「人生というゴールが薄っすらと見えている」
この表現の実感的意味は、若い人にはわからない。
「あっ、今日も生きている」
このつぶやきの実感的意味も、シニアにしかわからない。
だから、
「人生というゴールが薄っすらと見えてきた時」のなんとも言えない気持ちなんて、シニアにしかわからない。
もっと正しく言うと、「薄っすらと見えてきた瞬間」をつかまえたシニアにしかわからない。
「人生というゴールが薄っすらと見えている」という表現は、
草柳大蔵の『ひとは生きてきたようにしか死なない』の中に何度か出てくる。
私はこの表現が好きで、いろんな場所で(シニアの授業で、お年寄りばかりの会議で、現役を引退したばかりの人たちの会で)使っている。
「死地に向かう旅のはじめ」なんていう表現よりずっといい。
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今日は晴れるかな。
さて、起きて今日を始めるよ。
みずみずしい頃があった
飾りけのない日々があった
たくさんの悩みを吹き飛ばす若さがあった
希望を抱いて眠り、目標を刻んだ朝があった
その日から何年も何年も過ぎ去ってしまったけれど
私の眼はまだ輝きを失ってはいない
(くろほとき)
今日も訪問ありがとうございます。
今日が良き日でありますように。
幸せが訪れますように。
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