Ken坊の趣味と日常と仲間のページ

平凡なことを非凡に、非凡なことを平凡に書き綴る、
乱入大歓迎のブログ。

1427. 終戦の日

2015-08-15 | 雑記

戦争が否定されるのは、それが暴力だからであろう。


暴力の否定は無条件である。
どんな理由も暴力を正当化できない。
そして戦争とは、人間がなす最大の暴力と思える。



でも、もしも自分に暴力をふるう相手が現れたら?
自分の家族や友達が街で理不尽に襲われたら?

同じ町内の住人が何者かに攻撃を受け、蹂躙されたら?
自分はそれを甘んじて受け入れるだろうか・・?


誰かに守ってもらう?
日本や世界の平和のために他国の若者が命を落とすとしても、
日本は戦争の放棄を主張できるのか?



「義無き力は暴力なり。 力無き義は無力なり。」

この言葉が好きか嫌いは別としても、一理あろう。


武術は何の為にあるのか?
武力は何の為に必要か?

暴力に対する備えは必要悪ということか?
でも待てよ。 これって全て暴力・戦争ありきの考え方だ。


You may say I’m a dreamer. But I’m not the only one.
I hope someday you’ll join us. And the world will be as one.

暴力に対する備えは必要だが、、
まずは暴力の無い世界の実現に力を尽くす。

日本の国策はそうあって欲しいと願う。


争いで命を落さなければならなかった先人達は、

今の日本を見たら何と言うだろう?

そんな事を考えずにいられない日である。

コメント
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