爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

判っている積もり

2022-09-10 19:13:20 | 日記
「判っています」と相手の話を遮る様に、途中でストップさせて最後まで人の話を聴こうとしない人がいます。

いちいちそんな事を、言われなくたって判っているよ、と言う様な口ぶりです。

これでは、教える方も気持ちが萎えてしまいます。

判っている積もりでも、人に聞いてみると、うっかり見落としていたり、忘れかけたりする事実に、気づく事もあります。

人の話を途中で止めさせてしまうのは、この様な機会を自らの手で潰してしまう事になるのです。

折角人が何かを教えようとしてくれているのですから、途中で遮らないで、最後までジッと話に耳を傾けるべきです。

自分の理解は、まだまだ不足しているのだと、自らに言い聞かせて、他人の教えに謙虚に耳を傾ければ、新たな理解を得る機会を逃がす事はないのです。



一度の人生だから

2022-09-09 03:15:15 | 日記
「私は今一度人生を与えられるなら、どんな代償を払ってもいい。青春時代に戻れるのなら、どんな犠牲も厭わない。全財産投げ出しても惜しくない」

先日亡くなられたある経営者が、入院先の病院のベッドの上で、見舞いに駆け付けた友人にこう洩らしたそうです。

そして、翌朝莫大な財産を抱えたまま、静かに息を引き取ったそうです。

金儲けに明け暮れた生涯だったといいます。

社会的には成功者と言われている人の一生も、終わってみると必ずしもいい一生とは限りません。

金儲けのみに生命をすり減らす人生が、いい人生と言えるでしょうか。

人は生命のある事を当然の様に思い、つまらない物に執着しているケースが少なくありません。

この様な執着を捨てさって、限りある生命を有効に使おうではありませんか。

いい人生であったと堂々と胸を張って言える、そんな人生が最も価値が高いのです。



忍耐強くやれる

2022-09-04 09:39:00 | 日記
他人が下す評価は、必ずしも正しいとは限りません。

見誤るケースだって有るのです。

他人の力を正確に評価する眼力を、どれだけの人が持っているでしょうか。

自分に対する評価の低さを嘆き、肩を落としてやる気を無くしている人を、目にする事があります。

人間関係がうまく行かず、会社を去って行く人もいる様です。

自分の思っている様な評価が、受けられない事は残念な事でしょうが、自分は自分のやるべき仕事に、全力を傾けて行けばそれでいいのです。

自己能力に磨きをかけ、能力の向上に努めて行けば、評価してくれる人は必ず表れます。

今の評価が不変の最終的な評価では無いのです。

つまらない外野の声に心を惑わされ、意欲ややる気を失くしてはなりません。

今の評価が悪ければ、努力してその評価を変えさせて見せるという、意気込みを持って、目前の仕事に挑んでいく事です。




「明日」という日

2022-09-03 07:29:58 | 日記
禅の名言の中に「一日作(な)さざれば、一日食(くら)わず」というのが有ります。

禅は「今この時に全力をあげろ。昨日はもう過ぎて返らないし、明日はまだ自分の手の中に掴めていない。確かなのは今この時という事だ」と言っているです。

D・カーネギーは、禅者では有りませんが、人生の達人ともなると、行き着く所はまったく同じなのです。

「明日やればイイさ」と言っている人、今日を精一杯生きられない人に、明日は微笑みません。

「またその内に・・」とか、「いずれまた・・」という人に信頼出来る人はいません。

「今やりましょう」とか、「今日、予定を決めましょう」と言う人は信頼出来ます。

明日の事は誰にも分かりません。

確かに分かる事は、今生きているという事です。

今を精一杯生きる事が、幸せに繋がるのです。

仕事もうまく行きます。