昨年2021年4月22日、府中市の大野オフィスを訪ねた。伊藤博文暗殺関連のお話が主だったように記憶している。と、翌日の23日付で大野氏より丁重な礼状が届いた。そして、同年8月7日土曜日にまた大野オフィスを訪れた。その時にやや埃で汚れていたカセットテープを2本お預かりした。のちに、文字起こしを条件に譲渡していただいたという経緯がある。そのテープには複数の人物の声が入っていた。インタビューテープではなく、いわば「宴会」のテーブルの上にカセットコーダーを置いて収録していたらしく、内容はあちこちに飛ぶ話題で詰めつくされていた。
テープはおそらくであるが1976年の夏ごろ(白朗76歳のころ)、大野氏が35歳前後のころだと推察される。場所は小日向白朗宅である。その場にいたのは、白朗と奥様の芳子さん、石井麟氏に大野氏。それにもう一人、おそらく白朗とは親しく交流していたF氏だと推察されるがはっきりはわからないのでイニシャルにしておく。
話の内容はあちこちへ飛ぶ。白朗氏と大野氏がまじめな話をしようとすると、石井氏が別なことを言いだしたり、また、白朗がそれに応えたりして話が飛ぶのである。・・ということを言い訳にして文字起こしはできていない。自民党の有力議員の名前はポンポン出てきている。朝鮮戦争の時にかかわった話も出てくる。要は、手持ちの宝石をばらまいたようなそんなテープであった。白朗はこんなことも言っていた。
「俺は死んでもアジアを見ている。」
「反米に回るかも…」(笑いながら)
自らの生きざまを「ほらは吹くけれども嘘は一つもないんだよ」と豪語していた白朗の一端をみせて呉れるテープです。
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絵は大野氏が自ら描いた風景画を年賀(平成31年)にしたものと、幻の女優ハナコ(花子像ロダン作)を年賀(平成26年)にしたものである。(文責:吉田)
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