コールド負け… 我が聖紫苑カトリーヌ学園野球部の春季高校野球大会は、またしても1回戦で終わってしまった…
※
野球に力を入れてる高校だったら専用のバスがあったり、バスをチャーターしてくれたりするのだが、我が聖紫苑カトリーヌ学園にそんなものがあるはずもなく、オレたちは球場の最寄りの駅までとぼとぼと歩いた。駅まではほんの10分くらいなのだが、やたら長い道のりだった。
帰りの電車の中は、まるで葬式の帰りのようだった。なんとも言えない重苦しい空気がオレたちナインを包んでいた。みなうなだれ、だれ一人口を開こうとしなかった。
そんな中、オレは自分の左腕を恨めしそうに見た。この腕がなんともなければ、オレの野球人生は、こんな惨めなものじゃなかったのに…
※
あれは3年前、オレが中3のときのこと…
あの日オレは早朝の試合に出るため、おじいちゃんが運転する軽トラックの助手席に乗っていた。早朝のせいか、道路はガラガラ、信号もほとんどが点滅状態だった。
その交差点の信号も点滅状態だった。こっちから見て、黄色の点滅だった。その交差点に軽トラックが差しかかったとき、右側からものすごい勢いでなにかが突っ込んできた。免許取り立ての高校生が運転する黄色いスポーツカーだった。おじいちゃんは即死、オレは利き腕の左腕をぐちゃぐちゃにされた…
※
自分でゆーのもなんだが、当時オレはものすごい剛腕のピッチャーで、マウンドに立てばいくらでも三振の山を築くことができた。獲れるタイトルはすべて手に入れ、甲子園の常連高校はどこもオレに誘いの手を伸ばしていた。
が、あの事故でオレの野球人生は一転した。来る日も来る日も苦しいリハビリにはげんだが、左腕はなかなか回復せず、一度は推薦入学を許してくれた甲子園の名門校にもいられなくなり、今の学園に転入してきた。
しかし、どうしても野球を忘れられなかったオレは、この学園でも野球部に入った。山なりのボールしか投げられなかったオレは、思い切ってファーストに転向した。
だが、この野球部は情けないほど弱かった。むりもない。実はこの聖カトリーヌ紫苑学園は、3年前までは女学園だったのだ。つまり、今の3年生が野球部1期生なのである。厳しい上下関係がなかったせいか、野球部とは思えないほどのぬるい世界だった。当然勝てるはずがなく、連敗に次ぐ連敗。公式戦どころか、練習試合にさえ1つも勝てなかった。中学時代連勝が当たり前だったオレには、毎日が屈辱だった。
※
学園の最寄りの駅にオレたちが降り立つと、監督は解散を宣言した。オレたちの心労を配慮しての解散だと思うが、オレは納得がいかなかった。自分自身へのいらだち。それを押さえるには、ともかく練習しかなかった。
オレは中井に声をかけ、やつといっしょにバスで学園に戻ると、すぐにグランドでキャッチボールを始めた。肩が暖まったところで中井を座らせ、全力投球… のつもりなのだが、やはり山なりだった。何度投げても何度投げても、オレの投げるボールに勢いは出てこなかった。あぁ、もう一度中学生のときに投げていたあの豪速球を投げたい…
オレは悲しくなってしまい、マウンド上でうなだれてしまった。
「キャプテン、バッティング練習しましょうよ。オレが投げますから」
中井が見かねたのか、そう言ってくれた。
「OK」
オレはやつの誘いに乗って、バットを握った。カキーン!! 中井が撃ちごろのタマを投げると、オレのバットはいとも簡単にそのタマを弾き返した。タマは広いグランドの向こう側の端にある金網フェンスのさらにその上を越えていった。
「いっけねぇ…」
ちょっと苦笑した中井が話しかけてきた。
「キャプテン、探しましょう」
「ああ」
ボールは大事な学園の備品だ。オレと中井は薮に入り、ボールを探し始めた。
※
オレは左腕をリハビリしてたとき、同時にバッティングの向上を考え、右腕の筋肉トレーニングにも力を入れていた。野球をやったことがない人には理解しにくいかもしれないが、バッティングで重要な腕は利き腕ではなく、反対側の腕だ。オレみたいな左利きは、専ら右腕の力でボールを遠くに飛ばしてるのである。しかし、だからと言って、左利きのものが右バッターボックスに立っても、ホームランどころかヒットも撃てない。微妙なバットコントロールは、右バッターの場合は右手、左バッターの場合は左手で行ってるからだ。つまり、この手が利き腕でないと微妙なバットコントロールができないのである。オレの左腕の力はほとんどなくなってしまったが、幸い微妙なバットコントロールの感覚は、ほぼ完全に残っていた。
グランドに戻ってきたオレは、右腕の筋肉トレーニングのせいか、自分が理想とする以上のスラッガーになっていた。しかし、高校野球には指名打者制度はない。オレはこのチームではレギュラーでいられるが、矢のような送球を投げられない限り、オレの野球人生の復活はない。
※
「あったー!!」
中井が薮の中からボールを探し出してくれた。
「ありがと。今日はもう帰ろ」
「はい」
オレと中井は帰る方向が逆なので、校門で別れ、別々の方向に歩きだした。しかし、オレはまだ納得してなかった。なんでもいいから、また練習したくなった。
※
オレはグランドに戻ると、バットを取り出し、素振りを始めた。ともかく一心不乱だった。が、ふとへんな視線を感じ、バットを止めた。その視線の方向に目を向けると…
すっごくかわいい女の子がそこに立っていたのだ。推定身長150センチ、いや、もっと低いかも。中学生くらいだと思うが、ともかく、とってもかわいい女の子なのだ。
オレは野球一筋だったせいか、女とゆーものに興味を持ったことがあまりなかった。しかし、今生まれて初めて、異性を見てドキッとした…
※
彼女の両の目は異様に大きかった。その目がにこっと笑った。なんてかわいい笑顔なんだ… オレは立ちすくんでしまった。これがフリーズってやつか?
ふと彼女が右手に持っていた野球のボールをかざし、「私が投げましょうか?」とゆージェスチャーを見せた。オレはぼーっとしてたせいか、そのジェスチャーにすぐに気づかなかったが、ふとその意味に気づくと、少々不快になった。いくらなんでも、あんたがバッティングピッチャーの代わりになるはずがないだろ?
が、彼女はマウンドに立った。本気で投げる気だ。しかたがないから、オレはバッターボックスに立ってやった。
※
1球目。彼女はぎこちなく振りかぶり、そして投げた。次の瞬間、オレの目は点になった。ものすごいスピードのボールが、ストライクゾーンのど真ん中を通り過ぎて行ったのだ。
オレは唖然として彼女を見た。彼女はそんなオレを見て、にこっとした。
「ど、どうなってんだ、いったい?…」
オレはぼーっとしたまま、バックネット下の壁に当たって跳ね返って来たボールを握り、ぽいっと彼女に投げ返した。が、次の瞬間、オレはある重要なミスに気づいた。
「いっけねぇ、あの子、グローブしてなかった…」
が、彼女はそのボールをふつうに素手で取った。オレはそれを見て直感した。この子、こう見えても、かなり野球をやってるな。なら、本気で勝負する価値があるかも? まぁ、それでも相手は女の子だ。さっきのスピードボールは、いい加減な態度でバッターボックスに立ってたから、きっと見間違えたんだと思う。
※
が、それは見当違いだった。2球目もやはり速く、オレはバットを振ることさえできなかった。バッティングセンターで何度か140キロのスピードボールに挑戦したことがあるが、それくらいのスピードがあるようだ。いったいこの女の子のこの小さな身体のどこに、こんなにすごいタマを投げられる筋力があるんだ?…
でも、140キロのスピードボールを投げられるピッチャーは、甲子園ではざらにいる。これくらいは撃ち返さないと。
※
彼女が3球目を投げた。1球目2球目と同じ、ど真ん中のストライク。今度は捉えた!! が、ボールはバットの芯の上っ面をかすめ、バックネットに突き刺さった。どうやら、タイミングは合ってるようだ。あとは芯で捉えるだけ!!
今度はオレがほほ笑んだ、いや、不敵な笑みを浮かべた。もちろん、撃てるとゆー自信から来る笑いだ。しかし、ピッチャーマウンド上の彼女も、相変わらずにこっとしてた。なんで笑ってばかりいるんだ?
彼女の笑顔はとってもかわいいけど、ここまでにこっとされてると、なんか気持ちが悪い。ま、一発でっかいのを撃てば、彼女もしゅんとすると思う。
※
彼女が振りかぶった。今まで以上の大きなモーションだ。さあ、4球目…
…ものすごい豪速球が、オレの目の前の空気をビューンと切り裂いた。
「い、いったい、何キロ出てるんだ?…」
150キロ? いや、それ以上かも?… ともかく、初めて体感するスピードなのだ。オレは呆然となって、マウンド上の彼女を見た。
「い、いったいなんなんだよ、この子…」
彼女はまた愛くるしい笑顔を見せながら、軽く手を振った。「さよなら」のジェスチャーをしたらしい。彼女はそのまま行ってしまった。オレはただ呆然と彼女を見送るしかなかった。
※
その夜、オレはなかなか寝付けなかった。その原因は今日のコールド負けではなく、あの女の子… いや、彼女に負けたことなんかどうでもよかった。正直、彼女のピッチングが欲しくなってしまったのだ。彼女が我が野球部に入ってくれたら、1つくらいは勝てるかもしれない。
オレの高校野球人生は、この夏の大会で終わる。この間、1勝もできなかった。だからどうしても1勝が欲しい。彼女が野球部に入ってくれたら、その夢がかなうかもしれない。
彼女はいったいどこの子なんだろう? 中学生っぽいけど、中学生の女の子じゃ、あんなすごいタマは投げられないと思う。じゃ、高校生? もしかしたら、聖カトリーヌ紫苑学園の生徒かも? でも、あんな笑顔がすてきな女の子、うちにはいなかったよなあ…
※
あの女の子の顔を思い浮かべてると、ふと恐怖に顔を引きつらせた別の少女の顔が浮かんできた。3年前の交通事故のとき、相手方のクルマの助手席に乗ってた女の子の顔だ。その女の子を見たのはほんの0.1秒くらいだったが、あの恐怖に引きつった顔は、今でもオレの脳裏に焼き付いたままになっている。
お兄さんの方はあの事故で死んでしまったが、彼女はどうなったのか、オレにはまったく知らされてなかった。年も名前もわからない… だれかに訊いてはみたいが、あの事故のあと、双方の家族が訴えを起こし、今もその裁判は継続中だ。とても訊ける状況ではないのだ…
図書室で当時の新聞を見たことがあるが、死んだお兄さんの名前は載ってたのに、肝心な妹の方の名前はなく、ただ「意識不明の重体」としか書いてなかった。重体ってことは、生命にかかわりのある大ケガってこと…
あの子はいったいどうなってしまったんだろう? あのまま死んでしまったのか、今でも寝たきりなのか、それとも全快して元気に暮らしてるのか…
あれから何度も何度もあの恐怖に引きつった顔が夢の中に出てくる。いや、食事中でも授業中でも野球の練習中でも、突然彼女の顔が脳裏に浮かぶことがある。これが寝ても覚めてもってやつか? オレは心底彼女にほれてしまったらしい。もちろん、彼女はあのクルマを運転していた高校生の妹。そう、オレの左腕を壊し、おじいちゃんを殺したやつの妹… 絶対恋しちゃいけない相手だ。そんなことくらい、オレでも十分わかってる。で、でも…
この想い、いったいどうすりゃいいんだ?…
※
野球に力を入れてる高校だったら専用のバスがあったり、バスをチャーターしてくれたりするのだが、我が聖紫苑カトリーヌ学園にそんなものがあるはずもなく、オレたちは球場の最寄りの駅までとぼとぼと歩いた。駅まではほんの10分くらいなのだが、やたら長い道のりだった。
帰りの電車の中は、まるで葬式の帰りのようだった。なんとも言えない重苦しい空気がオレたちナインを包んでいた。みなうなだれ、だれ一人口を開こうとしなかった。
そんな中、オレは自分の左腕を恨めしそうに見た。この腕がなんともなければ、オレの野球人生は、こんな惨めなものじゃなかったのに…
※
あれは3年前、オレが中3のときのこと…
あの日オレは早朝の試合に出るため、おじいちゃんが運転する軽トラックの助手席に乗っていた。早朝のせいか、道路はガラガラ、信号もほとんどが点滅状態だった。
その交差点の信号も点滅状態だった。こっちから見て、黄色の点滅だった。その交差点に軽トラックが差しかかったとき、右側からものすごい勢いでなにかが突っ込んできた。免許取り立ての高校生が運転する黄色いスポーツカーだった。おじいちゃんは即死、オレは利き腕の左腕をぐちゃぐちゃにされた…
※
自分でゆーのもなんだが、当時オレはものすごい剛腕のピッチャーで、マウンドに立てばいくらでも三振の山を築くことができた。獲れるタイトルはすべて手に入れ、甲子園の常連高校はどこもオレに誘いの手を伸ばしていた。
が、あの事故でオレの野球人生は一転した。来る日も来る日も苦しいリハビリにはげんだが、左腕はなかなか回復せず、一度は推薦入学を許してくれた甲子園の名門校にもいられなくなり、今の学園に転入してきた。
しかし、どうしても野球を忘れられなかったオレは、この学園でも野球部に入った。山なりのボールしか投げられなかったオレは、思い切ってファーストに転向した。
だが、この野球部は情けないほど弱かった。むりもない。実はこの聖カトリーヌ紫苑学園は、3年前までは女学園だったのだ。つまり、今の3年生が野球部1期生なのである。厳しい上下関係がなかったせいか、野球部とは思えないほどのぬるい世界だった。当然勝てるはずがなく、連敗に次ぐ連敗。公式戦どころか、練習試合にさえ1つも勝てなかった。中学時代連勝が当たり前だったオレには、毎日が屈辱だった。
※
学園の最寄りの駅にオレたちが降り立つと、監督は解散を宣言した。オレたちの心労を配慮しての解散だと思うが、オレは納得がいかなかった。自分自身へのいらだち。それを押さえるには、ともかく練習しかなかった。
オレは中井に声をかけ、やつといっしょにバスで学園に戻ると、すぐにグランドでキャッチボールを始めた。肩が暖まったところで中井を座らせ、全力投球… のつもりなのだが、やはり山なりだった。何度投げても何度投げても、オレの投げるボールに勢いは出てこなかった。あぁ、もう一度中学生のときに投げていたあの豪速球を投げたい…
オレは悲しくなってしまい、マウンド上でうなだれてしまった。
「キャプテン、バッティング練習しましょうよ。オレが投げますから」
中井が見かねたのか、そう言ってくれた。
「OK」
オレはやつの誘いに乗って、バットを握った。カキーン!! 中井が撃ちごろのタマを投げると、オレのバットはいとも簡単にそのタマを弾き返した。タマは広いグランドの向こう側の端にある金網フェンスのさらにその上を越えていった。
「いっけねぇ…」
ちょっと苦笑した中井が話しかけてきた。
「キャプテン、探しましょう」
「ああ」
ボールは大事な学園の備品だ。オレと中井は薮に入り、ボールを探し始めた。
※
オレは左腕をリハビリしてたとき、同時にバッティングの向上を考え、右腕の筋肉トレーニングにも力を入れていた。野球をやったことがない人には理解しにくいかもしれないが、バッティングで重要な腕は利き腕ではなく、反対側の腕だ。オレみたいな左利きは、専ら右腕の力でボールを遠くに飛ばしてるのである。しかし、だからと言って、左利きのものが右バッターボックスに立っても、ホームランどころかヒットも撃てない。微妙なバットコントロールは、右バッターの場合は右手、左バッターの場合は左手で行ってるからだ。つまり、この手が利き腕でないと微妙なバットコントロールができないのである。オレの左腕の力はほとんどなくなってしまったが、幸い微妙なバットコントロールの感覚は、ほぼ完全に残っていた。
グランドに戻ってきたオレは、右腕の筋肉トレーニングのせいか、自分が理想とする以上のスラッガーになっていた。しかし、高校野球には指名打者制度はない。オレはこのチームではレギュラーでいられるが、矢のような送球を投げられない限り、オレの野球人生の復活はない。
※
「あったー!!」
中井が薮の中からボールを探し出してくれた。
「ありがと。今日はもう帰ろ」
「はい」
オレと中井は帰る方向が逆なので、校門で別れ、別々の方向に歩きだした。しかし、オレはまだ納得してなかった。なんでもいいから、また練習したくなった。
※
オレはグランドに戻ると、バットを取り出し、素振りを始めた。ともかく一心不乱だった。が、ふとへんな視線を感じ、バットを止めた。その視線の方向に目を向けると…
すっごくかわいい女の子がそこに立っていたのだ。推定身長150センチ、いや、もっと低いかも。中学生くらいだと思うが、ともかく、とってもかわいい女の子なのだ。
オレは野球一筋だったせいか、女とゆーものに興味を持ったことがあまりなかった。しかし、今生まれて初めて、異性を見てドキッとした…
※
彼女の両の目は異様に大きかった。その目がにこっと笑った。なんてかわいい笑顔なんだ… オレは立ちすくんでしまった。これがフリーズってやつか?
ふと彼女が右手に持っていた野球のボールをかざし、「私が投げましょうか?」とゆージェスチャーを見せた。オレはぼーっとしてたせいか、そのジェスチャーにすぐに気づかなかったが、ふとその意味に気づくと、少々不快になった。いくらなんでも、あんたがバッティングピッチャーの代わりになるはずがないだろ?
が、彼女はマウンドに立った。本気で投げる気だ。しかたがないから、オレはバッターボックスに立ってやった。
※
1球目。彼女はぎこちなく振りかぶり、そして投げた。次の瞬間、オレの目は点になった。ものすごいスピードのボールが、ストライクゾーンのど真ん中を通り過ぎて行ったのだ。
オレは唖然として彼女を見た。彼女はそんなオレを見て、にこっとした。
「ど、どうなってんだ、いったい?…」
オレはぼーっとしたまま、バックネット下の壁に当たって跳ね返って来たボールを握り、ぽいっと彼女に投げ返した。が、次の瞬間、オレはある重要なミスに気づいた。
「いっけねぇ、あの子、グローブしてなかった…」
が、彼女はそのボールをふつうに素手で取った。オレはそれを見て直感した。この子、こう見えても、かなり野球をやってるな。なら、本気で勝負する価値があるかも? まぁ、それでも相手は女の子だ。さっきのスピードボールは、いい加減な態度でバッターボックスに立ってたから、きっと見間違えたんだと思う。
※
が、それは見当違いだった。2球目もやはり速く、オレはバットを振ることさえできなかった。バッティングセンターで何度か140キロのスピードボールに挑戦したことがあるが、それくらいのスピードがあるようだ。いったいこの女の子のこの小さな身体のどこに、こんなにすごいタマを投げられる筋力があるんだ?…
でも、140キロのスピードボールを投げられるピッチャーは、甲子園ではざらにいる。これくらいは撃ち返さないと。
※
彼女が3球目を投げた。1球目2球目と同じ、ど真ん中のストライク。今度は捉えた!! が、ボールはバットの芯の上っ面をかすめ、バックネットに突き刺さった。どうやら、タイミングは合ってるようだ。あとは芯で捉えるだけ!!
今度はオレがほほ笑んだ、いや、不敵な笑みを浮かべた。もちろん、撃てるとゆー自信から来る笑いだ。しかし、ピッチャーマウンド上の彼女も、相変わらずにこっとしてた。なんで笑ってばかりいるんだ?
彼女の笑顔はとってもかわいいけど、ここまでにこっとされてると、なんか気持ちが悪い。ま、一発でっかいのを撃てば、彼女もしゅんとすると思う。
※
彼女が振りかぶった。今まで以上の大きなモーションだ。さあ、4球目…
…ものすごい豪速球が、オレの目の前の空気をビューンと切り裂いた。
「い、いったい、何キロ出てるんだ?…」
150キロ? いや、それ以上かも?… ともかく、初めて体感するスピードなのだ。オレは呆然となって、マウンド上の彼女を見た。
「い、いったいなんなんだよ、この子…」
彼女はまた愛くるしい笑顔を見せながら、軽く手を振った。「さよなら」のジェスチャーをしたらしい。彼女はそのまま行ってしまった。オレはただ呆然と彼女を見送るしかなかった。
※
その夜、オレはなかなか寝付けなかった。その原因は今日のコールド負けではなく、あの女の子… いや、彼女に負けたことなんかどうでもよかった。正直、彼女のピッチングが欲しくなってしまったのだ。彼女が我が野球部に入ってくれたら、1つくらいは勝てるかもしれない。
オレの高校野球人生は、この夏の大会で終わる。この間、1勝もできなかった。だからどうしても1勝が欲しい。彼女が野球部に入ってくれたら、その夢がかなうかもしれない。
彼女はいったいどこの子なんだろう? 中学生っぽいけど、中学生の女の子じゃ、あんなすごいタマは投げられないと思う。じゃ、高校生? もしかしたら、聖カトリーヌ紫苑学園の生徒かも? でも、あんな笑顔がすてきな女の子、うちにはいなかったよなあ…
※
あの女の子の顔を思い浮かべてると、ふと恐怖に顔を引きつらせた別の少女の顔が浮かんできた。3年前の交通事故のとき、相手方のクルマの助手席に乗ってた女の子の顔だ。その女の子を見たのはほんの0.1秒くらいだったが、あの恐怖に引きつった顔は、今でもオレの脳裏に焼き付いたままになっている。
お兄さんの方はあの事故で死んでしまったが、彼女はどうなったのか、オレにはまったく知らされてなかった。年も名前もわからない… だれかに訊いてはみたいが、あの事故のあと、双方の家族が訴えを起こし、今もその裁判は継続中だ。とても訊ける状況ではないのだ…
図書室で当時の新聞を見たことがあるが、死んだお兄さんの名前は載ってたのに、肝心な妹の方の名前はなく、ただ「意識不明の重体」としか書いてなかった。重体ってことは、生命にかかわりのある大ケガってこと…
あの子はいったいどうなってしまったんだろう? あのまま死んでしまったのか、今でも寝たきりなのか、それとも全快して元気に暮らしてるのか…
あれから何度も何度もあの恐怖に引きつった顔が夢の中に出てくる。いや、食事中でも授業中でも野球の練習中でも、突然彼女の顔が脳裏に浮かぶことがある。これが寝ても覚めてもってやつか? オレは心底彼女にほれてしまったらしい。もちろん、彼女はあのクルマを運転していた高校生の妹。そう、オレの左腕を壊し、おじいちゃんを殺したやつの妹… 絶対恋しちゃいけない相手だ。そんなことくらい、オレでも十分わかってる。で、でも…
この想い、いったいどうすりゃいいんだ?…