続々強子の部屋

思いつくまま、気の向くまま、書いています。

明治節でした。

2023-11-03 11:34:10 | 懐かしい

11月3日、文化の日、私にとっては明治節です。

姉たちが唄っていた、明治節の歌を私も所々覚えて

唄いました。ふるきあめつちとざせるきり~い。なんて

唄いました。

いまは文化の日です。

夫の長兄は11月3日に生まれました。昭和3年でした。

その頃は家毎に日の丸が立てられたそうです。

義兄は幼い頃自分の誕生日だからみんなが日の丸を立てて

くれたのだと思ったそうです。可愛いですね。

義兄は中学の軍事教練で倒れて入院して、いまでいう熱中症

だったのでしょうか。大学病院で。17歳で亡くなりました。

軍国少年だったので、敗戦を知らずになくなって良かったと

夫は言っていました。半狂乱の母を見て、自分は絶対生きる。

気持ちでいたそうです。

私も何回も聞かされた話で、その場にいたような気がしています。

義兄のことをみんなMちゃんと呼んでいました。

今朝仏壇の写真を見て、Mちゃんお誕生日おめでとう。

と言いました。いま生きていたら95歳になります。

仏壇の脇にMちゃんの描いた教育勅語を額装して飾ってあります。

義父が手帖の間に挟んでありました。

昔の紙で質が良くありませんでしたが、プロが綺麗にしてくれました。

夫は下手くそな字だな~と言っていましたが、

じっと見ていました。

 

 

 

 

 

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結婚記念日

2023-10-09 13:29:09 | 懐かしい

一昨日は私たちの61回の結婚記念日でした。

いつの間に61回になりました。でも夫は13年前にあの世へ

旅立ちました。

一年前にもここで書きましたが。

双方の親たちの大反対を押し切って結婚しました。

無事結婚式も終わり、新婚旅行に行きました。

その頃、南紀、宮崎、が人気でした。ハワイ、なんて思いも

しなかった、私たちでした。

最初泊った、蒲郡の常盤館は由緒ある旅館でした。

係に人にチップを渡したら、領収書をくれたので吃驚。

次の白浜では豪華な器の料理に吃驚しました。

勝浦では、チップをあげたら、これからお金がかかるのに

こんなに沢山いただいて~と恐縮されました。

次は賢島の有名なホテル、でした。

豪華なレストランでした。夕食は、鮑のステーキを食べました。

ワインを飲んだのか、ビールだったのか緊張して覚えていません。

結婚45周年の時、新聞で南紀旅行の募集をしていました。

大体新婚旅行の時のコースと似ていました。

早速申し込み、高野山那智の方にも行けました。

賢島のホテル、レストラン懐かしかったです。

夕食はラメールでした。

やっぱり鮑を注文、夫はワインを注文しました。美味しかった!

新婚の時はドキドキしていましたが、歳のせいか、ゆったりと楽しめました。

夫は次の年5年前に手術した肺がんが再発して、術後脳梗塞になりました。

リハビリ病院でお世話になりましたが、2年後に他界しました。

自分が死んだら、離れて行く人は当たり前、近づく人間に気を付けろ。

なんて言っていました。まあ人間いろいろでした。

遺言書を書いて、私にこの先強子も、書くよう税理士の先生に

相談するようと言って、間もなく亡くなりました。

まあお陰様で変な人も近づかず、素敵な人も現れず。

のんびり毎日過しています。

夫は待ちくたびれているかしら。

 

 

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劇団四季の想い出

2023-08-06 16:37:26 | 懐かしい

劇団四季創立70年になったそうです。もうそんなになったのですね。

最初はいまの四季とは全く違った劇団でした。

あの頃は高校でも中学でも、演劇熱に溢れていました。

中学では、修善寺物語りをみて感激しました。女子校だったので

頼家がとても素敵でした。いまでも修善寺物語りは中学の頃のままです。

高校では、夕鶴、華々しき一族、想い出を売る男、

芝居は好きでも表に出るのが苦手な私は、お手伝いでした。

それでも満足な私に、どんな役なの?見に行くわなんて姉に

言われ困りました。いまでも夕鶴は2年先輩のK様の

夕鶴が一番だと思っています。

あるときき卒業した先輩に、演劇を誘われました。

神田の共立講堂で、四季の演劇でした。ジャンアヌイの

アンチゴーヌでした。難しくて分からなくて、凄い発声の

藤野節子さんの声に圧倒されました。

帰りはお茶の水まできて、コーヒーをご馳走になり先輩の演劇論を聞かされて

疲れ切って帰ってきました。先輩はその後、小さな劇団を作りました。

私は切符を売るのを頼まれました。大変な役目でした。

そのうち小さな劇団は消滅しました。みんな資金難でした。

四季の浅利慶太さんは裕福なお家の方だったのですね。

その後私たち夫婦はライオンキングのチケットを頂いて見に行きました。

素晴らしさに圧倒されました。

これがあの四季なのね。藤野節子さん、日下武さんのお顔を思い出しました。

初期の頃の四季を見たことは夫に話していませんでした。

先輩の劇団の切符を売っていたなんて言ったら,

バカか~って言いそうな人でしたから。

良いお天気の朝でしたが、急にお昼頃大粒の雨が降ってきました。

晴れたらカナヘビくんが日向ぼっこをしていました。

私は植木鉢の水遣りをしなくて、少しうれしいです。

何しろしつこい蚊がいるので。

 

 

 

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昔の日米野球のこと

2023-03-31 17:24:46 | 懐かしい

ブロ友さんの、日米野球のことを読みました。

古い新聞の記事を、押し入れの壁に貼ってあったのを

ご覧になったとか。1934年の記事だったそうです。

私の日米野球の想い出は、オドール監督の名前とサンフランシスコ

シールズぐらいです。

夫の次兄の自慢は、仙台でベーブルースに可愛いと言われた

ことだそうです。でも本人は赤ちゃんだったので覚えていないのに

自慢していたそうです。

仙台に住んでいて、長兄を連れて、次兄を負んぶして三越に

買い物に行ったそうです。大勢の人がいて子連れの義母は

人波に押されていつの間にか大きな外人さんの目の前に立って

いたそうです。大きな人が、にっぽんのあかちゃんかわいい、と

言って負んぶされた次兄の頭を撫でたそうです。

長兄は、震えながら、仙台弁でおらいのヒロシにさわりすな、

(うちのヒロシにさわるな)と言ったそうです。

人込みから解放されて家に戻って、義父が帰ってきたとき

その話をしたら、義父は ベーブルースだ と叫んだそうです。

しばらくは親戚中で話題になったそうで、

次兄は覚えていないのに自慢していたそうです。

夫は羨ましかったんでしょうね。私は何回もその話を聞いています。

義母は大男が怖かったと言っていました。

あの頃を考えたら、アメリカに勝つなんて夢のようでしょう。

あの世で長兄、次兄、末っ子の夫、両親はなんて言っているかしら。

 

 

 

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本の整理をしています

2023-02-21 13:30:55 | 懐かしい

今日は日差しは強くても、冷たい風が吹いています。

外ではヒヨドリが羽根を震わせて残り少ないリンゴを

争って食べています。欲張り婆さんも可哀想になり

風の中、リンゴを餌台に出しました。

みんな喜んでいるようです。

 

今日は本を片付けようと思い、二階に行きました。

処分するつもりの本を見て、読んでしまい、やっぱり残すわ。

みんな残したくなりました。  

結婚する時、百科事典、世界文学全集、日本古典全集、を持って

引っ越しの度、手伝ってくれた会社の人に、嫌な顔をされていました。

思い切って処分したときは淋しかったです。

夫の本も少しずつ処分しました。

カミーユ、クローデルを見つけました。読んでいるうちに

寝室に持ってきて読み始めてしまいました。

しばらくはカミーユの世界で彷徨いそうです。

いままで田辺聖子さんの古典まんだら、万葉集、を

読んで心安らかになっていましたが、また烈しい恋の

物語りの世界にひたります。

結局寝室から二階の本棚に戻る本はありませんでした。

 

昔々田辺聖子さんは楽しい明るい小説を書く方と思っていました・

あるとき、花衣脱ぐやまつわる と言う杉田久女を書いた物を読み

優しい思いやりのある方だと分かりました。

それからは沢山読みました。

いまも時々読んでいます。暖かな気持ちになる田辺聖子さんです。

 

 

 

 

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