K.H 24

好きな事を綴ります

短編小説集 GuWa

2021-08-25 05:09:00 | 小説
第什壱話 単位
 
 社会の最小単位は家族であろう。

 母胎からこの世に産み出され、泣くことで初めて大気を肺の中に取り込む。次いで、産婦人科医、もしくは、助産師に抱き抱えられる。同じ人類との初めての触れ合いである。しかし、その瞬間を覚えているのは稀で、殆どの人が記憶に留めていない。
 羊水で守られた母親の中では、心音や声、様々な音が耳に入ってくるようだ。また、母親が排尿する音が胎児には心地良い音という研究者が存在する。恐らく、我々人類にとって、水は欠かせないもので、水流音は誰もが癒される音と捉えているだろう。命の始まりは水の中なのだから。
 勿論、例外はある。川や海での水音は、トラウマとなる音になりかねない。自然の力は偉大である反面、脅威にもなり得るからだ。
 
「よちよち、おしめ替えまつゅよう」
「あなた、赤ちゃん言葉はやめてよ、言葉遣いが悪くなるらしいわよ」
 新婚、かつ、第一子が誕生したばかりの夫婦にありがちな会話である。
「ごめんごめん、とても可愛いもんだから、ついつい。ヤーナレェー、フカナレーだからな」
 
 この夫婦、夫が沖縄出身で、大学進学を機に東京へ上京し、世田谷区出身、生粋の東京の女性と結ばれた。時折、沖縄の方言が二人の会話の中に漏れ出してくるのは致し方ない。

「何、その言葉、外国語みたいね、どういう意味なの」
「あっ、ヤーナレー、フカナレーのことかい、うちなー口で、家での習慣は、ついつい外でも無意識にしてしまうってことかな。マナミ、思い出してみてよ、誰かと何気ない会話をしてると、不思議がられることがあるだろ、例えば、マナミがうちの実家で晩ご飯の支度をしてた時、缶ビール開けたじゃない、そしたら兄貴の嫁さんはびっくりしてただろ、うちのお袋も若い時はそうしてたから気にすることではなかったよな、そんな感じかな。でもさ、東北の姉さんの実家だったらどうかな、変に思われそうじゃないか」
「なるほどね、油断すると、外でも自分の癖、習慣が出てしまって迷惑かける可能性があるってことね」
「そうそう、大半は悪い事態を招かないとは思うけど、そんなこともあるよって教訓めいたことかな。だからこの子が、マミコが言葉を綺麗に遣えるように、気をつけないとな、以後気をつけます」
 夫のカイトはマミコのおむつ交換を終えて抱っこして、最後の言葉をマミコの顔を見ながら話しかけるようにいった。
 
 その二年後にマミコの弟、マコトが誕生し、賑やかな家族になった。しかし、この姉弟の両親は一五年後、マミコが一七歳でマコトが一五歳の年に離婚することになった。
 
「マミコ、おむつかなぁ。あっ、そうみたいだ。離乳食始めると立派な匂いだな」
「あっ、タカオさんお願いね」
 マミコは二〇代の最後の年に長女をもうけ、認知してくれた男性、その子の父親と共に暮らしを営んでいた。
「ふう、泣き止んで気持ち良さそうに眠ったよ」
「ありがとう、お陰でさっぱりしたわ、タカオさんが早く帰ってきてくれると助かるぅ」
「いやいや、マコト君も休ませてあげないとね、それと子育ては独りじゃ大変だし、それにしてもフミは日に日に変わってくるな」
 マミコが産声を上げた頃の夫婦の会話の内容も変わっている。
 
 マミコとタカオは夫婦別姓を望んでいたが、それが叶わなかったため、婚姻届を出すのを諦めた。誰もが現実婚の夫婦と娘と三人の家族だと疑う余地がない状況を創り上げていた。
 
「お父さんは寂しくなかったかな。フミを一度しか抱かせてあげられなかったな」
「父さんは一度だけでも嬉しかったと思うよ、欲がない人だから」
 マミコの父、カイトは離婚後、会社を辞めて陶芸家に弟子入りし、山籠りして修行して誰よりも早く一人前の陶芸家として独立し、陶芸に纏わる様々な賞を受賞し、益々、社会との関わりを減らして創作に勤しんでいた。それが違って病を患い、孤独死してしまったのであった。

「そうだよな、優しい人だった。二人で挨拶に行った時、とても緊張しててさ、マミコのことを叱るんだもんな、タカオ君の姓を名乗りなさいってさ、その時だって眼差しだけは優しかった。ご自身の収益も殆ど施設に寄付してたもんな」
「私は父さんみたいになれない、せめて、マコトと二人で姓を受け継ぐことしかできないわ。」
「似てるじゃないか、お父さんと、優しい頑固さが、フミにも弟が必要だな。」

 タカオとマミコは同じ出版社の先輩と後輩という形で出会い、強い絆を育み、今の関係性に至った。というのは、タカオはその会社の芸術部に所属していて、画家や彫刻家、勿論、陶芸家等を取材し記事にしていた。マミコは自然景観部で、山や川、海等の四季折々の変化を取材対象としていた。
 ある時、冬山に取材に出かけたマミコが遭難してしまい、その山裾に画廊を持つ画家を取材していたタカオがマミコを救助したことが最初の出会いだった。
 
「お疲れさんマコト君、交代しようか」
「タカオ兄さん早かったですね。フミ眠ってるんだ。ここは静かだから大丈夫だね」
「打ち覆いを外して、マコト、父さんの顔眺めてたの」
 カイトの山奥の自宅は往来がしづらく、街の葬儀場で通夜を済ませて、翌日の葬儀まで故人を見守ることになっていて、マミコの家族がマコトと父親の亡骸の見守りを交代する時だった。
「うん、初めてだよ、こんなに長い時間父さんの顔を見てられるのはさ、父さんも喜んでるよ、ヤキモノを一心不乱に創り続けてさ、俺が顔を出すと、切りの良いところで手を止めて、話を聞いてくれて、要所要所でアドバイスしてくれて、怒ることなんて一度もなかった。あんな山奥だから毎回泊まるなんてもできなかったし、でも、一度だけ、俺が仕事でとても悩んでた時にさ、それを察して、明日が休みだから酒呑もうっていったんだ。本当は休みじゃないのに、俺のこと思って、随分話を聞いてもらったと思うんだ、けど、翌朝は俺よりも早く起きて味噌汁と釜炊きした白飯作ってくれてさ、凄く美味かった。だから、長居はしたんだけど、記憶がなくなるまで呑まされてさ、父さんも同じくらい呑んでたと思うんだけど、そんなこと思い出しながら眺めてた。話しかけてた。確か、泡盛だったはず、父さん酒強かったなって、もっと一緒に呑みたかったなって」
 マコトは涙を流しながら、父親との思い出を姉夫婦に話した。
「お父さん、東恩納先生は陶芸界では作品の評価は勿論、高評価だったし、それと誰もが静かなザルっていってて、どんなに呑んでもニコニコして酔わないって有名だったよ。担当記者になってみたかったな、まさか、マミコのお父さんなんて想像できなかったけど、オカダ先輩を可愛がってて、先生から担当は代えないでくれっていってた」
 タカオはカイトとの関わりが少なかったが記憶に残る人物と感じてた。
「良き変わり者よね、私達にも謙虚で、叱るけど怒らないから、でも、家を出て行く前に、母さんと喧嘩した時は凄い形相で怒ってたよ、マコトが塾に行ってた時だったかな。今、思うと夫婦って他人同士なんだよね、結婚して初めて合わないってことがあってもおかしくないなって思うわ。でも、父さんは私達姉弟には最後まで怒らないのを貫いたね、私達を信じててくれたんだと思う」
「父さんと一緒に暮らしてた時、一度ボヤいてたよ。母さんにあんなこといわれて、お前は大丈夫か、父さんは嫌だなって、俺、それ驚いたよ、母親ってのはどこも口煩いものだって俺は自然に思ってだんだろうな、でも、母さんは一生懸命やってくれてたから、父さんには大丈夫だってひとこといったけど、まだ、結婚してないから分からないや、他人同士が一つ屋根の下で暮らすってこと、かといって、姉さん達の暮らしに首を突っ込んで参考にしようなんては思わないよ、仲良さそうだから、いつまでも仲良しでいてよ、兄貴ができて嬉しいしさ」
「あっ、ズルい、私は早く妹が欲しいわ」
 
 マミコとマコトは、これまでの人生を母子家庭で過ごしてきたが、父親の存在は、いつまでも父親として変わらないものであったようである。父親の死を直面して、家族という形態を意識して考え始めた。
 
 両親が揃っていない、他の家族とは形が違えど、最小単位での社会を巣立ち、大海原へ船出したが、その違いに影響されず生きていっている。マミコに限っては、家族の形の多様性を迷いなく体現している。そして、タカオもそれを受け入れた。マコトも既成概念に囚われず、今後、家族を創っていくのだろう。
 
 終