とても楽しみにしていた「特別展 三国志」。開催初日に友人の遵命さんとごみつさんと、そしてPちゃんズも一緒に一顧の 礼をしてきました。初日に参上したのは遵命さんの提案でしたが、まだ混雑してなくてゆったり鑑賞できて名案でした♪
続いて8月2日に、今度は私とPちゃんズで二顧の礼をしてきました。
Pちゃんズを持ってもらって記念撮影♪
NHKのテレビ人形劇や映画、ドラマと夢中になって鑑賞した三国志の世界。その時代のものに直接会えるというのはファンにはたまらない展覧会です。さらに展示品は写真撮影ができました。
なので今回は全てスマホで写した写真を載せたいと思います。
約1800年前の遺品が主となってますので決してきらびやかではないですが、当時の生活や人々の営みが伺われ、感慨深く鑑賞しました。
会場に各コーナーの初めに横山光輝氏作「三国志」の漫画原稿が展示され歴史の世界ㇸといざない、テレビ人形劇「三国志」の主要人物の美しい衣装をまとった人形も展示され会場を華やかに彩ってました。人形劇で三国志を初めて知って毎週楽しみに見ていたので嬉しかったです。
☆最初は後世の時代で、物語として表現された「三国志」の世界を紹介していました。
まずはやはりこの方から
《関羽像》明時代15~16世紀 新郷市博物館
せっかくだから関羽Pちゃんも一緒にパチリ☆
まだ神格化されていない時代の関羽像。美髯公といわれる長い髭髯(しゅぜん)は後の時代に見られる像程には誇張されてません。
眉間を寄せたお顔は整っていて立派で、大柄な体は引き締まり実戦的です。むしろ実際の関羽はこんな姿に近いのではと思いました。とても美しい関羽像です。
ドラマ「三国志 Three Kingdom」で関羽が自刃するシーンを鑑賞した後、できれば関帝廟でお参りに行きたいと思ってましたが、なかなか実行できないでいましたが、ここでお会いできて良かったです。
《関帝廟壁画「黄巾を大破す」》清時代18世紀 内モンゴル自治区 伏龍寺伝来 内蒙古博物院
黄巾軍の反乱がおきた事が漢王朝弱体化へと進めてしまいます。漢王朝に忠誠を誓う劉備、関羽、張飛は黄巾軍を討伐するために兵を挙げます。
彼らが黄巾軍の兵士を必死に追いかける姿は、そのまま新しい時代を自分たちが追いかけている姿にも見えてきます。
《関帝廟壁画「曹操、覇橋で袍を進ず」》清時代18世紀 内モンゴル自治区 伏龍寺伝来 内蒙古博物院
徐州で曹操軍に敗れた劉備軍は離ればなれになり、関羽は劉備の奥方を守るため曹操の元に身を寄せていた。だけど劉備が袁紹軍にいることを知ると急ぎ劉備の二人の夫人を連れて旅立つ。「単騎千里を走る」。直前、別れを惜しんだ曹操が関羽に袍をプレゼントする場面です。関羽は青龍刀で袍を受け取ってます。
曹操はずっと関羽を側近の武将にして仲良くしたいのに、関羽は劉備のことしか眼中にない。せめて自分の気持ちとして服をプレゼントする切ない場面です。
《関羽・張飛像》張玉亭作 清時代19世紀 天津博物館
離ればなれになってた時、関羽が敵の曹操軍にいたと知り裏切ったと思い込み激怒した張飛でしたが、誤解と知り関羽に謝る場面の人形です。
張飛Pと関羽Pも一緒にパチリ☆
《孔明出山図》明時代15世紀 上海博物館
劉備、関羽、張飛三兄弟の三顧の礼を持って諸葛亮孔明は劉備軍の軍師になり、隠遁していた山から下りていく途中の様子を描いてます。嬉しさを隠せない劉備は孔明にくっついて話をしてすでに水魚の交わりをしてます。先ゆく関羽と張飛はそんな二人を振り返り、劉備を取られたような複雑な気持ちになってます。両者の間には道沿いに植わっている木がまるで遮断するように描かれていて、関羽と張飛の疎外感を表してます。
《趙雲像》清時代17~18世紀 亳州市博物館
石でできていると思ったらこの作品は木製だそうです。三国志のエピソードでもとくに有名で大好きな長坂坡の戦いの趙雲。曹操軍に追いかけられ民衆を連れた劉備軍は逃げるので精一杯で劉備は妻子を見失ってしまう。それに気づいた趙雲は一人戻り助けに行き、劉備の息子阿斗を懐にかくまいながら曹操軍と戦い満身創痍で助け出します。この彫刻の趙雲もお腹の帯に阿斗ちゃんが入っていて、この子を守ろうと必死の形相で馬を駆けながら戦ってます。
趙雲Pと阿斗ちゃんPも感激の邂逅♪
《三国故事図より 「諸葛亮は、呉の軍営で病臥する周瑜に火攻めを説く」》清時代18~19世紀 天津博物館
周瑜は美周郎と呼ばれるほど美男の誉れ高い人ですが、やはり武将なので逞しいと思います。が、こちらの絵の周瑜は色白でナヨっとしてます( ̄▽ ̄;)
川本喜八郎作 人形劇「三国志」の主人公です。左から《曹操》、《劉備》、《孫権》。Pちゃん達も憧れの人形にお会いできて感激✨一緒に同じ人物同志で記念撮影しました。
☆さて、次に展示は三国時代以前の漢王朝の文化を紹介してました。
曹操の先祖は漢王朝創立の功臣曹参。代々資産家で官僚を輩出する豪族だったそうです。曹操は盤石なバッグボーンを持つエリート官僚候補生として世に出ます。
一級文物《玉豚》後漢時代 2世紀 亳州市博物館
身分の高い人やお金持ちは埋葬するときに、あの世でも食べ物に恵まれるように、そして子孫繁栄も願って死者の手にこの玉豚を握らせたそうです。
劉備の先祖は前漢の武帝の異母弟、中山靖王(ちゅうざんせいおう)劉勝だそうです。さかのぼる事400年前の王の末裔。でも、遠くても王朝の血筋で、儒教の価値観で劉姓を名乗ることにプライドを持ちつづける。それにそのプライドがあったからこそ後ろ盾がなく金持ちでもなかった劉備が後に蜀漢を建国しましたからね。
《壺》前漢時代 前2世紀 河北省文物研究所
中山靖王劉勝夫婦の墓から出土した豪華な壺。本体は銅製で金と銀のメッキが施され、緑色のガラスがはめ込まれてます。今は色合いがくすんでいますが、2200年前作られたころは華やかに輝いていたはず。漢王朝から下賜されたと刻まれています。
《豹》前漢時代 前2世紀 河北博物院
劉勝の奥方のお墓に4つ入っていたそうです。青銅製で金象嵌され眼には瑪瑙を貼り付けているそうです。くりっとした目が可愛い。前漢時代の高級貴族では豹を愛好する人が多かったそうです。豹柄好きは日本人にもいますよね!
孫権の先祖は軍略家の孫子と言われてます。そして孫権の父孫堅は海賊退治で名を挙げたそうです。
《貨客船》 後漢~三国時代(呉)3世紀 広西文物保護与考古研究所
海上交易が盛んな呉時代の副葬品。
漢時代は儒教の影響でお墓に豪華な副葬品を治めた「厚葬」が美徳とされていたそうです。
一級文物《獅子》後漢・2世紀 山東博物館
大きく立派な獅子像、首に「雒陽中東門外劉漢所作師子一雙」と刻まれてます。雒陽は洛陽、師子は獅子の書きかえで、銘文を見ると狛犬や獅子の様に二体で一対だったようです。当時西域から献上されたライオンが漢王朝で飼われていたと記録があり、この石像も顔立ちや体格が迫真に迫っていて、本物のライオンを参考に作られたかもしれないと説明に書かれてました。有力な豪族のお墓に供えられたのではと考えられているそうです。
《觿(けい)》後漢時代・2世紀 定州市博物館
後漢時代、中山穆王劉暢のお墓から出土された玉製装身具。ほかにも玉製の小さな動物の形をした装身具も展示されてました。口を大きく開けたやや大振りの龍一頭と小ぶりの龍二頭を表しているそうです。
☆そして時代が動きます
表に三国時代の気候の厳しさがあらわされてます。気温が下がり作物の不作が続き、人口も激減してます。飢えが黄巾の乱を招いたようです。 役人も腐敗が蔓延していて無策だったのも原因がありそうです。そして戦乱で命を落とした人の数も多かったのでしょう。
日本も1993年に冷夏となり米が凶作になった事がありました。その時はフィリピンのピナツボ火山の噴火が原因だったそうですが、この時代も何か似た天災があったのではないかと以前テレビ番組で解説したのを見たことがあります。
184年、宗教集団の太平道は「蒼天已死、黄天当立(蒼天已に死に、黄天まさに立つべし)」のスローガンを立て黄巾の乱を起こす。同じく五斗米道も反乱を起こし、漢王朝は弱体化する。
黄巾の乱を平定した軍閥が台頭し、その中でも董卓が権力を持ち宮廷を支配します。
一級文物《酒樽(しゅそん)》後漢時代・2~3世紀 甘粛省博物館
董卓との関係する涼州軍閥の張将軍の墓から出土。青銅の器に金メッキが施され龍や白虎、雲気などの模様を刻み、瑪瑙やトルコ石をはめ込んでいて、後漢末期の乱世の時代から出土した青銅製容器では最も贅沢な造りだそうです。
《儀仗俑》後漢時代・2~3世紀 甘粛省博物館
同じく張将軍の墓から出土。歴史書には記録はないけど、張将軍は董卓と関係する涼州軍閥のかなりの有力者だったのは間違いないそうです。馬の生き生きとした表現は見事で、武器を持って騎乗する武将から当時の姿が伺えます。
《熹平隻経》後漢時代・2世紀 上海博物館
お経の字の間違いを正すために霊帝が石に彫らせた正式な文章。当時の字体が伺えます。董卓の乱のときに破壊され、その後もさらに破壊され今は破片になって残ってます。2片が展示されてましたが、字に注目するため1片だけ載せます。
《銅製食器》後漢時代・2世紀 涿州市博物館
お墓に収めるために青銅製で造られた食器。実際は漆塗りの食器が使われたそうです。案(食膳)の上に置かれた器は「耳杯」で両側に耳のような取っ手がついていてお酒を入れたりおかずを入れたそうです。当時は正座して食事していたそうです。そしてお箸が現代の中国と違い、日本と同じ横向きに置かれてます。
《献帝》
漢王朝最後の皇帝。曹操の跡を継いだ曹丕に皇帝を禅譲し、魏の貴族、山陽公劉協として山陽の地で余生を送ります。ところでこれは友人のごみつさんから教えていただきましたが、劉協は諸葛亮孔明と同じ年に生まれ同じ年に没したそうです。
一級文物《四層穀倉楼》後漢時代・2世紀 焦作市博物館
山陽は魏の都、洛陽の北にあり、黄河を渡ったところにあります。この地方の貴人のお墓にはこのような立派な穀倉の建物模型の副葬品が入っていることが多く、会場にも4点展示されてました。建物の上層には監視している人がいますね。屋根の上にはアヒルっぽい鳥がいますが鳳凰かな?立派な門構えの前で使用人が米袋を運び番犬や鶏もいます。山陽は豊かな穀倉地帯だったそうです。黄河の恵みを受けてたようですね。劉協は恵まれた余生を送ることが出来たようです。
☆曹操、劉備、孫権の三者が覇権を争う時代になります。
一級文物《弩(ど)》三国時代(呉)・222年 湖北省博物館
「赤壁の戦い」では軍船と雨の様に降る多くの矢の印象が強いです。弩機は魏では工房の名前が刻まれ、呉では持ち主の名前が刻まれていたそうです。
《矛(ほこ)》後漢時代・2世紀 定州市博物館
実戦用の矛は鉄製だったそうでこの青銅製の矛は副葬品として作られたそうです。長い柄に取り付けて使います。黄巾の乱の10年前に作られた後漢の王の墓から出土。
《戟(げき)》後漢~三国時代・2~3世紀 綿陽市博物館
こちらは実戦で使う鉄製。長い柄を付ける戟もありますがこれは直接手に持って使います。曹操のボディーガード典韋が名手で、曹丕も若い時に習ったそうです。
《環頭太刀》後漢時代~三国時代(蜀)・3世紀 綿陽市博物館
当時おおいに作られ、実戦に使われたそうです。
《鉤鑲(こうじょう)》後漢時代~三国時代(蜀)・3世紀 綿陽市博物館
後ろに持ち手がついていて、相手の剣の攻撃を防ぐコンパクトな楯のような役目をして、前にある突起物で押し返すそうです。片手に環頭太刀を持ち、もう片手で鉤鑲を持って戦うのですが、扱いの難しい武器でやがて使われなくなったそうです。
この武器は蜀の物だけど、魏の曹丕もこの武器の名手だったそうです。
《軍船模型》
こちらは宋時代の軍学書に描かれた図を元に作られた模型。魏も呉も敵軍を威圧するため無理をして大型の楼船を作ったので安全性に問題があり、有能な軍人が何人も事故で命を失ったそうです。見るからに重心が上にあって不安定そうです。かなりグラグラゆれそうだし転覆しそうです。
☆その後も戦いは続きます。
漢中で魏と蜀が戦った「定軍山の戦い」では日本でも見かける撒菱が展示されてました。
《撒菱》後漢~三国時代・3世紀 勉県博物館
棘が4方向に飛び出ていて、撒けば必ず一つは上を向きます。かなり痛そう・・・
荊州をめぐり魏と呉と蜀が戦った「樊城の戦い」では活躍した武将の遺品が展示されてました。
《童子図盤」三国時代(呉)・3世紀 馬鞍山市三国朱然家族墓地博物館
ドラマ「三国志」では現れなかったけれど、呉の名将朱然の墓に副葬されていた漆の図盤です。樊城の戦いでは、関羽を直接追い詰めて生け捕りにしました。勇猛かつ沈着冷静な武将で、呉の3代目大都督呂蒙が次の4代目大都督に推薦した人物です。そのため孫権から仮節を受け軍を指揮しました。のちに陸遜が4代目大都督になります。
《熨斗(うっと)、炭炉》三国時代(呉)・3世紀 馬鞍山市三国朱然家族墓地博物館
炭炉に入ってる熱い炭を柄杓のような形の熨斗に入れ、服のしわ伸ばしをしたアイロン。当時の人も今と同じように装いを整えていたのですね。こちらも朱然のお墓より出土。
《甘寧》
呉の武将です。先頭を切って城壁をよじ登る勇敢な武将で周瑜や呂蒙から評価され孫権からも厚遇されたそうです。
魏と呉が戦った「石庭の戦い」では魏の名将の遺品がありました
《「曹休」印》三国時代(魏)・3世紀 洛陽市文物考古研究院
曹操の甥で、曹操が「我が家の千里の駒」と高く評価し、我が子同然に愛情をかけた武将。残念ながら石亭の戦いで呉の陸遜軍の策に引っかかり敗退し、それがもとで病死します。三国志登場人物の中で名前を刻んだ唯一の確実な印だそうです。貴重ですね。
やはり魏と呉の戦い。「合肥新城の戦い」ではこの武器が展示されてました。
《石球》三国時代(魏)・3世紀
魏の猛将、張遼の活躍が有名で、呉ではあまりの恐ろしさに「遼来来」という言葉が出来たそうです。その戦場から出土された大きな石球。次々に飛んできた威力は大変なものだったと思います。
さらに諸葛亮の南征にまつわる展示があります
《諸葛亮孔明》と《孟獲》
四川省南部から雲南省にかけての土地を諸葛亮は蜀の領地にします。その時に戦ったのが孟獲。実はこの地域は南下した漢民族の住む土地だったそうです。
人形劇の孔明はとても聡明で思慮深い理想の軍師の姿をしてます。孟獲は南国の武将のエキゾチックな雰囲気があります。背中の羽が凄く豪華☆
《提梁壺》後漢時代・2世紀 雲南省博物館
取っ手付きの酒壺で取っ手は龍の形をして、蓋の中央には鳳凰がいます。鳳凰には宝石をはめた痕跡があり、とても豪華な造りです。移住した漢民族の有力豪族のお墓の副葬品だそうです。
☆そしてとうとう三国が鼎立する時代がやってきます。
魏はかなり西の地域まで勢力を伸ばしていたのがわかります。
西晋時代の文学者左思が詠った詩が展示されていたので、一緒に載せたいと思います。
「魏都賦」 おごそかなる魏
監視のやぐらは天高く ながめは広く行き渡る (中略)
武帝ひとたび号令くだせば あまねく威厳のとどろけり。
一級文物《五龍硯》後漢~三国時代(魏)2~3世紀 沂南県博物館
文学が発達した魏に相応しい凝った造りの硯です。曹操Pちゃんもどや顔✨
《厠圏》後漢時代・2世紀 宝鶏青銅博物院
上には厠があり、その下の囲いには便を食べる豚がいて、赤ちゃん豚にお乳をあげています。一見微笑ましいのですが、つい漢王朝を作った劉邦の奥方を思い出してしまいました((+_+))。お墓にはトイレも副葬品にしたのですねえ
《井戸》後漢~三国時代(魏)・3世紀 遼陽博物館
生活井戸というより消防井戸で公共の施設の模型だそうです。この模型が副葬されていた墓の主は町の責任ある仕事をしていた人が推測されるそうです。
実は、三国時代の史書の中では魏に組み込まれていますが、遼東地域と朝鮮半島北部では公孫氏が支配していて、その後238年に司馬懿仲達に倒されたそうです。
《方格規矩鳥文鏡》後漢~三国時代(魏)2~3世紀 遼寧省博物館
銅鏡は漢王朝の遺品でも魏蜀呉でも展示されてましたが、この公孫氏の自治区の銅鏡は日本の古墳時代の銅鏡と作りが通じるそうです。卑弥呼が魏志倭人伝に書かれる前、公孫氏と倭の国とは何らかの交流があったそうです。
「蜀都賦」恵みの蜀
人の里は富みさかえ 川をはさんで山に沿う
家は互いに寄り集い 桑や梓の続きゆく。
家には塩の井戸があり 戸ごとみかんやゆずがなる
蜀の副葬品はとても表情豊かで見事な作品が多く驚きました。
《奏琴俑、説唱俑》後漢~三国時代(蜀)・2~3世紀 重慶中国三峡博物館
人々が皆満面の笑顔で作られていて、明るい音曲や楽しい歌声が聞こえてきそうです。劉備Pちゃんも楽しそうな雰囲気につられてやってきました。
《女子俑、調理俑》後漢~三国時代(蜀)・2~3世紀 重慶中国三峡博物館
お魚を持っている女の人は買い物をしているのかな、調理している人のまな板には豊富な食材。蜀が豊かな地域だというのは本当だったのだと思いました。
もしかしたら、制作年代を見て思ったのですが、この俑を作ったのは劉備が統治する前の劉璋が統治していた平和な時代の物だったのかも。劉備が統治してからは幾たびも戦争をしてたから。
一級文物《犬》後漢~三国時代(蜀)・2~3世紀 四川博物院
とてもリアルで迫力のある犬の俑。お墓の入り口に置かれ、まさしく番犬の役目をしていたそうです。
一級文物 《車馬出向図磚》後漢時代・2世紀 四川博物院
馬車を引き駆ける馬の様子が疾走感があり見事で、本当に蜀の美術は抜きんでて見事!
「呉都賦」にぎわいの呉
楼船むしろの帆をあげて 市場の脇をとおりゆく。
果実も布もひっきりなしで ガラスに瑪瑙も舶来す。
《俑》三国時代(呉)・3世紀 武漢博物館
奏楽する人、警護する人、文官、調理人と様々な俑がありました。小ぶりですが、青磁で作られています。ちょっと自慢気な孫権Pちゃん。
一級文物《羊樽》一級文物《神亭壺》南京市博物総館
こちらも青磁で作られてます。羊は頭、腹、お尻の粘土パーツを組み合わせて一体を作り焼き上げる作りだそうです。
神亭壺は壺の上部に楼閣をかたどり、動物や人物を拝してます。死後の安寧を願って作られたもので碑文がついています。どちらも柔らかいオリーブグリーンの色合いが美しい。
《ガラス連珠》《ガラス盤》後漢時代・1~3世紀 広西壮族自治区博物館
ガラス盤は古代の広東省とチワン自治区で作られたそうです。ガラス連珠2種は呉の南部交州の実力者からの貢ぎ物ではないかと考えられているそうです。今は年月を経て色がくすんでいますが、当時は透明でキラキラして美しく豪華なアクセサリーだったはず。
一級文物《銅鼓》三国(呉)南北朝時代・3~6世紀 広西民族博物館
中国南部の漢族とは違う山岳民族の祭祀儀礼に使われたそうです。盤面の端を囲うように蛙や人を乗せた馬、鳥の飾りが乗っていてとてもかわいらしくてちょっとユーモラスです。
☆そして三国の王族のお墓をめぐります
2008~2009年にかけて発掘された曹操高陵
曹操は遺言で金品財宝を入れず質素に葬ること「薄葬」を指示し、遺言通りに実行されていたそうです。既成の慣習に囚われない合理的な曹操に相応しい。
お墓の内部の様子を骨組みでかたどって展示してました。
一級文物《 罐(かん)》後漢~三国時代・3世紀 河南省文物考古研究院
他の地域や時代の副葬品に見る壺は豪華ですが、この白磁の壺は質素だけど清廉で美しい姿をしてます。これまで白磁は隋の時代から始まったとされていたので歴史が塗り替えられたそうです。
一級文物《石牌》後漢~三国時代・3世紀 河南省文物考古研究院
「魏武王常所用格虎大戟」と書かれている石の荷札。これによってこの墓が曹操だと判明したそうです。
《鼎(かなえ)》後漢~三国時代・3世紀 河南省文物考古研究院
皇帝の副葬の習わしに従って素焼きで作られた鼎が12口副葬されていたそうです。曹操のステータスはすでに皇帝と同じ。
《女子俑》後漢~三国時代・3世紀 河南省文物考古研究院
死後もお世話をするために一緒に埋葬される人物俑。粘土を型にはめて作っていて、シンプルな形をしています。
《瑪瑙円盤》後漢~三国時代・3世紀 河南省文物考古研究院
4㎝に満たない小さな丸い瑪瑙の円盤。滑らかに磨かれ縞模様が鮮やかで美しく、曹操高陵の遺品の中で一際眼をひきました。何に使われていたのだろう?それとも綺麗な石なのでそのままを愛でていたのかな?
《画像石 佼人》後漢〜三国時代(魏)・3世紀 河南省文物考古研究院
曹操の墓室の一部の壁を飾っていたらしいです。数回の盗掘で破壊されてますが、一部大きな破片には刻まれた画像が見れるそうです。
盤面に「咬人」と刻まれてますが「佼人(主君のそばで仕える美少年)」のことだそうです。どんな麗しい姿の少年だったのだろう。
息子の曹丕も父に習い質素なお墓にしたそうです。が、生前、豪華な装飾品にも憧れたそうです。
《曹丕》
すぐれた詩人であり、武将でもあった人物。父が指名した実力を持っています。
一級文物《金製獣文帯金具》後漢時代・2世紀 寿県博物館
曹丕は廓落帯(かくらくたい)という飾り帯をとても欲しがっていたのだけど、すでに作り手が絶えていたそうです。それで廓落帯を所持していた臣下に借りてそれを手本として作らせたそうです。
その廓落帯には鮮卑頭(せんぴとう)と言う豪華な造りの止め金具がついてます。この金細工も鮮卑頭の一つ。宝石をはめ込んだ金の透かし彫りの上に金の龍がうごめいています。さらに枠にも細かい模様に宝石を埋めてます。豪華で美しい、とても高度な技術を必要とする工芸品。
曹植のお墓の出土品も展示されてました
《曹植》
曹操の息子で曹丕の弟。詩の才能が抜きんでてて、文学を愛する父曹操に愛されたそうです。曹丕が父の跡を継いでからは山東地方に追いやられてしまいました。
《耳杯》三国時代(魏)・3世紀 東阿県文物管理所
薄葬をよしとする曹操の方針に従って、副葬する器も素焼きです。実際に生活で使っていたのは漆塗りの耳杯だそうです。曹植は酒飲みだったから耳杯にお酒をなみなみついで飲んでたのかなあと想像しました。
《犬、水鳥、鶏》三国時代(魏)・3世紀 東阿県文物管理所
魏の俑は見分けがつく特徴を単純な形で入れて作っています。それと分かればそれ以上凝る必要もないと思っていたのかも。魏はずっとどこかと戦争をしていてお金と情熱をかけるのは美術分野ではなかったのだと思いました。それはそれで造形が一昔前のアニメや漫画の中に出てくる特徴を強調したキャラクターにも通じるセンスを感じて、面白いなと思います。
蜀の高貴な身分の人物の墓から出土した副葬品はとても豪華です。それは漢王朝の「厚葬」に倣ったからなのでしょうか。
そしてやはり蜀は芸術的なセンスや技術が抜きんでています。
一級文物《揺銭樹(ようせんじゅ)》後漢時代・2世紀 広漢市文物管理所
青銅製の木にはたくさんの銅銭の実がなっています。さらによく見ると人や動物も枝にいます。木のてっぺんには透かし彫りの繊細な造りの鳳凰が羽を広げています。
青銅製の揺銭樹を支える台座は陶器で不思議な生き物の形をしてます。
《揺銭樹台座》後漢~三国時代(蜀)・3世紀 重慶市文化遺産研究員
こちらは揺銭樹がなくなり台座だけになっています。揺銭樹を差し込む筒状の部分がわかります。龍に人物と鳥と蛙が乗っていて、その人物がにっこりとこちらに挨拶しているように見えました。
こういう凝った揺銭樹は三国時代になると物資が窮乏したため激減し、造りも雑になったそうです。やはりそうだったか・・・。三国時代になる前は中国の他地域から蜀に向かうには四方を険しい山が立ちはだかり天然の要塞になっていたので、ずっとこの地域は動乱に巻き込まれないでいたと言われてます。戦争がない平和な時代が長かった地域だから、副葬品にエネルギーとお金をかけ作ることが出来たのですね。
この時代、いずれにしろ蜀の国は曹操、劉備、孫権の誰かに支配され、戦争に駆り出される運命だったのだと思います。テレビで四川省の映像を見ると、住む人々が劉備や諸葛孔明を今も敬愛し誇りにしている様子をうかがうと、劉備と孔明が統治して良かったんだと感じました。
続いて呉の王族の墓
《虎型棺座》三国時代・3世紀 南京市博物総館
棺を乗せる台座で、両側に虎の頭をかたどっています。墓の規模も最大級で孫氏と近い貴族の墓だと考えられているそうです。
《筆》《書刀》一級文物《牛車》三国時代・3世紀 南京市博物総館
筆と書刀は青磁で作られてます。筆の穂先がたっぷりしていて、蓮のつぼみのように見えました。竹や木の札に筆で字を書くとき、書き損じると書刀で削って書き直したそうです。
牛車は車輪だけ素焼きで後は青磁で作られてます。2世紀末頃から牛車は貴人の車として使われ始めたそうですが、特に呉で使われたそうです。
☆やがて蜀は滅び、魏は西晋にとってかわり、そして呉も西晋に滅ぼされます
《蝉文冠飾》西晋時代・3世紀 臨沂市博物館
冠のアクセサリー。蝉の飾りを見ると思い出すのはドラマ「三国志」の最後の95話で司馬懿が孫の司馬炎に何度も復唱させた言葉です。
「庭に楡の木ありて その上に蝉あり
蝉は羽を広げて鳴き 清露を飲まんと欲す
蟷螂(とうろう=かまきり)が後ろにありと知らず その首を曲げる」
油断すると命が危ない、いつも周りに気を付けていなさい。
諸葛亮孔明はドラマの中で、さらにその蟷螂を後ろから狙う雀がいると蟷螂にも油断を戒めてます。
「蟷螂 蝉を狙い 黄雀(こうじゃく)後ろにあり」
この蝉文冠飾の持ち主は東晋を建てた司馬睿(しばえい)と近い琅琊(山東省南部)の名門、王氏の人物と考えられるそうです。書聖と誉れ高い王義之はこの王氏の出身だそうです
《「晋平呉天下大平(晋、呉を平らげ天下太平)」磚》西晋時代・280年 南京市博物総館
展覧会の最後に展示されてました。煉瓦の側面に「晋平呉天下」と「大平」の字が浮き上がってます。国を統一したのは曹操でも劉備でも孫権でもなく司馬懿の孫の司馬炎が建国した西晋でした。
三国時代の魏、蜀、呉はこれで全て消滅しました。
平和になったのもつかの間で再び戦乱の世になっていきます。
とても長い展覧会レポートになってしまいましたが、展示品は広大な中国の様々な博物館からやってきているのを見ると開催されるまでの大変さを感じ、国宝に当たる一級文物も多く貴重で、1800年前の人々の生活や息遣いを感じる展覧会でとても興味深かったです。
鑑賞された方の思い出に、そして鑑賞することが出来なかった方の参考になれば幸いです。
ショップではパンフレットと人形劇三国志のフィギュアを買いました。パンフレットはレポートづくりにおおいに活用しました。フィギュアは中身がわからないのでどの武将になるかなと箱を開けたら
諸葛亮孔明さまでした☆
そして表紙にあしらわれた絵は最初に載せた「関帝廟壁画」の黄巾軍と彼らを追いかける劉備、関羽、張飛の義兄弟たちです。
追記 9月13日、三顧の礼に行ってきました。
三国志の英雄たちにお別れ☆
わ~、「三国志展」の記事、お待ちしてました!
無事の三顧の礼まで済ませたのでしょうか?
Pちゃん達も大活躍ですね。
今回の展示、写真撮影がほぼ全てOKなのが凄かったですよね。
Himariさんの記事を読ませていただきながら、一緒に見てまわった時の興奮をあらためて味あわせていただきました。
いやいや、やっぱり三国時代は本当に興味がつきませんよね。
丁寧な記事、とても楽しく拝読させていただきました!有難うございます。
あの日の中華料理も美味しかったよね~。また一緒にお出掛けしましょうね。
ところで実は私、未使用のチケットがありながらまだ2回目に行けてないのです。
次の休みが15日(日)なので、何とか行ってこようと思ってます!!
7月の初日ではご一緒できてとても嬉しかったです♪鑑賞はそれぞれのテンポで、そして見終わってわいのわいの話すのは楽しいです。中華料理美味しかったですね~~✨
こちらこそまたよろしくお願いします
そして長いレポートを読んでくださりありがとうございます。三国志の大きな流れを体系的に説明していた展覧会の雰囲気が少し感じられるといいなと思いました。
三顧の礼は今日やっと達成しました。達成してから返信を書こうと思ったので、遅れてすみませんでした
今日(13日金曜日)は会期終了が近いのでやはりかなり混んでいましたが、展示会場の途中からは余裕がありスムースに鑑賞することが出来ました。15日はどうだろう・・・多分多いと思いますが、すでに内容を把握しているので、ピンポイントで見たい作品を鑑賞するのもよい方法かもです。お休みの日に行けるといいですね
そしてほんとびっくりしたのが歴史的にかなり貴重な作品が多く展示されているのに全て写真OKだったことです。これまで2回の鑑賞もたくさん写真を撮りましたが今回も何枚か撮りました。作品だけでなく説明文も写真に写せるので後でまた読み直すことが出来るので参考になります。
それで帰宅した後早速一部の写真の入れ替えや付け足しをしました。
いやいや、やっぱり三国時代は本当に興味がつきませんよね。
ほんと、その通り。1800年前だけど、繰り返し語られてそのたびにたくさんの人の心を揺さぶる。多少事実と違う形になっている部分はあるけど、彼らは今も生きているのだなあと思います。
私も三国志の話になると血が騒ぎわくわくしてしまいます。
これからも大好きです
「三国志展」鑑賞&オフ会での楽しいひととき、ありがとうございました
戦乱の時代の文物と言うことで華美なものは少なかったですが、
その中でも印象に残ったのが犬の俑(←密かに「埴輪ンコ」と命名)
モデルになったワンコは、さぞかしよく吠えて番犬の役目をしたでしょう♪
そして〆の「晋平呉天下大平(晋、呉を平らげ天下太平)」磚。
文物のレイアウトを考えた人、心憎い演出をしてくれましたな~♪
三国時代も終わりだけれども、三国志展の展示も終わりだよ演出。
〆をキッチリ演出してくれる展覧会は後々まで心に残って太好了!
でございます
美味しいお店を探しておきますので、またオフ会いたしましょう
もう3か月たつのですが、あの時は楽しかったなあなんて思い出してニマニマしてます←危ない奴
遵命さんが開催初日に行くことを提案されたとき大混雑を覚悟していたのですが、実は空いていてとても作品を鑑賞しやすかったですほんと展覧会は早めに鑑賞しに行く方がいいですね。ドンピシャでした。
「埴輪ンコ」は見た目強面のわんこで、知らない人には厳しい対応だったと思うのですが、なついてくると可愛いんでしょうねー。型を作った職人さんはきっとワンコを飼っていて可愛がっていたに違いないと思いました私も大型犬大好きなんです♪
そして「晋平呉天下大平(晋、呉を平らげ天下太平)」磚。展示自体が大河ドラマの様に三国志を物語るようでしたが、最後にこの磚(レンガ)が出口直前に展示されて、全ての作品を見終えた安堵と一抹の寂しさも感じました。華やかな英雄譚もそれぞれの国の賑わいも見せてくれて、最後に意外にあっさりと時代の終焉を知らせてました。それがためにむしろ余韻が残り、うん、いい終わり方でしたね。
いつも楽しいオフ会を企画してくださりありがとうございます!またお会いして一緒に中華な話をするのを楽しみにしてます