第2回笠間歴史フォーラム「時習館とその時代」の中で行われた報告
「平成27年度 笠間城跡保存調査事業について」
の様子。
笠間小学校の
体育館で、11月6日に行われました。
場所はこの辺↓
「笠間城」を知らない方のために、基礎知識を。
・笠間城跡は笠間市の北部に位置する
・佐白山にあり、笠間盆地を東側から見下ろす立地
・山城。独立した丘陵の西の端の、複雑に入くんだ侵食谷・尾根を巧みに利用している
・承久元年(1219・鎌倉時代)に、笠間時朝によって築城された
で、「笠間城跡保存調査事業」は、2014年度に本格的な調査を開始、2016年度で3年目となる。
今回は2015年度の報告。
論理的な流れとしては・・・
現在、笠間城跡は市の史跡であるが、将来的に県、国の史跡を目指したい。
↓
「どっからどこまでが笠間城跡(史跡)なのか」を明らかにする必要がある。
↓
地形を正確に把握し、城址がどこまで広がっているかを現地調査する。
↓
より正確な地図が必要。
↓
航空写真を撮影し、新たな地図を作る。
・・・というワケで、2015年度は、この地図作成と、城址に生えた大木の除去(石垣が崩れる恐れがあるものなど、保存の妨げになるもののみ)などが主。
一般的な地図。
等高線がかなり粗いため、佐白山頂付近に、平らな地形があるのが分かる、という程度。
都市計画図。
本丸址の形などが浮かび上がってきたものの、土塁などの盛り上がりを把握するには不十分。
今回の地図。
山頂に、段々になった平らな地形が広がっていることが見て取れる。
今回の地図と、都市計画図を比較してみる。
これは本丸部分。
赤い矢印の先、本丸の土塁も、クッキリ。
笠間城跡北西の遺構の比較。
北西に向かって舌状に広がる遺構が、2段になっていることがハッキリわかる。
また、その西側に堀切があることが、初めて明らかになる。
笠間城跡縄張図。
驚くほど、一致していることがわかる。
4の帯曲輪もクッキリ。
×印は、「八幡台櫓」のあった場所。
□□印は、今回明らかになった堀切部分。
右上の矢印は至・石倉方面、左の矢印は至・大黒石方面。
(縄張り図に合わせて、地図を回転させてあります。
「縄張図」は、遺構の特徴を強調して書かれているので、多少、ディテールが異なります。)
江戸時代の絵地図とも比較してみる。
(これも縄張り図に合わせて回転済み。また、見づらいので、明るさを下げ、コントラストを強調してあります。)
今後、今回の地図を参考に現地調査を行い、笠間城跡の範囲を特定する作業に入っていくとのこと。
今後が楽しみだ。
参考資料として・・・
今回の地図(縦位置)
笠間城跡縄張図【一部加筆】(岡田武志氏作図『図説 茨城の城郭』より)
江戸時代の絵地図
「江戸の学びと教育遺産~時習館の系譜~」篇
「『時習館記』碑を読み解く―『弘道館記』碑との比較において」篇
に続く。
「平成27年度 笠間城跡保存調査事業について」
の様子。
笠間小学校の
体育館で、11月6日に行われました。
場所はこの辺↓
「笠間城」を知らない方のために、基礎知識を。
・笠間城跡は笠間市の北部に位置する
・佐白山にあり、笠間盆地を東側から見下ろす立地
・山城。独立した丘陵の西の端の、複雑に入くんだ侵食谷・尾根を巧みに利用している
・承久元年(1219・鎌倉時代)に、笠間時朝によって築城された
で、「笠間城跡保存調査事業」は、2014年度に本格的な調査を開始、2016年度で3年目となる。
今回は2015年度の報告。
論理的な流れとしては・・・
現在、笠間城跡は市の史跡であるが、将来的に県、国の史跡を目指したい。
↓
「どっからどこまでが笠間城跡(史跡)なのか」を明らかにする必要がある。
↓
地形を正確に把握し、城址がどこまで広がっているかを現地調査する。
↓
より正確な地図が必要。
↓
航空写真を撮影し、新たな地図を作る。
・・・というワケで、2015年度は、この地図作成と、城址に生えた大木の除去(石垣が崩れる恐れがあるものなど、保存の妨げになるもののみ)などが主。
一般的な地図。
等高線がかなり粗いため、佐白山頂付近に、平らな地形があるのが分かる、という程度。
都市計画図。
本丸址の形などが浮かび上がってきたものの、土塁などの盛り上がりを把握するには不十分。
今回の地図。
山頂に、段々になった平らな地形が広がっていることが見て取れる。
今回の地図と、都市計画図を比較してみる。
これは本丸部分。
赤い矢印の先、本丸の土塁も、クッキリ。
笠間城跡北西の遺構の比較。
北西に向かって舌状に広がる遺構が、2段になっていることがハッキリわかる。
また、その西側に堀切があることが、初めて明らかになる。
笠間城跡縄張図。
驚くほど、一致していることがわかる。
4の帯曲輪もクッキリ。
×印は、「八幡台櫓」のあった場所。
□□印は、今回明らかになった堀切部分。
右上の矢印は至・石倉方面、左の矢印は至・大黒石方面。
(縄張り図に合わせて、地図を回転させてあります。
「縄張図」は、遺構の特徴を強調して書かれているので、多少、ディテールが異なります。)
江戸時代の絵地図とも比較してみる。
(これも縄張り図に合わせて回転済み。また、見づらいので、明るさを下げ、コントラストを強調してあります。)
今後、今回の地図を参考に現地調査を行い、笠間城跡の範囲を特定する作業に入っていくとのこと。
今後が楽しみだ。
参考資料として・・・
今回の地図(縦位置)
笠間城跡縄張図【一部加筆】(岡田武志氏作図『図説 茨城の城郭』より)
江戸時代の絵地図
「江戸の学びと教育遺産~時習館の系譜~」篇
「『時習館記』碑を読み解く―『弘道館記』碑との比較において」篇
に続く。
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