バイクも仕事も走ります。

バイクででかける。美味いものを食べる。は継続。弁理士の仕事のはなしを加えていきます。

R1若しくは旧東海道を歩く 11月21日

2021-11-25 23:43:48 | 散歩
三重県鈴鹿市

関西本線加佐登駅

この線を関西本線というのは未だ納得いかない。

もう地域が非関西やないかと。

この日の出発点



すこしR1に沿う

すぐに細い道



石薬師の一里塚に到達。



ここは,もと蒲川の西岸に位置し,かつては東海道の両側に榎が植えられていた。記録によると,榎は伊勢湾台風で折れ,終戦後北側にその根元だけが残っていたという。しかしその後消滅してしまったので,昭和52年に南側に榎の若木を植え,『史跡石薬師の一里塚跡』の碑を建てて保存が図られている。

とのこと。

しばらく歩くと、やたら軒先に和歌がある。

この辺り出身の佐佐木信綱いう人の記念館があるらしい。



この人は、明治から昭和中頃の歌人
佐佐木幸綱さんは、孫に当たる人。

心に響く歌

行儀悪く走ってても歌にしてくれないので、周りの目も気にしてほしいな。

さらに歩く。

向こうの方に街が見える。

四日市まで来たようだ。

えらい急な坂に出た。

三重県四日市市采女

杖衝坂







日本武尊が幾多の苦難の末に東国を平定し、帰途につきましたが、伊吹山で荒ぶる神の祟りを受け、病にとりつかれてしまいます。そこで、大和に帰るため、伊勢国に入り、三重郡采女村あたりまで来たとき、急坂を杖をついてようやく登れたので、その坂を「杖衝坂」と言ったということです。さらに、少し進んだとき、「吾か足三重の勾なして、いたく疲れたり」と言い、その地を「三重」と言うようになったとも伝えられています。三重郡の由来です。そして、能褒野にたどり着いたところで亡くなったので御陵をつくると、日本武尊は、大きな白鳥と化して、大和をめざして飛び去っていったという。

とのこと。

平坦な道を歩く。

追分駅(おいわけえき)に出た。

この駅は、三重県四日市市追分三丁目にある、四日市あすなろう鉄道内部線の駅

とのこと。ほか一杯書いてあったけど、まあええか。

渡る直前で踏み切りが下りてきた。

駅に電車が来て停まる。

ついでに撮り鉄やってみた。



道幅のわりに車が多い。

邪魔やなぁ、とは思うものの、向こうも同じこと思っているだろう。

一里塚があった。

見つけにくいところにある。



三重県四日市市日永
日永の一里塚跡は、日永5丁目の倉庫と住宅に挟まれた空き地にあり、現地には「史蹟日永一里塚阯三重県」と記した石碑が建っている。もともとは当地から北の2丁目にある榎(えのき)の老樹が一里塚として指定されたが、再調査により当地に変更された。元禄3(1690)年版の菱川師宣(ひしかわもろのぶ)の『東海道置絵図』に当地が明記されており、明治の始め頃まで道路の両側に5m四方で高さ2.5mの塚があり、榎と松が茂っていたと言う。

とのこと。

もう昼も近い。

近鉄のほうの四日市の駅が近い。

今回はこの辺りまでとした。



四日市の駅周辺のお店でお昼にした。

昼の開店直後に入店できるように朝早めに出発したが見事にはまる。

鰻にするか鶏肉にするか迷ったけど、安い方の鶏にした。

骨付鳥かもん

三重で香川の名物やってるのか、ということで来てみた。

香川の一鶴にはしばらく行けてない。

親鳥のほうにした。

わかどりのほうがいいのかな、と思ってたが、女性、子供向けと書いてあったので、これ注文したらちょっとかっこ悪いな~、いうことで、親にした。

ちょと硬いか、、いや、ちょっとどころやないな~

ハサミついて来たし。。

一鶴ではみたことない道具。

香辛料もかなり効いてる。

しかし、カウンターにいると、肉が焼けていい音が定期的に来る。

食欲をそそる音量







顎に疲れが残るが、美味しく帰った。


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