最近レジェンド&バタフライという映画を見た。織田信長と濃姫のラブストーリーであったが、思いっきり、史実に拘らずに、製作者が想像の羽を広げたエンタテイメントであったと思う。映画で歴史の勉強をするわけではないので、もちろんそれでいい。男の性と女の性のぶつかり合い、ドロドロとした人の心の奥底でどんな絆が生まれるのか、それはもう言葉に翻訳しきれない激しい心の動きなのだろう。そんなものを、つまり言葉では表現できないある心の叫びを一つの幻想として織りなしていくものが映像と言える。言葉では紡ぐことができないもの、それにこだわるのが「映画屋」「映像屋」さんたちなのだと思う。その意味で、面白い映画だった。
昔、日本が中国で戦争をしていた頃のこと、甘粕さんという人が色々な映画を制作していた。少しだけ見たことがあるが、満洲の地で中国人と日本人が心を通わせて睦まじく生活していたりする。出てくるのは美男美女、例えば、長谷川一夫と李香蘭だ。結構感動してしまうのだ。感動するように作られているので、それが素直な反応と言える。でも、今では「プロパガンダ」として評価されることもないようだ。そういえば甘粕さんはあまり嘘をつきすぎたと反省したのだろうか、戦争が終わったら自殺してしまった。
映画、映像というのは、日々入ってきている。実はプロパガンダにはピッタリなツールなのだ。あることを意図する人がその意図にあったように映像と人の話し言葉を拾い集めて「報道」として流す。そんな映像がテレビでもネットでも次から次へと流れてくるのが現状だ。そんななかから、本物を取り出す能力が求められているのではないだろうか。情報リテラシーなどという小難しいことを言うまでもなく、私たちは嘘に取り囲まれていると思った方がいい。その中から、自らの手で救い上げていく、本当のことを見つけ出していくという作業をしなければならなくなっている。ニュースは映像と言葉でできているが、結構いい加減なものであることが多い。「見たものだから本当だ」、というのは愚かしい間違いだといえよう。見たものではなくて、見て考えてそこから掬い上げた真実があるかどうか、ということだ。(文責:吉田)