オウム真理教の平田信が出頭して逮捕された。新聞やテレビのニュースでまたオウム真理教のおぞましい過去が蘇る。
カルト集団オウム真理教について考えるといつも思うのだが、同じカルト集団である創価学会がなぜ彼らのようにマスコミに叩かれないのかということだ。
まあそれは、オウムと学会の決定的な違いがあるのだが、松本智津夫と池田大作に、カルト教祖としての本質的な違いはないだろう。二人は全く同質であり同列だ。私にとって唾棄すべき対象であることに変わりはない。洗脳されている学会諸君には理解できないだろうがな。
さて、問題の決定的な違いだが、それは権力の中枢に入り込めたかどうかだろう。オウム真理教は1990年の衆議院選挙における完敗と、その後の周到な準備による息の長い再挑戦を放棄した段階で、永続的なカルトの道も放棄して、一発逆転的な稚拙なテロの道に走ってしまった。
しかし、学会はまさに時間をかけてじわじわと権力の中枢へ入り込み、現在日本の権力の大きな部分を動かすに至っている。今は政権与党ではないとは言え、検察や裁判所に強力な影響力を持っているのだが、カルトであることには変わりがない。
マスコミが叩かないのも、「聖教新聞」だけではなく、マスコミにも学会員を大量に配置しているからかもしれない。これは推測だが。
推測ではないことを一つ・・・
検事や判事などの司法関係者による学会の組織「自然友の会」というものを作り、池田大作への忠誠心を確認しているのだ。
池田大作を崇める障壁を取り除くためには手段を選ばず、逮捕・起訴を行うことができる体制を整えており、実際に行動もしていると、推認される。
(かの裁判で、「推認」はほとんど事実と認定されるようになった)
オウム真理教が稚拙なテロ集団なら、創価学会は巧妙なテロ集団だ。
洗脳されている学会員には理解不能だろうがな。
学会がテロ集団である根拠は単純だ。
彼らは日本国憲法を重視しようとしていないからだ。
まず「仏法」があり、その下に国法(憲法)があると考えているのだ。
池田大作を崇めるのが「仏法」なのだから、そのための障壁は憲法といえども否定するのが彼らの流儀だ。
オウム真理教と本質的には何の違いもないということだな。
カルト集団オウム真理教について考えるといつも思うのだが、同じカルト集団である創価学会がなぜ彼らのようにマスコミに叩かれないのかということだ。
まあそれは、オウムと学会の決定的な違いがあるのだが、松本智津夫と池田大作に、カルト教祖としての本質的な違いはないだろう。二人は全く同質であり同列だ。私にとって唾棄すべき対象であることに変わりはない。洗脳されている学会諸君には理解できないだろうがな。
さて、問題の決定的な違いだが、それは権力の中枢に入り込めたかどうかだろう。オウム真理教は1990年の衆議院選挙における完敗と、その後の周到な準備による息の長い再挑戦を放棄した段階で、永続的なカルトの道も放棄して、一発逆転的な稚拙なテロの道に走ってしまった。
しかし、学会はまさに時間をかけてじわじわと権力の中枢へ入り込み、現在日本の権力の大きな部分を動かすに至っている。今は政権与党ではないとは言え、検察や裁判所に強力な影響力を持っているのだが、カルトであることには変わりがない。
マスコミが叩かないのも、「聖教新聞」だけではなく、マスコミにも学会員を大量に配置しているからかもしれない。これは推測だが。
推測ではないことを一つ・・・
検事や判事などの司法関係者による学会の組織「自然友の会」というものを作り、池田大作への忠誠心を確認しているのだ。
池田大作を崇める障壁を取り除くためには手段を選ばず、逮捕・起訴を行うことができる体制を整えており、実際に行動もしていると、推認される。
(かの裁判で、「推認」はほとんど事実と認定されるようになった)
オウム真理教が稚拙なテロ集団なら、創価学会は巧妙なテロ集団だ。
洗脳されている学会員には理解不能だろうがな。
学会がテロ集団である根拠は単純だ。
彼らは日本国憲法を重視しようとしていないからだ。
まず「仏法」があり、その下に国法(憲法)があると考えているのだ。
池田大作を崇めるのが「仏法」なのだから、そのための障壁は憲法といえども否定するのが彼らの流儀だ。
オウム真理教と本質的には何の違いもないということだな。
主人のダイリンで創価学会の人を見ると同じに見えます。