①何も言ってくれないのか。
つづく...
物心ついた時には手遅れだったみたいだ。両親は仕事に追われてたらしい。それと、長男の兄貴を溺愛してた。長男を大事にする風習が僕の住む地域では根強かった。6つも歳上の兄貴は、親戚からは勿論、ご近所さんからも可愛いがられてた。だから、いつも周りの大人達は、兄貴にだけ声をかけた。
「蒼一郎(そういちろう)君は、弟の面倒をよく見てるわね。」
八百屋のおばちゃんは、よくそんな事を言ってた。
「蒼一郎君、お兄ちゃんなんだからこの子にも色々教えて上げなさいよ。」
魚屋のおじさんは、よくそう言った。
お正月には、兄貴と一緒に居てもお年玉さえ貰えない事はよくある事だった。
大人達はみんな、僕の名前さえ知らない、知らなくても構わないと思ってる人ばかりだった。
しかし、兄貴と2人っきりの時は、〝何で俺がお前の世話しないといけないのか。〟、〝お前に教える事なんて面倒くさいよ。〟等と言われ、滅多に殴られはしなかったものの、柔道の押さえ込みみたいな事をされたり、真っ暗な押し入れに閉じ込められたりした。それで、泣いてて母親や父親が来て、いじめられた事を訴えると、ちゃんと伝わらなかった。
「歳下は歳上に逆らったら駄目だぞ。」
いつも兄貴を立てるような事しか言われなかった。
誰も僕の名前を読んでくれない。僕自身が名前を忘れてしまいそうになる。僕の名前は二郎。ただ、次男なだけで、二郎のようだ。簡単に覚えられるはずなのに、誰も言ってくれない。
完璧に兄貴に支配されてた。自分がしたい事、お腹が空いて何か食べたくても、それらを満たす手段は僕には思いつかなかった。小柄で覇気のない幼子だった。
ある日、両親が喧嘩をしてた。兄貴は気にせず、ファミコンをしてる。僕は、その喧嘩に驚き、表情は変えずに涙だけが流れてた。兄貴はよくゲームをしてられるなと思いながら。
数日後、見知らぬおじさんが家に来た。
「二郎君、行こうか。」
恐らく初めて大人に名前を呼ばれた。嬉しくて嬉しくてしょうがなく、そのおじさんと手を繋ぎ、家を出た。その瞬間はとても嬉しかった。
そのおじさんとは、デパートへ行った。最上階のレストランでお子様ランチを食べさせてくれた。玩具売り場では、赤の日産フェアレディーZのミニカーを買ってくれた。とても違和感を感じてたが、嬉しい限りであった。しかしながら、〝ありがとう〟と言う言葉は、僕の中には存在せず、お礼をする事が分からなかった。
次に、食品売り場に寄った。おじさんは、日本酒の一升瓶とスルメや酢蛸等、酒の肴を買ってデパートを出た。僕のために菓子類やジュースとかは買ってくれなかった。その時の僕にはそう言った物が売ってるなんて知る由もない事で、全く気にはしなかった。これから何処へ行くのかは、気になってた。
また、駅に向かい電車に乗った。嬉しかった。電車に乗る事事態が嬉しかった。乗客で混んで無かったのが何よりだった。近くの木々や建物はあっという間に過ぎ去るのに遠くの山や建物はゆっくり動いてる。とても不思議に思った。誰も気づかないと思うが、僕は胸躍らせていた。
「おい、坊主、お子様ランチは旨かったか?今日が初めてみたいに食ってたな。」
僕と一緒のおじさんが、誰かと喋ってる。
「うん、あのレストランの料理はどれも旨いよ。」
誰かがそう答えた。
なんだか気味が悪かったから僕は、二人の会話を無視してた。
「ドリアが旨いんだ。ベシャメルソースに入ってるエビとマッシュルーム、ご飯のバランスがよくてさ。」
僕が無視してても他の子の声は聞こえて来る。
「そうか、よく連れてってもらってるんだな。今日もドリアにすりゃあ良かったじゃねぇか。」
二人の会話を聞いてると、どんどん僕は気持ち悪くなっていった。同時に眠気も襲って来た。寝てしまった。
「二郎、急によく喋るようになったな。やっぱり、ドリアにしなかったの悔やんでるのか。」
おじさんは他の子と喋ってるはずなのに、僕の名前を使って会話してた。
「お子様ランチも良かったよ。エビフライが好きなんだ。うん、二郎は寝たからな。その間にペチャクチャ喋らないと、俺狂っちゃうから。まあ、付き合ってよ、親父。」
他の子はそう言った。
「何だか変だなぁ。まぁいいか、賑やかな方がいいか。」
おじさんは言った。
「うん、俺もややこしいと思うけどさ。仕方ないさ。あの蒼一郎の野郎がなぁ、仕方ないよ。俺にはどうにも出来ねえから。気にしてないよ俺は。」
その子は冷静に言った。
「何だか不気味だ。」
おじさんはその後、キヨスクで買った缶ビールを無言で呑み始めた。
目が覚めると、テレビの前に座ってた。〝お前、見たかっただろ〟。頭の中で誰かが言った。聞き覚えのある声。
僕が見てみたいと思ってたのはドラゴンボールで、小さいのにあんなに強い悟空が憧れだった。筋斗雲で自由に何処へでも行ける事も。
ドラゴンボールを見てると頭の中で色んな人の声がした。五、六人は居た。その中には女の子も居た。
〝みんな静かにして、二郎、気をつけろよ。〟
頭の中の一人の男の子が言った。
「二郎、俺の声が聞こえねぇのか。」
声が聞こえた方向に顔を向けると、酒に酔った、あのおじさんが居た。かなり不機嫌そうにそう言った。その直後、顔を殴られた。人に暴力を振るわれるのは初めてだった。デパートに連れて行ってくれて、ミニカーも買ってくれて、僕の名前も呼んでくれた人に。意識を失ってしまった。
気がつくと、家の前に居た。朝になってた。殴られた顔は腫れて、両腕、両脚の所々には青痣があり、ポロシャツのボタンが取れて無くなってた。
「なんだお前は、いつ戻って来た。とりあえず、中に入れ。」
父親が家の中に投げ入れる勢いで背中を押した。
「おい、どうなってるんだ、あいつが面倒みるんじゃないのか。子供独りで帰って来れないだろう。お前、どうにかしろ。」
父は母を怒鳴りつけ、また、僕の背中を押し、母親に突き飛ばした。
「はい、分かりました。」
母は父に対して、一言そう言うだけだった。
僕を母は、寝室の押し入れに閉じ込めて、父と兄貴の朝食の支度をし、会話がないまま食べ終わり、父が仕事へ兄が学校へ行くのを見送った。
「あの男に連絡を取って今夜、来るように言えよ。分かったな。」
ドスの効いた、充分に母が怯える声で父は言った。
早速、母は電話をかけた。恐らく父が言ってた男に電話をかけたのだろう。しかし、応答がない。暫くしてからかけ直すつもりか、朝食で使った食器を洗い出した。何か考えながら洗ってた。何かを思い出したようで食器を洗う動きが速くなり、いつもより半分近い時間で洗い終えた。
僕が閉じ込められてる押し入れに近づく速い足音が聞こえた。鍵で錠前を開ける音がする。
「出なさい、お風呂に入ってこれに着替えなさい。は、早く、早くしなさい。」
焦って母は言った。
僕は言われた通り、風呂に入った。風呂から出ると、母は僕の髪の毛をドライヤーで乾かしくれた。初めての事だ。嬉しくも怪しくも思った。
「さあ、ご飯食べなさい。出かけるからね。」
悪い予感しかしない。昨日のおじさんのところへ連れて行かれるのか、それとも別の場所へ連れて行かれるのかと思った。僕の朝ご飯は、冷めた味噌汁に冷めた白飯を入れた猫まんまだった。珍しく、焼きしゃけの切り身が、一枚だけご飯の上に置いてあった。お腹空いてた僕には最高のご馳走だった。
食べ終わると直ぐに家を出た。駅に向かった。電車に乗ると次の駅で降りた。見覚えがあった。昨日、おじさんと来た街だった。やっぱりおじさんの家に行くんだと思った。
おじさんの家の前で母と僕は立ち止まった。母が玄関をノックした。応答が無い。もう一度ノックした。
「出かけてるのかしら、お前なんか聞いてないか。」
僕に母は言う。
「聞いてない。」
僕は、それだけ口にした。
母は少し考え、ドアノブに手をやった。鍵が掛かっておらず、ドアが開いた。
「誰か居ませんか。鍵を掛けないなんて無用心ですよ。」
そう言いながら母は、僕を玄関に残して家の中に入って行った。家の中は静かだった。不気味な程に。母は足音を立てないように奥へ進んで行った。
「ギャァー、死んでる、死んでる。」
母は、部屋の奥にある洋服箪笥の側壁に首を吊って死んでるおじさんを見た。白目を剥き、舌が飛び出し、少し浮いた腰のしたには尿や便、腸が垂れ落ちていた。その亡骸を見て母は叫び、一目散に僕の居る玄関に駆け寄って来た。僕を触れる手は震えていた。焦点を何処に合わせてるか分からない目をしてた。何か考えているようで、動きが止まった。数秒後、ハンカチを取り出し、ドアノブを拭いて家を出た。焦りながら外のドアノブも吹いた。
何も無かったかのように早足で駅に向かった。僕の手を引いて。何かぶつぶつ言いながら歩いてる。一度立ち止まり、僕を睨んだ。
「お前がやったのか。」
そう言うと母は、おじさんの家に戻った。僕の手を強く握り締めて。
おじさんの家の玄関のドアノブに手をかけた。
〝二郎、俺に任せろ。〟
母とおじさんの家に入ると、僕の頭の中でそんな声がして、僕は寝てしまった。
「二郎、お前がこの人殺したのか、この人はお前の実の父親なんだぞ。なんて事をしたんだ。」
台所から汚い錆びた包丁を取り出し、頭の中で僕に呟いた子に、その刃先を向けて言った。
「それがどうした。バァバァ、こいつが二郎を殺しかけたんだ。でも、自殺に見えるだろ。苦労したぜ、この形にするのはよぉ。」
僕より低い声で母に歯向かった。
「なんだ二郎、いつの間にそんな口が聞けるようになったんだ。お前を殺して私も死んでやる。」
母は、その子に襲いかかった。包丁を振り下ろした。その子は上手く避けて、包丁を持つ右手の母の上腕を取り、刃先が母へ向くように手首を返して、喉に突き刺した。流れるように母の右側から左側へ移動し、血飛沫を避けた。そのまま顔面から床に倒れ込むように突き倒した。大量に出血した母は、そのまま、動かなくなった。
おじさんの家を出たその子は、駅に向かった。電車には載らず線路沿いを僕の家の最寄り駅へ歩き出した。
僕はまだ寝ていたが、頭の中では色んな子が喋り出した。怖がって泣く子も居た。面倒くさいのでそのまま寝ていようと思った。
〝シンジ君、殺しちゃったね。〟
高校生くらいの男の子が言った。
〝状況的に仕方ないだろ。そうしないと、二郎は死んでたよ。一文字(いちもんじ)さんもあの時は止めなかったじゃん。〟
シンジ君は、一文字さんに反論した。
〝シンジ君、殺す事はいけない事よ。どんな状況だって。でも上手くやったわね。あの光景を見て二郎が殺したなんて誰も思わないわ。〟
冷静に女の人がシンジ君と一文字さんに言った。
〝そうね。アヤナミはいつもクールね。でも、警察には連れて行かれるよ。その時はシンジ君、黙ってなさいよ。〟
もう一人の女の人がシンジ君を褒めたアヤナミと言う女に言った。
〝僕もそう思うよ。歌音が言うように警察が直ぐに来るよ。二郎に教えてあげた方が良いんじゃないか。〟
一文字さんは、二人目の女、歌音にそう言った。
〝私が教えてあげる。警察に聞かれた時にどう答えたら良いかも。二郎は上手く出来るはずよ。〟
アヤナミは言った。
家に着くと僕は、目を覚ました。喉が渇いてたからコップに水道から水を注ぎ、一気に飲み干した。まだ足らず、もう一杯注ぎ、一気飲みした。
〝疲れたわね、二郎。私はアヤナミよ、話を聞いてくれるかしら。〟
僕は台所でシンクの前でコップを持ったまま、ボーッと立ってた。
〝お巡りさんに警察署に連れて行かれると思うの。その時は、昨夜はあの男に家を追い出された。今朝は、母親にあの男の家に連れて行かれたけど、直ぐに母親に追い出されて家に帰って来たって言うのよ。他の事を聞かれたら分からないと言いなさい。〟
アヤナミはそう指示した。
〝分かった、ありがとう教えてくれて。シンジ君は二人も殺してしまったんだね。もう人を殺すのはやめた方が良いね。〟
僕は答え、リビングに行きテレビをつけて床に座った。テレビの音は感じれるけど、頭には入って来なかった。それは、沢山の人達が僕の頭の中で騒いでるからだ。何人が話してるんだろう。そう思ってた。
「蒼一郎(そういちろう)君は、弟の面倒をよく見てるわね。」
八百屋のおばちゃんは、よくそんな事を言ってた。
「蒼一郎君、お兄ちゃんなんだからこの子にも色々教えて上げなさいよ。」
魚屋のおじさんは、よくそう言った。
お正月には、兄貴と一緒に居てもお年玉さえ貰えない事はよくある事だった。
大人達はみんな、僕の名前さえ知らない、知らなくても構わないと思ってる人ばかりだった。
しかし、兄貴と2人っきりの時は、〝何で俺がお前の世話しないといけないのか。〟、〝お前に教える事なんて面倒くさいよ。〟等と言われ、滅多に殴られはしなかったものの、柔道の押さえ込みみたいな事をされたり、真っ暗な押し入れに閉じ込められたりした。それで、泣いてて母親や父親が来て、いじめられた事を訴えると、ちゃんと伝わらなかった。
「歳下は歳上に逆らったら駄目だぞ。」
いつも兄貴を立てるような事しか言われなかった。
誰も僕の名前を読んでくれない。僕自身が名前を忘れてしまいそうになる。僕の名前は二郎。ただ、次男なだけで、二郎のようだ。簡単に覚えられるはずなのに、誰も言ってくれない。
完璧に兄貴に支配されてた。自分がしたい事、お腹が空いて何か食べたくても、それらを満たす手段は僕には思いつかなかった。小柄で覇気のない幼子だった。
ある日、両親が喧嘩をしてた。兄貴は気にせず、ファミコンをしてる。僕は、その喧嘩に驚き、表情は変えずに涙だけが流れてた。兄貴はよくゲームをしてられるなと思いながら。
数日後、見知らぬおじさんが家に来た。
「二郎君、行こうか。」
恐らく初めて大人に名前を呼ばれた。嬉しくて嬉しくてしょうがなく、そのおじさんと手を繋ぎ、家を出た。その瞬間はとても嬉しかった。
そのおじさんとは、デパートへ行った。最上階のレストランでお子様ランチを食べさせてくれた。玩具売り場では、赤の日産フェアレディーZのミニカーを買ってくれた。とても違和感を感じてたが、嬉しい限りであった。しかしながら、〝ありがとう〟と言う言葉は、僕の中には存在せず、お礼をする事が分からなかった。
次に、食品売り場に寄った。おじさんは、日本酒の一升瓶とスルメや酢蛸等、酒の肴を買ってデパートを出た。僕のために菓子類やジュースとかは買ってくれなかった。その時の僕にはそう言った物が売ってるなんて知る由もない事で、全く気にはしなかった。これから何処へ行くのかは、気になってた。
また、駅に向かい電車に乗った。嬉しかった。電車に乗る事事態が嬉しかった。乗客で混んで無かったのが何よりだった。近くの木々や建物はあっという間に過ぎ去るのに遠くの山や建物はゆっくり動いてる。とても不思議に思った。誰も気づかないと思うが、僕は胸躍らせていた。
「おい、坊主、お子様ランチは旨かったか?今日が初めてみたいに食ってたな。」
僕と一緒のおじさんが、誰かと喋ってる。
「うん、あのレストランの料理はどれも旨いよ。」
誰かがそう答えた。
なんだか気味が悪かったから僕は、二人の会話を無視してた。
「ドリアが旨いんだ。ベシャメルソースに入ってるエビとマッシュルーム、ご飯のバランスがよくてさ。」
僕が無視してても他の子の声は聞こえて来る。
「そうか、よく連れてってもらってるんだな。今日もドリアにすりゃあ良かったじゃねぇか。」
二人の会話を聞いてると、どんどん僕は気持ち悪くなっていった。同時に眠気も襲って来た。寝てしまった。
「二郎、急によく喋るようになったな。やっぱり、ドリアにしなかったの悔やんでるのか。」
おじさんは他の子と喋ってるはずなのに、僕の名前を使って会話してた。
「お子様ランチも良かったよ。エビフライが好きなんだ。うん、二郎は寝たからな。その間にペチャクチャ喋らないと、俺狂っちゃうから。まあ、付き合ってよ、親父。」
他の子はそう言った。
「何だか変だなぁ。まぁいいか、賑やかな方がいいか。」
おじさんは言った。
「うん、俺もややこしいと思うけどさ。仕方ないさ。あの蒼一郎の野郎がなぁ、仕方ないよ。俺にはどうにも出来ねえから。気にしてないよ俺は。」
その子は冷静に言った。
「何だか不気味だ。」
おじさんはその後、キヨスクで買った缶ビールを無言で呑み始めた。
目が覚めると、テレビの前に座ってた。〝お前、見たかっただろ〟。頭の中で誰かが言った。聞き覚えのある声。
僕が見てみたいと思ってたのはドラゴンボールで、小さいのにあんなに強い悟空が憧れだった。筋斗雲で自由に何処へでも行ける事も。
ドラゴンボールを見てると頭の中で色んな人の声がした。五、六人は居た。その中には女の子も居た。
〝みんな静かにして、二郎、気をつけろよ。〟
頭の中の一人の男の子が言った。
「二郎、俺の声が聞こえねぇのか。」
声が聞こえた方向に顔を向けると、酒に酔った、あのおじさんが居た。かなり不機嫌そうにそう言った。その直後、顔を殴られた。人に暴力を振るわれるのは初めてだった。デパートに連れて行ってくれて、ミニカーも買ってくれて、僕の名前も呼んでくれた人に。意識を失ってしまった。
気がつくと、家の前に居た。朝になってた。殴られた顔は腫れて、両腕、両脚の所々には青痣があり、ポロシャツのボタンが取れて無くなってた。
「なんだお前は、いつ戻って来た。とりあえず、中に入れ。」
父親が家の中に投げ入れる勢いで背中を押した。
「おい、どうなってるんだ、あいつが面倒みるんじゃないのか。子供独りで帰って来れないだろう。お前、どうにかしろ。」
父は母を怒鳴りつけ、また、僕の背中を押し、母親に突き飛ばした。
「はい、分かりました。」
母は父に対して、一言そう言うだけだった。
僕を母は、寝室の押し入れに閉じ込めて、父と兄貴の朝食の支度をし、会話がないまま食べ終わり、父が仕事へ兄が学校へ行くのを見送った。
「あの男に連絡を取って今夜、来るように言えよ。分かったな。」
ドスの効いた、充分に母が怯える声で父は言った。
早速、母は電話をかけた。恐らく父が言ってた男に電話をかけたのだろう。しかし、応答がない。暫くしてからかけ直すつもりか、朝食で使った食器を洗い出した。何か考えながら洗ってた。何かを思い出したようで食器を洗う動きが速くなり、いつもより半分近い時間で洗い終えた。
僕が閉じ込められてる押し入れに近づく速い足音が聞こえた。鍵で錠前を開ける音がする。
「出なさい、お風呂に入ってこれに着替えなさい。は、早く、早くしなさい。」
焦って母は言った。
僕は言われた通り、風呂に入った。風呂から出ると、母は僕の髪の毛をドライヤーで乾かしくれた。初めての事だ。嬉しくも怪しくも思った。
「さあ、ご飯食べなさい。出かけるからね。」
悪い予感しかしない。昨日のおじさんのところへ連れて行かれるのか、それとも別の場所へ連れて行かれるのかと思った。僕の朝ご飯は、冷めた味噌汁に冷めた白飯を入れた猫まんまだった。珍しく、焼きしゃけの切り身が、一枚だけご飯の上に置いてあった。お腹空いてた僕には最高のご馳走だった。
食べ終わると直ぐに家を出た。駅に向かった。電車に乗ると次の駅で降りた。見覚えがあった。昨日、おじさんと来た街だった。やっぱりおじさんの家に行くんだと思った。
おじさんの家の前で母と僕は立ち止まった。母が玄関をノックした。応答が無い。もう一度ノックした。
「出かけてるのかしら、お前なんか聞いてないか。」
僕に母は言う。
「聞いてない。」
僕は、それだけ口にした。
母は少し考え、ドアノブに手をやった。鍵が掛かっておらず、ドアが開いた。
「誰か居ませんか。鍵を掛けないなんて無用心ですよ。」
そう言いながら母は、僕を玄関に残して家の中に入って行った。家の中は静かだった。不気味な程に。母は足音を立てないように奥へ進んで行った。
「ギャァー、死んでる、死んでる。」
母は、部屋の奥にある洋服箪笥の側壁に首を吊って死んでるおじさんを見た。白目を剥き、舌が飛び出し、少し浮いた腰のしたには尿や便、腸が垂れ落ちていた。その亡骸を見て母は叫び、一目散に僕の居る玄関に駆け寄って来た。僕を触れる手は震えていた。焦点を何処に合わせてるか分からない目をしてた。何か考えているようで、動きが止まった。数秒後、ハンカチを取り出し、ドアノブを拭いて家を出た。焦りながら外のドアノブも吹いた。
何も無かったかのように早足で駅に向かった。僕の手を引いて。何かぶつぶつ言いながら歩いてる。一度立ち止まり、僕を睨んだ。
「お前がやったのか。」
そう言うと母は、おじさんの家に戻った。僕の手を強く握り締めて。
おじさんの家の玄関のドアノブに手をかけた。
〝二郎、俺に任せろ。〟
母とおじさんの家に入ると、僕の頭の中でそんな声がして、僕は寝てしまった。
「二郎、お前がこの人殺したのか、この人はお前の実の父親なんだぞ。なんて事をしたんだ。」
台所から汚い錆びた包丁を取り出し、頭の中で僕に呟いた子に、その刃先を向けて言った。
「それがどうした。バァバァ、こいつが二郎を殺しかけたんだ。でも、自殺に見えるだろ。苦労したぜ、この形にするのはよぉ。」
僕より低い声で母に歯向かった。
「なんだ二郎、いつの間にそんな口が聞けるようになったんだ。お前を殺して私も死んでやる。」
母は、その子に襲いかかった。包丁を振り下ろした。その子は上手く避けて、包丁を持つ右手の母の上腕を取り、刃先が母へ向くように手首を返して、喉に突き刺した。流れるように母の右側から左側へ移動し、血飛沫を避けた。そのまま顔面から床に倒れ込むように突き倒した。大量に出血した母は、そのまま、動かなくなった。
おじさんの家を出たその子は、駅に向かった。電車には載らず線路沿いを僕の家の最寄り駅へ歩き出した。
僕はまだ寝ていたが、頭の中では色んな子が喋り出した。怖がって泣く子も居た。面倒くさいのでそのまま寝ていようと思った。
〝シンジ君、殺しちゃったね。〟
高校生くらいの男の子が言った。
〝状況的に仕方ないだろ。そうしないと、二郎は死んでたよ。一文字(いちもんじ)さんもあの時は止めなかったじゃん。〟
シンジ君は、一文字さんに反論した。
〝シンジ君、殺す事はいけない事よ。どんな状況だって。でも上手くやったわね。あの光景を見て二郎が殺したなんて誰も思わないわ。〟
冷静に女の人がシンジ君と一文字さんに言った。
〝そうね。アヤナミはいつもクールね。でも、警察には連れて行かれるよ。その時はシンジ君、黙ってなさいよ。〟
もう一人の女の人がシンジ君を褒めたアヤナミと言う女に言った。
〝僕もそう思うよ。歌音が言うように警察が直ぐに来るよ。二郎に教えてあげた方が良いんじゃないか。〟
一文字さんは、二人目の女、歌音にそう言った。
〝私が教えてあげる。警察に聞かれた時にどう答えたら良いかも。二郎は上手く出来るはずよ。〟
アヤナミは言った。
家に着くと僕は、目を覚ました。喉が渇いてたからコップに水道から水を注ぎ、一気に飲み干した。まだ足らず、もう一杯注ぎ、一気飲みした。
〝疲れたわね、二郎。私はアヤナミよ、話を聞いてくれるかしら。〟
僕は台所でシンクの前でコップを持ったまま、ボーッと立ってた。
〝お巡りさんに警察署に連れて行かれると思うの。その時は、昨夜はあの男に家を追い出された。今朝は、母親にあの男の家に連れて行かれたけど、直ぐに母親に追い出されて家に帰って来たって言うのよ。他の事を聞かれたら分からないと言いなさい。〟
アヤナミはそう指示した。
〝分かった、ありがとう教えてくれて。シンジ君は二人も殺してしまったんだね。もう人を殺すのはやめた方が良いね。〟
僕は答え、リビングに行きテレビをつけて床に座った。テレビの音は感じれるけど、頭には入って来なかった。それは、沢山の人達が僕の頭の中で騒いでるからだ。何人が話してるんだろう。そう思ってた。
つづく...