第漆話 窮迫
「お前だろ、認めろよ。目撃者だっているし、被害を受けた女性もお前の手だったって言っているんだ。認めろ。」
警察署の取調べ室で、身なりが白のポロシャツにグレーのチノパンでカジュアルな姿ながら、会社員とだけいい、黙秘権を貫く男が事情聴取を受けていた。1時間程過ぎて、それに対峙する刑事はイライラしていた。
2時間前、朝の満員電車で高校生の女子生徒に痴漢をしたとして、警察署に連行された自称会社員の男は、駅のホームで駅員に止められた時から負い目を見せない堂々とした態度を見せていた。
その傍で、女子高生はスカートの中に手を入れられたと涙を流してた。
女子高生の話によると、自分の真後ろに会社員の男がいて、その男の両隣は左側に女子高生の方を向く女性がいて、右側は背中を向けた女性がいたと。その左側の女性が咳払いした後、手がスカートの中に入ってきたとのことだ。そして、電車がホームで速度を落としながら止まるタイミングで、女子高生は自分の左手を身体の横から後ろに回すと、誰かの手が当たり、電車が止まって扉が開き始めるとその手の手首を握り、ホームへ会社員の男を引っ張り出すことになったようだ。
それを見ていた左隣の女性は、痴漢をされたのかと女子高生に確認し、駅員に声をかけてきて対応するよういうと、去っていったようである。
一向に会社員の男は黙秘を続けていて、事情聴取は進まない状態だった。そして、取り調べ室の中はイライラしている刑事の呼吸の音と、端にある机に向かって、パソコンに記録をとっている若い刑事の椅子が軋む音しかしなかった。
そうしていると、イライラしている刑事は他の刑事に呼ばれて席を外した。
「あなたがずっと黙っているから、黙秘権はあなたの権利ですから構いませんが、恐らく、所持品からあなたの身元を特定したんだと思いますよ。家族や職場、スマートフォンとクレジットカードからあなたの日常の動きを調べたんだと思います。何か怪しい動きがあれば、今回の件以外も追及される恐れがありますので、覚悟が必要ですよ。」
記録係の刑事が男にいった。
「脅迫ですか、刑事さん。」
男は冷静な表情で、冷めた目線をその刑事に送った。
「まさか、私の個人的な意見です。アドバイスです。私の経験則からのね。」
その冷静さに屈しないように刑事はいい返した。
再び、取り調べ室の言葉は空気に吸い消されていった。
程なくして、事情聴取していた刑事が取り調べ室に戻ってきた。
「お前さんは、独身で一人暮らしなんだな。さぞや、毎日寂しい思いをしてるんだろ。職場でも研究室に閉じこもってるらしいじゃないか。若い子が好みなのかい。社内では浮いた話の一つもないみたいじゃないか。制服姿の発育のいいJKが好きなんだろ。」
その刑事は、会社員の男が痴漢をする動機を匂わすように、男の身辺調査から得た情報を結びつけた。しかし、男は黙っている。全く動じない。
再び静けさに包まれるや否や、取り調べ室のドアがノックされた。
「あなた、もうそろそろ観念しなさいよ。あの子はとても落ち込んでるのよ。あなた、あの子の性器まで触ったらしいじゃないの。なんて酷いことするの。同じ女性として絶対許せないわ。」
取り調べ室の扉を勢いよくあけ、怒鳴り込むように女性刑事が雪崩れ込んできた。
「おい、そうなのかい。ひでぇ男だなぉ。」
男の刑事もその話に乗っかった。
「あの女子高生がいったのですね。確かですね。」
会社員の男は初めて言葉を発した。
「そうさ。あなたみたいな男は許せない。」
女性刑事は間髪入れなかった。
「この取り調べは撮影されてるのでしょうか?」
男の冷静さは変わらない。
「ええ、そこのカメラで録画されてますよ。」
記録係の刑事は素直にいった。だか、女性刑事と取り調べ係の刑事は一瞬、表情を歪めた。分が悪い表情に。
「分かりました。あの女子高生は痴漢された時に犯人に性器まで触られたわけですね。もしも、私が犯人であれば、私の手にはあの子の体液が残ってる筈ですね。ここに連れられてきて、一度も手を洗ってませんから、しっかり残ってる筈ですよね。調べてもらえますか。それと、私の弁護士を読んでもいいですか?」
男は、女性刑事の発言に勝機を見出し、2つのことを要求した。
「応じる他ありませんね。」
記録係の刑事は当然のこととそう答えた。
数時間後、男が指定した弁護士が到着し、男を釈放することと、男の左右の指先の組織片を採取し、女子高生の体液から抽出されるであろうDNAを鑑定することを要求した。
男は指先から検体を採取され釈放された。
「カツトシお疲れ様。これで、冤罪だったことを証明して、悪徳な権利を振り翳す奴らを明らかにできるよ。」
数日後、その弁護士は怒鳴り込んできた女性刑事とともに女子高生に接見した。
「イガラシさん、私はあなたが痴漢をされたという男の弁護士です。今日は刑事さんを同席してもらって幾つかお話を聞かせて下さい。」
弁護士はとても優しい声で女子高生が緊張しないように声をかけた。
「イガラシさんは、この刑事さんに痴漢された時に性器を触られたっていったようですが。おかしいんですよ。犯人とされた男からの指先からは、あなたのDNAが検出されませんでした。」
弁護士は鞄からDNAの鑑定書を出して、二人に見せた。
「イガラシさん、嘘ついてたの?だめよ、そういう嘘は。」
女性刑事は、準備された台詞のように女子高生にいった。
「私は触られたと思ったので、そういいました。怖くて、怖くてどうしようもないから。触られたと思い込んでたんでしょうか。」
女子高生ははぐらかそうとしていた。
「突然の出来事で怖いとそうなるかもしれませんね。でも、この女の人とはどういう関係なんでしょうか?」
弁護士は再び鞄の中に手を入れ、女子高生と独りの女性とが立ち話している写真と痴漢された日の駅のプラットホームで痴漢をしたと思しき男の手首を握り、俯き加減な女子高生とその傍にいる女性が駅員に話しかけている写真を取り出し二人に見せた。
「あ、あ、これは。私はこの人のいう通りにしないと学校、停学になるかもしれないので、その日から、あの男の人が犯罪者にしたてあげられると人生が駄目になるなって思ってて、もう辛いです。理由は分かりませんが、この人が仕組んだヤラセです。もう、こんなことしたくないです。」
女子高生は涙を流しながら、女性刑事に右手の人差し指を突き立てた。
「あっ、あっ。」
女性刑事は言葉を詰まらせ何もいえなかった。
「刑事さん、お金目的だったんですか?それとも出世のための点数稼ぎですか?」
弁護士がそういうと女性刑事も涙を流すばかりだった。
「先輩、詳しくは署でお話聞かせて下さい。嘘は暴露るものですよ。」
記録係をしてた刑事が弁護士事務所に入ってきて女性刑事を連行していった。
痴漢を仕立て上げる事件は、今回で4度目のことだった。怪しく感じてた記録係の刑事がこの弁護士に相談したのだった。痴漢の検挙数を上げ、出世に利用しようとしたのである。あの取り調べをしていた刑事とグルになって。
この痴漢の仕立て屋の二人は、警察署から最寄り駅が近く、あの女子高生が通う私立高校が設立されてまもなく、痴漢が増えたことを利用した邪気渦巻く策略だった。
記録係の刑事と弁護士、弁護士の友人の会社員の男がチームを組んだおとり作戦が見事成功したのだ。
しかしながら、罪が帳消しになった男性達の人生は完全に元通りになることはなかった。
終