6月14日土曜日、東京ステーションギャラリーで開催されている「ジャン・フォートリエ展」を鑑賞しました。
昼過ぎですがすいていて、ゆったりと静かに見れました。
まず3階の会場に行きますが、展覧会にはあるはずの作品リストが置いてある場所が見つからず、座って会場を監視する係員に尋ねたら、椅子の下から出してくれました。その場にいた人も、あれっと気づいてリストを次々ともらいにいきましたが、リストはわかる位置に置いてほしいと思いました。リストは展覧会で作品を確認しながら見るのに必要ですし、簡単な感想を書き足して後で見返す時に思い出す資料になりますので。
さて、リストも手に入り、ゆっくりと見始めました。
最初に展示された作品
「管理人の肖像」1922年
細部まできめ細やかに描き切った老婦人の顔。よく見ると左目は見えてないようだ。生気のない顔いろ。だけどきちんと髪を結い、ピアスでおしゃれしてる。そして手が黒い。積み重ねた苦労と生き抜いたしたたかさを感じます。静かな迫力と存在感。
ジャン・フォートリエ(1898~1964年)はパリで生まれ、父の他界により母とイギリスに移住しそこでロンドン・ロイヤル・アカデミーで学び中退、スレイド美術学校に変えて学び、ターナーの絵に傾倒。
1917年に第1次大戦のためフランス軍隊に召集される(国籍はフランスのままだったようですね)前線でガス中毒になり入退院をくりかえし1921年に免役除隊となってます。その直後に描いたのがこの「管理人の肖像」。この婦人のまるで生気のない顔立ちには、軍隊で経験した事が投影されているようにも思えます。
そのままパリに留まって制作した絵はゆったりと簡略化してゆきます。
そして人物の重厚な実在感が迫ってくるのです。それが東京駅建物のむき出しででこぼこした赤茶色の煉瓦の壁ととても合っていて展示室空間がすべてフォートリエの絵の世界になっていて、そこに入ってゆくような気分になりました。(写真はパンフレットから撮影したものが多く、ゆがんだり、置いた机が見えたりしてます)
「エドゥアール夫人の肖像習作」1923年
男じゃない女の人の顔なんです。相手を射抜くような鋭い眼、相手を許さないようなきつく閉じた唇。自信満々な表情、堂々とした体格。この夫人の人となりが見えてきます。
もう一方で描かれたエドゥアール氏の肖像習作の男性は痩せて伏し目がちの悲しげな眼をしてました。
「娼家の裸婦」1924年
堂々とした体格の娼婦。粗末な部屋の後ろで待っている客が貧弱に見える。男みたいな角ばった顔立ちは生活感が漂い、
悲哀と何としても生き抜いてゆくような生命力を持っている。
「美しい娘(灰色の裸婦)」1926-27年
モデルの人となりを表す細部は省略して浮き上がるような体のボリュームが主役に。
「黒人女性の頭部」1926年
黒い背景と荒い筆遣いながらそこに黒人女性が確かに存在している。
他にも肖像画や人物像があり強烈な存在感に圧倒され心がつかまり、この初期の黒い絵のシリーズが好きだとしみじみ感じ入りました。
静物画や風景画、そして彫像もありましたが、ここでは1点載せます。
「兎の皮」1927年
憐れにも狩られて首をつられた兎。命を亡くした彼らはもはや食材となってしまってる。
その後しばらくパリを離れ、スキーのインストラクターやホテルやナイトクラブの支配人の仕事をしたのち、ナイトクラブを経営。
一時期絵はほとんど制作しなくなる。その間に作家ジャン・ポーランなど数々の友人と重要な出会いがあり、制作が開始されます。
2階の会場に降りるとまずは静物画がならんでました。いずれもかなり厚塗りで表面がでこぼこして、そして陶器のようにつやつやしてました。
「林檎」1940-41年
ナイトクラブのオーナー時代に考え出した下地の紙に白い塗料を分厚く塗る描きかたをしてます。
時代は第2次世界大戦に突入し。ドイツ軍がフランスに侵攻。フォートリエはドイツ秘密警察(ゲシュタボ)に何度も訊問されついに逮捕され数日間拘束されます。4日の後解放されパリ近郊にある反ナチの精神科医師の診療所のもとに住むが、そこにドイツ軍も来て、強制収容所から連行したレジスタンスを次々に銃殺してく。フォートリエは仲間により塔に匿われ、孤独の中連作を制作する。
1945年終戦後、パリの画廊で「人質の連作:フォートリエの絵画と彫刻」展が開かれます。
ゲシュタボに捕えられ自らも厳しい尋問を受け間近に拷問され殺されていく人を見て、逃れた後もすぐ近くで拷問され殺されていく人を見て銃声や人のうめきや叫びを聞き続け自分もいつ再び捕えられ同じ運命をたどるかと恐怖の中で制作された作品群。
この極限状態を生々しく描くにはあまりにも辛く、私たちも目を背け見る勇気を失ってしまったでしょう。
フォートリエは形を歪め簡略化して恐怖と悲惨を表してます。私たちはそこからいろんな要素を察し想像し、改めて人道から外れた行為に戦慄しファシズムと戦争のむごさを感じます。そして古今東西の非人道な行為すべてが当てはまる普遍的な作品になっています。
展覧会場は再びごつごつした古い赤レンガの部屋へ。私も人質と同じく牢獄に入り込んだような気持ちになり作品群をみました。
「銃殺された男」1943-45年
倒れた体は血にそまり、命を失った人間は、人格を失い一つの物体と化してしまってる。
「人質(人質の頭部no.3)」1944年
頬がこけ、これからおこる恐怖と死を前にしてなすすべもなくうつろな目をしている。
「人質の頭部」1944年
人質のうつろな目はえぐり出されてしまった。
「悲劇的な頭部(大)」1942年
顔の半分は削り取られ失ってます。顔を削られた人質は何も言えずただ目を見開き悲しみと苦しみを精一杯訴えてます。
他にも多数あります。その作品群に批評家は最初は困惑をみせたそうですがジャン・ポーランや友人たちが文章で支持を表明。次第に評価が高まります。
この展覧会の作品は「アンフォルメル(非定形)」と呼ばれ世界的な美術の動きを象徴する作品となります。
私は「人質の頭部」を見て、同じく第二次大戦の悲惨さを描いた日本の版画作品を思い出しました。
浜田知明「初年兵哀歌(歩哨)」1951年(参考に載せます)
いずれも戦争を経験した人の実感した哀しみ、怒りを感じ心に深く入ります。
二つの大戦を経験し生き抜いたフォートリアは戦後は物体の簡略化を推し進めます。
人間の姿はいろんな要素をそぎ落としそこに存在するという形だけになっていきます。
「永遠の幸福」1958年
これはまさに愛し合う男女の様子ですね。ちょっとユーモラス。
色合いは明るく美しくなり幸福なものになっていくように感じられました。
「雨」1959年
「草」1963年
会場にフォートリエとジャン・ポーランが会話している映像がありました。饒舌に美術論を語るポーランに対し、言葉少なに自分の絵を語るフォートリエ。
フォートリエは自分の絵を実態のあるものをとことんはいでいったのだと語ってました。
アンフォルメルという戦後の大きな美術の流れは、その後抽象表現主義絵画へとつづくのですが、フォートリエのなかでは常に具体的な物を描いていたのではと思いました。
晩年の実制作時間は本人は1時間と言い、「それ以上やるとつかれちゃうからね」と言ってましたが、準備期間がそれ以前に存在するとも語ってました。
いや実制作が1時間といっても、そこにいたるまでの年月と実力と経験があってのもの。最後の1時間を真似たって深い説得力など存在せず、薄っぺらい絵具作品になってしまう。
この展覧会の前に見た「バルテュス展」と会期が重なっていたのも興味深いです。
フォートリエはバルテュスより10年年長ですが同じフランスで時代を長く共有しています。
フランスでは同じ時代にこんなに違う絵画が共存していたのがすごい。
最後に、気になった作品を
フォートリエ氏は戦前戦中にナイトクラブを経営し、毎晩ジャズバンドを雇って演奏させていたそうですが、そのジャズ音楽を題材にした戦後作品を
「オール アローン」1959年
戦前から歌われてるジャズの名曲です。私も数少ない知っている曲でした。
絵の中の人物は「ひとりぼっち」の寂しさに酔いつぶれて横たわっているように思えます。
題名をみた途端この曲の歌が頭の中で流れてしまい、その脳内音楽とともに戦後作品を鑑賞しました。
せっかくなのでここに「オール アローン」の歌を貼り付けします。
いろんな歌手の歌う動画がありましたが、サビの部分からはじまるちょっと変則的な歌い方をするフランク・シナトラの切ない歌声にしてみました。
よろしければ、この歌と共にジャン・フォートリエの絵を見てくだされば嬉しいです♪
frank sinatra - all alone
7月13日まで東京ステーションギャラリーで開催されてます。
その後
豊田市美術館(7月20日~9月15日)、 国立国際美術館(9月27日~12月7日)に巡回します。