KONASUKEの部屋

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萬松山 泉岳寺~四十七士の墓参り~

2017年02月07日 | 歴史
萬松山 泉岳寺・四十七士の墓。
1/29(日)、介護福祉士筆記試験の帰りに、お線香をあげに寄りました。
場所はこの辺↓

宿にしたアパホテル品川泉岳寺駅前が、すぐ近くだったので、目を付けていたのです。
笠間市民としては、これは外せない。

この山門をくぐると、泉岳寺が見えてきます。
高輪中学や高輪高校は、この門をくぐって行くんだね。
現代と歴史が交差する、何か不思議な感覚。
扁額。
右から左に読んで下さいね。
”ばんしょうざん”って読むんだそうです。

山門をくぐったところ。

泉岳寺側から振り返ってみる。
お土産屋さんが並んでいて、瓦せんべいなんか売ってます。
施設の職員には、中々、好評でした。

泉岳寺山門。

右手に、大石内蔵助の像があります。

山門裏側。

萬松山泉岳寺の縁起。
そうか、山門の二階には、釈迦三尊と十六羅漢があるのか。
一階中央天井に龍蟠があるとな?
観たいけど、入れないんだよね、これが。

家康は、今川義元の元で人質時代を過ごしたワケだけど、その今川義元を弔うために、義元の孫を招いて開山させるとは。
桶町火事により焼失後、家光が、浅野など五大名に命じて、現在の高輪に移転。
浅野家とのつながりは、この時からなんだね。

本堂。

解説。
左手には・・・

澤木興道老師の像。

解説。

なぜここに建てられたかは、台座に記されている。

さらに奥には、鐘楼が。

解説。
さらに順路に従って奥へ。

「史蹟 赤穂義士墓所」とある。

途中、右手には、梅と岩。

「血染の梅」「血染の石」とは、何とも物騒な。

さらに進んで左手には・・・

赤穂義士記念館。
寺宝とともに、赤穂義士関係の資料を展示。

日曜だったので休み。
参道を挟んで右手には・・・

義士木像館がある。
記念館の拝観券で入館できる。
つまりこの日は入館できず、素通り。

少し行くと右手に・・・

井戸が。

首洗いの井戸。
吉良上野介の首を洗ったところだそうな。

川上音二郎っつうと、オッペケペー節の人だよね。
マダム貞奴(日本初の女優)のダンナ。
NHK大河ドラマ「春の波濤」(1985)。
泉岳寺に音二郎の墓があったとする資料もあるらしいが、なぜここに碑があるのか、詳細は不明。

さて、いよいよ本題、義士墓入り口の門まで来ました。



この門は、港区の文化財になってるんだね。
門の右手に、これがあります。

左手にはこれ。

え~っと、何々?
「史蹟名勝天然紀念物保存法ニ依リ
 大正十一年十一月 内務大臣指定」
・・・か。

門をくぐってすぐ、100円で線香を買い求め、墓所へ。

墓所の略図。

入って右手、一番手前が長矩(浅野長矩=浅野内匠頭)夫人之墓。

その左手に浅野家の墓。

そして奥に・・・

浅野長矩公(浅野内匠頭)之墓があります。

義士の墓の手前に・・・

墓が

あるんだけど、詳細はわかりません。
そして階段を昇って・・・

義士の墓へ。
手前九基が水野家御預けの九人のもの、一番奥が寺坂吉右衛門のもの。

画面中央の十基が、毛利家御預け十人のもの。
その奥に、細川家御預け十七人の墓。
そして奥の角に・・・

大石内蔵助良雄之墓。
位置的には、内匠頭の墓に、一番近い所にありますな。

細川家御預け十七人の一人、堀部弥兵衛(堀部安兵衛の義父)の墓。
義挙当時、ご高齢だったこの方を含む3名は、内匠頭の祖父、長直の時代、笠間に住んでいたと言われています。
笠間市民なら、泉岳寺は外せない理由、お分かりいただけたでしょうか?

大石主税之墓。

松平家御預け十人の墓。

ここで重大な告白をしなければなりません。
実はKONASUKE、
線香の配分を間違えました(笑えない)
一部、義士の皆様には、お線香が行き渡っていません。
面目次第も御座いません。
ちょっと計算すればわかることなのですが。
線香が100本として。
二本ずつ供えても、47士だけで94本。
長矩公や奥方様の分も考えれば、一人3本はあげすぎでしょう。
考えなかったんだよ(馬鹿者!:天の声)

そういうワケで、次に行った時には、ちゃんとあげて来ようと思います。
高輪の街中には、他にも・・・

こんなのがある。
「大石良雄等自刃ノ跡」
都営アパートの手前にこの碑があるんだけど、奥に入ると、自刃した細川家下屋敷跡があるらしい。
→万歩計
これも訪ねてみたいしね。

次は高輪~白金台の街並みと感想をば。

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