紙芝居と冊子を手にする寺下さん(右)と会員の松本眞紀さん
印南町切目の歴史を学ぶ有志でつくる「ふるさと歴史を学ぶ会(うらしま会)」が、切目王子神社のいわれを分かりやすく説明した「切目王子のものがたり」と題した紙芝居と冊子を作った。同会代表の寺下鎮雄さん(74)は「紙芝居にすることで歴史的に由緒ある切目王子神社を小学生にも身近に知ってもらい、地域の文化に関心や興味を持ってもらえるきっかけになればうれしい」と話している。
「切目王子のものがたり」は、平安末期から鎌倉期に切目王子と伏見稲荷神社との結ぶつきを記した「宝蔵絵詞(きな粉の化粧)」を文安3年(1446年)に伏見の後崇光院貞成親王が書き写し宮内庁に保管されている「後崇光院宸宝蔵絵詞」の文献を下にし、絵と文は同町上洞、太田絢子さんが手掛けた。「みなさんは、切目王子を知っていますか? 王子とは『護法神』という神様のことです。切目王子は右足がなく、いつも杖をついています。これは片足になってしまった神様のお話です」から始まり、熊野九十九王子の中でも格式高い五体王子の一つでもある切目王子神社がどのようにして、人々から信仰されるようになったかを紹介。
王子とは「護法神」のことで、説話では、熊野権現の命である僧に使えることになった護法は、僧の不浄の場にまでつきまとって嫌われ、イワシに混ぜた臭い水を浴びせられ、それに怒った護法は僧の鼻を強く叩くと僧は死んだ。これに権現は怒り、護法の右足を切り落とし切目山(印南町西ノ地)に放逐したのが切目王子の誕生とされ、物語では絵も交えて小学生にも分かりやすい内容で記している。「後崇光院宸宝蔵絵詞」の文献では、切目王子が節分の豆まきの源と思われる説話も残っており、そのことも紹介。冊子には「切目王子ものがたり」のほか、正治2年(1200年)12月3日に切目王子で後鳥羽上皇が催した歌会で詠まれた22首をしたため国宝となっている懐紙11枚でいずれも国宝となっている「切目懐紙」も掲載している。
800冊作った冊子は氏子らに配布する。紙芝居と冊子の製作費は印南町のまちづくりにかかわる活動をしている団体を支援しようと「印南まちづくり基金」を設けている公益財団法人「わかやま地元力応援基金」から受けた助成金を活用した。
切目王子神社は太平記で護良親王(もりよししんのう)が熊野落ちの際に泊まり「熊野に向かわず十津川に行け」と夢のお告げを受けたとされているほか、平治の乱(1159年)における平清盛、重盛が熊野詣での途中、都の反乱を早馬で知らされ、同神社で評議し、神前に勝利を祈願、都に引き返し大勝したとされるなど歴史的にも由緒ある神社で、全国に同神社の分社も多く確認されている。寺下さんは「紙芝居や冊子が地元民をはじめ多くの人に広く知って頂くきっかけになれば」と話している。
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