私の寺は、かつてかなりの貧乏寺でした。
ある霊園に拝みに行くと、高校の先輩で日蓮宗寺院住職が経営者でした。
「今後は手伝いに来い ! 」の厳命で、毎週のように手伝いに行くことになったのです。
私が体調を崩すまでの間、お世話になりました。
当寺は宗旨違いの真言宗ですが、たまたま日蓮聖人涅槃図(入滅図)が手に入りましたので、先輩の寺に納めさせていただきました。
池上館において亡くなられた日蓮聖人を中心に、お弟子さんや大檀越を描いた彩色版画です。実際にここに描かれた方々が全てこのように集まられたのではないとおもいます。
池上館が日蓮聖人亡き後に寄進され、現在の池上本門寺になっています。
この図は古板(版木)が摩耗したために、池上宗仲の27代の子孫・池上太三郎が施主となり、貞秀(歌川貞秀か?)に依頼し描かれ、嘉永5年(1852)に開板したと書かれています。
別の図です。
この図も先輩のお寺に納めさせていただきました。
これらの掛軸は、私が求めたよりかなり経費を掛けて、再表装と額に仕上げたそうです。檀家さん信者さんも喜んでいただいていると思います。
※日蓮宗信者さんから相談を受けている友人がいます。これらの図を印刷して渡すと、関係者から大変喜ばれたと連絡がありました。
※一部手直しをして、再掲載させていただきました。
ある霊園に拝みに行くと、高校の先輩で日蓮宗寺院住職が経営者でした。
「今後は手伝いに来い ! 」の厳命で、毎週のように手伝いに行くことになったのです。
私が体調を崩すまでの間、お世話になりました。
当寺は宗旨違いの真言宗ですが、たまたま日蓮聖人涅槃図(入滅図)が手に入りましたので、先輩の寺に納めさせていただきました。
池上館において亡くなられた日蓮聖人を中心に、お弟子さんや大檀越を描いた彩色版画です。実際にここに描かれた方々が全てこのように集まられたのではないとおもいます。
池上館が日蓮聖人亡き後に寄進され、現在の池上本門寺になっています。
この図は古板(版木)が摩耗したために、池上宗仲の27代の子孫・池上太三郎が施主となり、貞秀(歌川貞秀か?)に依頼し描かれ、嘉永5年(1852)に開板したと書かれています。
別の図です。
この図も先輩のお寺に納めさせていただきました。
これらの掛軸は、私が求めたよりかなり経費を掛けて、再表装と額に仕上げたそうです。檀家さん信者さんも喜んでいただいていると思います。
※日蓮宗信者さんから相談を受けている友人がいます。これらの図を印刷して渡すと、関係者から大変喜ばれたと連絡がありました。
※一部手直しをして、再掲載させていただきました。
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