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東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森148号

2008-05-20 | 101号~200号
       ■こならの森148号■2000.8発行
表紙 「群馬の森 」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森9月号■

3p としこの巻頭詩
4p やんばる
5p 結婚 古橋さん夫妻
6p-9p JC通信
10-13p 不透明な街
14-17p ドライブガイド 「群馬の森」
18p 風の独り言
19p 現代国語辞典
20p (新)やぶいしゃのひとりごと
21p 書評・絵本紹介
22-25pインフォメーション98
26-27pクイズ/タウン情報
28-29p 協賛店・MAP
30p こならの森から

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【本文抜粋記事】

森シリーズ
「群馬の森」
 
 こならの森はやはり「森」にはこだわりたい。
 旅の途中によく21世紀の森とか、○○の森というのを聞くようになった。こならの森以前にも、もちろん森がつく名前はあったのだが、気のせいか、こならの森創刊以後からその数が顕著に増加したような気がする。テレビでお馴染みのニュースの森はもちろん、こなら以後である。
 そこで、群馬の森である。今まで、いろいろ群馬を紹介してきたが、この「森」は佐野からも道のりでキロ圏内、かなり、思いもがけないほど近い身近な距離にあるのである。
 栃木県は日光の自然そのものを自然博物館として位置づけているが、群馬の森も自然と、博物館や美術館とをうまくアレンジしている。
 そこにはアミューズメントあり、美術館あり、フィールド、博物館etc とても一言ではかたり尽くせない施設が隣接している。それだけならいいのだが、そこを自然に利用している人々の暮し方にも個性を見つけられる。

 水のオブジェは圧巻だ、猛暑のこの季節、涼みにいくだけでもかなり有効である。それも美しい「涼」であるからすごい。
 芝の緑と、ともかくなにもない広場がまたいい。欧米の美術館、博物館を彷佛させる。あちらは、ほんとうに敷地が広く、なにもない。おおむね、美術や博物に興味がなくても「遊べる」場所として市民権を得ている、あるいは『公園』的な役目を担っていて、どうぞご自由にというシステムがまたいい。本来、美術とか芸術は………などという権威的な押し付けがいらないのである。   
 バトミントンやフリスビーをして、そして博物館を見学して。これがいい。と、編者だけは思っていたりする。
 何か日本では、決まりきった箱がこうした施設にはつきまとう気がしてならないが、そうではないと、来訪者が示している点が評価できるのだが皆様はどうであろうか。これは、訪れてみなければ分からないその場の雰囲気というものだろうか。その辺が『森』という、お題目にあっていると思える。
 ………とそこまでヨイショしてきて残念なのは、日本的なものが、たったひとつの日本庭園だけですまされているという点だろう。
 米国の美術館や博物館はその施設とは別に、広大な緑地を確保している。日本の神社も、鬱蒼と茂った林や森にまた別な思いを得るのだという。
群馬への道のりはきつい。なぜかというと安佐からそこへ行く距離そのものは短くても、太田や伊勢崎、桐生、前橋、その他の衛星都市を含めると、栃木県の宇都宮みたいに、そこへ向かうまでの迂回路が全くない状態であり、裏道が使いづらい。群馬県の人ならある程度の心得はあるのであろうと聞いてみても、答えは、『混めばどこも同じ』ということであった。
 ともかく狭い地域に大きな人口を抱えた都市が密集していて、どこを通っても混雑するという図式になっていると思う。われら安佐人は、このエリアをうまく抜けだせれば、その後の、新潟(関越道)方面、上信越方面へのアクセスが飛躍的に向上するということを実感している。北関東道でもできない限りこの悩みは続く。都市化と、インフラのバランスシートは専門家に任せるとしても、本題にかえって、近くでいろいろな『術』に自然にふれらるというのも貴重な体験かと感じる。
 芸術は全くあってもなくてもいいものです。であるからこそ総てから解き放されて、もっとも自由であるべきだ。そんな思いが森全体に感じられます。また、そんな器など感じ取れないほどに自然であることが、本来の『自然』を体感できるようです。




こならの森147号

2008-05-19 | 101号~200号
       ■こならの森147号■2000.7発行
表紙 「三滝 」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森8月号■

3p としこの巻頭詩
4p やんばる
5p 結婚 古橋さん夫妻
6p-9p JC通信
10-13p ドライブガイド 「海野宿」
14-17p 不透明な街
18p 風の独り言
19p お店紹介
20p (新)やぶいしゃのひとりごと
21p 書評・絵本紹介
22-25pインフォメーション98
26-27pクイズ/タウン情報
28-29p 協賛店・MAP
30p こならの森から

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【本文抜粋記事】
日帰りドライブガイド
「海野宿」
 佐野の例幣使街道もかつてはこうした町並みだったのだろうと思わされる海野宿。
 よくぞ今まで保存されて来たものだなと感心する。それも、人々がそこで生活しながらであるから本当に恐れいる。
 国道18号線を上田方面にいき、東部町役場前を左に入って行くのだが、大袈裟な看板がないので、前から気をつけていかないと通り過ぎてしまうかもしれない。
 夏の観光シーズン中は、車での走行ができないが取材に訪れたときは期間外で、車を運転しながら、昔に返って駕篭に乗ってという気分の走行ができた。だが、ゆっくり走っていると、後ろから車が来てしまい「のんびり」もほんの数分だった。しかし車で走っていてもその街道沿いの距離の長いこと、想像を絶する。
 車という現代的な文明の利器と、江戸時代から変わらぬ流れ行く通りの風景とのミスマッチがまたたまらない。パノラマ映画館にいるか、はやりのバーチャルリアリティ体験のようだ。唯一違うのはそれが実写(実体験)ということであろう。
 入り口と出口付近には、桝形(食い違い)がある。ここで終わりかと思いきや、第2次保存地区としてまた同じくらいの距離の街道が続いていて、二度おいしい。保存規制がきつくないのか、新しい建物がバラバラとあり、趣きにはかけるが、今風で肩を張らずに走行できるのもうれしい。逆に言えば、保存地区の方が異常区間であるのかもしれない。
 そのまま映画撮影ができるような造り。まるで映画セットの中に迷い込んだかのようだが、洋服を着て、ランドセルを背負った子どもたちが木戸からでてきてすぐさま現代に戻される。
 道路は舗装されている。人々が生活しているし、重要な道路でもあるのでいかしかたないところか。近くには、迂回する道路が造られているので、やがては昔風な道にもどるのかもしれない。
 上信越自動車道、東部湯ノ丸インターチェンジを利用すると早く着くが、国道を利用しても十分日帰り可能。余裕があれば小諸懐古園へよってみるのもいい。
 日帰りコースであるが、アレンジが可能なのがうれしい。浅間山や軽井沢なども近いので、他のスポットへも回りやすい。すぐ近くには、信州の鎌倉といわれている別所温泉へいってみるのもいい。




こならの森146号

2008-05-18 | 101号~200号
       ■こならの森146号■2000.6発行
表紙 「 のあざみ」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森7月号■

3p としこの巻頭詩
4p やんばる
5p 結婚 栗原さん夫妻
6p-9p JC通信
10-17p 特集 梅田の一番
18p 風の独り言
19p お店紹介
20p (新)やぶいしゃのひとりごと
21p 書評・絵本紹介
22-25pインフォメーション98
26-27pクイズ/タウン情報
28-29p 協賛店・MAP
30p こならの森から

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【本文抜粋記事】


樹木・清流・水源の森・桐生川源流
『梅田の一番』

 桐生の奥座敷、梅田地区は両毛の軽井沢とまでいわれている自然豊かなところである。梅田というとダム湖が有名で、そこだけが観光スポットだと思っていたが、今回さらにその先まで進んでみて初めてその良さに気づいた。
 また、こならの森5月号で紹介した、『富広美術館から、桐生に抜ける道』は、この先にある広域林道まで続いているのだった。
 佐野から飛駒経由で梅田まで向かう。時間をはかったわけでは無いが、国道50号を使って、桐生市内から梅田へ向かうより道は狭いが、山越えをした方が早く着くのでは無いかと思う。
 飛駒の先の道をさらに先に行くと、足利や桐生方面へと抜けられるが、この道を通るのもひさしぶりだ。それにしても、沿道のゴミの多さには唖然とする。清流に誘われて、車を停めようと駐車スペースを探す。適当な場所が見つかるが、停車してみてびっくり。当たり一面、ゴミの山だ。清流は相変わらず清流なのだが、ゴミまたゴミで、なんともこの状態は形容しずらい。次のスペースを探すが、空き地があれば必ず、ゴミがあるという具合で、どこまでいっても変わらない。
 やがて足利方面と桐生方面への分岐点に差しかかる。気のせいかも知れないが群馬県方面に入っていくと道路事情が良くなったほかに、あれだけあったゴミがないようにも見えた。
 道路は整備されてきているのだろうが、峠付近の道の狭さは変わっていなかった。対向車が来ると、すれ違えない。
 栃木県側から群馬県側に入ってくる。入組んだ道だ。やがて小さな集落にそばの看板。ここは『皆沢そばの里』である。ひなびた環境がまたいい。誰にも知られたく無いようなところである。
 ここで紹介してしまうと人知れずということにはならなくなってしまうが、しまっておきたくなるような場所である。地元からすれば採算がわなくなるからそうもいかねないが………。
 その先からは道路も広くなりゴミも見当たらない。すぐに『名水皆沢の水、水源の森日本百選』と書かれた看板が目に入る、塩ビ菅が通っていて、自由に水がくめる。しかし、今までたくさんゴミの山を見てきただけに少し気が引ける。標高も低くこの上に何があるのか確認もできない。
 皆沢川沿いに道を進むとやがて梅田大橋にでる。その下は、梅田ダムだ。とにかく行けるところまでいってみようと、先を急ぐ。蛇留渕では、プロらしいひとが写真をとっていた。この付近にカッパの伝説があるのもうなずけるほどの景色である。
 清流をみながらのドライブが続く。小休止して、小さな沢に入ってみた。もののけ姫を彷佛とさせる、深く暗い森。洞くつがあった。
 梅田5丁目まで行く。道も狭くなってきたので、ここでUターンする。帰路に、梅田ふるさとセンターに寄ってみた。遅かったせいか名物のうどんは売り切れだった。山菜や木の芽など郷土色豊かな物産が多くあった。
 付近には桐生和紙や木工所があるというので向かってみたが、それらしい案内は無い。もどってみると、写真にあるような『紙』と書かれた看板が目に入った。入り口らしいものもあるにはあるが、普通の民家の入り口のようにも見える。知らない人が見たら通り過ぎてしまうだろう。中へ入って行くと、家人らしき人がやってきた。「工房があると聞いたのですが………」というと、親切に中に案内してくれた。何気なく観光気分で立ち寄っただけなのに、ていねいに桐生和紙のことを説明していただけた。『和紙が見直されているが、この先の需要は未知数だ。古来からの桐生和紙の伝統を守っていくとなると、採算はとれない。だからといって、量産体制に持っていこうと考えているわけで無い』。現況は必ずしも良いとは言えないが、付加価値を高めて、生活の中に和紙が少しづつでも浸透していったら道は開ける………ということだ。ふるさとセンターで扱うことも考えられるが、一時のブームに流されたくも無いという。今の所、桐生和紙はこの小さな工房だけでしか購入できないようだ。売らんかなの看板が大々的に無かった理由がやっと分かった。
 この近くには、川沿いに一本の大木がある。梅田の一番にも選定されている。付近にある紅葉も見ごたえがあるという。
 少し先の青少年センターの近くには名水・閉篭里(とずろうり)の水がある。この他にも根本山登山道付近にある、石鴨の水。梅田ダムから桐生市街へもどった梅田一丁目にある西方寺沢の水など合計4つの名水が紹介されている。
 梅田の一番に紹介されている樹木は合計55あるが、大層な看板や案内版の類いは見てきたところ無かった。詳しくは事務局のある梅田公民館(TEL0277-32-1483)に問い合わせるか、付近の商店・食堂に問い合わせると良いだろう。新しい発見や出合いがあるかも知れない。


こならの森145号

2008-05-17 | 101号~200号
       ■こならの森145号■2000.5発行
表紙 「三毳山ほか 」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森6月号■

3p としこの巻頭詩
4p やんばる
5p 結婚 小林さん夫妻
6p-9p JC通信
10-19p 特集 大小山賛歌
20p (新)やぶいしゃのひとりごと
21p 書評・絵本紹介
22-25pインフォメーション98
26-27pクイズ/タウン情報
28-29p 協賛店・MAP
30p こならの森から

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【本文抜粋記事】

新連載
やぶいしゃのひ と り ご と

著者プロフィール
松永 安優美(まつなが あゆみ)
岩舟町生まれ。
現在、社会福祉法人「裕母和会(ユーモワカイ)」会長。
   医療法人「聖生会(セイセイカイ)」理事長。
   老人保健施設「安純の里」施設長。


 ここ数年来、テレビや新聞などでだいぶ取り上げられて来た介護保険制度が、いよいよこの4月から導入され、動き出したわけです。今回は、現場から介護保険導入後の変化、又、今後どうなるかなどを少しお話ししたいと思います。
こんなに批判が目立つ法律もめずらしい訳ですが、始めての取り組みですから、今後に期待を持って、良い制度にして戴けるようにと思っております。
ただ、現場に携わる人間としては、要介護老人に対する虐待の問題をずっと懸念して参りました。しかし、その辺が予想以上のスピードで現実になって来ているようです。5月に入りたった日位の間にテレビで2例の親殺しのニュースが流れました。1例目は、介護保険導入後、施設から在宅介護へ切り変えたばかりの親と息子の家族、息子と言っても当然成人で、原因は日間の介護放棄による致死。2例目は、やはり息子との2人暮らしで、介護疲れから息子が殺人を犯した事例と記憶しております。
約9年以上前に、私が介護老人福祉施設を開設させて頂いた頃、年金の支給すら受けていないお年寄りも入居されておりました。その方々には、施設が運営費としていただくお金の中から、当時1カ月に1~2万円程度を、自由に利用できるお小遣いとして支給させて頂いておりました。そのお金を当てにして、母親に会いに来る~才位の息子さんがいたのです。定職はなかったようでした。ある時、その母親の財布には500円~1000円位しか残っていなかったので、母親が拒否したのでしょう。そのため暴力をふるわれて、持って行かれたようでした。その顔面には、明らかな外傷がありましたが、その方は、何をお聞きしても息子さんの事は言いませんでした。ただ、「何でもありません。」「申し訳ありません。」の一点張りで、治療をさせて頂きながら、それ以上伺うことができませんでした。
親殺しの事例やこの問題を見ても、形は異なっても親の年金をあてにして、働かなくなる方や、自宅介護の名目でお金の出費をおさえるなど、色々な御家庭の要介護老人に対する意識の差、又お金の価値感の差によって、少なからず虐待につながるのではないかと不安です。又、今後も様々な形で表面化して来る可能性があります。さらに、お金の自由にならない要介護老人が肩身の狭い思いをしなくてすむように、改善が必要かとも思っております。虐待の問題は、ただ介護のつらさ(介護をする方より、介護される方の方が体格が同じかさらに大きい場合は、何十倍にも肉体的、精神的負担は増加します。)から来るもののみならず、宗教感や教育、政治にまでつながる奥の深い問題ですから、根本的な改善も大切ですが、ねこをぶつよりさらを引く心のケア、気づき、対応を現場の専門家に任せて頂ける様な制度も盛り込んでいただけれは良いのかな、と思っております。しかし、個人の自由を侵害しない程度がどこなのかわからない事を考えると、今の日本では、さらに難しい事なのかも知れませんが…。問題は、今まで、施設や在宅サービスを受けていた方の大部分が負担額が増になるということ。又、介護度に応じて、負担額が異なり、さらに利用金額の上限が決まっているという、全く今までにないタイプの制度ですから、内容を御理解いただく事自体が難しい現況だという事です。
施設側から見た場合、本来、利用される方々のニーズや、法ではお救いする事が困難な事例に対しては、様々な知識や体験を駆使してプランニングをさせて頂くケアマネージャー等が、コンピューター入力に時間がかかり、本来の直接的な人を扱わせていただく時間が少なくなってしまっていたり、その他の業種についても、記録が優先するあまり介護や看護の時間が少なくなる事がない様にして頂きたいと考えております。何だか、愚痴になっている様で寂しい気持ちですが、悪い所を批判するつもりではなく、どうしたら良くして頂けるかを考えて行けると良いのですが…。
 「今日は、注射一本いかがですか。」と言って、往診カバン片手に営業する医者がいな いように、とかく医者というものは……失礼、私は経営の才能がないわけで……。
 介護保険導入とともに、在宅ケアサービスを民間事業主の方と、一緒に競走しなくては ならないわけで……。
「究極のサービス」こそが、「仁術」と一生懸命に自分に言い聞かせているのです。




こならの森144号

2008-05-16 | 101号~200号
       ■こならの森144号■2000.4発行
表紙 「 わたらせ渓谷鉄道」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森5月号■
3p 創刊12年
4p-7p JCトーク
8p やんばる
9p 結婚 中田さん夫妻
10-19p 特集 両毛五市ちょっと旅
20-21p 協賛店・MAP
22p お店紹介
23p 書評・絵本紹介
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から

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【本文抜粋記事】

佐野青年会議所@通信《教育問題と福祉問題について》

 ●佐野日本大学学園常務理事
  熊倉 勝さん

八下田理事長 今日は教育と福祉のことについてお話をうかがいたいと思います。
熊倉常務理事 教育と福祉は現代的問題ですから、私も日頃から大切なことと考えていました。
八下田 私が推し進めていることで、教育問題ということに非常に関心がありまして、二人の子供の父親として教育問題を今後どうしていくのか、親業という部分で親が分担する部分、学校が分担する部分、地域が分担する部分というものを、考えていかなくてはならないと思っています。その役割分担を、お聞かせ願えればと思います。
熊倉 そうですね。教育というのは大変難しい問題です。大きく分けて学校教育があれば、社会教育があり、家庭教育もあります。さらに、マスコミでも大きくとりあげられているように生涯教育でもあり、つまり、大きな枠組が四つあります。
私が戦後の日本教育の流れを眺めてみて思うことは、家庭、社会、学校の役割が不明確になってしまったことです。ご存じの通り、それが一因ともなって、今、大きな混乱が起こっています。人生教育のスタートは、家庭教育です。その後に、地域社会を支える社会教育があって学校教育に至り、最後に生涯教育があると言えばわかりやすいと思います。
まず、家庭教育が崩れた要因ですが、少子化と都市化によって三世代家族であったものが核家族化してしまったことがあげられます。昔の家庭は、お爺さん、お婆さんがいてお父さん、お母さんがい、子供が四~五人という三世代家族でした。そういう状態だと、自然に家族生活の中で基本的ルールを覚えます。ご飯の食べ方から、目上の人に対する対処の仕方とか、人間関係とか、基本的生活習慣を家庭の中で学ぶことができました。現在は、核家族化が進み、日本で従来培われてきた家族の質が変わったわけですから、基本的な教育の質も変わるわけです。お父さん、お母さんが三世代家族の中で培ってきたようなことを、どうやって今後の家庭生活の中に取り入れることができるか。つまり、お父さん、お母さんの役割が問題なのです。最近、親と子に関わる事件がいろいろ起きていますが、何故そうなってしまったのかと考えてみると、お父さん、お母さんの存在がなくなってしまっていることが原因です。昔から、「三つ子の魂百まで」と言います。〇歳~三歳までの幼児時代で受けた影響が非常に大きいということです。教育は「抱っこしてもらう」、母乳をもらうということから始まります。もらうことから愛情を受けるわけです。お母さんから愛情を受けることは、人間を愛せるようになる大きな要因です。反対に、お母さんの愛情を十分受けないと人間不信に陥ります。そして、将来大人になった時に人を愛せない。あるいは、自分が子供を産んだ時に正しく育てられない。ですから、お母さんの役割は非常に大きなものです。次に、お父さんの役割ですが、お父さんは厳しさを学ぶ場所です。社会生活を送るには色々と困難なことが起こります。そういう場面を乗り越えていく力というのは、お父さんから受けた影響が大きい。お父さんから影響を受けないと困難を乗り越えられません。最近、「キレる」とか、登校拒否とか、困難に出会った時、立ち向かわずに横に逃げてしまうケース、これらは、比較的お父さんからの影響が少ないことに原因していることが多い。お父さん、お母さんの役割がどう変わってもいいです。場合によっては、お母さんがお父さん役をやってもいい。お爺ちゃん、お婆ちゃんでもいい。そういう役割分担が必要です。
さらに、家庭内で子供の仕事分担を決めて、家庭内での手伝いをさせることも大切です。
家庭内の問題が学校に押し寄せて来るということでは、学校も大変な思いをしています。そうは言っても学校ですから、それをきちんと受け止めて、教育をして行くことが大切です。戦後、文部省もたくさんの教育改革を実施してきました。そして、二十一世紀型のカリキュラム改正ということで、幼稚園については本年四月より実施され、小学校、中学校が二〇〇二年、高等学校については二〇〇三年から始まります。「自ら学ぶ力」「自ら考える力」の育成が主眼です。今後も学校教育は変化していきます。皆さんは、小学校とか中学校教育のあり方が一番気になるのではありませんか。
八下田 ええ、僕は放課後教育が特に必要だと思うんです。放課後遊ぶ友達を作ったりしてですね。仲間と外で遊ぶということが大事だったと思うんですよ。今は塾、家に帰ればファミコン、夜は親との団欒もなくて、塾に行くと夜遅くなるのでそのまま寝てしまう。その繰り返し ― 。放課後教育は必要とは思いますが、今のそういう現実にぶつかると社会のシステムとしては難しいのかなとも思います。
熊倉 昔は、子供は家に帰ってから必ず外に出て、空き地や路地でキャッチボールしたり、サッカーボールを蹴ったり、鬼ごっこをやったりして遊んでいました。この遊びの中からガキ大将が生まれ、子供達の社会性も育ちました。
昔だって塾に行かなかったわけではなく、算盤塾とか習字の塾に行ったりしました。塾そのものが悪いということでなくて、子供達がどういう遊びが出来るのかということになると思います。
今後、文部省は学校五日制を実施しようとしています。土曜日に子供達はどうするのでしょうか?誰が、どうやって子供達の面倒をみるのでしょうか?或いは、子供達はどういう生活をするのか?大きな問題です。私は、二十年前に文部省の教員海外派遣で、共産主義国家のチェコスロバキアと、スイスを主体とする研修団に参加しました。当時、チェコスロバキアでは、学校の生活の中にも共産党青年同盟の部会があり、その同盟の人達が中心になって青少年の学校教育以外の活動を担当し、共産主義思想を広める為に、小さい時から共産党組織に参加させていました。
また、十五年前ですが、日本大学の教育視察で、サンフランシスコ市を訪問しました。シリコンバレー、スタンフォード大学、カルフォルニア州立大学のバークレー校等を見学しました。その当時、アメリカは学校の週休二日制が始まっていましたが、土曜日に公園内にある美術館に多くの人達が子供を引率して見学していました。地域社会の人達がボランティアで子供達を引率していたわけです。日本の場合、学校週休二日制を実施した時、地域社会の人達がアメリカのようにすることができるのか。子供達に土曜日はただの休みですよと言ってしまうのか。組織的に子供達を面倒をみてくれるのかどうか。そういうことは大きな問題になるのではないかと思います。
八下田 僕が参考にしている世田谷区の例があります。その地域にある公園や校庭を民間に貸すのです。管理するのはNPOなどの民間の団体です。子供達をそこで自由に遊ばせる。自分の責任で遊ぶということで開放された部分が必要になってくるのです。今の小さい子供達は、遊び方がわからないことが多いので、地域の人がプレイリーダーという先生になって遊び方をまず教えて、それに習って皆が遊んでいくということをしているのです。
熊倉 JCの「子供未来塾」も、そうしているのですか?
八下田 今後、そうなっていけばいいと思っています。青年会議所だけでなくて、民間団体も教育NPOがその推進のための運動をしていかなければと思います。青年会議所という形で活動していけるよう、NPOの有志が、その組織を作って地域の人達とリンクしながら造ってゆくのが理想だと思っています。
熊倉 そういう意味では、子供は自然とのふれ合いとか、友達と体をぶつけ合いながら学ぶことが大きいと思います。東京へ出た人は古里のイメージが脳裏に焼き付いている。いわゆる原体験とか原風景です。自然との触れ合いというものには、常に、一+一=二でなく、偶発性や偶然性があります。そういう体験が大切です。その意味では、JCの「未来塾」は大きな役割を持ってますね。
八下田 小学校、中学校で空教室が大変問題になっていますよね。一つの例といてスポーツジム的なことです。普段、子供達が授業が終わったら、そこでスポーツジムができるのです。五十円か百円の会費で使用させて、管理はNPO、地域のボランティアが予約まで取って貸し出している。会員制で必要経費を頂いてですね。土曜日は大人の人を対象にスポーツジムに必要主費をいただいて学校へ通うことも実施しています。その収益でボランティアの運営資金にしているという例もありますが、私立の学校では考えていないのですか?
熊倉 佐野日大の中学・高校・短期大学での学校開放は積極的に実施しています。短期大学では図書館の施設を開放したり、また、大学の授業に社会人の人達に参加してもらう聴講制度を実施しています。去年が春季講座で五十名。今年はもう七十名の方が受講申込を行っています。今、ちょうど受付期間です。また、高等学校でも素晴らしい野球場、サッカー場、陸上競技場を持っていますので、希望者があれば是非開放していきたいと思います。先日も野球場で市内の学童野球の選抜チームの大会が実施されました。天体観測のドームなどもありますので是非利用してください。また、公立学校の空いている教室などを利用されて色々な形でやられていることは本当にすばらしいことですし、私達も協力は惜しみません。ですから、佐野日大の学校開放については、是非、JCの方々にもご提案頂きたい。私は青年教師の時代、野球部の監督や部長をやっていた経験の中から思うんですが、子供の教育の中でJCの人達が事業を実施する時、形を作って与えるだけでなく、企画とまでいかないにしても準備段階で参加させる。造られたものに参加させるのではなく準備まで含めたものに参加させると子供達に勉強になると思います。「はい、やりなさい」という御膳立て、これは一つも勉強になりません。
八下田 野球で言えばグランド整備のためにまず石を拾うとか。
熊倉 極端に言えば、そういうところから始めるといいと思います。ところで、JCは、昔から安佐中学校野球大会を実施していました。当時、安佐地区では学童野球は盛んでしたが、中学校野球は今一つ。高校野球は最も弱かった。安佐地区から甲子園大会へ出場できるチームが何とか出てほしいと思っていました。安佐地区では学童野球は盛んでしたが、中学校野球は今一つ。当時、JCの方々が考えて、中学校野球大会を実施したことがありました。私も、高校の教員になって、すぐに野球部の監督、部長を引き受け、素人でしたが、何とか甲子園に出場できるチームを作ろうとしました。しかし、私が部長、監督の時代には甲子園大会に出場できませんでした。次の松本監督時代の平成元年に、安佐地区で初めて甲子園大会へ出場できました。(松本監督は佐野西中、佐野日大高、日本大学で野球選手として活躍。)さらに、平成二年、葛生高校が甲子園大会へ出場しました。そういう意味で、JCの中学校野球大会は、この地域の中学、高校の野球の隆盛に大きな貢献をしたと思います。その後、佐野日大は夏四回、春二回、計六回、甲子園大会へ出場しています。また、安佐地区の選手が、何人もプロ野球選手になりました。現在、石井君(横浜)、戸叶君(横浜)、小関君(西武)が、プロ野球で活躍し、子供達に夢と感動を与えています。
八下田 相手に感動を与えるというのは大変素晴らしいことだと思います。野球の話に戻ってしまいますが、私も佐野日大のOBとして県大会の決勝を見に行きました。最後、スライディングでサヨナラ勝ちした時は、嬉しくて飛び上がってしまいました。万歳!万歳!嬉しくてポケットにあるものが全部周りに散らばったほどでした。特に母校ということもありましたが、この安佐地区からやっと甲子園に出たんだ!という思いも強かったですね。感動を与えてくれると思うのです。スポーツを見て感動しない人は、いないと思うんのですよ。
佐野日大が甲子園に出て良かったと思うのは、この安佐地区の宣伝になったこと、これが最大の効果で、また大きな喜びだったのかなあという思いがあります。ところで、スポーツの教育的意義についてどういうお考えですか。
熊倉 スポーツは、青少年の育成に大きな役割を果たしていると思います。スポーツの意義は自分の肉体への挑戦を通じて身体を鍛えることもあります。
また、オリンピック大会などで、選手が全知全能をかけて走ったり、投げたりしている姿を連想し、我々見ている観客に大きな感動を与えています。そうした、トップレベルのものもありますが、一般的なところでは、スポーツを通じて、友情とか苦しい時を乗り越える力を培っていきます。少子化で子供がいなくなり、家族が、核家族になって
いく、その社会環境が子供にとってはすこぶる良くない。そこで、スポーツを通じて困難を乗り越えるとか、縦社会とか、横社会とかを、学ぶことに意味があると思います。また、団体競技の素晴らしい面としては「戦い」ということです。相手をゲームの中で倒そうという「戦い」を通じて相手の痛みを感じたり、つらさを感じたりすることが大切です。最近、青少年の犯罪などで、衝動的にに相手を傷つけたりするケースがありますね。相手の痛みがわかっていれば、そこまではいかなかったのではないかと思います。スポーツを通じて、相手の痛みがわかれば、平和な社会をつくれたのかなと思います。スポーツも原点に返って、そういう面も取り上げるといいのかなあ、という気がします。今以上に、スポーツが盛んになればと思います。
八下田 ところで、四月から介護保険、地方分権法が実施されますが、地域間格差というものが間違いなく出てくると思います。安佐地区が今後生き残れる部分、特に、日大さんが社会福祉法人をつくって介護をやっていくということがありますが、地域格差とか、結果的には少子化や、税金の問題も重なりあって影響してくると思いますが、今後どういうふうに考えていらっしゃるのかお聞きしたいと思います。
熊倉 高齢化というものは少子高齢化です。高齢化の部分では現在どういう状態になっているかと言いますと、二〇〇〇年で六十五歳以上の人が十七%です。(一九九四年では十三%)二〇二五年では、二五.八%。現在が六人に一人の割合で高齢者、これが二〇二五年には四人に一人になるわけです。通常高齢化社会というのは七%以上です。ところが、将来、高齢者が二十%を超える超高齢社会になります。これは、世界で例を見ないケースです。そのくらい速いスピードで高齢化が進んでいます。ですから、日本も老人福祉の分野で急いで何とかしなければならないということになったのです。そこで「介護の社会化」を実現しようことになった。従来、介護というのは、各家庭の負担でしてもらったことですが、家庭だけではどうにもなりません。家庭でどうにもならないと病院に持ってこられるわけです。病院が全部老人で埋まってしまう。老人医療保険で日本の医療保険はパンク寸前に陥っています。それを解決するために介護保険が始まったわけです。二〇〇〇年の四月からスタートするが、ドイツの公的介護保険制度を模範にしてつくったのですね。ドイツは準備期間に二十年をかけてスタートさせていますが、それでもいろいろ問題点はあるそうです。
日本は介護保険は、まだ五~六年しか経っていません。まだまだ準備不足でスタートしますから、いろいろな混乱があると思うのですが、そうは言っても何とかしなければならない問題ですから、皆さんの協力でやっていかなければならないと思います。そういう高齢化社会を考えて、佐野国際情報短期大学でも平成十年から社会福祉学科をつくりました。社会福祉専攻は、福祉に関する相談業務に応じるケースワーカーの分野を担当する社会福祉士を育成します。介護福祉専攻は老人介護における中心的役割を果たす介護福祉士を卒業と同時にに取得できます。福祉の分野では、専門的技術だけでなくボランティア精神を備えた人間性豊かな人材が必要であり、いくら専門的な知識があってもどうにもなりません。そこで、福祉の感性(福祉マインド)を育成します。
八下田 先日、先生のイギリスの老人施設の視察報告書を読ませていただきましたが、イギリスの老人施設はどのようなものでしたか。
熊倉 本学園の高等部(中・高一貫コース)の修学旅行で、昨年イギリスに行ってまいりました。その折、イギリスの老人施設の実情を調査し、報告書を研究紀要に発表しました。イギリスは、戦後最も社会福祉が進んだ先進国です。イギリスの老人施設というのはどのような思想で経営がなされているのか、そこのところを見てまいりました。施設は民家を改造した建物で大半が個室です。入居者は三十名で非常に狭い施設でした。所長のダイアナさんは、施設の経営理念として、「スタッフはくつろいだ雰囲気の中で最高のケアを提供する。住居者の質の高い生活を私たちが追求してこそ、住居者がここを自らの家とみなす」という、しっかりした経営理念をお持ちの方で、施設といえども、そこが「最後の棲み家」というような感覚を持たせてあげることが大切だと言っています。いわゆる、入居者の「人としての尊厳」を大切にしています。
佐野国際情報短期大学の社会福祉学科の関連施設として老人福祉施設を計画しています。この施設は、臨床教育の場であり、介護福祉の実践の場であり、地域福祉の場であり、入居者の「自立と安全と尊厳を守る」ことを理念にしたいと考えています。
八下田 高齢化社会を考えていくのにあたって何が大切なことでしょうか。
熊倉 高齢化社会で重要なことは世代間の信頼です。介護保険にしても高齢者だけが負担するのではなく、若い人も負担します。年金も高齢者が自分達で貯めたものを使うわけではなく、若い人の負担でも支えています。これからの少子高齢社会で重要なことは、世代間のギャップを起こさないことです。若い人も中高年層も高齢者も、お互いの世代間の交流を大切にしないといけないということです。小学校、中学校の子供達が施設を訪問して、高齢者と積極的に交流する。高齢者は子供達と触れ合うことによっていろいろな原体験を思い出していくという場面もあります。たとえば、イギリスの老人たちは、施設の部屋の中に可愛い子供の時の絵を飾っている。イギリスの施設の入居者は、アルツハイマー系「痴呆症」が2/3、いわゆる痴呆老人です。日本ではアルツハイマー系は1/3です。そして、2/3は脳血管障害です。痴呆症を防ぐものの中に原体験というか昔のことを思い出させることが効果があるというのです。日本でも、今後、アルツハイマー系が増えてくるだろうと言われています。子供との触れ合いがより一層大切です。同時に、世代間ギャップを起さない為にも、世代間の相互理解が大切だろうとと思います。なお、介護は、今までは家庭内での負担でしたが、もうそれではできないので、皆んなで助け合うということで介護保険が始まるわけですから、皆さんがNPOネットワークセンターの中で福祉のことも捉えていることは非常に重要なことだと思います。
八下田 最後に、少子化についてどう考えますか。
熊倉 高齢者の問題というのは、少子化の問題です。日本の平成九年の合計特殊出生率が一.三八。一定の人口を保つのには合計特殊出生率は二.〇八必要とされています。少子化の進行は社会構造に大きな変化をもたらすと共に経済活動の低下を招きます。そこで、最近、世界の中で人口増加政策で成功しているケースがあります。それは、シンガポールです。一九八〇年代に人口抑制策を採ったのですが、人口減少が激しく、一九九〇年代に人口増加策を採り、合計特殊出生率を二.〇〇まで持ってきたそうです。シンガポールは何をやったかというと、第二子以降の子については、所得税減税をやったのです。政府が政策として子育て支援のための政策をやったのです。それで出生率を戻してきた。日本も子育て支援のために、政府自らキャンペーンを展開しています。栃木県でもやっています。佐野市も「こどもの街」宣言をしています。子供を大事にしようということで行っているわけです。日本でも早く合計特殊出生率が一.七八とか、あるいは、一.八とかというような数字に戻さなくてはならないと思います。結婚して子供を育てることは、若者にとっては社会人として社会的な負担を負うことだと思います。反対に、子供を持たない方には大変申し訳ないけれども、何らかの社会負担をしてもらうとか。そうでないと他の人達の子供に負担がくるのです。少し暴論かも知れませんが、それくらい何かやらないと子供をたくさん産んでくれないのではないかと思うのです。佐野国際情報短期大学では、平成十三年度の四月から社会福祉学科の中に児童福祉専攻を設置して、保育園の保育士とか幼稚園の先生とか、あるいは、子育て支援の為の相談を行なえる人材の育成に取り組みます。また、同時に子供を産み、正しく育てられるような現代的良妻賢母を育ててていきたい。そんな準備を進めています
八下田 先生には貴重なお話をいただきありがとうございました。JCでも先生からのいくつかのご提案につきましては前向きに考えていきたいと思います。


プロフィール ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
熊倉 勝 (まさる)
1943年 佐野市生まれ


こならの森143号

2008-05-15 | 101号~200号
       ■こならの森143号■2000.3発行
表紙 「朝日森天満宮 」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森4月号■
3pとしこの巻頭詩
4p-7p JCトーク
8p やんばる
9p 結婚 大川さん夫妻
10-19p 特集 田中正造生家周辺をあるく
20-21p 協賛店・MAP
22p 辛口映画評
23p 書評・絵本紹介
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から

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【本文抜粋記事】

特集
春一番! ウオーキング!
田中正造生家周辺をあるく

 ウオーキングがブームとなっているが、このほど、初心者でも気軽に参加できる、ウオーキングの会が発会され、同時に記念行事としてのウオーキングが開催された。
 行程は、設立総会会場のある小中町を起点にして、付近の名所旧跡をあわせてウオッチングしようというもの。70名ほどが参加した。
 まず最初に訪れたのは、人丸神社。宮司である林敏忠さんから直接説明を受けた。当日は晴天となったが、まだまだ寒さも残っている。しかし、熱心に説明を受けていた。拝殿の中の天井絵を見学して、足取りも軽く田中正造生家方面へと歩き出した。
 生家では、田中正造の大番頭といわれた島田宗三の息子である島田早苗さんから説明を受けた。数分の解説だけではとてもか足り尽くせずではあるが、田中正造の生涯を分かりやすく語った。また、参加者からの質問も受けた。
 ここからは数キロの歩きとなる。風も冷たいが、一路二柱神社へと向かう。各人が自分のペースを守って歓談しながらの緩やか歩行。二柱神社では、お参りする人や見事な彫刻に感嘆の声が多くあがった。また、同神社は佐野の文化財百選にも選ばれている。
 見学すべき予定はこれで最後となる。ここからは集合場所の小中町公民館まではのどかな旧道を旗川沿いに進んで、田中正造生家横を抜けていく。全行程数キロのコース1時間あまりの時間、歩行時間はもっと短かったが、盛り沢山の内容が歩くことの楽しみを増加させていたようだ。
 今後もこうしたスタイルで歴史散策を取り入れながら、歩くことだけではない他の楽しみを加味していくという。当初は、年数回ほどの予定でスタートするという。


■日中正造旧宅(県指定史跡)
 正造の生まれ育った母屋と隠居所、土蔵のほか、表門と便所が残されている。明治の初めから母屋は村の診療所に当てられ、隠居所には不在がちな正造の留守を守ってカツ夫人が正造の両親と同居していた。
 正造は大正2年(1913)73歳で世を去る前に、自己の家屋を含む全財産を故郷に寄付し、産業の復興と精神の回復に役立ててほしいと願った。
 現在の旧宅所有者は、財団法人小中農教倶楽部。毎週火・木・土・日曜日が公開日。祝日、お盆、年末年始が休館。 入場料(一般)300円。 JR佐野駅から4.6km、無料駐車場もある。



こならの森142号

2008-05-14 | 101号~200号
       ■こならの森142号■2000.2発行
表紙 「 れんげ草」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森3月号■

3pとしこの巻頭詩
4p-7p JCトーク
8p やんばる
9p 結婚 河内さん夫妻
10-11p NAZA報告「8」
12-19p 特集 北の中華街
20-21p 協賛店・MAP
22p 辛口映画評
23p 書評・絵本紹介
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から

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【本文抜粋記事】

『北の中華街』構想
■ラーメン横町

 今回は、最近マスコミを賑わし、ちょっとしたまちの話題となっている『ラーメン横町』、そして『北の中華街構想』についての詳細を、提唱者である上岡一雄さんに伺いました。
佐野みやげ麺会会長・
(株)上岡商店代表取締役
 上岡一雄さん

●最初にきっかけとなったことはなんですか。

 商工会議所の専務さんとの会話の中で、「どこかに横町を造って下さい」というと、「そういう声は一杯あるけれど、まず空き店鋪を活用することを考えてみたら」と言われ、それがヒントとなりました。
 よく考えたら駅前通りにも何軒かのラーメン屋さんがあり、大通りにも幾つかあって、間を埋めていけば全部繋がってしまう。そういう鳥瞰図が出来たわけです。
 厄除けさんのお客さんも中央商店街までは入ってこない。ですから、なんとかそこまで引き込もうと思ったわけです。
 それから来る人、来る人が訪ねることには、『横町』はどこですかということです。裏返せば『横町』があるものだと思っている。『ラーメン横町』というイメージは店が背中合わせにつながっているものですが、そういうものがあると思って来る。そしてがっかりして帰る人もいます。そんなことから横町は、みなさんが、望んでいるものだと思いました。
 商店街に人を呼ぶということでは二つのことがあると思います。一つはこの地区の人を呼ぶ。いろいろ工夫すればできないことではないが、これには財力も、テクニックも必要です。それだけの努力をするのであれば、他からくるお客さんを誘致した方が懸命だと考えたわけです。
 一つの大きな柱として、厄除けさんがある。ですから、もう一つの柱を作ってそこを中心に回遊させれば、町が活性化する。佐野市はラーメンの町ということで有名になっていますので、ラーメンが一番手っ取り早いと思いました。
 横町も背中合わせのものを作るとなると、建物を作らなければいけないわけで大変です。そこで空き店鋪にラーメン屋さんが入ってもらうことを考えたわけです。
 発火しないことには燃え上がりませんから、起爆剤になろうと思っています。
 現在のところ申し込む人は少ないのですが、いい方向にいけば、我も我もということで、多くの人から協力してもらえるのではないかと思っています。
 今のところは何の形もない、海のものとも山のものともわからないわけですから、様子を見ているのかなという気もします。もう一つには、郊外なら郊外で、もうお金をかけてしまっていますから、それを捨ててまで出店するということも、勇気のいることだと思います。
 それから、話が錯綜して、誤解されている方も多いみたいですね。新年の二日に市役所で『ラーメン横町』というのをやったのですが、あれが新聞紙上にでた横町かと思った人がいるみたいです。あるいは、大通りに面したある店鋪が横町になるのではないかとか………。いろいろ、話がとんでしまいました。実際には、背中合わせの横町ではなくて横町ゾーンの中に中華街を造るということなのです。

●あえて困難な道を選んだようにも思えるのですが。

 みんなにそういわれるんですよ。『大変だね』と。でも、内心はあまり大変だと思っていないんです。逆に楽しいと思っているくらいです。それが出来上がった時のことを思い描けば実に楽しい。例えば肉屋さんでは肉マンやシューマイを目の前で湯気を出して蒸かして売ってくださいとお願いしているわけです。肉屋さんの方もやろうと意欲的です。肉マンを食べながら、ウインドーショッピングをしながら楽しんでもらえる………ということを考えると、むしろわくわくしてきます。

●プラス・シンキングですね。

 佐野ラーメンも一時は盛り上がったが、今はちょっと停滞ぎみですよね。ここで活を入れないといけないですね。厄除け大師さんには年間200万人からの観光客が来ます。その人達を、歩いて十二、三分の中央商店街まで誘導できれば、そこが活性化するわけです。いい素材があるんですが、活かし切っていないということですね。もうちょっと視点をかえたり、工夫すればできるわけですね。
 今年の初頭から動きだそうと思ったのですが、まだラーメン屋さんも予定地にできていない。一部の商店がちょこっと中華のグッズを置いたくらいでは『行っても何もなかったよ』と、かえって評判を落としてしまう。ですから、4月のかたくりの里の頃を目指しています。春になれば、人の流れも動きも出てきますのでね。
 2月のはじめには、キャラバン隊を市の商工課でやっています。そのせいもあって、その時期には人が集まります。シャトルバスがピストン輸送をしますね。そして現実に乗った人が、町中を散策している。それでなくても人が集まるのだから、その時までに立ち上げようと思っています。
 今まではバスでくるわけですが、厄除けさんで降ろして参拝だけでかえってしまうというのがパターンです。それを厄除けさんで降ろしたら、バスは中央商店街で待っていますという風にする。嫌がおうでも歩かざるを得ないわけです。そうすれば中央商店街に誘導できますし、逆の方法も考えられます。地図を作って位置が分かるようにしておけば迷うこともないでしょう。
 今でも家族で佐野にラーメンを食べにきて、足利学校でも見ていこうか、栃木の蔵の町へいこうか、ということで他に行き、佐野でそんなにぶらぶらしている人はいないと思います。
 せっかくやって来た人が、町の中でラーメンを食べただけで帰られたのではもったいないです。ラーメンを食べた人が肉マンでも食べて、ちょっとしたグッズを買って町を散策する。それは、子どものグッズだけではなくて、いろいろそれぞれのお店が中華のものを置くことがいいと思います。例えば、靴屋さんはカンフーの靴、あるいは洋服屋さんではチャイナドレスとか、ブラウスとか、帽子とか。
 お茶屋さんでは、中国茶とか急須とかというものを置いてもらいたいと思っていますし、文房具とかカバンとか、骨董品などを置く店もあったりして。後はわらじとかね。
 今までの商品を、商売替えしてかえてしまうということではなくて、今までのお店づくりの中にプラスする。あまり負担がかからずにできると思います。
 もう一ついいと思う素材は、東石美術館です。無料で絵を見せていただいているわけで、文化の香もするわけです。いい絵がたくさんあります。
 もう一ついいと思うのは、こういう近代的な町並みの中に銭湯が二つもある。そして今流の銭湯「やすらぎの湯」もある。家族できて、ラーメンを食べ、町を歩いて、お風呂に入って、いい絵を見て帰れる。素材はたくさんある。観光資源がね。そういうものを活かさないことには、街が活性化しません。
 もう少し、発想の転換をしてもらってみんなが力を合わせ努力をすれば、出来てしまうことです。
 喜多方は有名になった。その頃は、毎日のようにテレビでラーメンの特集をやっていたわけです。それに追いつけ追い越せで、佐野が始めたのですが、途中でテレビのラーメン特集がなくなったので、喜多方ほど名前は浸透しなかった(味は佐野の方がよい)。佐野はかなり有名になりましたが、佐野に続けてと始めたところは、途中でとんざしています。
(後略)


こならの森141号

2008-05-13 | 101号~200号
       ■こならの森141号■2000.1発行
表紙 「 西方町にて」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森2月号■

3pとしこの巻頭詩
4p-7p JCトーク
8p やんばる
9p 結婚 向田さん夫妻
10-11p NAZA報告「7」
12-19p 特集 北関東道
20-21p 協賛店・MAP
22p 名所クイズ
23p 書評・絵本紹介
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から「おじゅけん」

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【本文抜粋記事】

ひと足早く体験北関東自動車道

北関東自動車道

 北関東自動車道はとちぎ県南部を横断し、群馬県高崎市と茨城県の常陸那珂港を結ぶ約150キロの自動車道。
 本年度中に常磐自動車道との分岐点となる友部ジャンクションから水戸南インターチェンジまでの14・3キロが、2000年夏には東北自動車道から分かれる都賀ジャンクションから上三川インターチェンジまでの18・5キロが部分開通する。都賀-上三川間は2000年九月の全国都市緑化とちぎフェアに向け、舗装や標識設置など仕上げ段階に入っている。
 全線開通には十年ほどかかるということだが、2000年を記念して一足早く開通?走覇。見どころをおってみた。
三日月村 
 木枯し紋次郎の架空の出身地「三日月村」を再現したテーマパーク。群馬県薮塚(やぶつか)本町の薮塚温泉の一角にある。
 三日月村は、紋次郎の原作者笹沢左保さんのアドバイスと江戸時代後期の時代考証に基づいて十七年前に建設。わらぶき屋根の名主屋敷や水車小屋など二十数軒の木造建築が並ぶ。
 西隣には温泉街のほか、スネークセンターもある。
年末年始以外は無休。午前9時から午後5時・入村料は大人600円、子供(小学生以下)300円。不思議体験ゾーンの入場券を含むセット券は大人1500円、子供1000円●TEL0277(78)5321

ぐんまこどもの国
 入場は無料。乗り物も格安料金で遊べるのがうれしい。敷地の一角にある児童会館も、プラネタリウムやハイビジョン、大型遊具のあるプレイルームなど、設備は充実している。
 遊戯施設では「ダイナミック広場」が圧巻。70メートルの丘を十五分かけて上る「パノラマチェアー」と、全長503メートルと520メートルのコースを一気に滑り下りる「サマーボブスレー」の組み合わせは大人も大満足。「サイクル広場」にはサイクルモノレールやサイクル電車などが体験できる。入館時は折からの雨のためぬれていて断念。

 有料施設は大人200円、子供(4歳以上中学生以下)100円から。3歳以下はすべて無料。パノラマチェアーとサマーボブスレーのセットは大人500円、こども300円。月曜定休9:30~PM5:00 
TEL0276(22)1766

常陸風土記の丘

 石岡市は、茨城県のほぼ中央、西に筑波山、東に霞ケ浦を望む台地上に位置している。有史以前から人々の生産生活の場としてひらけ、今から一万年以上も前の旧石器・縄文時代から弥生時代にいたる数多くの遺跡が発見されている。さらに四~六世杷の古墳時代の遺跡として、茨城県内最大規模を誇る舟塚山古墳をはじめ、府中愛宕山古墳、要害山一号墳など数多くの古墳が見られ、この時代、古代豪族がこの地に割拠していたことを物語っている。そして、七世紀のなかば常陸国が誕生すると、この石岡の地に国府が置かれ、つづいて国分寺・国分尼寺が建立された。以後、常陸国の中心地して、又茨城県最古の都市として大いに繁栄した。

虎の子史跡公園
石のモニュメントこの石の門は、現代・中世・古代を表現した「時の門」ぞす。「時の門」を通り、それぞれの時代にタイムスリップしてその時の人々の暮らしに、思いをはせてみませんか。移築復元した旧佐藤家は江戸時代、小松川の肝煎(名主)の家で、南会津において、地域の貴重な文化遺建と言える建造物といえます。

石岡のおまつりに巡行する獅子頭をステールアップした日本一の巨大獅子頭は、常陸風土記の丘の見守り役として人気を集めています。◇台座からの高さ14m・幅10m・奥行き10m

展示室では、石岡市内で発掘された埋蔵文化財を遺跡別に展示しています。また、古代から近世にいたる石岡市のあゆみを概観できます。




こならの森140号

2008-05-13 | 101号~200号
       ■こならの森140号■1999.12発行
表紙 「 桜草」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森1月号■

3pとしこの巻頭詩
4p-7p JCトーク
8p やんばる
9p 結婚 土澤さん夫妻
10-11p NAZA報告「6」
12-19p 特集 恐竜大発掘
20-21p 協賛店・MAP
22p 辛口映画評
23p 書評・絵本紹介
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から「おじゅけん」

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【本文抜粋記事】

絵本紹介

ぐりとぐらの1ねんかん

     なかがわりえこと
     やまわきゆりこ/作
       福音館書店/刊

 もうすぐ2000年です。もちろん、その前にクリスマスがありますが、今月の絵本はもうこれですよ、これ。最初のページはもちろん、あけましておめでとう。最後のページは、ではまたらいねん。ぐりとぐらの生活が月ごとに展開します。ページをめくるのがほんと、楽しい絵本です。ミレニアムにふさわしい絵本です。 絵本仲間・コロポックル かりんとう   



こならの森139号

2008-05-12 | 101号~200号
       ■こならの森139号■1999.11発行
表紙 「とみあさ公園 」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森12月号■

3pとしこの巻頭詩「ひめりんご」
4p-7p JCトーク
8p やんばる
9p 結婚 森さん夫妻
10-11p NAZA「5」
12-18p 特集 六合村双体道祖神
19p 現代国語
20-21p 協賛店・MAP
22p 辛口映画評
23p 書評・絵本紹介
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から

■■■■■■

【本文抜粋記事】

ドライブガイド

六合村双対道祖神めぐり


■六合村と高山村の
 双体道祖神をめぐる
 この地方は双体道祖神が多いことで有名です。いったいどのくらいあるのかは分かりませんが、六合村では道祖神の内のほとんどが双体道祖神だそうです。
 かつてこならの森で特集した、粟野町の双体道祖神は数ある道祖神の中のほんの一部であったのに、六合村はそうではありません。また田沼町のある道祖神は、双体ではありませんが、千体もあるものもあります。地域性というものがあるのでしょう、興味を引かれます。
  佐野市内には、双体道祖神を見ることはありませんが、どうして山岳部にこうも多くの道祖神があるのでしょう。都市部にあったものは、消滅してしまっているのか、はたまた、山岳部のものが偶然にも今に残っているのか、あるいはその信仰が根強く続いているのか、良くは分かりませんが、調べてみる価値はありそうです。

■高山村
まずともかくその一というか第一番目の双体道祖神を見に行くことにしました。その前にまず、役場に向かってみることに。ちょうど昼時だったのですが、親切な対応で案内マップをゲット。それから、足早に一番近くの道祖神へ。行ってみると、どういうわけか道路の上にありました。この辺は、粟野町の立地条件と同じです。もちろん道路の方が後からできたのですから、昔の地形は今と違っていたのでしょう。メインの国道沿いにあるのですから、驚きでした。しかし、その後はなかなか見つけられませんでした。 蔵の後ろとか、生活の一部として当たり前に存在している。道も狭いので、ここまで入ってくるか~と思うところまで入り込んだりして迷惑をかけてしまったことも。また、そればかりか、行き止まり近くになってUターンもやっとという場所もあったり。また、お目当ての道祖神を見過ごしたり、行き過ぎたり、山奥だったり。事前にマップを入手して、ルートを検討することが必要です。


■六合村
 信州の山奥、伊那谷を旅しているのかと思わせる景色。ラジオを聞くと関東キー局の放送が良く入る。ノイズも少ない。あれ、と?考えると、それもそのはず。ここは関東(群馬)なのだから………。
 それはともかく、派手な案内標識というものはありませんので、見落とすこともあります。道も狭いので走行には注意が必要。また、逆に観光目的で最近製作された真新しいものがあったり、苔むしているが昭和期に製作された比較的新しい作品であったり、惑わされることもあります。
 これからの季節にはそばの食べ歩きをしながら回ってみるというのもいいかも知れません。

■見て回るには
 エチケットも必要
  双体道祖神は本当に町の中に点在していますもちろんのことですが、観光を目的としてたてられたものではないのでちょっとしたエチケットも必要なようです。マップをもらって、一つ一つていねいに探っていかないと、見つけにくものもあります。行き過ぎてから、気がつくこともままありました。そしてほんの少しばかる過ぎただけなのに、体くらいの道祖神があったりして、車での移動では細かく見て歩くのは大変だと実感。本格的に見て回るなら徒歩がお勧めです。
 実際に小回りがきかず、効率が大変悪くなってしまった。また、道祖神そのものが村の辻つじとか境など分かりやすいところにあるわけではなく、蔵の後ろとか、生活の一部として当たり前に存在している。道も狭いので、ここまで入ってくるか~と思うところまで入り込んだりして迷惑をかけてしまったことも。


こならの森138号

2008-05-11 | 101号~200号
       ■こならの森138号■1999.10発行

表紙 「みかも岩舟コスモスひき 」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森11月号■

3pとしこの巻頭詩「とうがらし」
4p-7p JC
8p やんばる
9p 結婚 深田さん
10-11p NAZA「4」
12-19p ロマンチック街道
20-21p 協賛店・MAP
22p 現代国語
23p 書評「」・絵本紹介「」
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から「マック」

■■■■■■

【本文抜粋記事】

ロマンチック街道をゆく

■ロマンチック街道
 ドイツロマンチック街道にはドイツローマン派の詩人たちが住み、あるいはこの街道を訪れて作品を残しているという。日本ロマンチック街道も日本における最もドイツ的景観をもち、日本ロマンの歌人、詩人たちが住み、または訪れていて作品を残している。
 『ロマンチック』というのは本当にロマンチックだ。一番、日本人を酔わせる最もロマンチックな言葉は、やっぱりロマンチックなのだろう。と、わけのわからぬ言葉になってしまった。ロマンチックという響とは裏腹に、辞書を引いて日本語化すると=[空想的な]や、[夢想家]という言葉がでてくる。あの有名なK辞典でさえもこれほどボキャヒンなのだ。それは、日本人そのものがボキャヒンだということだろうか。相手(カタカナ文化圏)は二十数字しか文字をもっていないというのに………。
 それはともかく、これでは、あまりいい言葉のようには聞こえない。洋画などの会話で「あなたってロマンチックな人なのね」と訳すのと「空想家なのね!」と訳すのでは全く意味が違ってしまう。

14p
■どうでもいいことだけど、ちょっとこだわってみました。『ロマン』か『ローマン』か?
 浪漫(ろーまん)。このワープロでは、[ろまん]と入力しても、ロマンとしか変換されない。では[ろーまん]では? これも[ローマン]で、浪漫とは変換されない。いったいどう入力したら変換してくれるの。
 編者が高校生のときの国語の授業中に、浪漫主義というのをロマン主義と読んだら、回りからブーイング、『ローマン』だろうと回りから問い詰められた。先生はというと、無言………つまりどっちでもいいだろう、というのが彼の解答だったが、本当はどうなのだろうか。
 『ロマン』を無理やり日本語化したものが浪漫という漢字なのだろうが、『ローマン』というと、ローマ風の、ローマ人のという意味合いもあるのでは………いろいろあちこち手を尽くして調べてみたが、釈然とはしなかった。どうやら『ローマン』と『ろうまん』は違うものらしい。

 宇都宮のろまんちっく村もろうまんちっく村にしてほしいよな。
ああ、ひがみっぽくなってしまった。


■上田ローマン橋はどうして、『ローマン』なのか、よく分からない。大きなアーチがローマン=ローマ風に優雅なのかも知れない。
 結局ローマンかロマンかよく分かりませんでした。でもローマンが正しいのなら、ロマンスもローマンスと言ってほしいよな。こだわりの一言でした。ロマンのほうすっきりしているし、浪漫だと冗漫みたいで、まどろっこしい。

ロマンチック街道
プロローグ
 鹿沼町の293線を通ると、その景観とは無関係にロマンチック街道と書かれた緑色の案内標識が目についた。何度か通るたびに、(いったい何なのだろうという)その好奇心は増えた。そして今年、こならの森はロマンチック街道を走破する。

 小諸市より軽井沢を越え、群馬県(内の)を通り、栃木県の日光までを結ぶ全長230@の街道をロマンチック街道と称するという。 他に小径=ガゼット(というのだそうだ)があり総延長350キロと、ドイツと同じキロ数になっている。

■上田市
 名前は聞いていても、観光地としては捕らえていない感じもあったのではないだろうか。

■嬬恋村と言えば、キャベツです
 高原地帯に来たというのに、標示板の気温は27度もある。どこまでいっても、やはり同じ。1500メートルくらいまで上がらないと、『高原』らしさはないのかもしれない。

■野反湖
 本ルートからは外れているらしいのだが、野反湖を目指す。日程的に、『時間押し』の状態なのだが、先を急ぐ。今までの台地、山間部と違った山岳路が続く。急にハンドルの切り角度が激しくなる。『ゲーセン』もどきのルートにトライ。タイヤが泣く。少々あきあきしてきたころに、湖畔に到着する。

 第一印象には、激しいものがあった。全く期待していなかったから………。しかし、それはすぐに裏切られる結果になった。でも、よく遠くを見てみると、ダムサイトが。なんと、これダム湖だったの。歴史を振り返ってみると。元は、野反池といわれる沼が点在していた湿原地帯だったとか。そのまま、湿原地帯として保存すれば第2の尾瀬と言われただろうに、何とも残念。高度成長期の申し子と言えないこともない。
 ロマンチック街道はカナダのメープル街道とも姉妹となっているが、カナダ旅行で出会った(名前は忘れてしまったが)湖のようであって、感動もひとしおだ。はっきり言って、群馬にもこんな所があるのか(失礼)と思ってしまう。信州なら突然こうした湖が現れても何とも思わなかったのだろうが………。

■嬬恋村
 実は、昨年の絵本美術館巡りの企画で、このルートは通っていた。長野原一帯のこの地区は、新潟や長野方面への単なる通過点で、その他の観光地のことは今まで全く頭になかった。しかし、本当はこんな『通過点』のルート越しに、いくつかの素晴らしいルートが隠れていたのだ。

■若山牧水の足跡をたずねて
暮坂峠
 『峠』とう国字を作ってしまうあたり、山河の多い島国であると思いさせられる。そして、それがまたロマンへとつながるのだろう。 放浪の詩人(旅人)が粗雑な格好で旅をつづけ、実際にこの峠を越えたのかと思うだけで、ジンとくるものがある。若山牧水や暮坂峠で詠んだ『枯れ野の旅』といったことを知らなかったとしても………。

■牧水会館、(旧大岩学校)
 大正11年、草津から沢渡温泉まで行く途中の10月20日に若山牧水が立ち寄っている。校庭には歌碑がある。また、毎年10月20日には牧水まつりが暮坂峠を会場にして行われる。

同年11月15日には、老神温泉で詠んだ歌の歌碑もある。

■吾妻渓谷
 平行するその下のルートが吾妻渓谷沿いのルート。しかし、この地区にダム建設の予定があって、景観美やルートの変更も将来的にはありそうである。

■ロックハート城
 中之条町から高山村を通るが、今までのルートと違ってひなびた感じが、本家の街道に近いかもしれない。そんな中山道に突如現れるのが、ロックハート城だ。
 ヨーロッパから移築復元された古城のほかバンジージャンプや博物館などもそなえるテーマパーク。

■沼田市
 関口コオきり絵美術館(入館大人300円、子ども100円、月曜休館)や、香りと石のミュージアム『香石館』、花とみつばちとの会話花みつばち館などみどころ、立ちよりどころがたくさん。
 変わった所では、沼田・月夜野・水上のインターチェンジで聞けるミニ・FM『FM OZE=76・5MHz』の日本ロマンチック街道情報だ。平日12:45~13:00

 白沢村から利根村、片品村へのルートは尾瀬をはじめこれからの季節、奥利根や丸沼などのスキー場へ向かうルートとしておなじみ。普通の道とあまり変わらない、どこにでもある『街道』であるので、『ここがロマンチック街道?なの』と疑ってしまう人も多いかも。しかしながら途中には東洋のナイアガラと言われる吹き割りの滝があったり、椎坂峠には、児童文学者で望郷の詩人と言われる「おのちゅうこう(1908~1990・白沢村生まれ)」の歌碑もある。

■白沢村・幸田露伴の文学碑
 日光の湯本から金精峠を越えて行く道すがらに出会った女性とのエピソードを綴った、『対髑髏』の一節が刻まれた幸田露伴の文学碑もある。

■利根村『ふきわれ俳句大会』
 なんと、特選3句は句碑となって『詩のこみち』に建立されるという快挙の句会。新しい俳句の歴史とロマンを作れるかも………

■結論
 ロマンあふれる街道に違いない。まだ、未整理な部分もあり、本格的なドライブコースとはなっていない。これからの整備が待たれるが、ドイツという国は、あの速度無制限の高速道路『アウトバーン』や、ベンツ、ポルシェといった車を搬出するいわば『自動車先進国』。どこまで、それらをお手本にできるのか、未知数でもある。 リゾートなんとかとか、バブルなんとかという空想や夢想に終わってほしくはないものだ。


こならの森137号

2008-05-11 | 101号~200号
       ■こならの森137号■1999.9発行

C・o・n・t・e・n・t・s
■こならの森10月号■

3pとしこの巻頭詩「いちじく」
4p-9p JC
10p ヤンバルお店紹介『ディズニー』
11p  結婚・誕生しました
12-16p たくみの里
17p 現代国語
20-21p 協賛店・MAP
22p 辛口映画評
23p 書評・絵本紹介
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から

■■■見本誌今はなし■■■

【本文抜粋記事】

ドライブガイド

@たくみの里
 わら細工、おめんの、竹細工などのほか陶芸や藍染めなどの手づくり体験ができる施設が19も点在している。ここは、三国街道の須川宿があったところ。道の真ん中には往時をしのばせる用水路が通っている。くるみの家、マッチ絵の家など思わずのぞいてみたくなるところばかり。一日いても飽きない空間だ。月曜から金曜までは休館となる施設もある。各施設とも連接しているので短時間にハシゴして歩ける。洒落た喫茶コーナーで一休み。お食事処や茶屋、おみやげもの店も充実している。須川宿資料館や須川正教会などもお見逃しなく。全体を見て歩くのには5、6キロほどの工程。野仏めぐりと併せると一日ゆっくりと散策ができる。

@野仏めぐり
 モデルコース(9体)にそって歩くと1時間半くらいで回れる。スタンプノートを買って各野仏のスタンプを集めるのも楽しい。記念品ももらえるゾ。
 たくみの里から群馬サイクルスポーツセンターへの道すがらの柳沼で、ガイドブックにも載っておらず、案内板もない双体道祖神を見つけた。こうしたことも、旅の楽しみのひとつだ。

@群馬サイクルスポーツセンター
 太田市にある『ぐんまこどもの国』の施設の一部の規模を拡大したようなセンター。自転車の種類も多く、コースも広いが料金は高め。変わり自転車などのスポーツを中心にしたテーマパークとしては楽しめそう。家族で競争したり、いろいろな乗り物にチャレンジするのもいい。
 近くの大峰山山麓には、日本有数の浮島で有名な大峰沼がある。上毛高原まで下る道は、狭くて急な山道となっているが、少しいくとタイムトンネルから抜け出して来たかと思うほど、視界が広がる。と、同時に下界の雑多な風景が現れて少しの間は、いったいどこへ来たのだろうかと思われるほどだ。

@散策スタート
 たくみの里総合案内所から付近の散策にスタート。すぐ近くにある第1番目の野仏の双体道祖神は必見だ。その右手が石画の家だが、今日は休館日。その隣をよく見てみると、なんと交番である。付近の建物と調和しているので、一見したのでは交番とはとても思えない造り。その早紀は下り坂となっている。途中まで下って引き返し、本街道へもどる。総合案内所の中に入って、案内マップをもらう。おみやけものがいっぱいある。近くには洒落たつくりの福寿茶屋がある。
 水路のあるメインストリートをゆくと道の両隣に手作り体験工房が並んでいる。右手には昔ながらの水車があった。故障中なのか回っていなかったのは残念。
 急須の家、くるみの家とまわり、マッチ絵の家へ。中に入ると、本当に小さなマッチ絵がたくさん飾ってある。喫茶も併設されているので一息つくのもよい。
 工房までの木々に囲まれたアプローチも、雰囲気があってなかなかいい。さらに木織の家、和紙の家と、藍染めの家と回る。どれも手作りの雰囲気が暖かく伝わってくる。ここまで急ぎ足に散策しても30分ほどしか、かからない。ちょうど榛名山などにある観光土手馬車がのどかに通りかかった。


こならの森136号

2008-05-11 | 101号~200号
       ■こならの森136号■1999.8発行

表紙 「高速夜景」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森9月号■

3pとしこの巻頭詩「とうもろこし」
4p-9p JCトーク・松永安優美さん
10pヤンバルお店紹介『 いおり』
11p 茂呂居さん夫妻 誕生しました
12-16p 伊香保
18-19p インタビュー/影澤
20-21p 協賛店・MAP
22p 辛口映画評「催眠」
23p 書評・絵本紹介
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から

■■■■■■

【本文抜粋記事】

ドライブガイド
伊香保

[ぐるっと散策、榛名山・伊香保温泉石段街]

 赤城山、榛名山というのは日光の男体山よりも近くにあり、身近な存在であると思われてきたので、今回のちょっと旅の企画に選んでみました。しかし、佐野から桐生までは国道50号が整備されてきたので早く行けますが、問題は『その先』です。先月号で紹介したように近年、テーマーパークや記念館、アート館、公園が軒並み、赤城や榛名山を囲むようにできたこともあって、渋滞が激しくなっています。
 また佐野市から向かうには、高速道路の利用もできず、かえって今では(高速道路を使って行く)男体山より時間がかかっているようです。
 しかし榛名、伊香保だけではなく周辺の観光スポットをいくつか回ると絶好の日帰りコースとなります。下手をすると一日では回り切れないほど。トリックアート館、ガラス美術館なども道すがらにあり利用しやすいコースかも知れません。

●上毛三山(妙義山・榛名山・赤城山)
 上毛三山のひとつ榛名山は榛名富士と榛名湖の回りを外輪山がめぐる二重式火山。大正初期までは、蒸気の噴き出す、スチームバス状の湯治場があり、旅館も4つほどあって、たいそうにぎわっていたという。また、多くの風穴があり中は冷蔵庫のような涼しさ。

●沼の原から木道のある散策道
(関東ふれあいの道)をゆく
 時間があれば榛名湖付近から温泉街までのハイキングをおすすめする。
 もう盛りを過ぎてしまっていたがニッコウキスゲの花が群落している。その先には榛名富士がそびえ立つ。梅雨明け後にもかかわらず、穏やかな気候汗もあまりかかず、ゆったりと回りの景色を楽しめる絶好の遊歩道となっている。また、このルートは関東ふれあいの道ともなっている。標高も最高で1200メートルと初心者向。《歩行時間3時間10分》

[昔なつかしい、独特な雰囲気]

●伊香保温泉・石段街
 長さ300メートル、360段。温泉街の中央にある石段には、与謝野晶子の詩が刻まれている。 一歩足を踏みだすと、どこか違った世界に迷い込んだような雰囲気が漂ってくる。昔なつかしい商店があったり、手作りのガラスショップなど雰囲気づくりに余念がない。温泉客のほかに付近を散策する観光客の姿も見かける。

●伊香保温泉
 温泉という言葉はなんとなくゆったりとくつろぐ場所というイメージだが、この街はまさしくその言葉のとおりである。
 温泉そのものは、2000年前に榛名山の二ッ岳が爆発したことにより湧出したといわれる。温泉街は400年前に作られた。江戸時代には三国街道の裏往還として賑わい、関所も置かれた。露天風呂も多くある。
《硫酸塩泉・温度45~66度、源泉6カ所》

●伊香保露天風呂●
 伊香保町伊香保甲湯元581-1
湯船の横に小さな脱衣所があるだけの素朴なもの。入浴料400円。

●文人たちの心のふるさと
 群馬の三大温泉。永井荷風、徳富蘆花などの文人たちが訪れ作品を残している。
・徳富蘆花
 明治の文豪。代表作の「不如帰(ホトトギス)」は伊香保で執筆され、その舞台となった伊香保温泉の名を全国に広めた。記念館は蘆花終焉の家で遺品などが展示されている。蘆花公園には、胸像、詩碑などがある。
・竹久夢二
 美人画で一世を風靡した画家。大正8年より伊香保を訪れ、数多くの作品をのこした。記念館にはその作品群が展示されている。

●万葉歌碑
 万葉集東歌の中に伊香保を詠んだ歌が九首あり、その歌碑が町内に点在する。また、水沢観音の裏手には、万葉植物130種を植えた植物園もある。


●竹久夢二伊香保記念館


 梅雨明けから本当に猛暑の連続。雨も降らず、夕立もない。編集室の西側には大きな窓があるので、西日のきつさはすごいが、榎の大木があるために多少はしのぎやすい。梅雨のときには、うっとうしく思えた木々だったが、今では清涼感いっぱいで見ているだけで暑さも和らぐようだ。
 夕刻、辺りの色が消え、葉っぱの輪郭の先に空が見える。そして日中とは違ったシルエットが展開する。
 樹木なんてあってあたり前、『自然』なんかじゃない。十代のころは、そんな考えがあたり前だったが、今はまた違った感覚で自然の変化を楽しめるようになった。暑いときも寒いときもまたいい。
 田舎で生まれて田舎で育って、今また田舎暮らしをしている。
 若いころは、都会暮らしにあこがれた。すべてがあった、あるいはすべてがあるだろうと思えたので、そこに向かったのだが、時代はもう都会ではない。
 よくあるたとえに、『北関東の田舎出身の〇〇氏は、………』というのがある。どういう人だろうと、想像を踏まえて次を読み進んでいくと、必ず『いなかっぺ』。最大に形容できても『東京ぼんた』のイメージだ。
 昔、四国へ行ったときに、地元の人から「ここは僻地だろ」といわれたことを思い出す。その後、四国にはたくさんの『橋』が架けられているが、それは反動であったのだろうか。
 広辞苑によると『僻地』とは自分の住む土地の謙譲語であるという。田舎生まれの私はその時、こう答えていた。「日本に僻地なんてありませんよ」


こならの森135号

2008-05-10 | 101号~200号
       ■こならの森135号■1999.7発行

表紙 「小中町」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森8月号■

3pとしこの巻頭詩「べにばな」
4p-7p とちぎとぐんま
8pヤンバルお店紹介『 イタリアンパスタマンジャーレ』
9p 高橋さん夫妻 誕生しました
10-11p インタビュー/ライオンズ
12-13p NAZA「2」
14-18p JC・ルネッサンス
19p 現代国語 たん
20-21p 協賛店・MAP
22p 辛口映画評「菊次郎の夏」
23p 書評・絵本紹介
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から
■■■■■■

【本文抜粋記事】

SFミステリー

NAZA報告 第2回 松本鬼三郎

 NAZA、その秘密基地は、亜空間にある。そしてその境界は、電磁波発生装置によって閉ざされている。ごくまれに、難破船や道を外れた登山家などが迷い込んだりすることがあるが、境界線にある管理局によってすみやかに排除される。
 今も境界線管理局のモニターに、赤く点滅する点が浮かび上がった。
 局員のアマリは、すぐに通信回線をひらいた。
 「管理局のアマリです。モニターが侵入者をとらえました。侵入者は一名。ただ、もうひとり、こちら側から外に向かっている者がいます。何物かは不明」
 「確認してくれ。俺は現場に向かう」
 「無茶はしないでくださいよ」
 「事の臨んで、臨機応変に判断し、最善の行動をとる。まかせておけって」
 「了解」
 そのころアキラは、強い想念にとらわれていた。何者かが、彼の意識に働きかけている。何かを語りかけようとしている。それは一種のテレパシーだろう。彼をその相手を確かめるために、施設を抜け出し、境界線へと向かう荒れ地を歩いていた。
 一時間も歩いただろうか。遠くに人影が見える。目指す相手に違いない。しかし、その姿はすぐに見えなくなった。荒れ地に霧が出てきた。霧はみるみる深くなった。アキラは、濃密な霧に包み込まれた。延ばした手が、まったく見えない。足場の悪い荒れ地で、これでは進むことができない。
 そのとき、霧の向こうから、不思議な声が聞こえてきた。霧の中から聞こえてくる声は、魔性のつぶやきのような響をもっていた。
 「こちらは管理局のアマリ。キリカと連絡をとった。侵入者は、テロリストに雇われた傭兵。登山者を装っているが、武装している。仔細は不明。すみやかに排除されたし。それからもうひとりは、アキラという訓練生。意識を操作されている模様。目を覚ましてやってください。以上。」
 「了解」
 声がとぎれた。
 アキラは自分の名前をよばれて、びっくりして辺りを見まわした。
 すぐ近くで、何かが動いている。大型のワゴン車のようだ。黒い影が動いている。静に、ゆっくりと、彼の方に向かってくる。一メートルほどに近づくと、霧が乱れて、黒い影がはっきりと見えてきた。それはワゴン車などではなかった。巨大な物体、しかも生物の東部だ。黒い鱗に覆われた皮膚、鼻面から伸びた長いひげは五メートルもあろうか。丸く濁った水晶のような目玉が、ぎょろりとこちらを向いた。頭頂部には、後方に伸びる二本の角と、たてがみのような金毛がなびいている。
 アキラは、ただ立ち尽くしていた。声が出ない。身体がすくんでいる。息さえできない。ただ目をあけて、なめらかに動く生き物の姿をみつめていた。
 「どうやら、目は覚めたようだな。」
 すぐ近くで、声がした。
 振りかえると、すぐ後ろに年配の男が立っていた。グレースーツに身をつつみ、手には飾り彫りのある大きなつえを握っている。
 「あなたは?」
 「竜のスデッキマスター。といっても、訓練生ではまだわからぬか。境界線の警備員といったところだ」
 「境界線の?」
 「そう。テロリストに雇われたスパイが入り込んだので、始末しにきた。お前は、そのスパイに操られていたんだ。おそらく精神波の共鳴音をたぐりよせてきたのだろう。精神感応は、注意しないと、つけいられる危険がある。覚えておくんだな」
 「はあ。ところで、いまの巨大な生物はなんですか?」
 「竜だよ。俺は竜使いでな。この杖は生体エネルギー増幅装置だ。これで竜を顕在化させ、思い通りに操ることができる」
 年配の男は、そう言って杖を高々と振り上げた。
 竜は頭をぐいっと持ち上げると、そのままするすると上空に上っていった。男が、杖を振り下ろす。竜の長く黒い影が、地面に向かって降下をはじめた。
 さきほど人影をみた場所だ。
 ピストルの発射音が、広野に響き渡る。それから男の悲鳴が、上空へと上がっていった。一陣の風が起こった。霧の切れ間から、天に昇っていく竜の姿が見えた。


こならの森134号

2008-05-10 | 101号~200号
       ■こならの森134号■1999.6発行

表紙 「花と蝶」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森7月号■

3pとしこの巻頭詩「つるばら」
4p-7pJC・ルネッサンス 蒲田 尚史
8pヤンバル・お店紹介
9p誕生しました 串田さん夫妻
10-11p NAZA「1」
12-18p 関東の駅百選
19p 現代国語 たみ 
20-21p 協賛店・MAP
22p 辛口映画評
23p 書評・絵本紹介
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から
■■■■■■

【本文抜粋記事】

JC・ルネッサンストーク 
(財)さわやか福祉財団 蒲田 尚史さんより、21世紀に向けてのNPO社会の創造についてお話をうかがいました。

■PROFILE@@@@@@
蒲田 尚史(かまだ なおふみ)
1947年 兵庫県生まれ。


~官から民へ~

@兵藤 最初に、さわやか福祉財団(理事長 堀田 力氏)についてお話いただけますか。
@蒲田 私どもは、新しいふれあい社会、つまり、昔から日本の持っている、お互い様で助け合おうという、ふれあいのある地域社会を目指しています。高齢者の方も、障害者の方も、子供も、皆が生活しやすいまちを作る。個性やプライバシーを尊重にするということが大前提になりますが。これが、究極の目標なんです。
@兵藤 具体的にどのような活動をされていますか。
@蒲田 高齢者問題を切り口として、新しいふれあい社会を作っていこうと考えて、活動をしています。その為に、ボランティアを奨励したりしています。私が行なっているのは、企業や組合等に対して、社会参加を呼びかけたり、あとでふれますボランティア団体への支援をお願いしたりしています。
 来年4月から介護保険制度が始まりますが、これが始まりますと日本の高齢者福祉は、公的介護保険制度の導入によって、今迄の措置福祉(行政が一方的にしてあげるという形)から、契約形態に変わります。中央から地方に、官から民にという動きも制度に反映されています。つまり、中央から地方というのは、保険の主体が市町村になるということ、官から民にというのは、実際に介護にあたる居宅サービス事業ですが、今迄は、行政が中心になって措置として行っていたが、これがなくなり、民間の社会福祉法人であれ、医療法人であれ、NPOであれ、民間企業であれ、いろいろなところが参入してきて、競争を行うようになる。ここに非常に大きな意味があります。 この介護保険制度自体は、そういった意味からも、画期的な制度なんです。さわやか福祉財団は、この制度をうまく機能させるために、いろいろな取り組みをしております。たとえば、ある高齢者が要介護認定を申請します。「あなたは保険の適用になりますよ。」と認められればよいですが、認められない方への対応、お弁当を届ける、病院へつれていくといった介護保険制度の対象外のサービス、更に心の交流といった性格上、保険制度に馴染まないサービス、こういった部分を充実していかないことには、介護保険制度がうまく機能しないというのが、我々の考え方です。介護保険制度は、行政が上手にやってください、さわやか福祉財団としては、制度の外の部分の充実を関係先に働きかけていきます。
 具体的にはどうするかと言いますと、ボランティア団体を、2005年迄に、大小含めて5千団体までに増やしていこうと考えています。現在、私が行っていることは、青年会議所や、企業の方達に、人、物、金、情報の面でボランティア団体を支援をしてくださいというお願いをすることなんですね。
@兵藤 他にどのような取組みをされていますか。
@蒲田 もう1つ大事な取組みに、子どもの心の教育の問題があります。21世紀は、 少子高齢社会、2015年には、4人に1人は高齢者が占めるようになります。今、小さな子ども達には、ふれあい体験というものが不足しております。
 家庭の中だけで、そのまま育ってしまう。ふれあい体験や、社会体験がないために、いじめの問題などがでてきている。そういう意味で子ども達に、ふれあい体験をさせてあげたい。どのように体験させるかというと、小学校、中学校の子供達に、社会貢献教育ということで、学校教育の中で教え、実践をさせる。その一環として、ふれあい体験、たとえば商店街にお願いして、子供達を3日位預かってもらい、見学ではなく、商品を棚に乗せたり、レジでお金を計算したり、掃除のお手伝いをしたりという体験をさせてあげる、というようなことを考えております。
 子供の教育の場には、家庭、学校、地域とありますが、地域の教育力をいかに学校の教育の場に持ち込むかということ、あくまでも先生方が主人公です。昔からの地域の歴史に詳しい人を学校に呼んで話をしてもらったり、環境問題に詳しい人に話をしてもらったり、というように学校以外の人達にも話をしてもらう。あるいは、学校での情報教育に、先生だけでなく、地域の中でパソコンを使える高齢者の方達に、先生達のサポートをしてもらいながら勉強をするというようなことも考えいます。このような取り組みが、ふれあいのある地域社会づくりに繋がっていくものと考えています。

~ボランティア意識の違い~

@兵藤 私も、最近、ようやくNPO、自己責任という言葉が自然に頭に入ってくるようになりましたが、蒲田さんが取組まれてこられた活動当初と、最近の活動との中で、どのような変化にお気づきでしょうか。
@蒲田 福祉に取り組むNPOといえば、まずは、全国各市町村に社会福祉協議会があります。一般の方は、行政の延長であると思われがちですが、実は純粋な民間団体なのです。もっとも、一般の方がそう思うのにはそれなりの理由はあるのです。
 実は、一昨年あたりから、社会福祉の基礎構造改革といったことが厚生省の審議会で論議されはじめ、昨年の夏には中間報告が出されました。これに伴い、社会福祉協議会も大きく変貌するだろうと思われます。 一方、企業の考え方は、大分変わってきました。ただ、個人レベルでアンケートをとりますと、アメリカなどでは、月曜日から金曜日までは利益を上げることに必死になっておりますが、せめて土、日曜日はボランティアをすることで命の洗濯をしたい、という考え方です。日本の場合は、月曜日から金曜日までは、アメリカと同じように利益を上げることに必死になっているが、せめて土、日曜日は家でゆっくりしたい、こういった考え方の違いがありますね。これは急には変わらない。

~権利を獲得するために~

@兵藤 昨年暮れ、議員立法によりNPO法が施行されました。まだまだこの法律への理解は薄いように思われますが、蒲田さんは、この現状をどのようにお考えでしょうか。
@蒲田 NPO団体としての申請が、2月末時点で330位でています。NPO法ができたのは、やはり市民の力だと思っています。税制上の優遇措置は明らかにされていませんが、法人格を持つことによって、たくさんのメリットがあります。また、附則で、3年以内に見直すことになっていますが、この3年間が勝負になると思っております。その為には、できるだけ多くの団体が、認証を受けて、どんどん良い活動をして欲しい。団体によっては、税制の優遇措置がでてから認証を取ろうとしている団体もありますが、これは本末転倒であり、自分達で作り上げて行かねばならない。
 日本の法律は、ドイツ、フランス法をベースに作られておりますが、今回のNPO法は、考え方が英米法に近く、市民の力がベースとなって作られております。ですから、みんなでこれだけの良い活動をしているのだから、税制面での優遇措置を考えて欲しい、と言っていかなければいけない。その相手は、官なんですね。
@兵藤 そうですね。どんどん良い活動をし、私達の権利を勝ち取って行くことが民主主義でしょうか。
@蒲田 阪神大震災において、100人の人がいて、パンが50個しかない、といった状況で、行政では配ることが出来ない。しかし、ボランティアの人達は、その場所へ行って配れるんですね。こういったことから、行政で実現できない公益がある、ということがそこで実証された訳ですね。これは、一つの大きな流れになっています。 一昨年12月に、政府の行政改革会議最終報告の中に、公共性の空間は、官の独占物ではない、と趣旨のことが、政府の公式文書にきちっと謳われました。これは、非常に画期的なことですね。ですから、公益を実現する主体としては、当然、ボランティアセクターが入ってくるわけですね。我々が税金を払っているということは、税金で道路を造る、橋を造る、公民館を造るなどがありますが、やはり、良いまちにして欲しい、公益を実現して欲しいからですね。公益を実現する主体に税金を使うことは、当然ですよね。社会福祉法人や行政にお金をだすと、所得税控除があります。
 ところが、たとえば他の良い活動をしている団体に寄付しても、一部を除き、税制面での優遇措置は何もないですね。そこが公益を実現している団体であれば、税金の分もそこに寄付しても良いはずですね。その為には、多くの団体が良い活動をしていかなければいけない。
@兵藤 私達はボランティアやNPOを巻き込んで人、物、情報、金が循環するセンター機能を作ろうと意見交換を進めておりますが、ある方のお話で、「ボランティア社会は、縦社会ではなく、横社会の繋がりがボランティア社会になっていますが、組織を作ると言うことには、特定のそういったイメージが出来てしまうのでいやだ。」という発言がありましたが……
@蒲田 それは、非常に大事なことですね。NPOの申請をしない団体は、ボランティア団体ではないといった風潮も一部には見られます。NPO申請をし、法人格を取った人達が集まって、法人格を取っていない人達を下に見るようなこともあるのかとは思いますが、これはとんでもない話ですね。そういう団体も非常に大事です。しかも、法人格を取った団体と、取らない団体は、横並びです。上下はありません。
 今、兵藤さんが言われた、組織ができるということは、組織の規律である程度の縛られる部分がでてきます。自由な活動をしているある個人が、組織の中に入ることによって自由度は減っていくということと、自分の理念が組織を通じ、よりダイナミックな形で実現できるということの接点を見いだすかなんですね。自分の理念が実現できるということが大きければ、組織に入っていくでしょう。
 しかし、そうでない方もいます。これは、強制はできません。逆に言うとNPOは、出来るだけ縛りをかけないで、自由な活動の出来る組織にすることが必要なんですね。それから、NPOの申請で言うならば、今の一番の問題は、都道府県の窓口の方達には、今迄このような経験がないですから、ある程度は仕方のないことですが、役所の対応ですね。昔からある許可スタイル、許可主義の時代の手続きの対応を行う訳です。認証というのは、認可、要するに、法に準拠していれば自動的に認められることになっております。窓口の方達には、そういう意識がない方も多い。ですから、そこで問題が起こる。これを急に変えることはなかなか難しいですが、行政の方達にもNPOの精神を解っていただきたいですね。
@兵藤そうですね。NPO活動を通して、皆さんとNPO精神を広めていきたいですね。
 本日は、お忙しい中ありがとうございました。
 (注)NPOとは、「非営利市民活動」のことです。市民が主役になる仕組み、心の豊かさを実感できる仕組み、明るい未来の扉を開く仕組みとして、社会システムの中心となるものです。 
 NPOとは、行政から独立して、利益を追求することなく、市民が自発的に社会に対してサービスを提供する市民組織・団体のことです。
 NPOとは、社会に提供したり、市民・企業・行政のパートナーシップを生かしたり、情報を積極的に公開していくことで、ゆるやかに市民
が中心の社会を実現していくシステムです。