KONASUKEの部屋

最近はすっかり昆虫ブログと化してます(笑)
生物のこと、笠間のこと、時々政治

南総里見八犬伝の疑問・「鳥銃」って何?

2017年12月01日 | 歴史
「南総里見八犬伝」の文庫本(上下巻)を買って来て、昨日から読んでます。
実に、小5以来、約40年ぶりに(笑)
しかし、のっけから、読んだ憶えのない話が出て来て、ちょっと面食らった。

まぁ、学校の図書室にあった子ども向けの本なので、幾分、端折ってあったようだ。
それでも小学生が読むには、相当厚みのある本だったけど。

さて、とりあえず、
伏姫(ふせひめ)が、金碗大輔(かなまり・だいすけ)の撃った鳥銃(てっぽう)の流れ弾に当たってしまうシーンまできた。
ここで、ふと疑問が沸いた。
ここでいう「鳥銃」とは、我々の知る火縄銃と同じものと考えて良いのか?、と。

ここまでのストーリーを、簡単に年表にしてみると・・・
1438
~1439 永享の乱
1439
~1441 結城合戦 里見季基(さとみ・すえもと)討死、
    一子・里見義実(さとみよしざね)、安房国(あわのくに・現千葉県南部)に渡る
1442  義実一女・伏姫誕生
1443  義実一男・次郎太郎(義成)誕生
1454頃 八房誕生
1458  安房、朝夷(あさひな)地方、不作
1459  平群(へぐり)・長狭(ながさ)地方、大凶作
    安西景連(あんざい・かげつら)侵攻
    伏姫、八房とともに富山に入る
1461?1462?
    伏姫、鳥銃の流れ弾に当たる

最後の年号は、「伏姫は二十歳にはまだならなかった」との記述から計算したもの。

「火縄銃」の「伝来」は、1543年とするのが通説だから、伝来まであと80年待たなければならない?
あるいは「鳥銃(てっぽう)」とは、私たちが知る鉄砲とは別物なのか?
一説には、ヨーロッパ式の火器が持ち込まれる前から、アジア式の火器が日本に入ってきていたとも言う。
馬琴は、そのことを意識して、「鳥銃」の文字を使ったのだろうか?
ナゾだ。

blogramのブログランキング


最新の画像もっと見る

コメントを投稿