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ウフィツィ美術館展

2014-11-28 14:57:50 | 一期一絵
ウフィツィ美術館展 黄金のルネサンス ボッティチェリからブロンヅィーノまで

11月11日と18日に東京都美術館で鑑賞しました。このポスターは上野公園内にあった立て看板より

楽しみにしていたウフィツィ美術館展、なかなか行けなくて11月になりやっと行けました。

まずは初期ルネッサンス
画家が職人から新しい文化の担い手として認知された時代。

ガッディ家三代の画家の肖像を描いた絵から始まります。(「ダッデオ・ガッディ、ガッド・ガッディ、アーニョロ・ガッディの肖像」ドメニコ・ディ・ミケリーニに帰属1440~1450年)
シンプルな黒地に横向きと正面向きの人物三人が照明写真のように並んで描かれていて、その絵には物語性や演出はないのだけど、画家である自分たちの存在を後世に残していく気概と誇りを感じました。
画家は中世時代までは職人の一分野とされていて、ルネッサンスに入り人間的な感動を伝える絵画へと進化してステータスのある職業と認知されたそうです。

他にもサン・ミニアートの画家の描く「聖母のキリスト礼拝(中央)磔刑と聖フランチェスコと聖ヒエロニムス(上部)」(1480年)は下部が洪水による浸水で破損し、後の時代に板を当てうっすらと彩色を施して全体の雰囲気を再現していました。それでも聖母マリアの優しい顔立ちと母子の親密な情愛が感じられます。

それからヤコポ・デル・セライオが旧約聖書のエピソードを家具に描いた板絵は当時のイタリアの風俗が垣間見れて面白かったです。

このルネッサンス前期の絵画が好きです。これまでの因習や常識やお約束みたいな観点から少しずつ解き放たれていき、前の時代の影響を残しながらもこわばった心を徐々に伸ばしていく。新しい発見、技法に一つ一つ心熱くなってる時代。画像が見つからずすごく残念!
始めはまだ形の狂いはあるのですがそれもまた魅力があり、何度見ても見飽きません。そして驚くほどのスピードで絵が進化していく。



「聖ヤコブス、聖ステファヌス、聖ペテロ」ドメニコ・ギルランダイオ1492‐94年
最初の展示室内で輝くような存在感を放っていた作品。発色のいいテンペラ画の上に入念にニスを塗り、色彩の美しさが際立ってました。
正確な遠近法、見る私たちに語り掛けそうな人物や緻密な衣服や建物の描写。ミケランジェロの師匠にあたる人ですが、すでにルネッサンスは黄金期を迎えています。
このギルランダイオは若い女性の絵もまた可憐で美しいのです。 



「悲しみの聖母」ペルジーノ1500年頃
こちらはラファエロのお師匠さん。本来は夢見るような目をしたおちょぼ口の人物を描いてます。この絵を描いた時は修道僧サボナローラがフィレンツェのこれまでの享楽的な生活を弾劾し厳格なキリスト教的生活を勧めた時期になり、そのせいか宗教的要素の濃い作品。北方ルネッサンス絵画の影響も感じられる。
でも何より、涙するマリア様の手を合わせた姿に心動かされました。


「老人の肖像」フィリッピーノ・リッピに帰属1485年
この老人はもしかしたら父親で同じく画家のフィリッポ・リッピではないかと言われている作品。フィリッポ・リッピは元修道僧でポッティチェッリの師匠。息子のフィリッピーノ・リッピはポッティチェッリから絵を教わってます。瓦に漆喰を塗り素早く絵を描くフレスコ画で描いてます。とても味わいのある作品。


そしてポッティチェッリの作品
初期の作品も展示されてましたが、脂がのって匂い立つような美しい作品を描いていた時期から載せます。


「聖母子、洗礼者聖ヨハネ、大天使ミカエルとガブリエル」サンドロ・ボッティチェリの周辺 1485年
こちらはポッティチェッリ作とは断定されてないそうです。マリア様の優美さやキリストのかわいらしさ、天使や洗礼者聖ヨハネの美少年ぶりが魅力的。


そして34年ぶりに来日した作品。私も34年を経てもう一度お会いできました

「パラスとケンタウロス」サンドロ・ボッティチェリ1480‐85年頃
「ヴィーナスの誕生」や「春」と共に、画業の頂点をなす作品。女神パラスはケンタウロスより一段高い所に立っているけど、それでもすごく大きい!体にオリーブを絡ませ、メディチ家を著す三つのダイヤモンドの指輪を組み合わせた紋章を衣服の模様にしてます。そしてダイヤモンドを頭頂部に飾っていると壁の説明に書かれていて、はて、どこなんだろう、見た感じは月桂樹の葉の冠をかぶっているにしか見えなかったのですが・・・

ありました☆
葉っぱの一部かと思ったらおでこのてっぺんに金の花びらに囲まれた四角錐のダイヤモンドが。
そうか、この時代はまだブリリアントカットは存在しなかったのでした。
女神パラスは物憂げな夢見るような表情。彼女は半人半馬のケンタウロスを力づくで支配してもなお優美です。
当時絵にいろんな意味をこめて描きいれたそうだけど解釈よりも絵そのものの魅力が強い作品。


時代が過ぎ、メディチ家が追放され、かわりに修道僧サボナローラが宗教的で厳格な生活を推奨したのち、変わります。
教訓めいて場面を説明するために人物が小さくなり、かわりに宗教的熱情を感じるのです。


「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」サンドロ・ボッティチェリ 1500年
全体を見るとまだ優美だけど、よく見るとマリア様は疲れた顔だちになり、キリストを受け止める洗礼者ヨハネは平べったいお顔になっています。先ほどの天使や洗礼者ヨハネの美しさを失ってます。



「東方三博士の礼拝」サンドロ・ボッティチェリ(18世紀の補筆あり)1490~1505年
下書きはポッティチェッリで18世紀に加筆されたので顔立ちがもうポッティチェッリじゃなくなってます。
画面には幼子キリストを一目見ようとする群集の凄まじい勢いが感じられます。背景には押し寄せる人物や馬がぎっしり描かれてます。


サボナローラが処刑され、そののちも工房を経営してたそうで工房作品も展示されてました

「十字架の通行(一部)」サンドロ・ポッティチェッリ1510年
ポッティチェッリが亡くなった年の作品なのでほとんどがお弟子さんの作品。亡くなるまで画家として活動してたのかと知りました。

この時代
レオナルド・ダ・ヴィンチがルネッサンス美術を完成し、「ベッラ・マニエラ(美しい手法)」と言われます。レオナルドダヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロが頂点を極めます。
彼らが去ったフィレンツェでは「マニエラ・モデルナ(新しい様式)」と言われ新しい絵画を模索したそうです。三巨匠が不在でもこんな素晴らしい画家がいたのかと知ったのが

アンドレア・デル・サルト


「自画像」アンドレア・デル・サルト1528~29年
そうは見えないけど最晩年の自画像。瓦に漆喰を塗って描くフレスコ画で描いてます。
安定感のある高い技術を持った画家で「描き損じがない」と言われたそうです。


「ピエタのキリスト」アンドレア・デル・サルト1525年頃
こちらは教会の壁に描かれた絵を後に剥離したフレスコ画。
だいぶ絵の具がこそげ落ちてましたが、体のバランスの良さ、落ち着いた深みを感じます。

そして、アンドレア・デル・サルトの弟子が師匠の絵を模写した作品がまた良かったです。
模写のため、線に揺れがあるそうで師匠の作品には及ばないそうですが、それでも心をつかむ魅力がありました。
残念ながら画像が見つからず、多分アンドレア・デル・サルト作品の写真と思われる小さな画像がみつかったので載せます。


「バッチョ・バンティネッリの肖像」
絵に奥行があり、思索的な青年の性質まで著された作品。その浮き上がるような人物描写が見事で模写でも素晴らしかったです。何度も見直して惚れ惚れとしてました。


このアンドレア・デル・サルトですが、夏目漱石も好きだったようです。「吾輩は猫である」で水彩画を始めた苦沙味先生が友人の迷亭とアンドレア・デル・サルトについての会話をしてます。
その会話の中でも技術の高い画家として評価されているのがうかがえます。

もう一つ違う作品のアンドレア・デル・サルト作品の模写がありましたが、それはかなり劣りました。


その後の画家は、


「女性の肖像」ロッソ・フィオレンティーノ1515年
アンドレア・デル・サルトの弟子です。
この画家の描く人物はなぜか目の下に隈があり、寝不足のような、内臓に疾患をもってるように見えます。
人物に憂いを持たせるためなのだろうか・・・

ポントルモの2作品は異様さを感じました。こちらも画像が見つからなくて載せれないけど


「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」フランチェスコ・デル・ブリナ1560~70年
乳白色の肌色と顔立ちが藤田嗣治氏の絵を思い出しました。

頂点を極めた後の作品には前期の勢いや魅力に及ばないのはどうしようもない時代の潮流なのでしょう。
勿論、いいなと思う作品もありますが。

フィレンツェはふたたびメディチ家が支配し、コジモ1世が大公になりウフィツィ宮殿を建設、その息子のフランチェスコ1世がウフィツィ宮殿の一部をギャラリーに改造、今日のウフィツィ美術館の基礎を作ったそうです。

その時代の画家、ブロンヅィーノやヴァザーリは技術の高い画家ですが、どうも魅力を感じないのです。


「春(プリマヴェーラ)」ブロンヅィーノの下絵によるメディチ家タピスリー製作所1546年
見事なタピスリーで玄関に飾っていたと説明されてました。
ブロンヅィーノの絵は何かの意味を暗示する人物や動物や物でぎっしり詰まってます。でも、内輪向けの符号に思えてしまう。

そしてブロンヅィーノがコジモ1世の依頼で歴代のメディチ家の主要人物をいろんな作品から模写してそれぞれ小さな絵にした作品が並んでました。
ポッティチェッリが美しい絵を描いていた時代の当主ロレンツォ・イル・マニーフィコ


ロレンツォの次男の教皇レオ10世の肖像もありました。

レオ10世はラファエロに作品を依頼し、ルネッサンスをおおいに盛り上げた人でもあり、一方贅沢志向で財政がひっ迫して免罪符を認めマルチン・ルターが宗教改革を起こす原因にもなった人です。

そしてウフィツィ宮殿の一部をコレクション展示スペースにして、後のウフィツィ美術館へと発展する基盤を作ったフランチェスコ・メディチ


ルネッサンスの興亡を一気に見届け、しばし現実を忘れタイムスリップをしたひと時でした。
12月14日まで開催されてます。











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