17日、随分と久しぶりにヨガへ。
本日はマンツーマン。
先生としても、抗がん剤治療中の患者ということで、きをつかわれたのでしょうか。
呼吸と冥想がメイン。
そのあと、先生とお話。
先生のお母様は大腸がんで発覚時、すでに進んだ状態であったこと。
抗がん剤で余命は伸びたが、大変であったこと・・・。
思考は訓練。
感情を第3者の自分自身がみているような気持で。
呼吸やポーズに集中する。
足るを知ること。
潜在意識とつながれば、奇跡は起こる。
冷え取りでも聞いた話とつながってるなぁ。と感じた。
先生は冷え取りは知らなかったけれど。
足るをしる・・か。
私は35年、そう思って欲をださず、生きてるだけでありがたいと、家があって食事があってお風呂に入れて、それでいいと、自分に言い聞かせてきたんだけどな。
本当は、愛されたかったし、愛し愛されて、何気ないことでわらいあい、信頼し合ってくつろげる、信じて頼って。一緒にいるだけで満たされる。そういう恋愛と結婚をしたい!子供がほしい!大きい声で憚らずに言って、それを実現化したくて仕方なかったの。
女性として認めてほしい。女性として愛されたかったの。
守ってほしい。守られてる絶対的な安心感。それを感じてみたかったの
今でもそうだよ。
一義流気功を受けました。
施術中も今も、何も感じない(笑)
顔も知らない人に、頼んで(笑)
気功って何か知らんけど、何もしてなくて一万八千円だったら、ほんと私笑えるんですけど~。神社で受ける御祈祷も、神様からのお下がりもらえるしなぁ。(笑)
でも、今は奇跡を起こしたい!
まぁよい。気なんてものは、目に見えないのだ。目に見えないものを買ったのだから、その人が私の目に見えないこともきっと大したことではない。
気というのは、そういうものだのでしょう。
完治させるの。なんでかって言うと、彼の笑顔をもっとみたい、彼に触りたい、彼に会いたいの。
ないものねだり・・・そう言われたけど、そうだね。そうだけど。
だって寝ても覚めても好きなのは、現実だし。
そのことを考えると、涙があふれてしまうので、泣き疲れたら寝ることにしてる。
今日は14時から、気が付いたら18時まで寝てた(@_@;)
夜、眠れるかなぁ。
夜の眠りが浅くて困ってる。
眠剤もらってるけど、すぐ寝付けない。
労働してないからだよねぇ。働いてる時は、すごく疲れていて、仕事中もうっかりすると舟をこぐあり様だった。
寝る時間がなかったから・・。
メンタルクリニックの先生のところに受診(半分は傷病手当金の申請のためが理由)
昼眠れてて、帳尻があってるなら、いいじゃないと。
前は、朝に用事を入れて生活を正せ~って言われてたけど、もう今の私はそこまで求められてないんだなぁ。今できることをすればいい、そういうレベルなのねって思った。
レクサプロ、やっと減量してもらえた。本当はすっぱり辞めたいんだけど、いきなり断薬は身体によくないそうだ。
先生も、多分もう薬はいらないと判断している様子。
「最近はどうですか?」
「あ、生きてます」
「癌は闘う病気だからね」「今のあなたをみてると、みなぎってるから大丈夫ね」
「でも、先生ずっと戦い続けるのは疲れます」
「そうですね。私も表面的な知識しかないから・・・。なったことがないと本当のことはわからないです」
「えぇ。なってみないと、これはわからないと思います」
そんな会話をして終わった。
薬は、できるだけもう飲みたくない。抗がん剤の副作用対策の薬も、吐き気がないので吐き気止めはもう飲んでない。胃薬も。しびれ対策のビタミンEだけ飲んでいる。自己判断で勝手にやめてしまった。これ以上無駄に肝臓に負担をかけたくない
そうそう、この日初めてウィッグを装着して出かけた。
久しぶりの感覚。風が強いので帽子をかぶっていった。
人工毛と人毛MIXだから?風に吹かれると、一方向に束になって癖が付く。
通りすがりの小学生女児が、私をみていぶかっていた。
やはり子供は勘が鋭いなぁ。
受診後、一息ついて頭が蒸れるのでトイレで帽子を取った。
はずが、帽子と一緒にウィッグも取れた。
やばし!誰もいなくてよかった。
が
鏡の前で使用後・使用前を自分で、しっかりと把握するためになった。
髪の毛ってすごいなぁ。
その記憶のせいか、今日はまゆ毛をそりすぎちゃったけど、前髪で隠せばいっか。あははって笑ってる夢を見てしまった。
昔の毛量だった。多くて癖が強くて困るくらいだったけど
自然に与えられた髪の毛の大事さよ。
女性としての豊かな髪というのは、無意識に自分を女としての意識を根っこに植え付けるものであったなぁ。
髪を結う。とか髪をなでる。とか、あれは本当に幸せな仕草だったな。
また必ず生えてきますように。
生えてきたら、ロングを目指そう。そして髪を結うんだ。
香水をつけて、いい香りさせて、スカートはいて。ヒールの靴をはく。ストッキングを脱ぐ。
ショーツを脱ぐ。
ブラジャーは身につけられるかわからない。(新品同様のブラもたくさんあったのに)
乳輪作成まで3年くらいかかってるみたいだから・・・私40を超えるのかぁ。
女としてのスタートが遅すぎた私。女としての性をあきらめるのは嫌だ。
誰にも気が付いてもらえなかった人生で、ずっとあきらめて、目立たないように意識してきたけど、
私、女を辞めたくない。女として褒めて、私の存在を喜んでほしい。性愛だって、ほとんど知らない。それだってこれからもっとしたいんだ。
読書
ドリアン助川「あん」吉本ばなな「花のベッドでひるねして」
内容を確認せず、適当に図書館で借りてきたが、どちらも人がなくなる話だった。
「花の~」なんて、登場人物の奥さんが癌(抗がん剤使用で頭の髪の毛が産毛のまま、主人公の夢に出てくる。その奥さんの夫を想う気持ちが、まるで私の気持ちのままだったから、もう・・・。)
なんて内容を借りちゃったのか。なんでビンゴでこれ借りちゃったのかな。と思いながら読む。今読む内容じゃなかったなぁ~。
明るい本をたくさん読む時期だよ今は。マンガを読もう。
ところで、出物腫れもの、ところ構わずという、昔の人の実感のこもった語があるが、
ヨガの先生のありがたい、真面目な、命のお話を対面してうかがっていた時、
私は、放屁の欲望と、ひそかに戦っていたのだ。
身体の声を聞こう、そして心も体も健康に。
そうなるためにヨガに来たのだから、
ココは身体の声に忠実にしたがって、日に焼けた小学生のように「ぶほっ」と一発かましてやるべきであったに違いない。
そして子供のようなえがおで「えへへ」って言うのが
真の健康をめざすヨギーニ(修行中)というものに違いないのだ。
今まで身体の悲鳴を無視し続けた結果、今こうなっているのだから
たかが屁。出してしまえば、空気と共に溶けあって、それはなかったも同義。
まさにヨガで言うところの「空」
というものではなかろうか。身体が出したいというものは、本来出したいときに出し切るべきなのだ。それぞ、身体の声を聞く、というものではあるまいか。
きっと先生も「よくぞ、私の教えを体現してくれた」とあの美しい笑顔で喜んでくださるに違いない。
が、私は同時にいい年齢の大人である。
目の前には、私の10上とは思えない若さとうつくしさとかわいらしい笑顔で、一生懸命私の健康のためになる、話をしてくださってる先生がいらっしゃる。
お家は、カントリー風で、庭には真っ白なかわいらしい犬。
部屋には、庭から今朝摘んできました、というローズマリーが活けてある。
静謐なお部屋にはアロマもたかれている。
お掃除が徹底されていて、すべてが調和してる、雑誌に出てくるような、ヨギーニッぷりなのだ。そこには私の人生にはお目に罹らなかった、おしゃれで健康的な、生活が繰り広げられていたのだ。
私の気持ちをお察しいただきたい。
先生の、ありがたく気品高い声を聞きながら、
脂汗を脇にかきながら、必死に身体からの放屁の願望を、おさえこみつつ、
それをやり過ごしながら、作り笑顔をしながら、姿勢を保った30分程度を。
お察しいただけただろうか。
ありがたいお話の、ほとんどは私の耳を通り抜けて、私の普段から空っぽの頭には、何一つ残らず
私の身体の中の毒素は、行き場を失い、再び私の腸の中に押し込められたのだった。
それでも、私は何とかその場を放屁しなかった自分の
常識的な振る舞いに、それなりに満足を覚えたのだった。
本日はマンツーマン。
先生としても、抗がん剤治療中の患者ということで、きをつかわれたのでしょうか。
呼吸と冥想がメイン。
そのあと、先生とお話。
先生のお母様は大腸がんで発覚時、すでに進んだ状態であったこと。
抗がん剤で余命は伸びたが、大変であったこと・・・。
思考は訓練。
感情を第3者の自分自身がみているような気持で。
呼吸やポーズに集中する。
足るを知ること。
潜在意識とつながれば、奇跡は起こる。
冷え取りでも聞いた話とつながってるなぁ。と感じた。
先生は冷え取りは知らなかったけれど。
足るをしる・・か。
私は35年、そう思って欲をださず、生きてるだけでありがたいと、家があって食事があってお風呂に入れて、それでいいと、自分に言い聞かせてきたんだけどな。
本当は、愛されたかったし、愛し愛されて、何気ないことでわらいあい、信頼し合ってくつろげる、信じて頼って。一緒にいるだけで満たされる。そういう恋愛と結婚をしたい!子供がほしい!大きい声で憚らずに言って、それを実現化したくて仕方なかったの。
女性として認めてほしい。女性として愛されたかったの。
守ってほしい。守られてる絶対的な安心感。それを感じてみたかったの
今でもそうだよ。
一義流気功を受けました。
施術中も今も、何も感じない(笑)
顔も知らない人に、頼んで(笑)
気功って何か知らんけど、何もしてなくて一万八千円だったら、ほんと私笑えるんですけど~。神社で受ける御祈祷も、神様からのお下がりもらえるしなぁ。(笑)
でも、今は奇跡を起こしたい!
まぁよい。気なんてものは、目に見えないのだ。目に見えないものを買ったのだから、その人が私の目に見えないこともきっと大したことではない。
気というのは、そういうものだのでしょう。
完治させるの。なんでかって言うと、彼の笑顔をもっとみたい、彼に触りたい、彼に会いたいの。
ないものねだり・・・そう言われたけど、そうだね。そうだけど。
だって寝ても覚めても好きなのは、現実だし。
そのことを考えると、涙があふれてしまうので、泣き疲れたら寝ることにしてる。
今日は14時から、気が付いたら18時まで寝てた(@_@;)
夜、眠れるかなぁ。
夜の眠りが浅くて困ってる。
眠剤もらってるけど、すぐ寝付けない。
労働してないからだよねぇ。働いてる時は、すごく疲れていて、仕事中もうっかりすると舟をこぐあり様だった。
寝る時間がなかったから・・。
メンタルクリニックの先生のところに受診(半分は傷病手当金の申請のためが理由)
昼眠れてて、帳尻があってるなら、いいじゃないと。
前は、朝に用事を入れて生活を正せ~って言われてたけど、もう今の私はそこまで求められてないんだなぁ。今できることをすればいい、そういうレベルなのねって思った。
レクサプロ、やっと減量してもらえた。本当はすっぱり辞めたいんだけど、いきなり断薬は身体によくないそうだ。
先生も、多分もう薬はいらないと判断している様子。
「最近はどうですか?」
「あ、生きてます」
「癌は闘う病気だからね」「今のあなたをみてると、みなぎってるから大丈夫ね」
「でも、先生ずっと戦い続けるのは疲れます」
「そうですね。私も表面的な知識しかないから・・・。なったことがないと本当のことはわからないです」
「えぇ。なってみないと、これはわからないと思います」
そんな会話をして終わった。
薬は、できるだけもう飲みたくない。抗がん剤の副作用対策の薬も、吐き気がないので吐き気止めはもう飲んでない。胃薬も。しびれ対策のビタミンEだけ飲んでいる。自己判断で勝手にやめてしまった。これ以上無駄に肝臓に負担をかけたくない
そうそう、この日初めてウィッグを装着して出かけた。
久しぶりの感覚。風が強いので帽子をかぶっていった。
人工毛と人毛MIXだから?風に吹かれると、一方向に束になって癖が付く。
通りすがりの小学生女児が、私をみていぶかっていた。
やはり子供は勘が鋭いなぁ。
受診後、一息ついて頭が蒸れるのでトイレで帽子を取った。
はずが、帽子と一緒にウィッグも取れた。
やばし!誰もいなくてよかった。
が
鏡の前で使用後・使用前を自分で、しっかりと把握するためになった。
髪の毛ってすごいなぁ。
その記憶のせいか、今日はまゆ毛をそりすぎちゃったけど、前髪で隠せばいっか。あははって笑ってる夢を見てしまった。
昔の毛量だった。多くて癖が強くて困るくらいだったけど
自然に与えられた髪の毛の大事さよ。
女性としての豊かな髪というのは、無意識に自分を女としての意識を根っこに植え付けるものであったなぁ。
髪を結う。とか髪をなでる。とか、あれは本当に幸せな仕草だったな。
また必ず生えてきますように。
生えてきたら、ロングを目指そう。そして髪を結うんだ。
香水をつけて、いい香りさせて、スカートはいて。ヒールの靴をはく。ストッキングを脱ぐ。
ショーツを脱ぐ。
ブラジャーは身につけられるかわからない。(新品同様のブラもたくさんあったのに)
乳輪作成まで3年くらいかかってるみたいだから・・・私40を超えるのかぁ。
女としてのスタートが遅すぎた私。女としての性をあきらめるのは嫌だ。
誰にも気が付いてもらえなかった人生で、ずっとあきらめて、目立たないように意識してきたけど、
私、女を辞めたくない。女として褒めて、私の存在を喜んでほしい。性愛だって、ほとんど知らない。それだってこれからもっとしたいんだ。
読書
ドリアン助川「あん」吉本ばなな「花のベッドでひるねして」
内容を確認せず、適当に図書館で借りてきたが、どちらも人がなくなる話だった。
「花の~」なんて、登場人物の奥さんが癌(抗がん剤使用で頭の髪の毛が産毛のまま、主人公の夢に出てくる。その奥さんの夫を想う気持ちが、まるで私の気持ちのままだったから、もう・・・。)
なんて内容を借りちゃったのか。なんでビンゴでこれ借りちゃったのかな。と思いながら読む。今読む内容じゃなかったなぁ~。
明るい本をたくさん読む時期だよ今は。マンガを読もう。
ところで、出物腫れもの、ところ構わずという、昔の人の実感のこもった語があるが、
ヨガの先生のありがたい、真面目な、命のお話を対面してうかがっていた時、
私は、放屁の欲望と、ひそかに戦っていたのだ。
身体の声を聞こう、そして心も体も健康に。
そうなるためにヨガに来たのだから、
ココは身体の声に忠実にしたがって、日に焼けた小学生のように「ぶほっ」と一発かましてやるべきであったに違いない。
そして子供のようなえがおで「えへへ」って言うのが
真の健康をめざすヨギーニ(修行中)というものに違いないのだ。
今まで身体の悲鳴を無視し続けた結果、今こうなっているのだから
たかが屁。出してしまえば、空気と共に溶けあって、それはなかったも同義。
まさにヨガで言うところの「空」
というものではなかろうか。身体が出したいというものは、本来出したいときに出し切るべきなのだ。それぞ、身体の声を聞く、というものではあるまいか。
きっと先生も「よくぞ、私の教えを体現してくれた」とあの美しい笑顔で喜んでくださるに違いない。
が、私は同時にいい年齢の大人である。
目の前には、私の10上とは思えない若さとうつくしさとかわいらしい笑顔で、一生懸命私の健康のためになる、話をしてくださってる先生がいらっしゃる。
お家は、カントリー風で、庭には真っ白なかわいらしい犬。
部屋には、庭から今朝摘んできました、というローズマリーが活けてある。
静謐なお部屋にはアロマもたかれている。
お掃除が徹底されていて、すべてが調和してる、雑誌に出てくるような、ヨギーニッぷりなのだ。そこには私の人生にはお目に罹らなかった、おしゃれで健康的な、生活が繰り広げられていたのだ。
私の気持ちをお察しいただきたい。
先生の、ありがたく気品高い声を聞きながら、
脂汗を脇にかきながら、必死に身体からの放屁の願望を、おさえこみつつ、
それをやり過ごしながら、作り笑顔をしながら、姿勢を保った30分程度を。
お察しいただけただろうか。
ありがたいお話の、ほとんどは私の耳を通り抜けて、私の普段から空っぽの頭には、何一つ残らず
私の身体の中の毒素は、行き場を失い、再び私の腸の中に押し込められたのだった。
それでも、私は何とかその場を放屁しなかった自分の
常識的な振る舞いに、それなりに満足を覚えたのだった。