10月9日にbunkamuraザ・ミュージアムにて鑑賞しました。
ウィーン美術史美術館は19世紀にネオルネッサンス様式で建てられた外観も内部も贅を尽くした建物で、ハプスブルク歴代皇帝が収集した貴重な所蔵品を展示しているそうです。
今回の展覧会はウイーン美術史美術館の所蔵作品の中から、風景画という絵画分野を確立していった過程を知るというテーマで作品を選んだそうです。
風景画はここ数年、とても好きな分野になりました。それまではただぼんやり見ていただけですが。2年間ほど水彩画教室で風景画を習いに行って、なかなかうまく描けなくて、どうしてだろうと悩んでふと気づいたのです。いいなと思う風景画には風が通っていることを。絵の中に風が通っていて木の葉はざわめき、水面も揺れている気配を感じるのです。川には水がざわざわとせせらぎ、沼にはねっとりした感触を感じ、建物には人が住む形跡を感じ、廃墟には長年雨風にさらされて崩れそうな脆さを感じるのです。そう、風景画の中にもう一つの世界があるのです。それは、ドールハウスや箱庭と感覚が近いのかもしれません。
それに気づいたら、俄然風景画を見るのが楽しくなりました。
風景画の世界にふっと入り込んでそこにいる世界を感じる。20世紀以降の、風景画の形を取りながらも画家の絵の表現こそを第一となった絵はもう風景画の世界を覗き見るのが困難な場合が多いですが、もう少し前の絵にはそんな楽しみが存在してます。
風景画というジャンルが確立するまでの過程が主題なので、確立した後のバルビゾン派やターナー、印象派などの作品は無いのですが、ルネッサンス時代の宗教画の絵の世界にすでに画家が風景を楽しんで描いている様子がわかり、とても楽しく鑑賞しました。
それで、まずはルネッサンス時代の宗教画から、聖母子を囲む聖カタリナ(向かって左)と聖バルバラ(向かって右)。二人は生前恐ろしい拷問を受けた女性ですが、絵の世界の中で穏やかに語り合ってます。
ホーホストラーテンの画家《聖母子と聖カタリナと聖バルバラ》1510年頃
そんなに大きい絵ではありませんが、細密に描かれて見ごたえがありました。三人と赤ちゃんのキリストが寛いでいる部屋の窓から見える景色は城があって、川があって魅力的な風景になってます。16世紀のヨーロッパはきっとこんな景色だったのでしょうね。道行く人が小さく描かれているので背景に現実感を感じさせてくれます。
色彩遠近法で、遠くの景色は青く見えるという効果がもうきっちり表現されています
南ネーデルラントの画家《東方三博士の礼拝》1520年頃
聖書の重要な場面を豪華な装いで表した背景には絵の主役を気にせず自分たちのいつもの営みをする人々がいます。そし右上にいる二人の人物が窓の外をのぞき込んで背景の世界の広がりを知らせてくれます。
ヨアヒム・パティニール《聖カタリナの車輪の奇跡》1515年以前
パティニールはデューラーと親交があり、デューラーはバディニールについて1521年5月の手紙で「良き風景画家 er gute Landschaftmaler」と書いたそうです。美術史の中で「風景画家」という言葉がでた最初の文献なんだそうです。
主役のカタリナの奇跡は小さく描かれ広がりのある雄大な風景こそが主役に見えてしまいます。やはりいつもの生活のどこかで奇跡は起きてるのだという発想なのでしょうか。色彩遠近法で遠方を青く描いてますが、青すぎてちょっと寒そうな感じもします。
ヒエロニムス・ボスの模倣者《楽園図》1540-50年後頃
これはヒエロニムス・ボスの作品ではないけど、こういういかにも荒唐無稽な世界も風景画の一つとして見るという視点に今回驚きました。
確かに、大概の風景画は見たそのままを描いているわけではなくて、多少にアレンジをしていたり、想像上の風景を描いてある作品も多いですが、もうこれはSF世界並み!それでも実際の生活に存在する物を組み合わせているという点では現実感があるとも言えて、なるほどとうなりました。
イル・ガロファロ《ノリ・メ・ダンゲレ(我に触れるな)》1525-30年頃
この作品の人物と翻る布はまるで永遠に固定されたように見える固さを感じ、背景の木の葉を明るい色でくわしく描いたためにむしろ奥行がなく平面的な印象を受けてしまいましたが、色が美しいと思いました。遠景の広々とした眺めはすがすがしくて気持ちいいです。まさにイタリアの絵画。好きだなあ。
風景は「月歴画」という分野にも描かれます。
レアンドロ・バッサーノ(通称)《5月》1580–85年頃
一年の風物詩を描いた連作だそうです。農家の人々の5月の作業がくわしく描かれていて、描かれている人物がみなふっくらして健康的で、収穫が豊かで幸せそうです。背景に薔薇のお世話をしている女性がいて、薔薇は香水にも薬にも使われたそうです。空にはふたご座の絵が描かれてます。
同じく歳時記を著した細密画で、これは写真撮影したものを製本した作品が展示されてました
ランブール兄弟《ベリー侯のいとも豪華なる時祷書 4月》1390-1416年頃
羊皮紙に描かれた細密画の最高傑作である作品は貴重過ぎて本物は展示できないのは当然ですね。展覧会では撮影した作品を製本した本を自由にページをめくってみることが出来ました。
ページによって農民の農作業が景色とともに描かれていますが、貴族の雅な生活を描いたこのページがロマンチックなのでこちらを載せます。
背景にある城はペリー侯爵の持ってる城の一つドゥルダン城。
ルーカス・ファン・ファルケンボルフ《夏の風景(7月または8月)》1585年
再び大地にしっかり立って生きる人たちの生活を風景と共に描いた作品に。遠景の広がりが見事!
収穫する喜びと人々の逞しさを感じます。
アダム・ペイナーケル《ティヴォリ付近の風景》1648年頃
イタリアに絵の修業をしたネーデルランドの画家がイタリアに多く存在する古い遺跡を人物を添えて情感をもって描いた作品。どこか哀愁と郷愁を感じる。
風景画は17世紀にオランダ(ネーデルランド)で成立したそうです。
ヤン・シベレフツ《浅瀬》1664–65年頃
田舎の風景には、そこに暮らす人=農家の人を描くのが一番しっくりするということなのでしょう。作品を所有して飾る人は王族だったり貴族だったり、およそ農作業とは縁のない人たちです。だから理想化した世界が広がってます。
私は馬車に乗って振り返っている若い女性の逞しい表情に惹かれました。
ヘイスブレヒト・リテンス《宿営する放浪の民のいる冬の風景》17世紀後半
とても印象に残った大好きな作品です。まるで物語の一場面のようです。そして、この画面でわかるかなあ・・・。白い枝が絡まる真ん中に小さくフクロウがいて凍える人々を見下ろしているのです。
カナレット(通称)《ヴェネツィアのスキアヴォーニ河岸》1730年頃
イギリスの上流階級の子息は成人する前にヨーロッパを旅して見分を広める「グランドツアー」を経験したそうです。その思い出を形に残したくて訪れた場所の風景画を買い求めたそうです。
カナレットは透視図法でかなり正確で精巧なベネチアの風景画「ヴェドゥ―タ」を描いてイギリスの上流階級にもてはやされたそうです。
まさに風景画。もう聖書や神話などの物語の背景ではなくなってるし、描かれている人物も物語性はなく風景そのものが主役になっています。
それにしてもカナレットの職人技ともいえるベネチアの街風景は見事です。森とか田園風景なら多少のデッサンの狂いがあってもなんとか帳尻を合わせられますが。ぎっしり建物がある風景は、それがリアルに描かれているから余計にちょっとの狂いが命取りになるくらい絵がおかしくなります。何気ない安定した街の様子の絵に高度な技術を感じます。
今回の展覧会は載せてない絵も面白い作品があって、雄大な風景の端っこで旅人が山賊に追っかけられて必死に逃げているという当時の人にはユーモアと切実と両方感じる絵があったり、いろいろ楽しめました。展覧会の出口と、Bunkamuraの1階にヒエロニムス・ボスの作品から飛び出た者たちがいました。
こっちの世界はいかが?
展覧会の中の映像で、ウィーン美術史美術館の学芸員が日本人は風景画に対する感受性がとりわけ強いと言ってました。確かに、風景の細かい部分にまで注目して楽しむというのが好きな民族かもと思いました。そして絵を通して観念の世界で旅する事を楽しむ人が多いのかもしれません。
展覧会の動画で風景画の中で旅をするのに丁度イイのがありましたので貼り付けます
Bunkamuraザ・ミュージアム 『ウィーン美術史美術館所蔵 風景画の誕生』 スポット