インドラネット

パソコンが壊れる度に全てが消えるデジタルデータ。このブログをクラウド代わりに活用させてもらいます。

人生論

2019-10-08 15:17:06 | 日記

今回のテーマは「人生論」です。

最近、ストレスを抱えて元気がなくなっている人を見かけます。

人間、「おぎゃー」と生まれたからには

くよくよ、すねすね、めそめそしながら生きてもつまらない。

そんなことのために生まれたんじゃないでしょ。

大いにやりたいことをやり、

「あー楽しかった」

と言って人生終わりたいものです。

 

今回は「人生論」。

大げさな題だけど

これは、備忘録として書くものだから、

「そりゃ違うんじゃない?」

と思っても、ご容赦のほどを

宜敷奉願上候(よろしくねがいあげたてまつりそうろう)

なのだ。

 

 

私、いつも思っていることがあります。

ちょっと下に並べてみます。

 

〇 世の中に難しいことなどそんなにあるもんじゃない。

あるとすれば「感情」だ。

ところが、この「感情」を発動させることに躊躇ない者がいる。

彼(女)らはその怖さがわかっていない。

何もかも打ち壊してしまうだけだが、感情の発動を立派なことだと思っているらしい。

そうなったら、ほっておくしかない。

感情から冷静さは生まれない。

 

〇人生のあらゆる場面で「普遍的」で「本質的」なものをイメージして

判断の基準とする。

 

〇「自分のために生きるのをやめよ」

 「名誉欲」や「恐怖心」、「怒り」、「苦しみ」といった

人生を台無しにする「感情」が生まれるのは、

「自分のために生きている」からである。

 

〇「誰かのせいにしているのではないか」

「誰かに何かをしてもらおうと思っているのではないか」

良い人生を歩みたかったら、

他者のために何ができるか、だけを考える。

これを習慣付ける。

 

〇「積極的に生きよ」

わずかでも消極的な考えが浮かびそうになったら、

「ショ」のところで考えをとめ、

「積極的な言葉」に置き換えること。

そして「仁」の心でもって「明るく」「朗らか」あろうとすること。

人生を最高に生きたかったら、これ以外はいらない。

 

〇無限にある「気」を取り込む。

それをしないでいたら抜け殻みたいになってしまう。

 

〇寝付く前の10分間のすごし方次第で、充実した人生が送れるかどうかが決まる。

「良い言葉」のシャワーを浴びて寝よう。

 

〇人にはそれぞれ役割がある。

天命かもしれないし、義務かもしれない。

そこで自分以外の人のために精一杯やる。

そこに自分の幸せや充実感がある。

 

〇人は「気(ブリル)」で動いている。

その「気」を取り込まないと体は動かない。

「気」の供給が止まるとたちまち体は活動を停止する。

ロボットは、電気が止まれば停止するだけで済むが、

人間は、体を構成する物質間の結合が解かれ、塵となる。

 

〇人間の体は、

宇宙空間のように素粒子とその空間だけでできていて、

まさにスッカスカ。

我々は、そのスッカスカの空間によって構成されている。

本当ならば、

人と人は、ぶつからずにすれ違うことも可能なはずだ。

ミクロの世界においては、

肉体とその周囲の空間との境目など、ないに等しい。

私と貴方の間には空気が存在しているが、

そこに境目はないはずだ。

ただ物質の集合密度がやや高いだけ。

でも、私たちは固体ごとに別の存在だと思っている。

とんだ勘違いをしているのではないだろうか。

 

〇個性は、素粒子集合体の構造に若干の違いがあって、そこから生じるもの。

考えは、環境や学習によって培われた経験をもとに作られるもの。

まさにAIそのもの。

AIも育った環境で、一つ一つがまるで違う考え方をするらしい。

人間もAIも電気が止まれば、それまでの存在。

人間もその電気をどこからか取り込んで生きている。

だから体からオーラが出ている。

このオーラが出なくなると死期が近いという。

逆に普段からちゃんと「気」を取り込んでいれば、寿命は全うできる。

 

〇「生きようとする意志」はどこから来る?

→それが「宇宙の本質」だから。「宇宙」は未来に向かってのみ常に前進しようとする。

 

〇この宇宙には「始まり」も「終わり」もない。

この大原則は、

時間軸としての「現在」・「過去」・「未来」が同時に存在することを意味する。

つまり、聖徳太子も平清盛も織田信長も自分のご先祖たちも、

実は「今」を今も生きている。

「今」同時に悩み、戦い、将来を描いている。

 このように考えると、

「私」は昭和35年に生まれて、これから何年後かに死ぬわけですが、

この時代を無限ループで、繰り返して生きることになるのだろう。

子供の頃、そんな気がしたことを思い出す。

ただし、固定された出来事を繰り返すのではなく、

その時その時の判断は、周囲の条件が変わることで変わるので、

人生そのものが今回とは全然違うものになる。

単なる無限ループではない。

 

人生を最高に味わうコツは、

「積極的に生き、

他者の笑顔を吾が幸せとし、

どんなことにも興味を持って生きる」

に限るわけだが、

この真理を再び捜し求めて、

またチルチルミチルの旅を始めることになるわけです。

いつ終わるの?

なんて野暮なことです。

今もそうであるように、

未来に予測はつかず、

人生は常に新鮮であり続けるのです。

 

 

宇宙に時間の概念はなく、光の速度も決まっておらず、

「あるとも、ないとも」わからない世界です。

もしかすると、人類はこの謎を追い続けるために

存在しているのかもしれません。

 

 

 

 

定年も近くなり、ボーっとすることも増えました。

というか、あまり悩み事がありません。

そのせいか、なんだか「心」の方は

年をとるごとに健康になってきたように思います。

もちろんそれだけ長く生きてきたということ。

人生を長い時間軸で見ることができるようになると、

人生観もだんだん単純化されてきます。

そんなに難しいものでもなさそうです。

要は明るく、積極的に生きるということ。

そんなことがわかってきます。

その分、年を重ねたせいで

肉体自体はあちらこちらと劣化が見られますけど。

 

まあ、それが動物の一生だからと、と割り切れるわけですが

できるだけ、生きてる間は存分に生を楽しみたい、と思います。

そのためにもそろそろ真面目に

「肉体の健康」についても考えてあげようかな。

 

運動は苦手なので、呼吸法とか・・

(甘い!)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする