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東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森133号

2008-05-09 | 101号~200号
       ■こならの森133号■1999.5発行

表紙 「こならの若芽」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森6月号■

3p としこの巻頭詩「かたつむり」
4p-7p JC・ルネッサンス 
8p ヤンバル・お店紹介『ホップの森 』
9p 誕生しました 萩原忠之さん&みゆきさん
10-11p ショート「謎」
12-13p 駅舎問題
14-18p 特集 行楽情報
19p 現代国語 たま 
20-21p 協賛店・MAP
22p 辛口映画評「 」
23p 書評「 」・絵本紹介「 」
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から「春も本番~」

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【本文抜粋記事】

JC・ルネッサンストーク

とちのみ学園長 高沢 茂夫さんより、21世紀を迎えようとしている今、福祉と地域とのかかわりあい、福祉のこれからについて、お話をうかがいました。

■PROFILE
高澤 茂夫(たかざわ しげお)
1949年 佐野市生まれ。

~福祉の専門性を追求していく~

・兵藤 最初に、とちのみ学園についてお話ください。
・高澤 とちのみ学園は、現在、知的障害者更正施設で定員80名の全寮制の施設です。開園は、昭和34年、知的障害児施設として発足し、昨年、40周年を迎えました。栃木県内では、3番目に歴史のある施設となっております。当時は、障害者に対しての理解も少なく、開設者は大分ご苦労されたと聞いております。施設も時代のニーズによって少しずつ変化しておりまして、昭和30年代になると、知的障害児、成人施設とできてきました。しかし、社会の高度化、生活レベルのUPなどにより養護施設の役割が見直され、児童施設も、養護学校が確立し、また施設に対する親達の考え方の変化、それに加えて少子化も関係し、全国的には定員割れを起こした施設も出てきました。
 この学園も40年近く児童の施設として運営してきましたが、この問題の他に入所児童の重度化、滞留化の問題が起きまして入所している方達の入れ替え、すなわち、回転が減ってきました。20年位前ですと、成人になれば親元に帰るか、成人の施設にいくか、或いは社会人として自立するという形でしたが、実社会へ自立していく人達は、年々少なくなり、卒園をすると代わりに重度の人が入所してくる。成人の施設はどうかというと、家庭でも受け入れられないという理由で、20歳迄しかいられない児童施設に、40歳を越える人達がでてきて、平均年齢も上がってしまいました。
 実質的には成人施設と同じになってしまった、また、施設内を活性化させる事もあり、建物を改築したのを契機に2年前に成人の施設に移行しまして、現在に至っております。現在、80名の利用者の内、71名が重度認定を受けた重度者です。
・兵藤 とちのみ学園ができた頃のからの時代背景をお聞きしましたが、現状の問題点についてお話ください。
・高澤 福祉の分野にも、大きな変化が起こっています。1つには民間企業が参入し、競争の原理が働いてくる。そういう中で、「福祉の専門性とはなにか?」という事についてあらためて考えなければならない。福祉の専門性を追求する訳ですが、それ以前にフィロソフィーの問題、自分なりの哲学、人生観を持っていなければこれからは勤まらないと思っております。二つめの問題点として、労働時間短縮の問題があります。こういう施設というのは、どうしても時間短縮が難しい。人を扱う仕事であり、全寮制で24時間お世話しなければなりませんから、時間短縮を行うと、どうしても手薄になってしまう。時間短縮されて手薄になった部分をどのように補っていくかということも大きな問題です。そこで、NPOやボランティアの必要性がでてくる訳です。その中には、とちのみ学園として、どのようにボランティアを育成していくかという事があり、それがとちのみ学園だけですとなかなかボランティアが育成できないので、一番良いのは地域をあげてのボランティア組織の構築になります。そういうものに我々も援助もしていかなければいけないし、逆に援助をしてもらう、ということになります。
・兵藤 互いが違いを認め合いながら、互いの善意が生かされる地域社会を私たちも創っていきたいと思います。
~21世紀への大きな変革の波~
・兵藤 今、ビッグバンといわれるように、世の中の仕組みが大きく変わってきていますが、福祉の分野において、今後、変化していくだろうと思われることにはどんなことがありますか。
・高澤 今、まさに福祉にもビッグバンが始まっております。福祉というものは、弱者救済という考え方から始まっていますから、その心は、当然、永遠に変わらないとは思いますが、ややもすると「やってあげる」という意識、イメージが強いようですが、これからは、そんな考えではやっていけませんね。福祉施設も転換期にきております。まずは、介護保険の導入に伴って、大きく措置という考え方、形態が変わってきます。知的障害の施設もいずれ同じように変わるということになるでしょう。形態が変わるということは、今後は個人対個人の問題になってくる。要するに、「あなたは弱者であるからここに行きなさい、お金は出すから」と上から与えられる形態から、「自分で選んでここに来ます、ですから私にこれだけのサービスをしなさい」という形態になってきます。自己決定であり、自己で責任を持つということが、大きな変化かと思います。これからの施設というのは、まず、お互いが対等である、ということが前面に出てくると思われます。
・兵藤 どのようにでしょうか。
・高澤 措置制度が廃止され、契約制になります。しかし、障害を持った人達が対象ですから、それらの下支えがなければ機能しませんね。下支えとなる権利保障としてのアドボカシーサービス(代弁サービス)が必要となってきますし、その一つに成年後見制度という新しい制度ができました。いくら対等だからといっても、知的に障害がある人や、痴呆性老人の方達は正当な契約が出来るのか、というような問題がある。民法の中で禁治産者、準禁治産者制度というのがあります。この人達は意志決定が難しいとされ、強制的に後見人や代理人がいて、この人の財産などについても自分では勝手に出来ないという状況があります。それらを踏まえた上で、幅をもう少し広げて、お互い対等な立場でいくという流れの中で、介護保険と同時に成年後見制度も法制化されてスタートされるということになります。
後見人には、法的な後見人と契約上の後見人という2種類がありますが、すべて契約というもので成り立っています。施設を選ぶ、サービスを選ぶなど。たとえば、この人に合ったサービスは何なのかということを、対象者と後見人が話し合いながら選び、契約を交わし、その後、適正なサービスができているかどうかを後見人がチェックをする、という制度に変わってきます。では、お金がない、解らないという人はどうなのかとなりますと、契約された後見人ではなく、法的に制度として後見人をつけることができるようになります。自分で選んだ後見人や、法的な後見人が十分な働きをしていない場合には、やめさせることもできます。後見人は、法務省の管轄になりますが、それとは別に、厚生省の管轄で、地域福祉権利擁護事業制度という、日常的な身の回りのお世話をしてあげる制度もスタートします。ですから、2つの制度が同時にスタートすると思われます。その制度の中には、後見人や、世話人が適正な働きをしているかという検査をする機関を作りまして、弁護士や医者や福祉士などの専門性を持った後見監査人といわれる方たちが、総合的な判断をし、罷免にすることもできるようになります。後見監査人については、現在、弁護士会等でもやろうということで動いているようです。 
・兵藤 人の人としての根源を見つめ直すこととなりますね。
・高澤 そうですね。「対等な立場」を維持するということが、21世紀の福祉施設の流れになると思います。ある意味では厳しく、また、ある意味ではあたりまえのことですね。施設として考えると、民間企業も参入してきますし、競争原理、市場原理の導入があります。そんな中で、我々としては、ヒューマンサービス業として、徹底して利用者の要求に沿ったサービスの提供を一人一人が考えていかなければいけないと思っております。また、情報の開示ということも重要になります。それは、どの程度のサービスがこの施設にあるのか、どういった財務管理がされているのかなどについても、施設を選ぶ場合には必要な情報となります。ですから、我々の学園でもインターネットなどを使用して、こういったサービスをしていますというようなことを公開する事が最低の条件になると思います。アメリカなどでは既にそういった状況になっています。福祉関係の職員も、もともと善意の心を持っているからこのような施設に就職するわけですから、そういった心はあたりまえのことですね。前にも述べましたフィロソフィーにも関係しますが、根本にある人間性をどう考えるか、或いは、人権感覚をどう捉えるか。そういう人こそが施設に入らなければダメになってしまう。ゆくゆくはサービスの低下になり、潰れていくということですね。~地域住民との福祉の輪を広げたい~
・兵藤 施設を利用する側の意識の変化を何かお感じですか。また、知的障害者の方達に地域住民が接している状況を見て、園長先生はどう感じていらっしゃいますか。・高澤 知的に障害を持った方の大半は、出産前後に何らかの要因により障害が出たと言われてますが、昔は、家族に障害を持っている人がいると恥であり、表には出さない。また、施設に入所したとすると、出来るだけ遠い所という考えがあったようです。ここ15年位前からは施設にいられるのであればなるべく近い場所を、また、親が元気な内は手元に置いておきたいという考え方に変わってきております。我々のような学園には入所させないで、手元に置いて養護学校に通わせる、ゆくゆくは入所の施設にお願いしたい、というように親達の考え方が変わってきております。
 施設の人達も、在宅の人達も、ひとりの地域住民でありますから、皆で支え合っていかなければいけない、という考え方が必要かと思います。まだまだ浸透したかということについては疑問がありますが、それが、ノーマライゼーションの理念でもあると思います。(若者ばかりの世の中は、非常に活発かもしれないが、普通の社会とは言えない。社会には、子供もいる、赤ちゃんもいる、老人も数パーセントいるのが普通です。一定の率でいろいろな人が存在して社会を形成していることが、ノーマルな社会ですね。その中に障害者もいる―それが地域社会というものです。)ですから、私達が地域で暮らしていく為にはどういうことをしなければいけないのか、どういうことをしてもらいたいのか。健常者も障害者も同じなんですね。障害を持った人達が地域で暮らしていく為に、我々も特に意識なく接し、援助することが必要かと思います。 地域というものに対して、いかに我々がお手伝いをしていくのかということが問われますし、施設のこれからの課題でもあります。そういったことが地域の流れかと思います。今迄施設は、利用している人達の生命の保障、健康の維持、安全しか考えていなかった。今後はそうではなく、健常者も含めた地域の人達と共にいかに幸せに暮らすか、人作りの中で我々のするべき事は何か、障害を持った人も成すべき事は何かということについて、もっと地域の人達も交えて考えていかなければいけないと思います。
・兵藤 具体的な取り組みについてお聞かせ下さい。
・高澤 この4月12日からレスパイトケアということで、障害児の学童保育を始めました。これは、地域の障害を持った学童保育として考えた場合には、保護者の方達が、一日中、大変な苦労をされていますから、一時、預けることで休息をしてもらいましょうということが、レスパイトの主旨となっております。さらに、子供達にも情緒の安定と創造性を育ててもらおうということで始めました。これは、佐野地区だけではなく、安佐地区が対象となっております。この事業が定着しますと、ここを核として、衛星のように各所にグループホームを作っていく。グループホームとは、障害者の下宿のようなものですが、地域の2~6人位でアパートとして暮らし、我々がサポートをしていくということを考えています。当然、我々が援助をするけれども、我々の援助だけではどうにもならないので、より身近にかかわる町内の方や近所の方にも目を向けていただく、しかし、逆に彼らも、隣近所の人達に対し、お手伝いをしますよと。そして、少しずつ福祉の輪が広がっていくというように、1~2年後には作っていきたいと考えています。それから、人に優しい町づくりを推進していこうということで研修会なども参加をしておりますし、我々はソフト面を充実させたいと思っております。
・兵藤 最近、「五体不満足」の著者乙武さんがテレビに出演していたり、いろいろ話題になっていますが、彼の、「目の悪い人は眼鏡をかけていますが、足の悪い人が車椅子に乗るということと同じではないか。」「一部をとって、そこがみんなと違うからといって線を引く社会は、違っているのではないか。」という言葉を聞きましたが、彼が爽やかにブラウン管に映る社会は、以前から比べると変わってきているんだなと感じますね。
・高澤 障害を持った人達に対して健常者が意識を持つようになったことは、彼の貢献も大きいと思います。
 彼も福祉全体の質を上げる目的で出演している面もあると思うので、大いに出演し
てもらって、全体のレベルを上げていくということは良いことだと思います。やはり、福祉も経済情勢によって変わってきますので、一時、景気の良かった頃などは福祉に対して、社員教育として少しボランティアをしましょうというような芽が出てきまして、現に問い合わせもいくつかありましたが、昨今の景気の悪化によってそれどころではなくなってしまいました。しかし、個人個人の芽生えというものは、何となく感じることができますね。私共も以前よりも利用者と共に施設外に出るようにしていますが、手をさしのべてくれるまではいきませんが、目に見えて笑顔で迎えてくれる人が多くなりましたね。これからは、そのあたりも力を入れていかなければいけないと思っています。
 ただ、子供の頃からの教育も大きなウェイトを占めると思っております。私共の学園は、赤見幼稚園や旗川保育園の子供達が来てくれておりますが、いつも仲良く一緒に遊んでくれていますね。一度でも学園に入所している人達に接する事があると、あまり抵抗がなくなりますね。先入観がない分だけ早いですね。やはり、子供の心の教育は必要なのかと思います。・兵藤 私たちも歯科検診などで、園児と触れ合う機会がありますが、大変勉強になります。地域との関わり合いの中で、NPOどうしのネットワークが必要かと思い、本年、NPOサポートセンター設立に向け活動しています。
 こちらの学園のような施設どうしの、ネットワークはあるのですか。たとえば、県内外などでの横のつながりなどがあると協力し合えると思うのですが。
・高澤 県外の施設との交流は、それ程はありませんね。私共のような知的障害者の施設が集まって、愛護協会という組織を作っております。これは全国的な組織ですが、県内の施設も、現在は50を超えた施設が加入しております。事務局は、県社協内にありますが、加入施設間の交流や勉強会などは時々行っております。特に近隣の施設は行事などの交流や情報交換などはお互いに協力し合っておりますが、ネットワークとなると、まだまだですね。学園は、平成13年目標に障害者支援センターの機能を持たせた通所施設を建設する予定で準備をしておりますが、それらネットワーク作りには支援センターが軸になるものと思います。期待してください。また、ネットワークをうまく作動させる為にも、先程触れましたボランティアの育成は大事なことだと思います。今、佐野青年会議所ですすめているNPOサポートセンター設立などにも、我々は期待をしています。NPOという仕事にもいろいろな分野があるかと思いますが、これからは、安佐、あるいは両毛圏というエリアを意識して、いかに貢献できるかを私共も考えなければいけないと思いますし、NPOが潤滑油的な役割を担ってもらうような行政と、施設の中にNPOの組織が入ってくればうまく流れるなと思っています。
・兵藤 今日は、お忙しい中、ありがとうございました。




こならの森132号

2008-05-08 | 101号~200号
       ■こならの森132号■1999.4発行

表紙 「バスタブ花」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森5月号■

3pとしこの巻頭詩「ぼたん」
4p-7pJC・ルネッサンス 寺澤 芳男
8pヤンバル・お店紹介『あんず亭三楽 』
9p誕生しました 金原さん夫妻
10-11p ショート「花」
12-19p 特集 みかも山公園
20-21p 協賛店・MAP
22p 辛口映画評「ガメラ3」
23p 書評「官僚…」・絵本紹介「おしゃべりな…」
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から「食材」

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【本文抜粋記事】
JC・ルネッサンストーク
 寺澤 芳男さん

■PROFILE
寺澤 芳男(てらさわ よしお)
1931年 佐野市生まれ。
1988年 日本の民間人として初めて国
際機関、MIGA(世界銀行傘下の多数国間投資保証機構)の
初代長官に就任。
1994年 羽田内閣において国務大臣・経済企画庁長官に就任。
1997年 外務委員長、環境特別委員、

寺澤 芳男氏より、ひとのアイデンティティについてグローバルな視点からお話をいただきました。

~日本はまだ発展途上国~

@兵藤 ビッグバンは単なる金融再編ではなく、今ある全てのものの再編であるとお話されていました寺澤さんですが、佐野を離れ、日本を離れ、多くの時間を外から眺め、考える時間があったかと思いますが、外から見た日本をどのように捉えられていますでしょうか。
@寺澤 私は、22年間アメリカにいましたが、地方分権があたりまえです。まず、自分の住んでいる地域があって、それがどの州に属しているかが重要です。極論を言うと政府というのはない方が良いと思われている。しかし、一つの国家を形成しているわけですから、軍隊、郵便や外交などは、必要とされています。そういう国に22年間も住んでしまったので、日本に帰ってくると逆カルチャーショックを受けるんですね。日本からアメリカへ行ったときは、カルチャーショックを受けて、そこに住み慣れて、日本に帰ってくるとまたカルチャーショックを受けるんです。
@兵藤 どんなところに感じるのでしょうか。
@寺澤 日本は発展途上国的なところがまだ非常に残っているんですね。本当に日本が発展途上国であれば致し方ないが、アメリカを凌ぐような一人当たりの所得があり、しかもアメリカに次いでナンバー2の経済大国になり、どの点から見ても先進国であるにもかかわらず、国の形としては発展途上国である。ということは、やはり、ビッグガバメントであり、3割自治なんでしょうね。税金は全部中央政府に集められ、それを地方に分配する。すべて政府が中心になっていて、その不足分を地方がまかなうという形なんですね。
@兵藤 まだまだ地域の自立ができていない。言葉を変えれば個人の自立ができていないからでしょうか。ところで、寺澤さんは最近出版された著書の中で、「私には祖国愛がない」といったことをお書きになっておりますが、日本人としてのアイデンティティーといったことについてお話いただけますでしょうか。
@寺澤 私は、佐野で育って1945年(昭和20年)の戦争が終わる前の年に当時の栃木県立佐野中学校に入ったわけですね。そして、昭和20年に2年生になり、その年の8月15日が終戦だったんですが、それで私が感じたことは今まで日本のために死ねと言っていた大人達が豹変して民主主義と言い出したんですね。私は14歳の少年で、良く訳が分からなかったですが、いったい日本というのは何だったのか、神国日本といわれ、神の国だから絶対戦争に負けるはずがない、最後まで戦うんだという教育であったものがいきなり変わった。思春期にあった我々には大人達の変わりかたというのは非常にショックを受けました。
@兵藤 いやな国だなという印象を強く受けたわけですね。
@寺澤 その後、早稲田大学に入って一人の教授が、「俺達が悪かった。俺達が体を張ってでもああいうバカな戦争は阻止すべきであった。一部のグループの連中が牛耳っていた政府に楯突くこともできず、ああいう悲惨な戦争に突入してしまったんだ。」という反省の弁を聞きましたが、その教授一人くらいであとはほとんどアメリカ様々、民主主義、本当にものすごい変わり様、何だこの国はと感じ、そこに日本国に対する不信というのが私の場合は根付いたんですね。
@兵藤 他に当時のことはなにかありますか。
@寺澤 当時は、今と違って相当優秀な子供で、もっと上の学校で勉強したいと本人も思い、それだけの実力があっても、中学だけで就職してしまう子供がたくさんいました。「どうして裕福な家の子供しか上の学校に行けないのか。なぜ、裕福でない人達は行きたいのに進学をやめなければならないのだろうか。」と私は悩みました。今考えると「どうしてアルバイトをしないのか。」など考えますが、その当時はそういう状況にありました。だからといって「アメリカが良い」というまでの考えには及びませんでしたが、貧しい人達と裕福な人達の隔たりとか、戦争中の大人達が戦後豹変した生きざまなど、日本に対するショッキングな経験をしました。
@兵藤 大変な時代だったわけですね。
@寺澤 それからアメリカへ渡って、ワシントンのホワイトハウスの前の広場に寝ころんでいた時、この美しい情景が自分の祖国であったなら、この美しい国に侵入してこようとする他国があったら、侵入者に対して自ら美しい祖国を守るために戦うかもしれないというような意外なことを考えていました。「どうして日本にいたときにこの美しい国を守ろうとしなかったのか、自分は日本人ではないのか」とまた悩む事になりました。
@兵藤 悩み多き青春時代だったわけですね。
@寺澤 今、アメリカ人、フランス人などがアメリカ人的な考え方、あるいはフランス人的な考え方ということを容認して、むしろ容認どころかアイデンティティーとして他の国に対して誇らしそうに、フレンチなんだ、アメリカンなんだというのと同じように、ジャパニーズなんだというのが私の場合、素直に言えない。その辺の心の傷というものを、私達の年代の人達は皆持っていると思います。
@兵藤 私は、「プライベート ライアン」などのアメリカ映画を見る時、国への忠誠や国民としての誇りをかきたてられる国民性をうらやましく思います。今、私達は、あまりにも自分自身に自信がないからでしょうか。外国人から質問をされた時、ほとんどの人たちが答えることができません。単に外国語が話せないのではなく、自分自身の考え方のベース、アイデンティティーが失われているので、答えられないのでしょう。ですからそういったベースの部分を取り戻すことが必要ではないかと思います。

~改革は「スクラップ・アンド・ビルド」~

@寺澤 私は野村證券退職後、あるきっかけで世界銀行の姉妹機関であるMIGA(多数国間投資保証機関)の初代長官としてまたワシントンに赴任しました。この機関は発展途上国の経済開発の仕事をしていますが、一證券会社の利益の追求ためにという仕事とは私の生活もまるっきり変わってきたんですね。初めて発展途上国に旅行もしました。そこから私の世界観が変わってきました。
@兵藤 どのようにでしょうか。
@寺澤 簡単に言うと、65億人位地球上に人間がいて、発展途上国が55億人位、先進国が10億人位、これから20年位経つと100億人位になると思います。こうなると発展途上国が益々増えて、もうドイツなどは人口が減少してきておりますし、日本もあと十数年後には減り始めます。そうなりますと100億人の内、8億人が先進国で、92億人が発展途上国になるんですね。そうなった場合に南北問題というのが非常に大きくなってくると思います。それから環境問題。この問題は、それぞれの国家が言い合いをしているようでは解決はされないと思います。発展途上国は経済発展を考えますし、先進国は環境を考えますので、そこでどうしても合わない。また、安全保障の問題ですね。
 そういうことを考えますと、私は「世界連邦」というのをどこかの時点で人間の英知を集めて作っていかなければいけないと思います。ヨーロッパの通貨がユーロという単位で統一されましたが、あのように地域地域で統一国家ができてきて、それが最終的に世界連邦となるのかは別として、そのようにならないと国家間の様々な問題は解決できないのではないかという思いが強くあります。
@兵藤 青年会議所では、地球市民(国境を越え、地球益を目指した市民)を唱えておりますが、持続可能な社会の実現には必ずこのような考え方が必要になってくると思われます。
@寺澤 私は、国会議員の生活を6年してきましたが、政治家の限界を非常に感じました。これは政治家になる前から考えていたことですが、政治家は、日本の衆議院議員でも参議院議員でも、アメリカの上院議員や下院議員でもまったく同じで、常に考えるのは選挙人の事であり、輪を広げたとしてもその国の事ですよね。本当に人類のことや地球のことを考えている政治家も、うったえても票になりませんから、語ろうとしません。はたして、国のことや選挙区のことしか考えない政治家達に政治をまかせて、いったいどうなるのだろう。前から思っていた素朴な疑問を、国会議員を経験した後も強烈に考えています。
@兵藤 それが現実なのでしょうか。
@寺澤 しかし、多国籍企業の経営者達は、製品を販売するにも、4分の1は日本国内ですが、後の4分の3は日本以外で販売していますし、株主も日本の株主よりも外国人の方が多いかもしれない。こうなってくると、好むと好まざるとに関わらず、インターナショナルな経営方針をとらなければいけない。ですから、経済人の方が、政治家よりもグローバルな物の考え方をしていると思います。
@兵藤 グローバルな考え方に変えるのは時間が必要なのでしょうか。
@寺澤 変革というのが日本の場合、非常に難しい。今まで、ペリーが来航して、開国を迫ったとか、戦争で負けて国が変わったというような、外圧がきっかけになっているんですね。
 今後、日本が大きく変わるためには、また外圧が必要なのか。国民の内意で変えられるのが理想ですが、日本の場合はそれが難しい。そういった悩みが私にもあります。それから、私達が死んだ後、我々の子供達、孫達がはたしてこの日本をどうするのかということも考えますね。どちらかといえば、明るい絵よりも暗い絵になってしまって、そんな優秀な日本人が存続する限りにおいては、けっしてそんな暗い絵を思い描く必要はないんだと自分には言い聞かせてはいますがね。


@兵藤 いずれ大きな変化が必要なのはどなたも考えることでしょう。しかし、今、その変化を起こさないと、取り返しがつかなくなるような気がしてなりません。
@寺澤 永田町の政治家もさることながら、国民一人一人が「自分が痛い目にあうのはまっぴらだ、自分が痛い目にあわない範囲での改革であれば賛成である。」というのは、当然、そうでしょう。改革というのは、「スクラップ・アンド・ビルド」ですね。スクラップということは壊すということですから、すべてを壊さなければいけない。良いところはとっておいて、悪いところだけを壊すという意見は非常に説得力があり、皆が賛成するでしょう。しかし、壊すということは全ての物を壊して新しい物をビルドすることしかできないですね。そこが難しい事であり、良いところと悪いところを足して2で割るということもしますが、それも、説得力のある考え方ではあるが、実際問題としてはできない。
 その辺も私は思うんですが、それがジレンマというか、日本国全体を考えた場合に私の憂鬱の元になっているのですね。

~市町村合併と経済圏~

@兵藤 最後になりますが、佐野青年会議所では、一昨年、合併協議会の設置の署名活動を行いまして、住民の約2割の方々の署名をいただきました。そして、昨年の4月に合併協議会が正式に立ち上がりました。実際に合併協議会が設置されてしまいますと住民側からは協議会にゲタをあずけてしまったんだということからか、ここにきて自分事という意識が少し薄れてきているように思えるんですね。そういった感情を高めていくことは非常に難しいことなのですが、なにかお考えがありましたらお願いします。
@寺澤 全国で地方自治体が3300位ありますよね。その行政区域一つ一つに文化会館があり、公民館があり、役所等がありますから、たとえば、企業のリストラのような考え方で合理的に考えれば、数を少なくしてお金を効果的に使う。それによって、行政の費用を安く押さえることができる、というような大きな流れのメガトレンドはあるんですよね。
 その事と佐野市、田沼町、葛生町の合併を同一に論ずることができるかどうか解りません。あたりまえの話ですが、やはり住んでいる人達の介護の問題、医療の問題その他いろいろな問題で、あくまでもその立場からメリットが多ければ合併したら良いであろうし、メリットがなければ合併しなければよいだろうとは思います。しかし、メガトレンドとしては合併ではないでしょうか。

@兵藤 本来からいえば道州制的な発想をしていただきますと、この地域は県南で、群馬県の太田市や館林市も群馬県からはずれているんですね。この辺は両毛地域といいまして、経済圏として成り立てれば、人口も100万人弱になります。可能性が秘められている場所といわれています。
@寺澤 私もそう思いますね。当時、同じ栃木県といっても宇都宮に対するよりも、両毛線沿線の方が身近であったし、栃木県政も常に宇都宮の方によってしまって、佐野には見向きもしないという時代でした。両毛地域が一緒になって経済圏ができたほうが良いのかもしれませんね。
@兵藤 私達に必要なのは「スクラップ・アンド・ビルド」これ一言につきますね。
 本日はありがとうございました。


こならの森131号

2008-05-07 | 101号~200号
       ■こならの森131号■1999.3発行

表紙 「三毳山新緑」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森4月号■

3pとしこの巻頭詩「花だいこん」
4p-7pJC・ルネッサンス 土屋 弘吉
8pヤンバル・お店紹介
9p誕生しました土屋伸昭さん
10-11p ショート「常連」
12-19p 特集 花情報
18-19p 現代国語
20-21p 協賛店・MAP
22p 辛口映画評
23p 書評・絵本紹介
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から

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【本文抜粋記事】

ザ・ショート

「常連」


 とある居酒屋での話。
 週末の夜ともなれば、客の入りも違ってくる。店主は忙しく立ち働き、客との会話を楽しんでいる。棚の上では、陶器の招き猫が、細い目をひらめかせている。湯気と、タバコの煙が漂っている。
 季節は秋にさしかかる頃。
 カウンターのすみで、ひとりコップ酒をすすっていた天狗鼻の老人がふっと顔を上げた。
 「ご主人、そろそろもろきゅうをもらおうか。」
 「はい。ああ、そういえば、そろそろいらっしゃる頃ですね。」
 店主は、笑ってうなずいた。席をひとつ空けて座っていた赤ら顔のサラリーマンが、仲間と談笑しながら手を挙げる。
 「おやじさん、熱燗追加ね。」 「はいはい。」
 店主は鍋の中からとっくりを出すと、手早く水気を拭き取った。そして、客の前に運ぶ。
 それからキュウリをとり、水洗いして飾り包丁をいれる。天狗鼻の老人が、目を閉じて鼻をうごめかす。
 「いい音だね。」
 「今日のは悪くないですね。」 「匂いもいい。」
 がらりと戸が開いて、小柄でやぶにらみの老人が入ってきた。やぶにらみの老人は、迷わず天狗鼻の老人に隣に座った。
 「一杯つけてくれ。」
 やぶにらみの老人が言った。
 「はい。」
 酒より先に、みそを添えたキュウリの皿が出てきた。
 老人は、すぐにキュウリをつまんで、しゃきしゃきとかじりはじめる。
 それを見ていた天狗鼻の老人が、大きな口を開けて笑いだした。
 「どうしたんだ?」
 やぶにらみの老人が、店主にもの問いたけな目をむける。
 見ると、コップ酒を注ぎながら、店主も笑っている。
 「いやね、そろそろあなたが来るだろうと思って、天狗さんがキュウリを注文していたんですよ。だけど、あんまりにもタイミングがドンピシャだったもんで、おかしくてねえ。」
 「ちがうちがう。」
 天狗鼻の老人が、手を振って店主の話をさえぎる。そして、いかにもおかしそうに身を乗り出した。
 「キュウリの匂いが、ぷんとしたときに入ってきたものだからねえ。やっぱり河童さんは、キュウリの匂いに誘われて来るんだなあって感心したら、急におかしくなっちまってねえ。吹き出しちまったよ。」
 「ふん。」
 河童さんと呼ばれた老人は、そっぽを向いて、コップ酒に口をつける。しかし、その顔には、まんざらでもない笑みが浮かんでいる。
 となりの席の赤ら顔のサラリーマンは、話を聞いていたのだろう、老人のほうへ身体を向けた。
 「失礼ですが、ここへはよくいらっしゃるんですか?」
 店主がこたえた。
 「うちの常連さんですよ。河童さんと天狗さん。」
 「どちらが河童でどちらが天狗かは、聞かんでもわかるじゃろう。」
 老人たちは目配せして、おかしそうに肩を震わせている。
 「河童さんに天狗さんか。じゃあ、俺なんかは、さしずめ赤鬼というところかな。」
 赤ら顔のサラリーマンが、頬をパンパンと叩いた。
 「これはこれは、揃いましたねえ。」
 店主は腕組みして、笑いをこらえている。
 「赤鬼だあ?」
 河童とよばれた老人は顔を上げると、赤ら顔のサラリーマンの頭をなでまわしはじめた。
 「角はどうした、角は? 鬼ならば角があろうが?」
 「普段は必要ないんです。だから隠してあるんですよ。」
 「ふんっ。」 
 老人は、再び酒をすする。
 「赤鬼さんよ、気にしなさんな。この河童さんは、大変な皮肉屋でな。時々、突拍子もないことを言い出すんじゃ。」
 「そういうことじゃよ。わしに触れると痛い目にあうぞ。」
 河童さんはそう言って、またキュウリをかじる。が、ふと手を止めて顔を上げると、となりの赤鬼さんに向き直った。
 「そういえばお前さん、腰のところに大きなあざがないかい?」
 「えっ?」
 赤鬼さんは、驚いた顔になった。
 「ああ、腰のあざはありますよ。どうしてわかったんです?」 「ふん、やっぱりな。」
 河童さんは目を細める。
 「あれは昔も昔、大昔、今から千年以上も昔のことじゃ。今で言う信州あたりの山のなかで、旅をしていた山伏に、わしは相撲をいどんだんじゃ。もちろん、勝負はわしの勝ちじゃった。わしの得意の怒涛の寄りに、相手はたまらず尻餅をついたもんじゃ。あんたのその腰のあざは、その時のなごりじぇよ。なつかしいのう。まだ、鬼にはなりきれずにいるのか。そうかそうか。」 河童さんは、赤鬼さんの肩をパンパンと叩いた。
 「また、河童さんの昔話がはじまったのう。」
 天狗さんも、笑っている。
 「気にしないでくださいね。河童さんの話は、みんなホラですから。この人、いつもこうなんですよ。」
 店主が顔を寄せて、小声でささやいた。
 赤鬼さんは、びっくりした顔のままうなずいた。そして冷えた杯を、一息に飲み干した。
 「熱燗、もう一本ください。」 店の中には、湯気とたばこの煙が、かすみのようにたなびている。棚の上の招き猫は、薄ら笑いを浮かべているようにも見える。
 週末の夜、店の中はにぎやかだ。
どアップに耐える中条きよしで@正しい必殺@が帰ってきた!!




こならの森130号

2008-05-07 | 101号~200号
       ■こならの森130号■1999.2発行

表紙 「さくらアップ」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森3月号■

3pとしこの巻頭詩「たけのこ」
4p-7pJC・ルネッサンス
8pヤンバル・お店紹介『珈琲蔵(かふぇぐら) 』
9p結婚しました小暮宗市&朋子
10-11p ショート「前世」
12-19p 特集  節約生活
20-21p 協賛店・MAP
22p 辛口映画評
23p 書評・絵本紹介
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から

■■■    ■■■

【本文抜粋記事】

JC・ルネッサンストーク

吉澤石灰工業株式会社
代表取締役社長
 吉澤 慎太郎さん

聞き手 兵藤 勇(ひょうどう いさむ)さん
1962年 佐野市生まれ。

■PROFILE
吉澤 慎太郎
(よしざわ しんたろう)
1949年 葛生町に生まれる。


  吉澤石灰工業株式会社 吉澤 慎太郎社長に企業人として、
  父親として、地域住民としての顔についてお伺いしました。


@兵藤 安佐地域にあって、長年にわたりトップ企業として発展している吉澤石灰さんですが、今の時代をどうとらえておられますか。
@吉澤 今の時代は暗い話が多くなっていますが、努力をしている所、努力をしていない所の差が現れる時代ではないかと思っています。勝ち残る組に入るか、負けてしまう組に入るかの選別を受けている時代だと思うんですね。我が社としてはやはり勝ち残り組に入らなければいけない。これから21世紀に向けて、世の中が求める、ユーザーが求めるものを的確に提供することで、「吉澤、ぜひ今後も頼む。」と言われるような企業にしていかなければいけない。我々が目標とする優れている会社は日本にいくらでもある。どんどん業績を伸ばし、増収増益を続けているような元気な会社もたくさんある。我々にとってもまだいろいろチャレンジする分野があると思うし、そうすることで吉澤石灰を今以上に世の中が求めるような会社にシフトしていきたいと思っています。私が社長になって4期、8年になりますが、前社長からわたしに変わってから、なかなか実績を挙げるのが厳しいんですよ。ですから毎年毎年、いろいろチャレンジしてやってきています。
@兵藤 吉澤石灰さんでは、ユーザーさんはどういったところになるのでしょうか。

@吉澤 石灰は、鉄鋼・化学・建設・農業といった大変幅広い分野で使われている素材なんです。国内の石灰会社は70~80社ありますが、各社それぞれ得意分野を持ってやっています。我が社は鉄鋼向けの製品に強みのある会社と言えるでしょう。今までは、世界の鉄鋼生産の12~13%程を占める、日本の鉄鋼業の成長に伴い、育ててもらったと思っています。日本の鉄鋼業もなかなか厳しい環境にありますから、我々としても、新しい分野を開拓していかなければいけないという状況にあります。
@兵藤 新しい商品の開発についてはいかがですか。

@吉澤 我々はメーカーである、というポジションは非常に重要であり、基軸であると思っています。ですから、新しい商品作り、これが我が社の追い続けなければいけない課題であると思っています。

@兵藤 そこで他社との差別化を図っていくということですね。

@吉澤 それぞれの分野で魅力的な商品を提供したいわけですが、今我々が重要視しているのは、環境分野ですね。ゴミ焼却場での脱塩素、脱ダイオキシン用の『カルミュー』という商品が、今の最重点商品です。これに続くものもどんどん生み出していきたいと思っています。

@兵藤 歴史の長い会社で、発想の転換を図っていくということは非常に難しいことでしょうね。

@吉澤 そうですね。特に今、私がやらなければいけないのは、組織を構成する人々の意識改革だと思っています。全社員が、次々と新商品を生み出していくという挑戦的な姿勢にならなければいけない。今後はぜひ、そういう社風を持った会社、先見性・革新性を持った会社に変えていきたいと考えています。

@兵藤 よい商品があっても、それを販売したり、サポートしたりする一人一人の意識が目指す方向にいかないと、というところはあるでしょうね。

@吉澤 そうですね。総合力が問われるでしょう。つくる人から最後に商品をとどける人までの連携がうまくいかないとだめでしょうね。

@兵藤 今、どの企業をみても時代の変換期にあって、商品にどんな特徴を持たせるか決められたところが生き残れるという状況にありますね。

@吉澤 確かに、特徴ある商品を作り、しかもNO.1でなければ生き残れないですよ。顧客満足度の高い商品作りをする事によって、それぞれの分野でトップになれる様、努力をし続けていきたいと思っています。

教育のベースは家庭にある

@兵藤 吉澤社長の家庭人としての顔についてお聞きしたいと思います。今後ますます厳しくなっていくであろうというこの時代にあって、家庭の教育や、子供たちに接しながらいつも心がけていることについてお聞きしたいのですが。

@吉澤 様々なことが世代間において継承されていくわけですよね。家という場において、文化や伝統といったものが連綿と引き継がれているだろうと思います。世代の違う人達が共に住むということから受け継がれてきたものと思います。今、学校教育の場で様々な問題が提起されていますが、そのベースは絶対家庭だと思っています。家庭の中できちんとコミュニケーションがとれて、親から子へ引き継ぐべき物がきちんと引き継げていれば問題は起きないのではないでしょうか。やはり課題は家庭にあるのだろうと思いますね。一人一人が自分の家庭内にあって努力をしていくということからしか始まらないのではないでしょうか。私自身、両親からずいぶん多くのものを学びましたし、感謝しています。そして、私から子供たちに対しても、いろいろなものを伝えたいと思いますが、その中でも一番大切なことは、価値観の継承だと思います。何が日本人として、人間として大事なことであって、守らなければいけないのかということを、子供たちにどれだけ伝えられるかということだと思います。

@兵藤 今、代々続く価値観の継承というお話がありましたが、実際には具体的なものでコミュニケーションをとりながらいろいろ話をされると思いますが、特に重要だということで吉澤社長が親から継承されている物はなにかありますか。
@吉澤 ひとつは他人に対して思いやりを持てということかもしれません。さらにさかのぼったところからの話となりますと、我が家にある家世碑のことに触れなければなりません。そこに渡辺華山に書いてもらった風竹の画があり、その賛の中で、天明の大飢饉の時に我が家が蔵を開放して、困った人達に米をあげたことを取り上げ、吉澤家は『富みて義を好む』と書かれています。私も家の繁栄ということをまず第一義とし、その上で社会のために役に立つことは何かを考え、行動することにしています。この家世碑は私にとって、ひとつの重要な原点になっているものと思います。

@兵藤 私は最近、自分を生かした形で周りも生かせるというのがボランティアではないのかなと思っています。

@吉澤 なるほど。自分もよし、相手もよしというのはいいことですね。ボランティアということで思いますが、日本がもう少し弱者にやさしい社会になるといいなと思います。アメリカなどの方が車椅子に対して手助けする人が多いように思います。

@兵藤 以前はわかりませんが、確かに最近は、弱い者や自分と違う者に対して自分さえよければ他の者はなにをやっても良い。というような雰囲気が感じられますね。

魅力のある地方づくり

@兵藤 企業と家庭と地域についてのお話がありましたが、それは全てがバランス良く保たれていかなければいけないと思うのですが、葛生町となるか、あるいは広く日本ということになるのかもしれませんが、家庭人でない企業人でもない地域人としての顔についてお聞かせいただけますでしょうか。

@吉澤 私が10年前頃から関心をもっているのが、東京の一極集中の是正であります。あまりにも全てのものが東京に集中しすぎている。国の安全保障から考えても危険すぎると考えています。私はヨーロッパという所が大変好きですが、ヨーロッパではドイツにしろフランスにしろイタリアにしろ非常に魅力的な田舎が多いですね。都市ももちろん良いのですが、それぞれの村や町には住んでみたくなるようなところが多いですね。私にとっては特徴のある中規模な都市が点在している日本がひとつの理想像かもしれませんね。

@兵藤 東京一極集中の是正ということになりますと、やはり、首都機能移転についても考えなければなりませんが、その点についてはどうお考えですか。

@吉澤 私は個人的には那須が一番良いと思います。首都機能移転はぜひ早急にやるべきと考えています。東京をより魅力的にする意味でも、地方が活性化するという意味においても、ぜひ実現するべきであると考えています。併せて道州制の導入も必要かもしれません。そして、地方の核を大きくするという意味から、市町村合併も推進すべきでしょう。現在、佐野市・田沼町・葛生町の合併協議がありますが、私は葛生町という立場で、積極的に関与するつもりでいます。

@兵藤 先日行われた合併協議会を見学させていただきました。有識者の方々、地元でがんばっている方々が集まっていますが、その時間を有効に使っていただき、その結果の返事を住民に話していただいて、またそこでいろいろな話ができるような協議会であって欲しい。佐野青年会議所においても、自分たちが住んでいる地域ですから、他人事ではなく自分も関わっている、という意識改革をまずしていただきたいという思いを含んでの一昨年の署名活動なんですね。ですから今年度以降も広報等を続けて行きたいと考えております。

@吉澤 ただ、合併協議会が公開になっていますよね。公開であるが為に十分ディスカッションができないと私は感じています。我々民間は、これはどうですかとか言い易いのかもしれませんが、市長、町長、議会議員の人達にとっては発言しにくい場になっているのではないのかなとも思うんですよ。ですから公開というのは解りやすいようでありながら、議論を煮詰めなければならないときに型どおりになってしまう可能性もあるなと感じています。本当の意味での議論があそこでできるのかなという疑問がありますね。
@兵藤 そういうシステムに今まで慣れていないですからね。

@吉澤 いずれにせよ、ただ、あれは準備段階だということですから早く問題点を整理して、具体的にどういう形で合併の絵を描いていくのか、ということに踏み込んでいかなければいけないですね。どんなに大きな地域でも、どんなに小さな地域でも合併しようということは同じですから、相当なエネルギーを割いていかなければいけないと感じています。葛生にとってどういう道筋が良いのかと考えると、住んでいるみんなに解りやすく、なるほどこれが得られてこれが失われるんだなと解った上で「じゃ、そうしよう」というものであってほしいと希望します。
これからの生き方について

@兵藤時代の転換期で、組織にしてもシステムにしても変えていかなければいけないというのは、頭では理解していても30数年生きてきてしまうと、今までやってきたものがあたりまえだという意識が非常に強くなってしまっている。子供たちをみていると、昨日までやっていたことが今日になると全然違うことに臆することなく進んでしまっている。自分にも昔はあったはずなのにどうしてしまったのだろうと感じることがありますね。

@吉澤 そうですね。だんだん歳と共に保守的になってきますが、やはり新しいものに対する挑戦の気持ちをなくさないようにしていかないといけないでしょうね。以前、ある雑誌で松任谷由美と桑田佳祐の比較論が出ていましたが、面白いなと思ったのは、松任谷由美は時代と共に生きるという意識が強いんですね。常に今の時代の人達に会って吸収し曲作りをする。ところが意外だったのですが、桑田佳祐から「最近の若い人達は」という言葉が出てきたんですね。10代、20代と時代そのもの、時代の変化と同時進行だったものが、ある時から時代と離れていくんですね。時代から離れていくのか時代を取り込んでいくのかによって、生き方が大きく違ってくると思うんですね。ある年齢からは、努力しないと時代と共に生きるのは難しい。私は可能な限り時代と共に生きたいと思っています。

@兵藤 この地域の人達は70代、80代になっても最前線でがんばっている人達がいらっしゃいますがこういうのはまだまだ続くのでしょうか。
@吉澤 がんばり方が問題だと思うんですね。どの分野でどうがんばるかというのを考えないといけないでしょう。結局、それぞれの人にとって、脱皮ということがとても大きな課題だと思うんですね。仏教用語に「修破離」(しゅわり)という言葉があります。ひとつのことを極め、しかる後にそこから離れて次の境地に行く、という様な意味だったと思いますが、もし私がある年齢になったときには、第2の人生、あるいは第3の人生を考え、今までの自分とは違った生き方をしたいと思います。70代、80代で過去の延長線の上にいるということは賛成しかねますし、脱皮できなかったことを残念に思いますね。そしてまた一方、世代交代ということを考えるのであれば、若い世代が代わるに値するだけのものを上の世代に提示できなければならないのではないかと考えます。待っているのではダメだろうと思います。

@兵藤 本日は様々なご意見をありがとうございました。あとは私達がどう考え、どう動くかにかかっていることになると思います。





こならの森129号

2008-05-07 | 101号~200号
       ■こならの森129号■11999.1発行

表紙 「三毳より夜景S」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森2月号■

3pとしこの巻頭詩「うめ」
4p-7pJC・ルネッサンス
8pヤンバル・お店紹介『カフェ レストラン馬車道 』
9p結婚しました小暮宗市&朋子
10-11p 鬼
12-19p 特集 安佐一週
20-21p 協賛店・MAP
22p 現代国語
23p 書評・絵本紹介
24-25p クイズ/タウン情報
26-29p インフォメーション98
30p こならの森から

■■■   ■   ■■■

【本文抜粋記事】

特集 安佐一週

 あれから十一年、こならの森は再び原点に返って、安佐を一周。
 十一年前もやはり日が短い冬であった。その間に、赤見の越床峠はトンネル化され昔の面影は今はない。林道の中腹から望む風景も変わってしまった。

■こならの森の原点って?
 こならの森も、よくもまあ世紀末の、西暦に9が三つも並ぶ年代まで発行できて来たと、あらためて思うが、その原点を知る人が一体何人いるのだろうか。そう思って草稿したのが今回の企画だった。創刊の初っ端から安佐を念頭に置いた特集を組んでいた。我ながらその原点を今回は微笑ましく見つめられた。そのために実地に車を走らせ十一年間の奇跡をつぶさに見てこれた。
 恥ずかしながら言わせてもらえば、創刊号につかわれていた巻頭の大写真の撮影ポイントがあやふやになっていた。何しろそれ以後十年以上その場所に立っていなかったからだ。さらに、田沼・飛駒の沢、田沼・蓬莱山の沢、葛生秋山の沢と三つの沢の記憶が混同してしまっていて(事実三つは似ている)、即答が困難な状況に追い込まれているという現状も否めない。
 撮影時には全く分からなかったが、十一年して改めて二つの写真を比べてみると、空き地だったところが現在は、蓬山ログビレッジになっているのだなと、感心させられた。
 あれから、田沼・葛生地区は多くのいわばアウトドアー施設が建設され、前号のこならの森でも少し触れたが、首都圏の野外生活圏となったと思われる。しかし、その主役はあくまで安佐地区の人なのだろう。
 ともかくセオリーにしたがって車を走らせる。創刊号では、理想的な走行環境として順に徒歩、自転車、車とあげているが、その後こならの森でも実際に蓬山ログビレジまでのマウンテンバイク・ツーリングを特集に組んでいる。今後の課題、さらには特集課題として、徒歩による安佐完全一周をここに予告しておきたい。

■実地に車を走らせ

 昔の出来ごとではなく、車が発達した今でも、峠を越えるのは大変なことだ。トンネルになってしまうと、そうしたことが忘れ去られてしまうが、赤見の越床峠もかつては手掘りのトンネルで結ばれていたので、現在は新・越床トンネルというべきなのかもしれない。入り口までしっかりとした取り付け道路が巡っていて往時をしのばせるが、それも今はさらに風化してしまった。十年ほど前に一度取材しているが、今ではその入り口さえも探せないのかもしれない。
 今回は、当時の人が最初にこのトンネルを通ったときに感じた思いと同じ感想を実感できたように思う。そしてさらに、須花坂トンネルへ向かう。ここも、明治・大正・昭和と三つのトンネルが並んでいる所だ。その点では、越床峠、あるいは越床トンネルと同じ状況であった地区だと思う。ほどなく飛駒へ向かう道に合流する。井伊直弼も領地検分の岐路に同じ道を通ったのかと思うと思い深いものがある。江戸時代、飛駒地区は主に木炭の生産に関連していたというが、木炭は今で言うエネルギー産業、当時は山の暮らしが盛んでにぎわっていたのであろう。
 どこまで行っても人家が並ぶ。昔、どうしてこんなところまで人家があるのだろうと不思議に思ったが、今では充分納得がいく。
 今回の行程は全線舗装されてしまっていて古来の道の持つ趣が消されている。しかしながら峠の名前には人々の往来とその息吹が随所に残っているように感じられるた。

■信号もないが………

 十一年前の創刊号の原稿を読み返してみると、『葛生仙波を過ぎると、信号もないがコンビニもなかった』のが、最近ではそれも出来ている。十一年間にいつのまにか、トンネル化され峠の数も減ってしまって、峠越えという言葉もなつかしい言葉になりつつあり、峠の茶屋もいつしかコンビニにかわりその面影すら今はないようだ。また、葛生の牛の沢林道が部分未舗装であったのに、今は全線舗装となっている。そのことも相違点だろう。
 しかしながら、山里の暮らしは変わっていないのだなと思わされる場面にも多く出くわすことが出来た。
 だれしも必ず心に『ゆとり』をもって生きているはず、さらに十年後にもそのほっとするような感じが残っているのだろうか。否、そうなることを願っている。
 今回の取材も終盤。高度が上がるほど小雨がみぞれ混じりに変わり、寒さが染みてくる。夕暮れも近い。遠くで何か火を燃やしているのか煙が上がる。昔なつかしい風景だ。そして干し柿の趣がまた郷愁を誘う。
 この辺はちっとも変わっていないのだなと感じた。急がねば、夕闇はもうすぐそこまで。


こならの森128号

2008-05-07 | 101号~200号
       ■こならの森128号■1998.12.3発行

三毳定点夕陽/逆から

C・o・n・t・e・n・t・s


■こならの森1月号■

3p としこの巻頭詩……「びわ」
4-7p JC・ルネッサンストーク
8p ヤンバル・お店紹介
9p 結婚しました@松 島さん
10-11p ショート/第7回(未収)
12-19p 特集 『行楽情報』
20-21p協賛店・MAP
22p 辛口映画評
23p 書評・絵本紹介
24p 安佐の名所クイズ
25-29p インフォメーション98
30p こならの森から

■■■   ■   ■■■

【本文抜粋記事】
特集『行楽情報』
 朝夕は確かに冷え込む季節となりましたが。風のない日中の日なた、ポカポカ陽気になると、外へ出てみたくなるもの、家にじっとしていられなくなるものです。
 また、寒いからと入ってコタツダルマでは健康的にもよくありません。
 そこで今回は軽い運動や散策などができる公園や新ソバを食べさせる施設を特集します。

 この季節、行楽の季節も終わって、まったくのオフシーズンなので人気も少なくゆったりと過ごす事が可能となる。しかし場所によっては営業を休止しているところもあるので事前の確認が必要ではあるが、隠れた穴場となるのではないだろうか?
 紅葉の後、落ち葉を踏みながらの歴史散策は情緒がある。草や木の葉で全貌がはっきりしなかった石垣や建物なども見えやすくなるので、確認がしやすいという利点も冬でこそ。
 よく晴れた日の日中は気持ちが良く過ごしやすいが、午後3時を過ぎる頃からは、一時間に数度づつという早さで冷え込み始めるというから注意も必要。日中の日照時間が短いのも残念な限り。(もちろん、日中ぽかぽか暖かく、日照時間が長ければ冬とは言いませんが………)

■田沼・葛生方面へ■
 必ずと言っていいほど一年に一度くらいは、この方面へキャンプやバーベキューに行くという人も多いのではないだろうかうか。しかしながら、いくたび事に施設が大きく変化、拡充していて期待度が大きいのも魅力の一つだと考えている。それほど、地形どおり奥が深い地域だ。都心からも交通の便が良いせいか、ベットタウンならぬリゾートタウンとしても注目される。

■須花坂公園・憩い館
 行ったときには、混雑していて待たされること1時間。しかし、『待つほどのうまい』と言われるそばの味は格別。もりそば400円から。一升打ち2500円。土曜、日曜、祝日の営業。AM11:00~PM3:00。もらったパンフレットには、『農村レストラン』と書いてあったが、ちょっと謙遜すぎたような気もする。山村レストランや山里レストランならもっとよかっただろう………

■あきやま学寮
 あきやま学寮にしゃれたレストラン『ベルフォレスト』がお目見えしたが、そばはメニューにないとか。しかしその周辺には2軒ほどのそば店があるのでご賞味あれ。
 また、古代生活体験村やログハウスの宿泊施設も充実している。行楽シーズンの利用には早めの予約が必要となる。

■蓬山ログビレッジ
 キャンプ場や、アスレチックなどが有名で、そばなどは付け足しだと思っていたのだが、さにあらず、おそばもイケる。残念ながら営業は9月30日までだった。

■根古屋森林公園・根古屋亭
 地そば350円から。うどんもある。土曜、日曜、祝日の営業。AM11:00~PM3:00。他に、和紙すきが体験できる飛駒和紙会館、バーベキュー施設・ハーブ園などもある。

■仙波そば
 一連のそば館の発祥地とも言える場所だけあって、そば通にもおなじみ。

■三毳山公園
 三毳山ってこんなにきれいな山だったのかとあらためて見直させるほど、整備された公園が出現。三毳山の最高峰、竜ケ岳を富士山に見立てると箱根あたりのリゾート地に来たかと見まちがうほど。異国情緒もあり、一瞬別世界に来た錯覚に目がくらむ思い。
 わくわく滑り台、富士見台、冒険砦、わんぱく広場、ハングライダーなど見所いっぱい。敷地が広すぎて一日で全部を見て回るのは無理。里山なので高低差がある程度あり、徒歩で散策するのはきつく、おいおいバスの利用となるが、このバス代金がちょっと高めの設定ではないだろうか。ほとんど入園料と思えるほどの値段。子どもずれの五人家族ではなんと1900円(一日中乗り降り自由だが)。

■とちぎ花センター
 テレビドラマのロケに使われているので、最近注目されている。そのためか付近には他府県ナンバーの車が多く見られた。
入館料大人400円、子ども200円。開館時間・AM9:00~PM4:30。休館日・毎週月曜日・12月28日から1月4日。

■遊水池公園
とにかく広大な敷地だから、思いっきり体を動かしたい。ジョギングや散策、水上スポーツや釣りなどが楽しめる。谷中村跡散策もお忘れなく。

■佐野市運動公園
 陸上やテニス、野球、フィールドアスレチック、ローラー滑り台など楽しみ方いっぱい。また木々の葉も落ちるので、古墳群散策もしやすくなる。


こならの森127号

2008-05-06 | 101号~200号
       ■こならの森127号■1998.12発行

表紙 「とみあさ公園南/紅葉」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森12月号■

3p としこの巻頭詩……「びわ」
4p ヤンバル・お店紹介北海道楽宴
5p 結婚しました@瀧上さん
6p 安佐の名所クイズ
7p タウン・色々情報『信金』他
8-11p JC・ルネッサンストーク=浅生晴美
12-19p 特集 『美術館めぐり』
20-21pショート/現代国語
22p 辛口映画評
23p 書評・絵本紹介
24-27p インフォメーション98
28-29p 協賛店・MAP
30p こならの森から

■■■   ■   ■■■

【本文抜粋記事】
特集『美術館めぐり』

美術館こそ最高のぜいたく

■ヒーリング
 国東半島のあるお寺に行ったとき、和尚から仏像の事を『国宝だとか文化財だとかいっているが、仏像は拝むものであって見るものじゃない。』と説教されたことがあったが、絵画も同じような気がする。絵を前にして手を合わせる必要はないが、気持ちは同じような気がする。今はやりの癒し空間というべきものだ。

 最近発行されたある小冊子にある美術館が紹介されていた。 その美術館の感想が今でも心に残る。今回のこならの森の企画でも紹介しているのだが、その美術館では、美術館に付き物の監視員がいない。と驚きの声。ちょっと子どもが騒いだだけなのに、ヒステリックに注意する美術館とは大違い。

本物はやっぱりいい

 どんなものでも本物の絵を見るとやっぱりいいものである。
 普段の生活の中に絵を観にいく機会はあまりない。そこで芸術の秋くらいと、ちょっと美術館へ行ってみたくなった。
 そういえば、わが家の周りに自然はたくさんあるが、家の中に絵が飾られているという訳ではない。よくよく見てみたら皆無であった。
 『窓によって切り取られた外の風景も絵画の一つ』。と、自然の中に建つ美術館は窓を有効に使っている。そういう点で言えば、環境的には優れているのかも。
 秋になると両毛五市スタンプラリーという企画が開催されるが、そのマップ(両毛五市全図)を見ていたら、あの有名な富弘美術館も両毛五市の中に入っているだと発見(?)。さっそく五市を回る美術館めぐりを企画。佐野を出発して、葛生町秋山方面から粕尾峠を越えて足尾町を通り群馬県東村の富弘美術館へ。その後南下して桐生市・足利市方面へ、という順路を計画。

 今回は日程の関係で一日で一周することはできなかったが、無理もない。一つの美術館を観覧するのに最低1時間くらいを費やすつもりでいると、それだけで移動の時間がなくなってしまうからだ。しかしながら、富弘美術館の開館時間9時までに現地に到着して一番で見学を開始し、あと2~3館を見て回る計画なら充分可能かもしれない。トライしてみては(あまりオススメはできませんけれど 編集部)。


こならの森126号

2008-05-05 | 101号~200号
       ■こならの森126号■1998.10発行

表紙 「つりふねそう」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森11月号■

3p としこの巻頭詩……ぎんなん
4p ヤンバル・お店紹介グリーンガーデン足利南店』
5p 結婚しました@森久さん夫妻
6p 安佐の名所クイズ
7p タウン・色々情報『銀亭』他
8-11p JC・ルネッサンストーク佐野税務署
12-19p 特集 出流原町
20-21pショート/現代国語
22p 辛口映画評『』
23p 書評・絵本紹介
24-27p インフォメーション98
28-29p 協賛店・MAP
30p こならの森から

■■■   ■   ■■■

【本文抜粋記事】

JC・ルネッサンストーク
佐野税務署長 

■PROFILE
大屋 勲宏さん。
1941年 宇都宮市生まれ

 あなたは、子供が義務教育を終えるまでにいくらの税金が使われるかを知っていますか?国の借金がどれくらいあるのかを知っていますか?日本が非常に早いスピードで高齢化しているのを知っていますか?そのために税負担が増えていくことを知っていますか?税金について考えるということは、私たちの将来を考えることでもあるのです。


@中田 こういうことを言うと失礼かもしれませんが、我々からすると税務署というのはちょっといやな所だなという印象があるのですが。
@大屋 確かに税金というのは取られてしまうという意識が強いものですから、税務署に来るのはいやだなという感じがあると思いますが、私共の一番の目標は、明るくて、納税者が相談に来やすい税務署にすることですので、窓口での案内などを重視しています。納税者は不安な気持ちで来るわけですから、気がついた職員がすぐに声を掛けるとか、そういうことに重点を置いてやっております。
@中田 今、なんとか景気を浮揚しようとして、税金を減らそうということが政府から言われてきていますけれども、国はお金がないという状態なのに、またここで税収を減らしてしまうと、ますます国の財政が悪くなるのではないかと思いますが、その辺はどのようにお考えですか。
@大屋 今年になりまして、二月と八月に特別減税が実施されました。消費が非常に低迷しているということで、政府の施策で二回行なったわけです。これは定額減税と言いまして、率ではなくて所得の多い人も少ない人も、一定額の税金をお返しするという形で行なったわけです。現在の国の財政の現状というのを見てみますと、平成十一年の三月には、国債の発行残高が二百八十五兆円というような非常に大きな額になっていまして、国の予算が今七十七兆円くらいですから、予算の四倍くらいの公債の発行残高があるわけです。これは国の借金ですので、必ず返さなければいけないわけです。後世代の人に借金が残っていくということですから、納税者の皆さんも財政の現状というものを良く認識して頂いた上で、いろいろ議論されるというのが一番良いかと思います。
@中田 これから所得税を減らそう、あるいは法人税についても見直そうということですが、国債残高がどんどん増えていくことになりますね。
@大屋 今年も法人税をはじめ抜本的な改正がされたわけですが、それは国際的に見て日本が非常に税率が高いということで、そのために産業が空洞化したり、企業の力が削がれているということで減税が行なわれたわけでして、これは財政が厳しいということとは別の話だと思います。ただ、国の歳入は税金でほとんど賄われるのが一番良いわけですが、現状は歳入に占める租税の割合は七十五%くらい、特例公債と一般公債を合わせた国債の依存率が二十%くらい有るということです。国債が多いということは、当然利息なども払っていかなければなりませんので、国の事業がそれだけ圧縮されるわけですね。ですから理想から言えば、国債は少ないほうが良いということが言えると思います。
不況の業種でも所得が出ている所はあるんです
@中田 税収の面では安佐地域の現状はどうなのでしょうか。
@大屋 消費が伸び悩んでいるということで、鉱工業生産なども前年をずっと下まわっていまして、設備投資もマイナスです。小売り関係も、大型小売り店の販売額も何ヶ月も続いて前年を下まわっていますし、住宅着工とか新車の販売台数もずっと厳しい状況が続いています。税務署の法人税の確定申告の状況を見ましても、やはり前年割れということが続いています。特に有所得割合(欠損ではない有所得の件数の全体に占める割合)が非常に厳しい状況が続いております。特に厳しいのが、小売り業の有所得割合が前年に比べて非常に低くなっています。それから料理飲食、建設関係、そういう所が前年に比べて有所得割合が減っています。反面、有所得割合の比較的順調な所は、時代を反映いたしまして、サービス業が全般的に良いという状況ですね。
@中田 栃木県全体から見ますと、安佐地域の状況はどうなのでしょうか。
@大屋 法人税などを見ますと県全体で落ち込みが見られますので、この地域特有というのはないと思います。ただ石灰砕石というのはこの地域の独自の業種ですので、それらを加味しますと、県全体から見るとちょっと落ち込みが多いかなという感じはします。
@中田 この地域の経営者の方に、こんな所に気を使うともう少し好転するというような、何かアドバイスがありましたらお願いしたいのですが。
@大屋 同じ不況だと言われている業種においても、中にはたいへん所得が出ているところがあります。何の業種でも同じことが言えると思いますが、その納税者の所に行った職員の話などを聞きますと、やはり経営者の方の姿勢が違うなということは言っていますね。具体的にどんなことをすればということは言えませんが、同じ業種であればそんなに大きく違うことはないわけですから、やはり経営者の姿勢とか、どこかで工夫をしているということなんでしょうね。
一人ひとりのマナーが税金の無駄遣いをなくす
@中田 納税もそうですが、税金が何に使われているのかを知るのも大切なことですが、それを知らない人が意外に多いように思うのですが。
@大屋 日本人は税金を納めてしまうと使う所までなかなか考えないという所がありますね。一例を申し上げますと、たとえば教育費ですが、サラリーマンの家庭で中学生と小学生の子供さんがいるとしますね。年収七百万円くらいとしますと所得税と住民税の合計が年間約四十九万円くらいになりますが、その小学生と中学生のために使われている年間の金額というのが、小学生が七十五万九千円、中学生が八十三万三千円ですから、二人合わせると一年間に百五十九万円という大変な額の税金が使われているんです。それから、年金などを貰っている方も多いかと思いますが、老齢基礎年金というのは三分の一は国庫、つまり税金で賄われているわけですね。税金というのはこういう所にも使われているんだということを、ぜひ知って欲しいと思います。
@中田 我々はどうしても、たとえば国会の時に寝ているような議員に給料がいくらだとか、そういう所に目が行きがちなんですけれども、税金が有効に使われているということも理解をしなければいけないですね。
@大屋 みんなが幸せになるために税金は使われているわけですので、この点を学生さんのうちに正しく認識して頂きたいということで、税務署では小学生、中学生、高校生を対象に租税教室をやっていまして、今年も佐野税務署管内で十七ヶ所ほどやらせて頂きます。その他税金に関心を持っていてもご存じない方、特に青年層の方とかご婦人の方、そういう方に機会があればお話をしたいと思っています。
@中田 青年会議所でもいろいろイベントや会合などがありますので、そういう機会がありましたらやらせて頂きたいと思います。@大屋 国税についてのご意見や、苦情・要望等を頂いている国税モニター制度というものがありまして、この前モニターの方にお集まり頂いた時に租税教室のお話をしましたら、ぜひそういった場で、国民一人ひとりが決まりごととかマナーを守っていこうという話をして欲しいと言われたんです。たとえばゴミ収集で分別収集をやっていますが、ひとりの方が守らずに分別をしないと、その後の作業に大きな手間が掛かってしまいます。その手間というのは結果から言いますと税金の無駄遣いになってきます。これが全てに言えるのではないかということなんです。それは全くその通りだと思いますので、機会がありましたら、そういった一人ひとりがいろいろなことに注意しながら、税金を効率的に有効に使っていこうというお話をさせて頂きたいと思っています。
@中田 日本は非常に早いスピードで高齢化が進んでいまして、このままでは自分たちの孫の時代には税金が七割くらいになってしまうんじゃないかと言われていますが、そうならないためにも、自分たちでできることは自分たちでする、そういう組織的なものも創っていかなければいけないと思います。それがNPOではないかということで、佐野青年会議所ではいろいろな形でNPOの活動する社会を目指していまして、教育とか、高齢者のこととか、障害者のことであるとか、そういう所で住民が自分たちでできることをやっていきましょうということを地域の方に提案していこうと考えています。
@大屋 人任せにしないということに
関連して言いますと、私共では確定申告における自力申告、自力記載ということをお願いしています。以前は申告書をお送りしましても封も開けずに署に持ってくるという方が多かったのですが、私共も大々的にPRしまして、最近はだいぶ認識して頂いています。もちろんお年寄りとか、どうしても書けないという方もいますので、私共も相談については万全の体制で臨んでおりますけれども、納税者の方には、ぜひ自分の納める税金について認識して頂いて、そして一人ひとりの方が、どういうふうに税金は使っていったら良いのかということを考えて頂ければ有り難いと思います。
@中田 お忙しい中ありがとうございました。


こならの森125号

2008-05-05 | 101号~200号
       ■こならの森125号■1998.9発行

表紙 「コスモス」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森10月号■

3p としこの巻頭詩
4p ヤンバル・お店紹介精進料理『堯心亭』
5p 結婚しました@
6p 安佐の名所クイズ
7p タウン・色々情報『有鄰館・芸術祭』他
8-11p JC・ルネッサンストーク国際ソロプチミスト 佐野 会長秋山定子さん
12-19p 特集 絵本の町と絵本美術館
20-21p THE・ショート『夏は終わらない』
22p 辛口映画評『キリコの風景』
23p 書評・絵本紹介
24p タウン情報
26p インフォメーション98
28p 協賛店・MAP
30p こならの森から
■■■   ■   ■■■

【本文抜粋記事】

JC・ルネッサンストーク
国際ソロプチミスト 佐野
出席者■PROFILE

会 長 秋山 定子さん
     1983. 1.22入会
副会長 影澤 玲子さん
     1983. 1.22入会
R・C 片柳 展代さん
     1993.12.20入会
C・S 田中 和美さん
     1991. 4.22入会

ソロプチミストとは……
 常に先を見通し、力強くダイナミックに発展を続ける奉仕団体です。専門職を持つ、または管理職にある女性たちが組織し、地域社会や世界のあちこちでいろいろな形の奉仕を最善を尽くして実行しています。また国連においては、経済社会理事会(ECOSOC)のカテゴリーの諮問的地位を認められ、国連特別機関の会議に代表を派遣することができます。

@中田 今年、ソロプチミスト佐野が設立されたわけですが、そのいきさつを簡単にお話ししていただけますか。

□秋山 まず、足利にソロプチミストができたのが十五年前なんですね。私たちは足利のクラブに設立当初から入っていまして、足利も十五年経つのだから、そろそろ子供をつくりたいということで、足利がスポンサーをして佐野にクラブをつくったんです。認証式は六月四日ですが、実際に準備会が始まったのは去年の七月頃からですね。佐野につくろうかという話は二年くらい前から出てはいたんですが、その時は時期尚早ということだったんです。たまたま今年は佐野市制五十五周年ということですので、それに合わせてということもあってできたわけです。

@中田 佐野にできる前は、佐野の会員が足利に行って活動されていたのですか。

◇影澤 足利に入っていた時には、足利クラブではあるけれども会員の三分の一は佐野の人でしたので、佐野に対しても同じように奉仕をしなければいけないというクラブの姿勢があったんですね。たとえば植樹にしても、足利に二十万、佐野に十五万というように、必ず同じ事業を両地区で行なっていまして、平等に奉仕をするという意識でやっていたんです。ですから、事業は同じようにやっているのだから、佐野にクラブがなくてもいいんじゃないかなという気持ちは持っていたんです。ただ、足利クラブも十五周年を迎えますし、ちょうど佐野市も市制五十五周年を迎えるということで、佐野の市長さんからもちょうどいい時ではないかというお話しもありましたし、新しく発足させようということになったんです。私共も足利に行くより、地域にあれば活動も楽ですしね。それで、最初は足利クラブから十一人移籍したんです。

□秋山 それから新しい会員を募りまして、十九人入っていただいて、合計三十名で発足しました。若い方にたくさん入っていただいたんですが、若い方はのみ込みは早いし、やる気はあるし、動きも早いですから、今のところはすごく順調にいっています。

@中田 ソロプチミストは、組織としてはかなり大きいわけですが、全国大会なども行われるのでしょうか

□秋山 以前は全国大会をやっていたんですが、今は、日本北、日本東、日本中央、日本西、日本南の五つのリジョンに別れてやっています。佐野クラブはその中の日本東リジョンに入っていまして、その日本東リジョンの九十二番目のクラブになります。

@中田 今、全国で何人くらいの会員がいらっしゃるんですか。

□秋山 日本国内で一万五千人、全世界で九万五千人くらいです。

@中田 ソロプチミストの目的といいますか、どういったことを地域に対して行なっていきたいとお考えですか。

□秋山 国際ソロプチミストが最初にアメリカでできたのは一九二一年ですから、今年で七十七年になるんです。目的としては、仕事を持っている女性、管理職にある女性が、地域社会に対して奉仕を行なう団体ということですので、やはり奉仕を行なっていきたいと考えています。

@中田 奉仕団体ということですが、分野としてはどんな奉仕を目指しておられますか。

□秋山 ソロプチミストは国際的組織ですから、大きくは国際連盟として、また日本東リジョンとしての奉仕プログラムがあり、エイズの問題、識字活動、ユニセフ、ユネスコ、難民救済、各種の表彰、その他災害に対する救援等々、巾広く行なっています。まず、ソロプチミスト佐野の地域的な範囲ですが、佐野、田沼、葛生、岩舟、藤岡となりまして、岩舟がソロプチミスト栃木との共有ということになります。事業としては、これから広げなければならないことはありますけれども、今まで足利でやっていたものですから、とりあえずは、佐野地区については足利からの事業を引き続いてやりましょうということになっています。現在やっているのは、女子高生の奨学生制度が各学年一名。それと植樹ですね。これは運動公園で毎年やっています。それから佐野女子高にS(サービス)クラブという奉仕クラブを認証しましてそのお手伝い、老人ホームの慰問などをやっています。

奨学生制度とボランティアの援助

@中田 今年のメインの活動といいますと何になるのでしょうか。

○田中 やはり奨学生制度ですね。学校は四月に始まりますね。ですから、九月頃にまず教育委員会にお話しして、校長会に出していただいて説明会をします。それまでに募集要項などの準備をしておくわけです。そして各中学校の校長先生の推薦で資料が上がってくるわけです。資料を委員会で検討しまして、理事会にかけて、例会で決定するわけです。

◇影澤 そして試験を受けてもらって、合格した人を採るわけです。今まで足利では一学年二名ずつ採っていたんですけれども、佐野にクラブができるのだから、佐野地区で一人どうしても採りたいということで始めたわけです。

○田中 奨学金の額は月に一万円で、これは返済なしです。その他に入学祝い金が二万円、卒業祝い金が一万円です。この奨学生制度を続けていくためには、やはり資金が必要になりますので、それを調達するために今までチャリティーゴルフをやっていたわけです。青少年育成のための資金ということで、皆さんに協力していただいているということなんですね。

@中田 これは女子に限るんですか?

□秋山 女子高生に限っています。ソロプチミストは女性のクラブですから……。それと、もう一つ力を入れているのが、先程お話しいたしましたSクラブです。佐野女子校のボランティアのクラブがずいぶん活躍しておりまして、そこに助成金をさし上げて援助しましょうということなんです。たとえば、この前は保育園に行きまして、一緒に私たちもお手伝いをしてきたんですが、一ヶ所十人くらいずつに別れて三ヶ所に行きまして、女子高生が自分たちの手作りのおもちゃなどを持っていったり、お遊戯したり、一緒に遊んだりしているんです。そのおみやげの資金の一部などを私たちがお手伝いしているんです。それと、女子高生が老人ホームの慰問などもよく行くんですが、その助成としてバス代を出してあげたりということをやっています。

@中田 ボランティアというのはなかなか継続が難しくて、なぜ継続できないかというのは、資金的な問題というのがすごく大きいと思います。ソロプチミストのような団体で、ボランティアをやろうとしている人たちに、いろいろな形で助成されてくるとやりやすくなりますし、継続もしやすくなりますね。

□秋山 でも、我々はただ寄付をするということではいけないと思うんですよね。やはり何か事業をやって、そこに好きな人に来ていただいて協力していただくということが必要だと思います。

@中田 女性は仕事を持ったり社会に参加するということが、なかなかできないということがあるように思いますけれども、その意味ではソロプチミストが、女性がいろいろなものに参加できるようになるための団体になると思います。佐野でもそういうボランティアをやってみたいという方がたくさんいらっしゃると思いますが、そういう方に対して何かお言葉がありましたらお願いします。

□秋山 ある程度時間のある方じゃないと無理かもしれませんが、奉仕に関して理解のある方にどんどん参加していただきたいなと思います。まだまだ佐野ではソロプチミストに対する理解度は少ないんじゃないかと思いますが、何か私たちの行なう行事に、たとえば佐野の国際交流フェスティバルでお茶席を設けたり、外国人のためのバザーをやっていますので、そこに参加していただければ理解してもらえるようになるんじゃないかなと思います。

○田中 それとソロプチミストのメンバーが活動するためには、やはりご家庭でのご理解がないといけないですからね。
@中田 そうですね、青年会議所でもそうですから。

□秋山 青年会議所の方にも今後ともご協力いただきたいと思いますので、よろしくお願いします。

@中田 こちらこそよろしくお願いします。


こならの森124号

2008-05-04 | 101号~200号
       ■こならの森124号■1998.8発行

表紙 「とんぼ」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森9月号■

おぞねとしこのポエム…ひるがお……3p
知らんの5つの市/…………4p
結婚(誕生)…新井さん夫妻…5p
安佐の名所クイズ………6p
タウン…ホップの森……7p
JC・インタビュー…亀田…8p-11p
ムーミン谷………12-19p
ショート/現代国語………20-21p
海棠市子の映画評………22p
書評・絵本紹介……23p
インフォメーション98………24-27p
協賛店マップ………28-29p
新・こならの森から…………………30p

■■■■■■■■■■■

【本文抜粋記事】

JC・インタビュー…
亀田好二さん

■PROFILE
亀田 好二
(かめだ よしじ)
1926年 佐野市生まれ。

@中田 今、日本もそうですが、アジアの経済状況も大変悪くなっていますね。こういった世界的な状況についてはどうお考えでしょうか。
@亀田 何事においてもバランスというものがあるんです。自民党五十五年体制が栄えたのは、実は自民党と社会党があってバランスが取れていたからなんです。経済もバランスです。日本は、東南アジアなどでありふれたものを大量生産しましたね。需要と供給を考えれば、そんなことをしても売れないですよね。世界的に見ると、何年か前にソビエトが崩壊しましたね。今、アメリカが栄えているように見えますが、バランスの原理からいえばアメリカだけが栄えるということはあり得ないです。中国が対抗できると言う人もいますが、中国ではバランスは取れない。もともと資本主義のようなものですからね。アメリカの経済の実態というのは本当は良くないんです。まもなく崩壊すると思いますよ。
@中田 まだ日本が立ち直っていない状況で、アメリカが崩壊したら大変なことになりますね。
@亀田 だから危機感を持たなければいけないんです。
@中田 アメリカの資本がどんどん日本にも入ってきていますね。
@亀田 この前ラビバトラというアメリカの経済学者の講演があったんですが、アメリカのやり方は良くないと言うんです。たとえば韓国のウォンが暴落した時に韓国に対してやったのは、暴落前に貸していた一万ウォンを、暴落したんだから十万ウォンにして返してくれ。払えなければ会社をよこせ。しかしお前の国は労働者の首を切れないから法律を変えろと。そういうことをやっているんです。覇権主義というのは武力だけではないんですよ。経済まで覇権主義でくる。講演でラビバトラは言ってましたよ。未来永劫、人を搾取して栄えた国はない。これから二十一世紀に向かって、人を搾取したり覇権したりするというのは絶対いけないですよ。
@中田 そうですね。
@亀田 それから日本経済の活性化ということでね、いいことを言ってましたよ。彼が言うには、東京というのは実に良い所なんだそうです。緑も多くてね。一極集中が問題になっていますが、ラビバトラは、オフィスを全部郊外に出してしまって、東京から通うようにすれば良いと言うんです。そして、中にいるオフィスは税金を高くする。今は反対で周りから集まってくるでしょ。だから一極集中になる。それは東京だけで
はなくて、地方都市においても同じことが言えるんです。それと景気を良くするには、住まいを広くすれば良い。景気対策として減税の話が出ますけど、減税ではだめなんです。減税では財政をどうするんだという話になるでしょ。今の税額のままでいいから、同じ税額で倍の面積まで認める。そういう法律を作ればいいんです。そうすると皆さんの住まいの環境も良くなるし、広くなる分いろいろなものを買えるようになって需要が増える。そういう環境を作れば日本の国は栄えるでしょうと言うんです。
危機感を持って果敢に挑戦すること
@中田 栃木県の県北の方では、かなり経済が低迷して倒産が増えてきているということですが、佐野も例外ではないと思います。社長の今までの経験の中で、経営者はこういう心構えを持つべきだというものがありましたらアドバイスをいただきたいのですが。
@亀田 もっと情報収集をやったらいいんじゃないでしょうか。皆さん案外勉強をしていないですよね。私はパソコンを3台使っていますが、何かあるとすぐにこれでまとめるようにしているんです。明日やろうとか、今度とか、後でとか、絶対にいけない。どこにでも勉強の資料というのはあるんです。そのためには、異業種の方も大勢知っているということも必要ですね。そこで別の情報も入ってきますから。それと、挑戦するという気持ちが大切です。最近、私の会社でISO9000の認証を取りましたけど、これも挑戦ですよ。大企業だからできるんだ、中小企業だから難しいなんていうことはないですね。個人でもできるんですから。次世代に向かって必要とされるものに、敢然と立ち向かうことですよ。危機感を持って、そういうことに挑戦することが大切ですね。
@中田 次世代に向けたものを情報収集しても、ターゲットがどこにあるのかというのが、なかなか見つけ難いということがあるのではないかと思いますが。
@亀田 これからどうやっていくかというと、専門職ですよね。総合職ではなくて、専門職としてどうやっていくかということを考えるしかないんじゃないですか。自分の仕事の中で、どうしたらお客さんに満足してもらえるかを極めている人、知っている人は案外少ないですよね。私の会社のターゲットは「早く 良く 安く」というんですよ。スピードの時代ですから「早く」、「良く」というのは当たり前ですよね、「安く」というのは安心という意味もあるんです。
@中田 この辺が分かっているようで分かっていなくて、実行がなかなかできないですね。
@亀田 難しくしてはだめなんです。易しくして、誰が見ても会社や店の経営方針が分かるようにしておくことですね。それと、以前お店の経営者の集まりで話をしたことがあるんですが、お店にレジがありますね。大体そこの店の奥さんがレジをやっているんですよ。でも、大事な所こそ従業員を信用してやらせなさいと言ったんです。そして、報告だけちゃんと聞いていればいいんです。なかなかできないと皆さん言うんですけど、いつまでもそういうつまらない所を握っているから、大きいものが来た時に掴めないんですよ。「商工日本」という本にこういうことが載っていたんです「人事は明日のこと、総務は今日のこと、経理は昨日のこと」人を中心に考えていくことが将来のために大切なことですね。

一番大切なのは従業員

@中田 これから、日本の経済はどういう方向に進むと思われますか。
@亀田 バブルが崩壊して、失った財産が二千兆円です。国家予算が七十兆円ですから、戻すのに三十年かかるんですよ。途中で押さえて崩壊が遅れた分、不況が長引いてしまった。今の状況はもう少し続きますね。それと、経済の話をすると、大企業だけが生き残っていくというような話をされることもありますが、大企業だけで生きられるわけはないです。中小企業も一緒に共存共栄しないといけないですよね。商工会議所の月刊誌は「石垣」というんですが、石垣というのは、大企業という大きな石があって、中小企業の小さい石がその間に入っているわけですよ。やはり、バランスというのはそういうことなんです。それから、こういう悪い状況が続くと賃金の引き下げという所にまでなると思いますが、そういう時は早くやることですよ。早くやることが、結果的に従業員を救うことになります。それを悪くなった一番最後にやるからいけないんです。一番大事にするのは働いている従業員であり、その家族だという根本的な姿勢を持っていないといけないですね。これからは従業員のことをどう考えていくかでお店が栄えていくと思います。最終的には、具体的な思いやりの行動ができないといけませんね。@中田 それが一番基本的なことでしょうね。
@亀田 この前、東電のトップセミナーに行ってきたんですが、その講師が、ちょうど前にいた、ある銀行の頭取に言っ
たんです。あなた銀行に入って、頭取から誉められたことがありますかと。その頭取は、一度だけありましたと答えたんです。そうしたら、あなた頭取になって、何人行員を誉めましたかと。すると、一人も誉めていない。日本の経営者というのは、大事な従業員などと口では言っていますけど、従業員の悪い所ばっかり探している人が多いですね。それじゃだめです。人を誉める。これからはそういう時代です。リーダーはそういう考えを持たなければだめですよ。
@中田 お忙しい中ありがとうございました。大変有益なお話を聞かせていただきました。


こならの森123号

2008-05-04 | 101号~200号
       ■こならの森123号■1998.7発行

表紙 「のかんぞう」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森8月号■

おぞねとしこのポエム…のあざみ……3p
知らんの5つの市/……ホームズ……4p
結婚(誕生)…遠藤さん夫妻…5p
クイズ/タウン/現代国語…だい…6-7p
JC・インタビュー…東ちづる…8p-11p
小京都………12-17p
ロータリー………18-19p
ざ・ショートショート………20-21p
海棠市子の映画評………22p
書評・絵本紹介……23p
インフォメーション98………24-27p
協賛店マップ………28-29p
新・こならの森から…………………30p

■■■■■■■■■■■

【本文抜粋記事】

小京都………12-17p

■コ・京都ミステリー
 このほど、佐野市で市政55周年を記念して、全国京都会議がおこなわれた。古都といわれ都市をあげて見ると、確かに全国には多い。そして、そのいずれもが多かれ少なかれ、究極の都、京都をイメージしているといっていいだろう。東京でさえも京都のイメージを得ているといわれている。東北の藤原三代も京にあこがれそれを思い描いた都市造りをした。東国の京(東京ではない)鎌倉でもしかりだ。京都がなければ、鎌倉の都市造りもまた違ったものになっていただろう。
 なぜそこまでして京都の都市造りは完璧なものとなったのだろうか。実際に、京の都の基礎、平安京は未完の都であった。現在では完成されたように思われる都だが建設当時の思惑とは違っている。平安京が基盤造りをして、基礎を築いた後、信長も秀吉も、京都を根拠地としては活用しなかった。桃山や大阪を拠点に城を築き、根城にした。今の米でいう、ワシントンとニューヨークとでもいうのだろうか。経済や政治の中心がどこに移っても、精神的な中心@母体@を常に京都において来たとも言える。藤原京、平城京、平安京と移り変わった首都としての完成が、現在にも続く『京都』だといえるだろう。
 また、平安京の前に造られた長岡京が、早良親王の怨霊によって現在の京都に変更されたともいわれている。
 映画『もののけ姫』ではないが、なにかこの時代特有のスピリチュアルな文化があったと思われる。
 さて、『古都・佐野』へ話を移そう。現在の佐野市の都市計画は、佐野氏が拠点を唐沢山から今の城山へ移した1602年から始まる。
 『駅南のひろば』に連載の『駅前古今』の著者、郷土史家・京谷博次さんによれば、佐野市の都市計画にも四神相応の考え方あったという。規模は小さいが、1602年(信吉)から、地図にあるような地形の都市づくりをしていた。
 原図は1853年、井伊直弼が佐野に来た時に製作した。太い線は井伊直弼が遊行した道筋を表したもので、当時の道の広さには関係ないという。
■唐代の長安城
 ご存じの通り平安京は中国の長安城をモデルにして建設された。しかし、四方にぐるりと回した城壁は、平安京では簡素なものになっている。日本では騎馬民族のような外来からの襲撃を受けるということはないから、かなりオープンが外壁であったということだ。佐野でも、地図を見る限りでは城壁らしきものは見られない。
四神相応の考え
西■大道=東山道、例幣使街道
北■丘陵=城山、水道山、唐沢山
南■窪地=渡良瀬川沿岸の低地
東■清流=三杉川
 四神相応とは、広辞苑によれば『四方の神、東は青竜(流水)、西は白虎(大道)、南は朱雀(くぼち)、北は玄武(丘陵)の四獣。四季を神に配した称。』それをもとに、相応したもっとも貴い地相が四神相応。東に流水があり西に大道、南にくぼち、そして北に丘陵のある地相がよい。平安京もこの考えに基づいて選定。
[佐野京(佐野市)と平安京(京都)の相違点]
■京より一歩進んだ防御都市
 この近辺ではまれに見る近代的な京都を見本にした都市(計画)であると言える。ただ、京都のような厳格な碁盤の目ではなく、食い違いが防御上の工夫がこらされているというから、時代により京都より(規模の違いこそあれ)さらに進んだ防御都市と言ってもいいと思う。
 京の鬼門にあたる位置には比叡山がおかれている。実際には、長岡京ができたときに開山しているので、京都の鬼門除けのために比叡山が造られたのではないそうだが、長岡京から鬼門方向に向けて京都が造られたことを考えると、その位置関係も始から加味されていたとも考えられる。
 佐野市ではどうか、実は同じように、鬼門に集中して寺が配されている。市内の地図を見て頂ければ一目瞭然だろう。そして、道路の要所要所にも社寺が配されているのである。
 ただ、まるっきりのさら地を開拓したというより、既成の土地を碁盤の目上に整備したものという。
 こならの森掲載の歴史講座の中にも、「道の突き当たりには寺を配します。これは有事の際に寺に防御の役名を果たせるためです。西を流れる秋山川は水堀の役目です。水道山といわれる山には、小野寺から八幡宮を遷座して祀ります。寺の大部分は唐澤山の麓にあったものです。」とあります。 
 佐野市は小京都と銘打っている数ある都市でも、その歴史的古さや、都市計画など、呪術的バリアなどどれをとっても、小(コ)・京都といって過言ではない。しかし、現在では、往年の町並みを残した地区があまりにも少ないので、見ただけ(一見)では単なる地方小都市としか受け取ってもらえない。せいぜい、心に残る一番のイメージはラーメンの町と言ったところだろうか。事実、町に住む人でさえ関東随一のミニ京都だということにあまり関心がないようだ。
 ただ、歴史だけでは日本一の小京都だと威張れる訳ではない。小京都のメンバー都市は名だたる有名な都市が目白押しだからだ。とても本来なら太刀打ちできるものではない。足利市の鑁阿寺周辺の方がソレらしいと思うし、イメージづくりも、その膨らませ方(ハッタリ)も残念ながら佐野市には全くない。


こならの森122号

2008-05-03 | 101号~200号
       ■こならの森122号■1998.6発行

表紙 「岩舟ポピー」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森7月号■

おぞねとしこのポエム…あまがえる……3p
知らんの5つの市/……ハイド……4p
結婚(誕生)…小森谷一樹さん&一枝さん…5p
うしろの正面クイズ………6p
安佐の名所クイズ………7p
JC・インタビュー…大谷貴子8p-11p
シーディング………12-17p
ざ・ショートショート………18-19p
海棠市子の映画評…『HANA-BI』……20p
書評・絵本紹介……21p
タウン情報………22p-23p
インフォメーション98………24-27p
協賛店マップ………28-29p
新・こならの森から…………………30p

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【本文抜粋記事】

シーディング

■ガーデニングとは
 ガーデニングを日本語に訳すと園芸です。園をさらに辞書にあたってみると『草木・花・野菜を植えた畑や庭』とあります。しかし、庭と畑はイメージ的にあまりにも掛け離れています。 根古屋森林公園に最近オープンした、クラインガルテンはドイツ語で『小さな庭』だそうですが、実際にそれを使用状況に合わせて日本語に訳すと家庭菜園となるのではないでしょうか。洋の東西をとわず昔は、畑と庭との区別を明確にはしていなかったようです。 今静かなブームのガーディニングを考えてみると、やはり庭と畑の二つを意味すると思います。
 『庭・ガーディニング』は、まさしく庭に花木を植えて鑑賞し、その周辺グッズやドライフラワーなどを作って楽しむ。
 『畑・ガーディニング』は、野菜を中心に『実』を取る。あまり鑑賞という言葉は出て来ない(?)
■家庭菜園を楽しむ
 それでは私はと申しますと、家のすぐ前の3坪程の庭に、じゃがいもやひまわり、デイジー、ニンジン、雑木、ミント、シソなどごちゃまぜ。
 他に100坪程の畑を借りて、トウモロコシ、キューリ、オクラ、ナス、スイカ、カボチャなどの野菜を栽培しています。
 また、鉢栽培も数年前から行っています。ミニトマト、バジル、パセリ。種類にもよりますが深
さがある容器の方が生育は良いようです。
 今回は、入門編として紹介して行きたいと思います。
ガーデニングからシーディングへ ( 種 蒔 き )
■なぜ『シーディング』なのか
 極端に言えばそれは庭(菜園)に本当に種を蒔くだけだからなのです。これといった機械や用具も必要としません。
 買うものは、本当に種だけです。

■始まりはジャガイモ
 昨年の春に、あまったジャガイモの種芋を10個か20個だったと思いますがもらったので、畑に植えてみました。その時は、家庭菜園という考えはなかったのです。ですから、それっきりで植えたことすら忘れてしまうほど、まったくのほったらかし。にもかかわらず、立派に成長しました。(まるで我が家の子育みたい。)段ボール箱いっぱいの収穫を目にして、家庭菜園に目覚めないはずはありません。現在その畑には、取り残したジャガイモが芽を出して、スクスク成長しています。最初に植えた種芋の20個くらいは充分収穫できそうです。
 後で園芸書を読むと、ジャガイモの栽培は簡単な部類に入るとか。もちろんなんでもかんでも種を蒔けばというわけにはいかないものです。何度も失敗しました。しかし、一袋の種の値段は数百円程度。小松菜などは一袋100円。(実際には、それ以下の金額でも十分採算が取れると思われる。)昨年の秋に適当に子供達とぱらぱら種蒔きをしたら、今年の春先まで楽しめました。とりに行くのがいやになるほど採れます。漬物はもちろん、菜の花のピクルス、からしあえなどなど。
 同じように、どうせ出てきやしないとたかをくくって蒔いた、タカナはそんな(菜)馬鹿菜と思うほど出て来て閉口しました。漬物にしても、みそ汁に入れてもまだあるまだある、もとは180円なのに、いったい何回元を取れば気が済むのか。ただ飽きてしまって、見る気にもなれないのが残念。
■こならの森流 ガーディニング術
 家庭菜園と言っても、プロの菜園家(百姓)と同じように手間をかけるのもひとつですが、私は家庭菜園には、家庭菜園らしい素人さがあって良いと思います。家族でお金をかけずに楽しみながら、どろんこになって食物を育てていく。最初は簡単なものからチャレンジして、種類を増やしていく。うまく行かないこともあります。一袋種を蒔いたのに発芽しない。また、発芽したが、成長しなかった。でも、元手は数百円だと割り切ることが肝心です。しかし、悔しさのあまりそうは思えないのが人情というものです。それに、一袋数百円でも100種類近く品種を揃えると、数万円にもなります。畑を借りているとしたらその地代もかかります。ばかにはなりませんが、私はそういうものだと思うことにしています。
 土日と仕事が終わった後のアフターファイブにしか、菜園へはいけませんから、必然的に手間がかけられません。全くの放任栽培です。
 なるべく手間をかけないという勇気が実は必要なのです。
 細部ついては、後日、詳しく紹介してみたいと思います。また、編集部と一緒に菜園を耕す人を募集中です。


こならの森121号

2008-05-02 | 101号~200号
       ■こならの森121号■1998.5発行

表紙 「唐沢菖蒲園」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森6月号■
10周年記念号 

おぞねとしこのポエム…いとすぎ……3p
知らんの5つの市/…あかいし………4p
結婚…篠原さん夫妻…5p
JC・茂木敏充………………6-9p
うしろの正面/名所クイズ………10p
安佐の2万5000年………11-22p
トピックス………23p-29p
新・こならの森から…………………30p

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【本文抜粋記事】

こならの森から

犬の時間
 春になったと思ったら、桜が散って、芽吹きの時を迎え、過ごしやすい季節になって来ました。そして5月はこならの森創刊の月でもあります。
 激しい時の移ろいで今回だけは、『何かを始めるには一番いい季節』なんてとても言っていられません。
 『生きるという贅沢』、そんなタイトルの本を目にしたとき、はっとあることに気づかされました。それは、なぜ季節の変化を眺めているだけなのにこんなにも豊かな気分に浸れるのだろうと考えていたからです。
 最近になってやっと、モノではない、と誰しも分かって来たのですが、それ以上の事が分かりませんでした。
 ある映画監督はそれを『犬の時間』と提起します。一日ぼんやりしている時間がもしかしたら、一番犬にとって幸福なのではないかと。子どものころに過ごした、社会性に捕らわれない時間は、まさしく犬の時間だとも言っています。
 子どもにとって、服を脱ぎ、服を着るという時間は悠久の流れの中です。おとなは5分とか、10分とか手元の時計で計測しながら、『早くしなさい』を連呼しますが、子どもは違います。おとなからみればほとんど止まっている時間かも知れません。
 こならの森もあっと言う間の10年でしたが、一号一号読み返すと、濃縮された時間が弛み始めます。



こならの森220号

2008-05-01 | 101号~200号
       ■こならの森120号■1998.4発行

表紙 「みかも山」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森5月号■

おぞねとしこのポエム…みずなら……3p
知らんの5つの市/…京かのこ………4p
結婚…阿部さん夫妻…5p
ウーマン慶野かや野さん………6p
現代国語………7p
JC・JOURNAL………8-11p
田中正造…布川……12-19p
タウン情報………20-21p
インフォメーション………22-25p
海棠市子の映画評……………26p
書評・絵本紹介………………27p
協賛店マップ………28-29p
新・こならの森から…………………30p

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【本文抜粋記事】

ウーマン
慶野かや野さん
オカリナのお菓子『田沼の調べ・オカリナの里』を製作した
 慶野かや野さん。

 昭和44年生まれ。日本菓子専門学校を卒業後東京の和菓子店に4年間勤務。その後帰郷し、風月堂で菓子製作に従事している。東京の和菓子店では、初めて採用された女性社員だという。最近では、一頃のような厳しい職人気質も薄らいでおり、場合によっては分量などをメモすることもゆるされたという。
 風月堂では、オリジナルの創作和菓子などを製作。今回のオカリナ菓子の構想は、かや野さんが
オカリナを習い始めた3年ほど前に溯るという。『オカリナは、音のやさしさと音色の変化がよく、そうしたものを味の変化として出したかった。』という。それ以前にもバレンタインに作成したクッキーがありそれが原型になった。それから、いちごあんを使ったお菓子を前々から作ってみたかっ
たからだともいう。
 一般的なオカリナの大きさをそのまま模したのでは、お菓子としては大きすぎてしまう。程よい大きさにするまで何度かやり直し、基本の型を作るまでに時間がかかったという。オカリナにある穴は型抜きでは出にくいので一つ一つ手で仕上げているという。
 いちご味の材料は小麦粉とバターのクッキー生地の中にいちごのつぶつぶあんを入れている。もう一つはココアの生地にチョコチップが入り、あんはミルクあんを使用している。いちごのつぶつぶ感がたまらなく、クセになる人もいるという。


こならの森119号

2008-05-01 | 101号~200号
       ■こならの森119号■1998.3発行

表紙 「山崎家の桜」

C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森4月号■

おぞねとしこのポエム…たまねぎ……3p
知らんの5つの市/……カルメン……4p
結婚(誕生)…青木さん夫妻…5p
JC・インタビュー…国分…OCR=6-7p
桜の名木……8-11p
歴史講座 第11回…田中正造……12-19p
インフォメーション97………20-23p
現代国語…せん…24p
両毛神楽物語…天狗……25p
海棠市子の映画評…『HANA-BI』……26p
書評・絵本紹介……27p
協賛店マップ………28-29p
新・こならの森から…………………30p

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【本文抜粋記事】

歴史講座 第11回 …田中正造…

直訴の真相
戦略家としての田中正造

 直訴状にはハンコがいくつ押してあるのか

 ここにあるのは直訴状のコピーです。佐野市郷土博物館にありますから、皆さまご覧になっているかと思いますが、そこにはハンコがいくつ押してあるのか。私が見るところでは40は押してあります。もちろん最初の署名捺印というのは必要ですよね。それから一番最後の方もやっぱり押さないと納まりがつかない。それからこれは一枚続きになっているけれども、正造さんが使ったのは本来は6枚の美濃半紙ですね。半紙と半紙ですからつなぎがあり、その所に割り印を押しますね。ですからこれは訂正印ではない、それを抜きますと訂正箇所は34となる。
 よく見ると訂正してあるけれども、判のないところもある。これは正造さんが押し忘れたのか、もう一つは直すのを一度全部やってその時は全てに押したが、天皇を待っていて時間があったのでもう一度読んだら直す箇所が出て来て、その時に判を押さなかったのか。私には分からないんです。田中さんに聞くといっても無理ですから、皆さんと分からない所は考えていきたい。

 直訴状は2種類あった

 直訴状は文章としては2種類ある。レジメの1ぺーじの下のところにある新聞記事に出た謹奏表とこのコピーとはかなり違います。突き合わせて研究していただきたいと思います。
 直訴文の最後はどうなって
 いるか。
 直訴状の最後の日付が明治三十四年十二月十日。新聞の方はそうあります。ところが田中さんが使った博物館にある謹奏には、明治三十四年十二月で日が入っていません。私もうっかりしていたのですが、非常に重要なもの、命懸けの、しかも明治天皇に差し上げようという大事な大事な直訴状に日付がない、十二月で止まっている。こんな事があるのか。どうして日付が入っていないのだろうか。
 日付が入っていない遺言状とか公的な文書などは役に立たないですよね。それよりも大事な直訴状が日付なしなのです。田中さんはそれをもって明治天皇に駆け寄って行く。

 どうして日付が入っていないのか。《日付のなぞ》

 あるとこで宇大の生徒に直訴の説明を行った後、宇大の先生が『なんで日が入っていないんでしょうね』と言った。アッと思ったんですね。私はこれに気が付かなかった、その時返事ができなかったんですね。それで何日も考えた。結論というか、今は分かっていますが、案外見落としている点が実はあるのではないか。
 それから、どっちの直訴状が良いとか悪いとかいうのはおかしいのですが、双方には大事な違いがある。新聞に出た直訴状というのは幸徳秋水が書いて清書したものです。ですから体裁はきちんと出来ています。
 しかし、田中正造が明治天皇にお願いする6項目があるのですが、その中には大事なことが抜けています。ですから正造としてはこれでは駄目だ、というので、あちこち訂正したのだと思います。そして両者には致命的な違いがあります。それについては先に行ってから話します。 レジメに直訴の報道とありますが、こんな風に田中正造は直訴したと知らせが出ています。それで直訴が世間に知られるわけです。ですが、直訴の準備だとか、直訴状をどうしたかということは、新聞報道ではすぐにはつかみにくい。まもなく幸徳秋水の文章だと分かる。

 新聞に掲載された直訴状では駄目だ。

 荒畑寒村の『谷中村滅亡史』にある直訴状というのは、新聞に掲載されたものをそっくり使用したが、本当はこの新聞に掲載された直訴状を使ってしまっては駄目なんですね。滅亡史の中の直訴状を田中正造の直訴状だと思って、何か書くときに、これを使ってしまってはいけない。
 荒畑寒村は『谷中村滅亡史』を書きましたが、結構ウソがありますね。それというのは、『カツ子婦人の元に離縁状を送り』と書いてあります。直訴をすると災いが妻にまで及ぶかもしれないからというのですが、これは歌舞伎かなにかの世界です。全くそれはないのです。田中正造と荒畑寒村は谷中で会ってちゃんと話し合っている。正造は荒畑寒村の本が出たことは知っている訳ですけれども、俺そんなことはしないとは言わなかったようですね。
 それから、『発狂者となし、辛うじて僅かに事無きを得たり。』ともある。これは案外、田中さんは直訴後、気違いだというので許されたという説がまかり通っていますが、そうではない。田中正造は気違い扱いされては困ると言っている。
 秋水は直訴状の中の初めの方に狂人の狂の字を使っていますが、正造はわざわざそれを消してしまう。それは正造の使った直訴状を見ていただければ分かります。政府の方も確かに狂人としてはいないですね。警察医を呼んでこの人物、明治天皇に迫ろうとした人物の精神状態を調べた。精神鑑定を行っている。気違いではないということは警察医の方で証明しています。でも狂人扱いの通説が来ている。荒畑寒村など正造に話を聞いていながらもそう書いている。

 間違いを平気で書いている

 もっとひどいのは木下尚江です。一番田中正造を知っている者、だれもそう思っていました。そして、この人は文筆の人ですから、田中正造の伝記を書きました。従来では田中正造を書く場合は木下尚江のものによるか、栗原彦三郎の『義人全集』といったものが定本になっています。ですから、この二人が間違っていればみんな違ってきてしまう、違った田中正造になってしまう。今に思えば多分に木下尚江式の田中正造になっていて、本当の田中正造ではない。まして栗原さんなどは、あの人の勝手な考え、主義主張を田中さんはこう言ったとすりかえて、自分の考えを出しています。ですから、義人全集は特に気をつけて読まないと、義人の『義』が正義の義でなくて偽りの『偽』になってしまう恐れが出てくる。あの本は良い本ではありますが、そういう点に気をつけなければいけない。
 木下尚江ならいいかといいますと、ここでも間違いを平気で書いている。その文をみて下さい。そして、さがしてみませんか。
 それは、通信社がその日のうちに直訴状を報道して来たとあるが報道なんかしてきっこありません。なぜかというと、直訴状は取り上げられてしまったのですから。警察の方へいってしまって、正造の元へ帰ってくるのは13日になってからです。
 ところが木下尚江は10日に、毎日新聞にいると、正造が直訴したという知らせが入って来た。そうこうするうちに通信社から直訴状が送られて来た。と言っている。こんなことは絶対にありません。直訴状の筆者が幸徳秋水だということも、半山の方から知ったことなので、こういう事実も全くない。 しかし木下尚江はそういうふうに書いている。他の人は知らない、俺しか知らないからということなんでしょうか。もっとも大正10年に書いた『田中正造翁』には、そんな風には書いてありません。だんだん自分で作り替えてしまう。ですから、木下尚江の文章で田中正造の直訴の真相を語ろうとしたら全く違うものになってしまいます。