遅ればせながら、伊達政宗の密書の実物を観に行ってきました。
茨城史料ネットの協力のもと、那珂市歴史民俗資料館で、12日まで公開してます(入館無料)。
茨城史料ネットに募金すると、「小野崎文書」(政宗の密書を含め5点)について解説したパンフがもらえます。
小野崎「昭通」って、のちの小野崎照通のことだったんですね。
私、「照通」を「てるみち」と読んでました。
読み方はどっちも「あきみち」って読むらしい。
小野崎照通は、私の住む笠間市とも関わりがあったようです。
笠間氏の最後の殿様、笠間綱家は、小野崎照通の謀反に加担していたようで。
そのため、佐竹氏だけでなく、宇都宮氏(笠間氏の本家)とも折り合いが悪くなったとのこと。
結城氏とは、昔っから仲が悪かったので、地域で孤立。
それで、のちに綱家は、北条氏と接近したのかなあ。
小田原征伐の時、北条側について、本家の宇都宮家に滅ぼされてしまった。
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