先月1月26日のJBpress配信記事に「南西諸島に米海兵沿岸連隊配備、日本はなぜ「自分たちで守る」と言わないのか」という北村淳氏の記事があった。
そのなかで「・・・アメリカ側は、沖縄に駐留している海兵隊の一部隊(第12海兵連隊)を2025年までに「海兵沿岸連隊(MLR)」に改組し再発足させる計画を発表した。・・・・」とある。「海兵沿岸連隊」というのは海兵隊が新たに編成しつつある戦闘部隊のことだそうで、これはアメリカ海兵隊総司令官デイビッド・バーガー大将のいう「海兵隊の新戦略指針Force Design 2030」に沿ったものだそうである。
話は変わるけれど今から55年くらい前のことだ。私が18か19歳のころのことである。希望の大学からの招待状を取りそびれてしまった私は東京のど真ん中四谷のしんみち通りにあった三島由紀夫ファンのママが経営する小さなスナックバー(バッカス)に飛び込み、バーテンをやっていた。どういう訳かそのバイトが肌に合い毎日楽しく仕事らしきことをして結構高い給料をもらっていた。
店内には丸いカウンターが二つあり、一つに一人のバーテンダーが入る。そう、そんなある日、あの楽しい客が入ってきたのだ。私の前に座り、飲み始めていた。一人だった。片言の英語でやりあい、何日か飲みに来た頃には友達になっていた。店が終わると二人で自販機でビールを10数本買い込み、4畳半のアパートで飲み明かしたりした。私のアパートでは結構麻雀や飲み会があったので珍しいことではなかった。
彼の名前はF.Wだ。マサチューセッツ出身のアメリカ人だが、アイリッシュでそう大きくなく私とほぼ同じくらいの体型だった気がする。沖縄(コザ市)に恋人HIDEKOを置いてきていた。酔うと「HIDEKO、HIDEKO・・・・」と漏らし、恋しがっていたのを思い出す。深く酔っぱらうと、深夜、四谷の交差点のど真ん中迄出て「〇〇〇〇やりたーーい!!!」と卑猥な叫びをあげていたこともある。青春の雄たけび、みたいなものとも言えるが、そんな素直な態度にちょっと恥ずかしかったが好感を持ったものだ。彼は海兵隊上がりだった。除隊だったのか、休んだだけなのか定かではない。その時かれは海兵隊のこと「マリンコー」と言っていたのを思い出す。ふーん、Navyじゃないのね…、くらいにしか思わなかった。勇ましい話も多少聞いた気がするが、あまり覚えていない。ただ、今でもすごく懐かしい。その後、アメリカへ帰った。そして、ある時戻ってきて四谷のバーで再会したが、同国人の友人と一緒で私とあまり話す機会もなく、・・・そして、そのままになった。
話を元に戻すと、上記の海兵隊新戦略指針2030の目的は組織の存続を図ることらしい。えっ?という感じもする。「存続」を云々するって、もはや「要らない」ということの裏返しなのか。事の良し悪しは別として、あれだけ大活躍した海兵隊、勇猛果敢な上陸作戦などでは花形だったのではないか。ベトナムでも大活躍したように記憶している。あー、あの時のF.Wは何をしているのかなーー、と思ったりもするのだ。2030年ころには海兵隊もなくなっちゃうのかな、、、などと思うとMarinesであることに誇りを持っていたF.Wのことがなぜか大変懐かしいのだ。私の青春の一コマでもあったと思う。(文責:吉田)