お盆も過ぎて、夏の疲れもちょっとあり、ぼんやりと過ごしてしまってます。
去年は片づけに燃えましたが、今年は反動で物を捨てたくない気持ちでいっぱいです。
壊れたガラガラ、子供が小学生の時に作った粘土の動物、飾るところがないしお片付けする人なら当然始末しているであろうものだけど、捨てたくない!
物を捨ててスッキリ過ごされている方々はそういう葛藤を克服した人なのだろうか、それとも元々執着心を持たない人なのだろうか。
リビングの棚に置いた柄の部分が壊れたガラガラを振ると今も心地よい音色を出してしばし懐かしい想いにくるまれます。
気が済むまでもう少し置いておくことにします。
楽しみであるはずの展覧会も故宮博物院展を見終わって、さて、次に何を見ようかと思ったら、行きたい所はいろいろあるはずなのに意欲がわかない。
そんなぼんやりな生活ながら、秋の気配が少しずつ見えてきてます。
赤とんぼを近所で見かけたり、ツクツクボウシの声が聞こえたり、新聞広告には秋のファッションの写真が並んでいます。
そして今日、生協で注文していた秋の展覧会の前売り券が郵送で届きました。
ボッティチェリの絵のフライヤーとチケットを見て、気持ちが高まりました♪
私はやっぱりこの時代の作品が一番好きです(#^^#)
イタリア、フィレンツェのウフィツィ美術館はいつか行ってみたいところです。
あともう一か所、フランス、コルマールのウンターリンデン美術館にも行きたい。以前ここで書いたグリューネヴァルトが描いたイーゼンハイムの祭壇画のある美術館です。
詳しくは以前書いた記事で
まあ、本当に行けるかわからないけど、夢は持っていよう。
元気になって残りの夏をのりきる意欲が湧いてきました。←単純(*^。^*)
去年は片づけに燃えましたが、今年は反動で物を捨てたくない気持ちでいっぱいです。
壊れたガラガラ、子供が小学生の時に作った粘土の動物、飾るところがないしお片付けする人なら当然始末しているであろうものだけど、捨てたくない!
物を捨ててスッキリ過ごされている方々はそういう葛藤を克服した人なのだろうか、それとも元々執着心を持たない人なのだろうか。
リビングの棚に置いた柄の部分が壊れたガラガラを振ると今も心地よい音色を出してしばし懐かしい想いにくるまれます。
気が済むまでもう少し置いておくことにします。
楽しみであるはずの展覧会も故宮博物院展を見終わって、さて、次に何を見ようかと思ったら、行きたい所はいろいろあるはずなのに意欲がわかない。
そんなぼんやりな生活ながら、秋の気配が少しずつ見えてきてます。
赤とんぼを近所で見かけたり、ツクツクボウシの声が聞こえたり、新聞広告には秋のファッションの写真が並んでいます。
そして今日、生協で注文していた秋の展覧会の前売り券が郵送で届きました。
ボッティチェリの絵のフライヤーとチケットを見て、気持ちが高まりました♪
私はやっぱりこの時代の作品が一番好きです(#^^#)
イタリア、フィレンツェのウフィツィ美術館はいつか行ってみたいところです。
あともう一か所、フランス、コルマールのウンターリンデン美術館にも行きたい。以前ここで書いたグリューネヴァルトが描いたイーゼンハイムの祭壇画のある美術館です。
詳しくは以前書いた記事で
まあ、本当に行けるかわからないけど、夢は持っていよう。
元気になって残りの夏をのりきる意欲が湧いてきました。←単純(*^。^*)
モノにはそもそもあまり執着が無いほうですが、たまに執着して冬眠前の栗鼠のように溜めてしまうモノがあって、これらがまさにそうでした。(現在で言うなら『藍宇』まわりの品でしょうか)
執着が消えたというより、私にとって必要で無くなったことがわかったから、というほうが合っているようです。明後日は「いつか読むかも」と思って残してきた本についての見直しをする予定です。
最終的には思い出は自分の記憶のなかだけにとどめる、ってことにしたいのです藍宇じゃないけど(笑)。身ひとつで死ぬのが理想なので、そこへ向けてのお片付けをそろそろ始めていきたいです。
ウフィツィは、私もいつか行きたいなあと思っている美術館。この展観はおもしろそうですね。ぜひ行きたいです。
思い出は自分の記憶のなかだけにとどめる
藍宇の言葉。これが、たぶん片づけの極意なのでしょうね。
そんなシンプルなことがなかなか踏ん切りがつけなくて、ついつい煩悩にまみれています。
死ぬときは身一つだと思えば”もの”ははかない。
けれど生きてる時は何かを愛し、創造し、それを生きがいにしていくことこそが生きる醍醐味で、そのためにどうしても”もの”を必要としていく。
何とも皮肉なジレンマだなと思います。
だから今自分が必要としているものだけを確認して整理する時が来て、レッドさんにとって”今”は「藍宇」なんだなと感じました。
「藍宇」でも「北京故事」でも捍東は何かよりどころを必要としていたように思います。
それに対して、藍宇は自分はもとからよりどころのない人間だと自覚していたように思います。「北京故事」で
天涯何處無芳草、我早想開了
と言ってました。
何か事あるとつい藍宇の生き様や言葉を思い浮かべるのですが、今はこの言葉が何度も思い浮かびます。
きっと殆どの人は藍宇を忘れるかもしれないけど捍東の心にはのこりましたもんね。それでいいのでしょうね。
自分にとって大切なもの、大切な人は案外少数なんだなと最近感じます。
私はまだまだしがらみやものに対する未練で縛られてますが、レッドさんは快い整理が遂行されますことを(^_-)-☆
そしてウフィツィ美術館展!
ご同行したらまたご迷惑をかけそうなのが申し訳ないので1回は一人で行って、二度目以降で時間があいましたらご一緒できたらうれしいです(^^♪