2022年11月2日付け朝日新聞デジタルに次のような記事が載った。
『麻生自民副総裁が訪韓へ』
松野博一官房長官は2日午前の記者会見で、自民党の麻生太郎副総裁が韓国を訪問することを明らかにした。関係者によると、尹錫悦(ユンソンニョル)大統領と面会する方向で調整中。松野氏は、岸田文雄首相が麻生氏に尹氏への親書を預けたかどうかについては「事実はない」と否定した。
麻生氏は、超党派の国会議員や財界人でつくる「日韓協力委員会」の会長として、韓国側の「韓日協力委員会」と会談する。松野氏は、「日韓間の議員交流、民間交流は二国間関係を下支えするものとして有意義と考える」と語った。具体的な日程は「政府としてお答えする立場にない」と述べるにとどめた。
日韓では戦時中の元徴用工の訴訟をめぐる問題が最大の懸案となっている。両政府は関係改善に向けた方向性は一致しており、松野氏は「引き続き韓国政府と緊密に意思疎通していく考えだ」と語った。
この記事の中心人物である麻生太郎については、既に「統一教会と同教会認定国会議員の巨大利権」でも取り上げた、あの麻生太郎である。また、麻生は1990年の衆議院選挙に福岡2区から立候補して初当選したさいに文鮮明に「誓約書」を提出し選挙協力を受けたことを勝共新聞『勝共推進議員名簿』に暴露された、あの麻生太郎である。さらには、公共水道を民間に売り渡すことを宣言した、あの麻生太郎である。本年10月24日に統一教会問題で辞任した「瀬戸際大臣」山際大志郎が所属する派閥会長が、あの麻生太郎である。麻生自身が統一教会の影響下にあるにも拘らず部下だけに詰め腹を切らせた、あの麻生太郎である。
その麻生太郎が「日韓協力委員会」の会長として韓国に出かけたとなったら、又、なにやら仕出かすつもりではと勘繰らずにはいられない。ところで朝日新聞の記事に些か首をかしげたくなる箇所がある。それは、自民党重鎮である政治家麻生太郎がわざわざ韓国まで出かけ両国の懸案事項の解決に向けたものであるとしているのに、岸田首相の親書を携えていないというのである。にぎにぎしく官房長官が麻生の訪韓を報告しているにも拘らず、政府として如何なる会談となるかはわからないと言っているのである。政治家が、わざわざ韓国まで出かけて一体全体なにを会談するのであろう。もう一つ気になることは、麻生が訪韓したさいの肩書が「日韓協力委員会」会長となっている。同委員会は如何なる委員会なのか、ネットで検索したところ出てきたのが次のようなものである。
日韓協力委員会(概要) 平成22年10月1日
◎日韓両国間の政治、経済、文化等各分野における民間ベースの交流を通じて、親善友好・相互理解を図る目的で、各界指導者をメンバーとして1969年に設立された。会長は、中曽根元総理(役員名簿別添)。カウンターパートの韓日協力委員会は、南悳祐(ナム・ドグ)元国務総理が会長を務める。
◎2005年度外務大臣表彰を受賞南
会長及び李承潤(イ・スンユン)副会長は平成21年春に旭日大綬章を受章。同年、清水日韓協力委員会副会長も韓国政府から修好勲章光化章(外国人が受ける叙勲で最も高いもの)を受けた。
<歴代会長(会長代理)> 平成22年10月1日
- 1969年~1987年 会長岸信介元総理
- 1987年~1989年 会長代行 長谷川峻元法務大臣
- 1989年~1995年7月 会長福田赳夫元総理
- 1995年7月~1998年10月 会長代行桜内義雄元衆議院議長
- 1998年10月~現在会長 中曽根康弘元総理
◎毎年日韓相互で合同総会を開催し、両国間の懸案等について意見交換を行う。
◎2007年より、「次世代指導者交流事業」として、日韓双方の議員を相手国に招へいし、首脳の表敬や議員交流、視察等をさせる事業を行っている。(了)
とある。同会の初代会長が岸信介ならば、これは韓国利権と考える以外にない。早速に有力な情報源である「国会議事録検索システム」で確認してみることにした。すると、岸信介の懐刀で、日韓利権を取りまとめていた矢次一夫の名前が飛び出してきた。これで同委員会は何らかの韓国利権に関係していることに間違はない。しかして「日韓協力委員会」は、日本が韓国に行った円借款に併せてソウル地下鉄疑惑、浦項総合製鉄所疑惑等、過去に多くの疑惑が指摘された事件にすべて関与しているのだ。
結論から言うことにする。今回、麻生が「日韓協力委員会」会長として訪韓したのは、1978年6月22日に発効した「日本国と大韓民国との間の両国に隣接する大陸棚の南部の共同開発に関する協定」(南部協定)が50年間効力をもち、2028年6月21日までは有効であるが、満了する3年前の2025年に日本が終了の意思を通告することができると規定されている、ことに関係している。この南部協定には大きな問題が二つあり、一つは南部協定の共同開発区域が完全に日韓中間線以南の日本側大陸棚に設定されていること、もう一つは中国が自国大陸棚への侵犯であると激しい抗議をしてきていたという点である。もしも日本が協定を破棄した場合に直ちに大陸棚境界を巡って日中韓3国の激しい了解問題が展開されると予想されている。
岸信介と矢次一夫が後ろで糸を引く民間の「日韓協力委員会」が取りまとめた案を、外務省に提言して実現させたのが南部協定である。
日韓大陸棚協定は韓国側では署名後直ちに批准されたが、わが国では協定実施のための国内法として「日本国と大韓民国との間の両国に隣接する大陸棚の南部の共同開発に関する協定の実施に伴う石油および可燃性天然ガス資源の開発に関する特別措置法」案を、1974 年(昭和49年)の第72通常国会に提出したが廃案となった。そして以後再提出、継続審議または廃案を繰り返し、4 年あまりを経て1978年(昭和53年)第84国会で成立し、批准書の交換、特別措置法の施行となった。
その様子については、昭和53年4月17日開催の参議院本会議で沓脱タケ子が「日韓協力委員会」が政府に圧力をかけて締結した日韓大陸棚協定がいかに国益を損ねるひどいものであったのかを明らかにしている。まさに正鵠である。
028 沓脱タケ子
・・・・さて、日韓大陸だな協定並びに国内法である特別措置法案についてであります。
第一に、この協定並びに国内法は、本来国際的にも正当にわが国に属する大陸だなであり、また、わが国の沿岸から二百海里内にある広大な地域に、五十年の長期にわたってアメリカの石油独占企業や韓国の石油掘削を容認するという、きわめて反民族的なものであります。特に、相対立する大陸だなの境界画定が通常双方の沿岸からの等距離中間線で行われるということは、国際的にも公認されたものであります。この立場に立つならば、共同開発区域は当然わが国の主権的権利を行使し得る大陸だなであります。政府自身も、当初はこの立場から、国際司法裁判所への提訴まで考えていたではありませんか。政府がその後この大陸だな問題をたな上げして韓国との共同開発を進めようとしていることは、どのように口実を設けようとも、明らかにわが国の主権的権利の行使を放棄することではありませんか。総理、歴代自民党政府は、アメリカに対してはわが国をアジア侵略の根拠地として提供し、サンフランシスコ条約で千島列島の領有権を放棄した上、ソ連に対しては全千島列島の返還を要求せず、また、韓国に対しては金大中事件などKCIAの犯罪行為を放任するなど、主権に対する他国の侵犯に対し、きわめて卑屈な態度をとっております。総理、あなたには、わが国の主権を正当に守ろうとするお考えがないのですか。もしあなたにいささかでもその考えがあるならば、アメリカなどの石油大資本と韓国にわが国の主権を売り渡すに等しい日韓大陸だな協定を廃棄し、この国内法の成立を断念すべきではありませんか。明確な答弁を要求します。
第二に、この法案によれば、共同開発区域の開発権者である操業管理者が韓国側である場合には、ほぼ全面的に韓国の法令が適用されることになっております。したがって、漁場保護の問題につきましても、日本側が操業管理者になった場合には、漁礁保護のために指定区域を設定できることになっておりますが、韓国側が操業管理者の場合には、そのような規定は適用できません。また、韓国側が操業管理者の場合、日本の労働者に対してまで、雇用、解雇などの労働関係法は言うに及ばず、反共法、国家保安法などの人権無視の韓国法が適用されるという恐るべき事態まで予測されるのであります。政府は、共同開発区域でのわが国の漁民や労働者をどのように守るのか。また、わが国憲法とは全く相入れない韓国の国内法がわが国の主権的権利を行使し得る区域内に適用されることを容認されるのか。責任ある答弁を求めたいと思います。
第三に、この法案では、鉱業権者の資格は、日本国民または日本国法人となっております。しかし、この日本国法人なるものは、実質的には外国の石油独占大企業、すなわちメジャーそのものにほかならないではありませんか。このことは、現に行われている日本企業とアメリカのメジャーの共同開発事業契約の内容が、たとえば日石開発とテキサコ及びシェブロンとの場合のように、日本企業を名目だけの鉱業権者とし、メジャーに対し実権を全面的にゆだねるものになっていることを見ただけでも明らかであります。それにもかかわらず、この法案は、国家的事業という美名のもとに、開発権者に対し、鉱区税、登録免許税など税制上の優遇措置まで講じているのであります。しかも、採掘された石油は、出資比率に応じてメジャーのものになることになっております。まさにメジャー奉仕と言わなければなりません。政府が、わが国エネルギーの深刻な対米依存を脱却し、エネルギーの自主的開発を促進する立場に立つなら、こうしたメジャー支配に歯どめをかける有効な対策を講じ、優遇措置をやめるべきではありませんか。明確な答弁を求めます。
第四に、この法案は鉱業権の申請権を日本国民及び日本国法人すべてに与え、その認可手続を定めたものであります。にもかかわらず、すでに締結されている「掘さく義務に関する交換公文」は、日本石油開発など特定の企業に鉱業権者としての資格を与えることを前提としているのであります。これでは国内法案を審議する意味は全くないではありませんか。これは、国権の最高機関である国会の審議権に対する重大な侮辱ではありませんか。責任ある答弁を求めます。
いま、日韓関係をめぐって、金大中事件でのKCIAの犯罪やソウル地下鉄、浦項総合製鉄所など、さまざまの黒い疑惑が渦巻いております。この日韓大陸だな開発自体についても、日韓協力委員会の介入をめぐって繰り返し疑惑が提起され、また、アメリカ議会で朴政権がガルフ社から三百万ドルの賄賂を受け取ったことまで暴露されているのであります。にもかかわらず、総理は、これらの日韓癒着をむしろ結構なことだと開き直って、日韓大陸だな協定の成立強行に続いて、本案の成立をしゃにむに進めようとしております。こうした福田内閣の姿勢は、韓国留学生拉致事件におけるKCIAの主権侵害に対して対韓援助の打ち切りまで表明をし、原状回復をなさしめた西ドイツ政府の態度と比べるならば、余りにも対照的ではありませんか。
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統一教会系自民党国会議員が常々口にするのが「反共」と「愛国」であるが、これでは共産党の方がよほど「愛国」である。それほどに、くだらない協定を結んだ理由であるが、これも、岸や矢次には自国領海を守るなどという考えは毛頭もなく「利権」なのである。
このころの韓国の巷では「……(共同開発地域での)石油のもうけの三%は政治献金されるのだ、日韓両国の有力政財界人、そういった者を含めて三%の権益というか利益というものが配分される……」[1]という噂が飛びかっていた。岸と矢次が、共同開発地域にこだわった理由は、領海内の開発で業者から3%の裏金を受取ったら贈収賄事件になるが、共同開発地域は日本の主権は及ばないことを利用して資金浄化をしてしまうのだ。国家主権を売って黒い資金を手に入れた、その金を選挙につぎ込んで政権維持および拡大を狙う、この手法を編み出したのが岸信介と矢次一夫で、その後継者が、安倍晋三であり、麻生太郎なのだ。
この「共同開発区域」の原型となったのが岸信介と矢次一夫のコンビが、蒋介石に尖閣列島領有を薦めた尖閣列島問題であることを想起する必要がある。これは岸と矢次が東シナ海の領海問題を複雑化させて利権確保を行ってきたことが、抜きさしならない国家安全保障の問題となってしまったのだ。
そして麻生太郎の訪韓は、2025年6月20日まで、両国の利害を調整しておく必要があって出かけたのだ。併せて「日韓協力委員」の相手方である「韓日協力委員会」には日韓海底トンネルの推進者である李大淳がいることから、日本国内では蜂の巣をつついたようになっている統一教会問題についての対応を協議することになるはずである。
つまり統一教会問題は、岸信介を始祖として孫の安倍晋三まで続く韓国利権の一部であり、岸信介が首相を務めてから以降の自民党の醜い裏面史でもあるのだ。因って統一教会を追及することは自民党安倍派及び麻生派などが行ってきた国益処分を明らかにすることと同義なのだ。
この回の終わりに平成28年10月30日付「サンデー毎日」に『岸信介宛て石橋湛山の私信発見』という倉重俊郎氏の記事が掲載されていた。この記事は、現代の日本を考える上で実に示唆に富むのでとくと熟読願いたい。
一片の私信が見つかった。
日付は、昭和35年(1960年)4月20日。60年安保改定をめぐる政治対立が最高点に到達しつつあった時のものである。宛て先は岸信介首相。差出人は、岸氏の前に首相をつとめた石橋湛山氏と、なっている。首相経験者同士の私的な通信である。中身は、もちろん、時の話題、安保改定についてであった。
国民世諭を背にそれに反対していた石橋氏が、それ自らの政権の最大使命として国会での強行採決に突き進んでいた岸氏をどう諭したのか、それだけでも興味がわくが、読み込んでみると、次元の異なった別のメツセージが込められていた。
それは、以下の文面の中に出てくる。
それは石橋氏が首相指名を受けて自ら組閣した56年末のこと、「ある一人の人」が石橋氏の提出した閣僚名簿をみて、極めて深刻な顏をして、「自分はこの名簿に対して只一つ尋ねたいことがある、それはどうして岸を外務大臣にしたかということである。彼は先般の戦争に於て責任がある。その重大さは東條(英機)以上であると自分は思う」と語った、という。これを聞いて石橋氏はその厳しさに驚きかつ恐縮し、もし旧憲法下で同様なことが起きればただちに引貴辞任しなければならなかっただろうとの思いから、「百方辞を尽くして諒解を」求めたところ、「かの一人の人」はそれ以上の追求はせずに「そういうわけなら宜しいがとにかく彼は東條以上の戦争責任者である」と繰り返し述べた、という。・・・・・・
倉重氏は「かの人」すなわち昭和天皇ご自身の言葉として『岸信介は東条英機以上に戦争責任がある』とはっきりと石橋湛山に述べられたとしているのだ。昭和天皇のご意見としては戦後日本の主導的な役割を果たした岸信介は東條英機よりも重い戦争責任がある戦犯だとしているのである。近代史の中では岸信介は極東軍事裁判でA戦犯として訴追されたものの、その後釈放されている。しかし、昭和天皇は岸信介を超A級戦犯として裁かれるべきであったが不徹底であったというのである。さらに言うならば絞首刑となって死亡したA級戦犯のほかにさらに重要な戦犯が存在し、その後は総理大臣にまで登り詰めた人物が存在するというのである。裁判は人間が行うことであり、その時々の世論や情勢と妥協の産物である限り、判決に不透明な部分が存在することは承知の上でも、戦犯として絞首刑になった戦犯よりも重い責任を持つ者がいて、それが戦後日本を牛耳っていたということは認識しておく必要があると考える。
(続く)(寄稿:近藤雄三)
[1] 「040 松浦利尚」『第71回国会 衆議院 決算委員会 第27号 昭和48年10月9日』。
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