
「林和靖」1908年(明治41年)
宋時代の詩人で田舎で廬をもち、妻帯せず梅を愛し、鶴を放し飼いにして共に暮らした林和靖(りんなせい)の絵は他にも「林和靖」(1900~1901年、明治33~34年)、「放鶴」(1904年、明治37年)がありました。いずれも林和靖を画面下に小さく描き上方に空高く飛翔する鶴が描かれてます。
都仕えに興味がなく、独創的な詩を書きながらも書いたらすぐに破棄してしまい、そのために残る作品は少ないそうですが、北宋の仁宋皇帝からも尊敬されたこの人物の自由な生き方に少なからず憧れを持っていたのかしらと思いました。また絵の題材としても面白さを感じてたのでしょう。
こういう空間表現の自由さは日本画だからのものですね。西洋だと人物と山の間にいろいろ描かなくてはいけない。
絵そのものが詩を吟じてるような、味わい深く清涼感がありとてもいいなあと思いました。
この絵の山の表現は、墨の描法の一つ「斧劈皴(ふへきしゅん)」を使っているそうです。
斧劈皴(ふへきしゅん)は岩肌などのごつごつした表面を著す時によく使われた伝統的な描法で本来は大胆な味わいですが、春草は几帳面に整然と描いて岩山の様子を表現しています。
そのころ春草は体調と目を悪くしましたが、我慢強く耐えている春草を見かねた横山大観が医者に連れて行き、絵を描くことをドクターストップされます。腎臓炎と併発した網膜炎だそうです。
絵の申し子のような春草にとって、絵を描けないのは辛かったでしょう。インドやアメリカの長期滞在が良くなかったのかもしれません。
少しずつ回復すると近所の代々木公園を散策したそうです。そしてやっと医者のOKを受けて描き始め、公園で散策した木立の絵を次々に制作。
そしてこの有名な絵が描かれます
「落葉」1909年(明治42年)
手前の枯れかかったくぬぎの葉には針金のように細くて几帳面な墨の線が輪郭や葉脈に施されています。でも目立たず、あくまでも手前の葉が接近しているように見せる役目を保ってます。木肌には部分的に斧劈皴描法を取り入れ、後方の木には輪郭線を排して木立の間に空気の流れを感じます。地面の落ち葉は整理され所々集まって描かれてます。そして右隻には枝に一羽の鳥、左隻には地面に二羽の雀が描かれている。これまでの歩んできた絵の道の集大成のよう。
「絵を面白くするために遠近法を犠牲にした」と言われたそうですが、いえいえ、奥行を感じどこまでも歩いてゆけそうです。
静けさを佇む森を逍遥してゆくような味わい。時々鳥のさえずりが聞こえ、歩くたびに枯葉のかさかさした音が聞こえる。傍で見ても色や線の見事さに見惚れ、遠くで全体を見ても美しい。
そしてこの絵からさらに発展して背景を平面的にして余白をつくり題材を効果的に見せる琳派の影響を感じる絵になっていきます。
「雀に鴉」1910年(明治43年)
春草ご本人は会心の作ではなかったそうですが、明治天皇が気に入られ買い上げられ、身近に置いて愛でたそうです。
その後も春草の作品を高値で買い上げてます。天皇は春草の絵のファンだったようですね、なんだか林和靖と似てきたです。
そして、有名な猫の絵。近所の焼き芋屋さんの飼い猫を描いた
「黒き猫」1910年(明治43年)
「落葉」にも出てきたくぬぎの葉、背景がやはり平面的で黒猫の存在感を際立たせてます。
わずか5日で描いたという。
(絵とは関係ないですが、展覧会でガラス越しに展示されていたガラスの継ぎ目が丁度黒猫の前にあり、仕方ないので斜めから鑑賞しました。もうちょっと絵をずらしてほしかったです)
澄ました顔で佇む黒猫を見てるとにんまり和む絵で、春草を知らない人でもこの絵を知ってる方は多いでしょう。日本画の猫の絵の中でもこの「黒き猫」と竹内栖鳳の「班猫」(1912年、明治45年)は双璧をなす名作だと思ってます。
やはり当時出品された文展でも人気を博し、黒猫の絵が注文されるようになったそうです。
それで
「黒猫」「柿に猫」
1910年(明治43年)
かわいいなあ♪柿の木から降りてちょっと歩いて「フーッ」て威嚇してる猫。
春草は特に猫好きではなかったそうですが、黒い生き物が絵に登場する効果を楽しんでいたようです。
他にも鴉が描かれた絵も多かったそうです。
それから鹿の絵も多く描かれていました。
当時腎臓炎は不治の病で、徐々に体が弱り視力も悪化し、ほとんど見えなくなり、最後に
「梅に雀」(1911年、明治44年)を描きます。その梅の枝はとぎれとぎれで、雀は三羽同じ向きに描かれています。いろんな向きに描くことができなくなったのでしょうね。ほとんど見えなくて、弱音をみせるのを良しとしない春草は涙を拭きながら必死に描いたそうです。
無念だろうなあ・・・。
こんなに才能があって、描きたいことがいっぱいあって、まだ若いのに・・・。
春草は1911年9月16日に旅立ちます。
37歳の誕生日まであと5日。そういえばラファエロは37歳の誕生日に亡くなっています。
親友の横山大観は1868年(明治元年)に生まれ1958年(昭和33年)に長寿を全うし、後に関西の竹内栖鳳とともに「東の大観、西の栖鳳」と言われるほどの日本画界の重鎮になります。お二人とも長生きしましたもんね。長い画家人生に良作や傑作を多く生み出したからこその名声。
大観は苦楽を共にした春草の早世を心から哀しみ「あいつ(春草)が生きていたら俺なんかよりずっと巧い」とよく言われていたそうですが、私もそう思います。春草がもっと長生きできたら間違いなく日本画界の流れを変える存在になっていたでしょう。
顔料の塗りも美しく画面に溶け込み乱れが一切ない、線一つ一つが無駄がなく研ぎ澄まされている。それでいて離れて見ると細部は全体の一部になって破綻なく溶け込んでいる。見れば見るほど技術の凄さに驚きました。
もう展覧会が終了してしまっておススメできないのが残念ですが、すごく良かったです。
つけたし☆
ショップで「白き猫」と「黒き猫」のぬいぐるみを買いました。
黒き猫は絵と同じ金色のかわいい目をしています。でもうつむいているので写真に撮るのが難しい。絵と全く同じにしなくてもいいからもうちょっと普通に顔をあげて作ってほしかったです。いや絵の中の黒き猫はどう見てももうちょっと上をむいているのですけど・・・
そして白き猫はきりっとした切れ長の目がチャームポイント。
・・・なのですが・・・どうしても黒き猫が下を向きすぎてお顔が見えないのが気になり、首の糸をほどいて別の布を付け足して少し上向きに直しました。
これで何とか普通にお顔が見えるようになりました。人形もぬいぐるみも顔が命!