続々強子の部屋

思いつくまま、気の向くまま、書いています。

忘れられない日

2023-03-09 18:07:50 | 怖かった

3月10日は東京大空襲の日です。

両親、姉三人私、とお隣の小さな兄弟妹と小母さん、

合計10人で避難しました。

父と姉は最後まで火を消していました。もう駄目だと父が

荷物をリヤカーに積んで近くの神社の防空壕に行きました。

誰もいません。そのうち熱くなってきました、

熱い熱いと私がさわいで、外に出ました。近くの橋を渡りました。

すると前方から大勢の人がこちらに向かってきました。

私たちは江戸川区、亀戸方面からみんな逃げてきています。

布団を被った人がいたので吃驚しました。

そして馬がパカパカと走り回っています。

馬が怖くて建物の影に隠れました。

もう後には戻れず川伝いを大勢の人と逃げました。

橋があってその橋を渡りましたが、風が強くて怖かったです。

橋の欄干が燃えていました。

渡り終えたところに警防団の人がいて、学校に案内してくれました。

そこで母はここが船堀と分かったそうです。

母の従姉の家の屋号を言って、伯父さんが迎えに来てくれました。

その後船堀橋は焼け落ちて、沢山の人が亡くなったそうです。

 

隣の小さな子達は房総の小母さんの実家に行きました。

サダオちゃん、良子ちゃん、トシ坊、いまどうしているかしら。

思い出します。三人とも可愛かった。

我が家は焼け残った家を借りて住みましたが、そこでも空襲空襲。

リヤカーに荷物を積んで、焼けた空き地に避難しました。

東京山の手空襲だったそうです。空が明るくなって飛行機から

ばらばらと何かが落ちています。

空が明るくなって怖かったです。

そして敗戦、ラジオを聞いて大人が泣きました。赤ちゃんは大人が

泣いているので、一緒に泣いていました。

母が父にこれ以上空襲が続いたらみんな気が狂ってしまったね、

と言いました。

私は当事7歳、前の日に防空壕の入り口で転んで足首を傷め

恥ずかしながら母に背負われて避難しました。

 

隣のサダオちゃんは歩きました。良子ちゃんは姉がおんぶしました

トシ坊は小母さんがおんぶでした。

東京大空襲の話になると私に、

姉はおんぶされていたくせに・・・と言って嫌みを言います。

その姉ももう両親の元へ旅立ちました。

 

 

 

 

 

 

コメント (7)
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