私の長兄はニューギニアのサンサポールで戦死しました。
敵と撃ちあってではなく、日本から遠く離れた戦地で
置き去りにされ、飢え死にしたそうです。
生き残った方が両親を訪ねてくださって、話してくださったそうです。
毎年命日にははがきが届いていました。
飯島進さんの 地獄の日本兵 を読んで無念の戦士達に思いを馳せ
ています。
姉が結婚するとき、相手のお父さまから、お宅の息子さんは
戦死なさってお気の毒でした。息子は帰ってきましたが、地獄を
見たそうです、と話してくださったそうです。
国内にいて衛生兵だった義兄は、復員してほっとしたのですが、
国から知らせが来て、もう一度の仕事を命じられました。
高額なお金を貰い、両親に渡し汽車に乗せられて着いたところが
広島でした。どのような光景を見たのでしょうか。
任務が終わって帰って来たときは、憔悴しきっていたそうです。
その話は大分後になって母から聞きました。
長兄戦死、義兄、次兄無事復員しましたが、辛い事があったのでしょう
次兄は警察予備隊から勧誘されましたが、固く断ったそうです。
手旗信号をいとこ達と教わって楽しかったんですが、次兄も水兵さんで
苦労したようです。
義兄は私の姉と大恋愛で結婚しました。
良き父、愛妻家、親孝行、陽気な人でした。広島で大変な辛い事が
があったのが不思議なくらいでした。身体も丈夫でした。
あの時代を生きた人たちに感謝します。