運転するのが大好きだった父の車は大きめなセダン車ばかりでした。印象に残ってるのはセドリックです。
でも、定年退職して新しい職場も経て、車はパルサーに変わりました。もう歳だし老夫婦二人暮らしだし、そんなに遠出はしなくなるので。
このパルサーを運転し始めて間もなく父は病を患い入院。当時私が運転して母と三男を乗せて父の看病に通った事がありました。あの時三男はまだ小さな男の子で、兄たちのお下がりの背中に象さんのアップリケのついたオーバーコートを着ていてくるんくるんの巻き毛を揺らしながら父の寝てるベッドへと私と母を先導するように早歩きしていたのが印象深いです。
父は退院後しばらく運転しましたが、数年後きっぱりやめました。パルサーの出番はあまり多くなくなったのですが、免許を取りたての長男が時々運転の練習に来て、その時は父が助手席に座って運転の指導をしてました。高速道路など運転の指導をして、そして父が元気な時に車で出かけたいろいろな場所を教えたようです。
長男はその後運転が大好きになり、父を思い出すような安定した無理のない運転をするようになりました。大学の友人と出かける時にパルサーを借りる時もありました。
たまに私の弟が運転し、夫が運転した時もありました。
やがて父は旅立ち、ちょうど就職氷河期に就活中の長男はなかなか実家にこれず、パルサーは静かに駐車場に佇んでいました。が、ふと長男が実家に行ってパルサーを運転して父のお墓参りをした後、就職が決まりました。何となく父が導いたのかもね、なんて言い合ってました。
長男が遠くに就職して、しばらくまたパルサーは静かに佇んで、その次の年、今度は免許を取った次男が練習もかねてパルサーを運転して母と私を乗せて毎月お墓参りに行くようになりました。次男はこまめに実家のメンテナンスをして母を気遣う繊細な優しさがありますが、運転は意外と豪快です。そして運転がやはり大好きになりました。
たまに帰郷する長男と、次男と運転する人が増えたので、時にはパルサーを借りて家族で旅行した時もありました。
そして三男も成長して免許を取りました。たまにですが、実家に来てパルサーを運転して母や私を乗せて買い物やお墓参りに乗せてくれるようになりました。三男の運転は、長男と近い感じです。三兄弟で交替して順番に運転したときもありました。
それ以外は依然として次男が月に一度実家に来てパルサーを運転して母と私を乗せてくれてました。母が手術で入院するときも退院するときもパルサーで行き帰りしました。
家族中の運転を知っていて、20年近く一緒に過ごしたパルサーを、とうとう手放す事になりました。母が決心しました。
走行距離は7万キロメートルほどでした。
車が去る前日、次男と私は実家に行き、母と三人でパルサーに乗っていく最後の墓参りをして、実家に戻ってから記念に何枚も写真を撮りました。次男が車の中の荷物を全て取り出し、その中で父が録音したカセットテープがいくつか見つかったので、私がもらって帰りました。
最後までよく働いてくれて、元気に走ってくれてとてもいい車だったねと三人で話しました。
翌日、思い出深い車は去ってゆきました。
これまで本当にありがとう!パルサー。
丁度、庭に金木犀が咲いてました☆
還暦過ぎのおじさんです
ブログ拝見してます
コメントいただきありがとうございます。そしてブログを読んでくださっていると知りとても嬉しいです
私も半世紀以上生きてますのでそんなに歳の差はないですよ。
とはいえブログの中では年齢を考えず好きな事を書いてゆきたいと思ってます。
少しずつでも更新してゆきますので、これからも楽しんで読んでいただけたら光栄です!